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カッパのサンポ(院長ブログ)

有馬記念 2012~さらばJRA~

え~、僕はこの50年間というもの、ずっと詰めがあまい男でした。

将棋をやっても、ほとんど勝ってるところから負けてみたり。

ダーツをやってもほとんど勝ってるところから逆転負け。

バスケットをやっても、他人と競ってまでリバウンドをとるなんてとんでもない(こりゃ関係ないか?)

向こうも僕に気がありそうなのに、コクると振られる(もっと関係ないか?)

でも、そうやって相手が勝って喜んでいるのを見て何気に嬉しい自分もいます。

(振られて嬉しい自分は、、、、いません)

 

さて、今回の有馬記念、ちゅ~とハンパに当たりました。

3連複 4020円を千円で的中。

それだけなら儲けですが、他にも馬券買ってるし、他のレースもやったし・・・・

今年の秋のG1レースは菊花賞、エリザベス女王杯、ジャパンカップ、有馬記念の計4レース的中しましたが、どれもやっすい。

しかしながら1シーズンでG1を4レース当てたのも初めてではあります。

なんか最後まで僕って詰め、あまいのね。

 

その後、味勝の大将といつもの小料理屋さんに行き、今シーズンたぶん初めての”てっさ(ふぐ刺し)”を食しました。

それからトレフルドールという六角にあるバーで大将は寝て、僕は頼まれもせんのにテキーラのストレートとギネスを飲んでました。

ほいでから、日本酒を飲もうということになって、とある居酒屋さんに行くと、なんか見たことあると言えばあるけど、ないと言えばない男性のお客さんがカウンターで隣に座っておられ、味勝の大将に「先生、知ってるやろ?」と聞かれ「知りません。どなたですか?」と答えたその人は、中村翫雀さんという超有名な歌舞伎役者さんでありました。

 

ほんでもって、”たかじんnoばぁー”に出演していたコウちゃんがやっている祇園のアクアマリンというお店でカラオケタイム。

どうやらコウちゃん、僕の「かっぱなにさま かっぱさま」を聞きたかったみたいで、最後のトリで唄わしてもらいました。

もちろん踊りつきです。

それまでは、中之島ブルースに涙そうそう、カーペンターズにイーグルスのデスぺラード、さらば涙と言おうに花嫁、その他もろもろ。

 

そろそろ帰ろか、ということになり(そりゃなるわ)、わたくし八坂神社の隣にホテルをとっておりましたので、タクシーでそこまで大将と一緒に行きましたが、すぐ近くに餃子の王将があります。

あんた、夜中の3時位に喰わんでええのに二人で餃子二人前、レバニラ炒め(やったと思う)、中華丼食べてビール飲んでました。

 

長かった一日も終わり、ようやくホテルにご帰還ですが、大将曰く「そこ前、連れ込みホテルやったとこやで」

あんた、きょうび、連れ込みて・・・・・他に言い方ありまっしゃろ(笑)

ちなみにこのホテル、ネットで予約する時にチェックイン予定時刻が29時までありました。

朝、8時半くらいに目を覚ましてまどろんでいると、なんか知らんけど小学校の時の初恋の女の子のことが思い出され、今ミナミで会うたらどうなるかしら?みたいな妄想で1時間くらいベッドの中で過ごしました。

やっぱり、ここは連れ込みやってんな、と変に納得するわたくし。←アホです

 

南座.jpg

帰り道、京都南座の前を通ってふとみると、中村翫雀さんの名前が右上から二つ目に出ています。

大看板です。

そりゃ人間国宝である坂田藤十郎さんと扇千景さんのお子さんですもの(って、知らんかったくせに)

げに、知らんということは恐ろしいもんだ。

でも翫雀さん、話していてとても明るく楽しい魅力爆発な人でした。

2012クリスマス献立.jpg

その日はクリスマスイブだというのに、言うまでもなく二日酔いでありまして、一日中人間崩壊状態でございました。

夕食を子供たちが作ることになっていたので、ムカムカと吐き気がしてきた夕方くらいにはどうなることかと心配でしたが、食べてみると実に美味しかったのでした。

食べ終わると何気に元気になっておりました。

でもアルコールは飲めず、手作りケーキとお紅茶。

去年のクリスマスは、ふうのドアホが「サンタさんのハンコを押してください」てなことを書いたおかげで、堺筋本町までシーリングワックスを買いに行かされたわけですが、今年はふうのボケタレは一味違います。

