昨日、お知らせ欄に紹介記事を書いた行きがかり上、本日はこの話題です。

そもそも子育てとは親がやるべきものなんでしょうか?

現代に限らず、いつの時代でも子供を授かる男女というものは、人間的にはまだまだ未熟な状態です。

親が自分のことで手一杯のところに、新たな生命がやってきていったいどうしろというのでしょう?

 

子育てで最も大切なこと、そして後からは絶対に修正の効かないことは、最低3歳まで、できれば6歳までの間は子供はあらゆることを受容される必要があるということです。

これは赤ちゃんがお腹に宿った時からの話ですよ。

その子がその子であるだけで素晴らしいのだ、愛される存在なのだということを体感させる必要があるのです。

こういう風にして育った子供は、言うなれば成人してからこんなブログなど読みませんし、辿り着きもしないでしょう。

必要がないからです。

 

では親がそのように育てられるかというと、なかなか難しいんじゃないでしょうか。

やはり躾と称して怒ってしまいますよね。

その怒りは実は癒されていない自分がいるからなんだ、などとは誰も気づきません。

自分の癒しのために(真には癒されないのですが)子育てをしているのだ、ということに誰も気づきません。

もし妊娠中あるいは妊娠前に、このホームページを読まれて共感されたとしても、自分の配偶者なり周囲の人たちが口をはさんでくるでしょう。

子育てというのは母親一人がどうあるべきかをわかったところで始まらないものなのです。

 

さあ、そこで爺、婆の登場です。

一般的にはお祖父さん、お祖母さんは孫に甘いですよね。

多少我儘にみえることもハイハイと受け入れてくれるでしょう。

お祖父ちゃん子、お祖母ちゃん子とはそうしたものです。

要はバランスの問題で、確かに保育園に通うとか電車に乗るとか社会とかかわるようになると、そこでのルールを守るということも必要になってきます。

親としては当然それに関して厳しくせざるを得ません。

子供とすればそんな常識など関係なく自由に動きたいのに、というストレスを祖父母の元で癒してもらうというのも良いのかもしれません。

この場合、祖父母が孫の機嫌をとるために何かを買ってやるとか、甘いお菓子で釣るとかいうことは慎むべきでしょう。

これは自分に自信のない者のやることです。

子供のすべてを受容するというのはそういうことではないのです。

 

また、この祖父母役は別に他の人がやったっていいんです。

とにかく誰か自分のことを全面的に受け入れてくれる人であれば良いわけですが、そこそこの人生経験を積んだ人が望ましいのは言うまでもありません。

子供を受容しながらも、子供が逃げてきた出来事やそれに関係した人たちのことを多面的にわかりやすく説明できる人。

そういう人ならいいですね。

子供は例えお祖父ちゃんお祖母ちゃんになついたとしても、親のことを嫌いになったりはしませんから大丈夫。

何があっても、やっぱり一番大好きなのはお父さんとお母さんなのです。

 

さて現実問題、今の核家族化している中でそのようなことが果たして可能でしょうか?

考えてみれば今、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんになっている年齢の人というのは、最近も述べたように随分と人間的には頼りないかもしれない。

先ほど言ったような祖父母役を上手くこなせるとは、とてもじゃないけど思えない。

もちろん皆が皆、そうではないでしょうが。

 

そこでお知らせ欄でもご紹介した「お産処(おさんどころ)」というような発想が出てくるわけです。

お産にしても子育てにしても、本を読んだりネットで情報を調べたり、色々しても結局どれが正しいのかがわからない。

もしかしたら、どれも正しいのかもしれないけれど、わたしに合うのがどれなのかわからない。

またどれを読んでも、いまいちリアリティが感じられない。

本当のところ、どうなの?

 

こういった疑問は当然なのであって、それを解決する一つのアイデアとしてお産や子育てに興味のある人、それに関わってみたい人、経験者も未経験者もみんなで集まって、お話ししようよ。

そして妊婦さんや子育て真っ最中の女性は、その中で自分に相応しいと思われるものを自分の意思で選択することができる。

決して、これが良いからと強制されることなく。

 

そもそも遥か遥か昔には、あるいは限られたネイティブの中では、子育てというのは社会全体で行うものであるのです。

そして「しあわせな子育て」というのは、そこに関わる全ての人がそれを通してしあわせを感じる、ということなのですね。

 

時計を巻き戻して、僕にもう一度チャンスをくれるなら、藍はどうなってたかな?

やはり同じようになったかな?

2011.8.20