福井に行って思ったことがあります。

藍は家族が来たということで一応フリーにしてもらい遊んでたりしましたが、普段は何らかの作業に従事しています。

コミュニティの他の人たちも同じで、朝起きてから夕食が終わるまでは食後の休憩を除いて、皆何かしらの仕事をしています。

夕食後は皆それぞれの部屋で自分の時間を持ちます。

 

テレビは一台きりありますが、地上波は映りません。

知り合いに一週間分のNHKの朝の連ドラを録画してもらい、それを見るのに使うくらいです。

 

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仕事は鶏の世話や農作業、冬に向けての薪の準備、建物の修理等々です。

また各々自分の得意なことがあり、竹細工や木工製品を作ったり、表具をしたり、機織りをしたり。

毎日これのくり返しですが、月に一度皆で福井の街中に出てお茶をしたり買い物をしたりするのが楽しみだそうです。

仕事と言いましたが、原則として生活していくための仕事であり、お金を得るための仕事の部分は少ないのです。

収入源といえば、卵やパン、竹細工製品などを大野の町の朝市やカフェで販売するのと、カフェの売上が主だったもの。

 

僕はふと、仕事とは何だろう?生活するって何だろう?と思うのです。

 

職業農家の方もほとんど似たような生活でしょうが、ただそれで得たお金で色んなものを買うわけです。

電化製品だったり車だったり、生活水準をあげるような方向に物事を考えますよね。

要するにお金を得てそれで豊かに暮らそうとしているわけです。

ここがそのコミュニティと決定的に違います。

自給自足の自然な暮らしそのものが目的ですから。

 

色んな動物が作った農作物を食べに来ます。

それも十分に熟して美味しくなってからしか食べません。

対策をしてもイタチゴッコです。

食べられた方も「あ~あ」くらいで、そのことが食卓の話題にのぼり、でも誰も怒るふうでもありません。

 

何だか不思議な感じがするんですが、いろんな悩みも苦しみも、街の中で生存競争をしているから起こるのかもしれません。

田舎でただ生きるために生きていたら、そしてそれに喜びを感じていたら、どうなんでしょうね?

生きることそのものが目的であり手段であること。

今回の福井では、そういったことを考えさせられたのであります。

2011.8.18