「ほんとはサンタさんなんかいなくて、お父さんとお母さんがプレゼントを置いてんねんわ」と言うふうに、嫁は「もしそうやったら、お母さんあんたらにだけはプレゼントなんかあげん!」と言いきっておりました。

「仮にそうやとしても、サンタさんに言われて仕方なしにあげてるんや」 ということです。

ふうは「それやったらわかるけど、そしたらサンタさんなんやったら、ふうが何か書かんでも欲しいもんがわかるはずやから、今年はサンタさんに手紙書かへん」 てなことをぬかしよりました。

慧はハマーのラジコンで、藍は美容セットをご希望でした。

さて、どうなったでしょうね?

もう、ふうのアホたれがめんどくさいから、来年からサンタはいないし、見たことも来たこともないってことにしよかな。。。。

 

本日、仕事納めでございます。        (新・カッパのサンポへつづく)

2012.12.27

2012年のタイムトンネル

ついに運命の日ですね(笑)

実は昨日寝ていて、しょっちゅう目が覚めてしまって、いくら寝ても寝ても夜が明けない。

今日が何曜日で明日が何曜日なのかという感覚が全然わからない。

目が覚めるたびに隣で寝ている嫁さんや子供たちを見るのですが、毎回微妙に違う人になっている気がする。

実際にはマヤ歴が終わるのが今日なので、何かあるとすれば明日なんですけどね。

「第12の予言」でも描かれていたように、こういった時に怖いのは終末思想にとりつかれている人たちの行動なのです。

 

今週になって当HPは異例のアクセス数毎日千超えを記録しております。

ほとんどが「宇宙人はいるのか」と「2012年問題の真実」で検索しておられます。

誰かがつぶやいたのかもしれませんが、自分で書いておいてなんですけど、非常にバカバカしい限りです。

そんなことを他人の意見を聞いてどうしようってんだい?

宇宙船が街の真ん中に降りてきて、ETや未知との遭遇で出てきたような宇宙人が中からお出ましになる位のことがなければ、誰も確定的にそうだと思わないわけです。

目の前にエベレストをも凌駕するような高さの津波がこなければ、ああやっぱりそうだったんだ、なんて思わないわけです。

調べるだけ無駄だっつうの。

 

宇宙戦艦ヤマトの実写版が上映されて、数ヵ月後に現実に放射能除去装置が必要になるとは実に皮肉なことでした。

 

こういったことをすぐに闇の勢力と関連付けたがる人がいます。

闇の勢力にとりつかれている人は、その人自体が闇の勢力の一部と化していると知ってください。

9.11や3.11をアメリカが仕組んだなどという決定的な証拠が提出されて糾弾されるなどということは少なくともここ数年はあり得ませんので、そんなことを考えるのも無駄なことです。

 

先の衆議院選挙の結果をどう考えられますか?

民主の大敗は当然として、維新の会がもっと躍進してもよかった。

ひとえにマスコミによるものだと思います。

今回の選挙の争点を細かい政策に持っていくのは全くもって愚の骨頂で、TPPも原発問題も経済対策も今の日本の現状から見れば枝葉の問題でしかありません。

根本的な解決は誤った官僚主導体制にあるのであって、そこを変えなければ結局同じことの繰り返しです。

そういう意味では石原慎太郎の言うことが至極真っ当だと感じます。

(ま、仮に僕が党首だとしたら、絶対に教育改革を主に構えますけどね。他のことはすべて教育システムの拙さの結果にしか過ぎません)

そこへ週刊朝日による橋下市長のバッシングによるイメージダウン作戦、さらにはことさらに太陽の党と日本維新の会の細かな政策の違いをついてくるインタビュアーたち。

橋下氏が会見中イラッとくるのも当然です。

それにのってしまった日本国民であったということです。

小泉政権の時もそう、民主党政権誕生の時もそう、いい加減マスコミの巧みな情報操作や洗脳に惑わされないようにしなければなりません。

言っておきますが、今のテレビにおけるお笑いタレントの露出頻度は異常ですからね。

 

韓国の新しい女性大統領は、新しいリーダーの形を示そうとしているようです。

今後どうなるかはわかりませんが、本当は日本があのような姿勢を世界にアピールするべきなのに。

勝者と敗者ではなく、結果的にはメジャリティとマイノリティになってしまったものの、適切な融合が望まれます。

 

昨日、ならまちセンター(ならまちワンネスセンターではない)というところで、金澤翔子さんの小さな展覧会があったので見てきました。

個人的には”ダウン症の書家”という言い回しはいい加減止めて欲しく思います。

彼女はダイナミックな字から繊細で整った字まで色々書けることに驚きました。

特に大筆を使う場合、書家は(たぶん)このように書こうという自分の意図があり、しかしながらいざ墨を含ませ紙に筆を落とすと、その摩擦というのはその瞬間瞬間で変わるでしょうから、実際には筆と墨と紙と心との相関関係で字が描き出されていくというふうではないでしょうか。

 

自分の思いとともに筆をコントロールしながらも、より大きな流れに任せているという感じ。

ものごとを創造するとはこのようなことではないかと思いました。

その時には我も大切なのです。

しかし我を張り過ぎるとうまくいかない。

天に委ねるべきところは委ねなければならない。

その絶妙なバランスがとれるひとが達人と呼ばれるのでしょう。

2012.12.21

三位一体

まずはじめに、コメントをくださった方々、個人的にメールをくださった方々にお礼を申し上げます。

それぞれに返信するにも内容が重複してしまうので、この場を借りてご挨拶いたします。

このブログでスピリチュアルなことを書かなくなるというわけではないのですが、これからは信じて・愛して・待つ、ということを実践したいのです。

僕は常に「真理はあなたの中にある」と言い続けてきました。

当方はそれに気づくためのキッカケであれば良いと思っていました。

そしてキッカケになるような言葉はこのHP中にすでに満杯散りばめられています。

あとは、事が起こるのを待つだけ。

 

読んでくださる方がいるから、このブログは存在するわけですが、多少なりとも皆さんのお役に立てたのであればこれ以上の喜びはありません。

僕は今、「シャングリラからの伝言」の担い手として選ばれたことを非常に誇りに思っています。

これに関しては敢えて言わせてもらいますが、僕でしか出来なかったとも思っています。

 

わかりやすい言葉で、核心部分については我念を入れず、笑いも涙も怒りさえも、感情を押し殺すことなく、何より読み手が楽しめること。

著書の方は言ってみれば総論です。

ブログに関しては各論といえます。

ここでは本に書いている以上のことを述べているわけではありません。

唯一あるとすれば、「ワンネスの発見」くらいです。

不思議なことに完璧と思われるあの本の中で、肝心のワンネスの説明がどこにもないのです。

それも計算されていたことなのだろうと、今はわかります。

 

”カッパのサンポ” とは、僕が大阪で酔っ払ったとか、競馬でスッテンテンになったとか、そういうこともあるのですが、実際のところは僕の50年の人生の軌跡のことであり、一人の男のそれを通して読者はより具体的に自分自身のことも知るようになるのでしょう。

51歳を目前に控え、僕はようやく、この世界には愛しかないのだ、その愛の様々な形を体験するために自分はここにいるのだ、ということがわかりました。

そういう意味では、やっと本当の人生の入り口に立ったのだと思います。

そして、読者のみなさんもそうなのだと確信する次第です。

 

なお、ブログの記事の途中で文体が変わるところ、すなわち「〇〇なのだ」みたいに上から目線(?)になる部分に関しては、自動書記とでもいうべきもので、言葉は完全に僕の頭を素通りしてキーを打つ手を動かしていました。

かなり直接的なメッセージであったと推測します。

 

話は少し変わりますが、僕は元来、”信じる・信じない” というスタンスを持たない人間ですが、子供たちが胎内記憶や誕生前記憶を話しだした時、普通に聞いている自分がいました。

今でこそようやく、あくまでも少しずつ認知されてきてはいますが、ほとんどの親は信用しません。

そういうことを口に出すとバカにされるからと子供に封印をします。

そうやって子供は自分の中にある確かな記憶を消そうとして、その後いろいろと苦しむことになります。

自分の産んだ子供を信じなくて、誰を信じるのでしょう?

 

よくハイヤーセルフ(higher-self)という言い方をしますが、ではそれに対する言葉はローワーセルフ(lower-self)かというと違う気もします。

要は真我と表面上の自分という意味なのですが、ここでは言い方を変えて”表層意識、潜在意識、超意識”としておきましょう。

どれも自分の中にある意識です。

さて、そのどれかが、どれかを信じなかった時、どうなるでしょうか?

具体的には信じる・信じない、というのは表層意識にしか存在しませんので、それが潜在意識や超意識を信じなければ人間上手くいくはずがありあせん。

 

順風満帆にいっている時には誰だって三位一体の状態になっています。

「神様(超意識のこと)、ありがとう」とだって言えるでしょう。

でも、そうではない時にはこれらがバラバラになってしまいがちです。

前回のブログで、シャングリラの人たちが最後に言っていたことは、このことなのです。

自分を信じるというのは、自分の中の意識のワンネス状態を示すのです。

その時、人は確信を持って困難に立ち向かっていけます。

 

ということで、とりあえずのまとめとでもしておきましょうか。

そう言えば、さっき気づいたんですが、マヤ歴の終わるとされる12月23日って(←間違ってます)

 

有馬記念じゃ~ん・・・・

 

これって、競馬学的に言うとリセットをかけてくるので、純粋なゾロ目か大万馬券が出るのでは?

こういった時に1,2,3番人気決着とか、マル外や外国人騎手が勝つなんてことはないと思う。

わたくし、これで一応競馬も止めようと思っておりますので、味勝の大将と場外馬券場となる(阪神開催だから、有馬は中山)京都競馬場へ突撃するのであります。

次の日、振替休日やし・・・・

こんなに12月が早く過ぎていくのは初めての経験のような気がします、12月18日でありました。

 

注:ふと気になって調べたら、巷でいうマヤ歴の終わりとは12月21日のことのようですね。

しっつれいしました。

で、それって、明々後日じゃ~ん!?

2012.12.18

Long Good-Bye ~いまこそ独立独歩の時~

本日は衆議院選挙。

先月の衆議院解散の前日、彼の政治評論家の三宅久之氏が逝去されました。

どうして、その日に魂は逝くことを決めたのでしょう。

あの辛口評論から考えれば、もっと日本の政治の経緯を見守っていても良さそうなのに。

 

それはね、三宅氏が日本のことを本当は心から信じていたからではないかと思うのです。

 

12月になって何のスピリチュアル的なインスピレーションも沸きません。

どうやらシャングリラにいる同胞たちは、もうメッセージを伝えるのを止めたようです。

いわゆるアセンションデイの前にそうなることが、すでに決まっていたのかもしれません。

約2年5カ月続いてきた当ブログですが、そういう意味ではそろそろ終わりを迎えるのでしょう。

 

本来ならホームページのタイトルも変えるべきなのでしょうが、色々と面倒くさいので、とりあえずこのまま「ならまちワンネス歯科」のHPとして運営していきます。

カッパのサンポはそのまま僕の日記として残りますが、今までのような感じにはならないかもしれません。

 

スピリチュアルの世界に首を突っ込んで7年近くが経ち、本が出版されて3年。

僕なりに突っ走ってきた感があります。

もう、いいよね。

まったく、それに関してはド素人の僕とすれば、よくやってっきたんじゃないかしら。

あとは仕事と家庭と、とにかく一生懸命に生きる。

今となれば、スピリチュアルに関する浮草のような言葉たちが、実体のない陽炎のようにも思えます。

 

「神との対話」3部作の最後に神が著者のニールからいったん離れようとした時、ニールはまだ行かないでくださいとお願いしました。

なんとなくシャングリラの人たちも、その時に神がニールに言ったことと同じことを言っている気がします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

どうか 神の声を 誰かを通して聞こうとするのをやめてください

あなたが耳をすませば

わたしたちの そして神の声が 聞こえてくるはずです

 

「シャングリラからの伝言」が世に出て3年が経ちます

いきなり核心を伝えようとしても難しいので・・・・

 

あなたが その人なのです

あなたの 最も崇高な部分に 気がついてください

あなたの いのちそのものが 奇跡なのです

なにより あなたは そのままで完ぺきな存在です

 

それらを伝えるのに 三年の月日が必要でした

 

いま わたしたちは こういう形で

皆さんの前に 現れるのを 止めることにしました

これ以上 干渉するのは

皆さんの 成長の妨げになると考えます

 

ずっと わたしたちの声を 聞いてくれて ありがとう

そのことに わたしたちは 感謝するとともに

最大の敬意を表します

 

でも 思いだして欲しいのです

あなたは ここに書かれたことを

どこかで 聞いたことがありませんか?

もとい

どこかで 話した記憶がありませんか?

 

そう わたしたちは 未来のあなたなのです

未来の あなた

過去の あなた

時空のない世界から あなたに 語りかけるわたしたち

じつは ハイヤーセルフとは そういうものなのです

 

アセンション・デイを直前にして

わたしたちは とりあえず サヨナラしなければなりません

冒頭の 話のように

わたしたちも あなたがたを 信じています

なぜなら

あなたがたが いたから

いまの わたしたちが いるのだから

 

だから ぜったいに だいじょうぶ

なによりも じぶんを しんじることです

では さいごは やはり このことばで

 

”すべては ワンネスのために”

 

~あなたの心に しあわせの種をまく 「シャングリラからの伝言」~

昨日、テレビを見ていたら、黒柳徹子さんがこういう話をしておられました。

ユニセフ親善大使として、とある途上国の病院に行った時のこと。

そこにはガリガリに痩せた貧しい少年が、苦しそうに寝ていました。

わたしが「がんばってね」と声をかけると

喉の奥から絞り出すような小さな声で、何かを話しました。

隣にいる看護師さんに

「なんて言ってるんですか?」 と聞くと

「あなたの幸せを祈っています」 と言っています・・・・。

 

僕は涙が溢れてきて、これこそが僕たちが目指すところなのかもしれない、と思いました。

 

僕は昨日、診療しながら気づいたことがあります。

僕が、捉われや執着を捨て去った時

僕が一番、こいつだけには負けたくないと心で否定していた相手

僕が一番、自分を正当化するのに引き合いにしていた相手

じつは、僕が本当に困った時に助けてくれるのは、その人なのだ ということ

僕をいつも助けてくれていたのは、今はいない、その人なのだ ということ

治療しながら、涙がにじみました

 

どうやら、シャングリラの彼らたちとは、しばしのお別れのようです。

ありがとう

どうぞ安心して見守ってください

2012.12.16  日本の未来を決める衆議院選挙の日に

5次元!?セルフヒーリング

昨日は朝から整体のM先生のところへ。

前の患者さんが施術されている間、マットに横になって待っていました。

ヒマなんで、睡眠時の気道を広く確保するためにどうすれば良いか?と考えながら、ふとセルフヒーリングを始めてみました。

「西塔治の筋肉の意識よ、よく聞きなさい。神との約束を思い出し、正しい位置正しい機能に戻りなさい。我は神なり」

とまあ、JOYヒーリングの文言を心の中で言ったわけです。

骨格系、脈管系、神経系、各臓器、オーラ、チャクラ等次々とやっていきました。

そうしますと、なんと!途中から本当に筋肉が動きだしたではありませんか!!

当然それにつられて骨も動きます。

背骨も骨盤も動きます。

それも思いっきり。

僕は自分の身体がどう歪んでいるかわかっているのですが、その歪みを解消する方向に身体が動きだしたのです。

「おおっ!スゴイ!」

僕の順番がくるころにはきちんとその身体の動きも治まっているところがまたすごい。

まるで前の人がいつ終わるか知ってるかのよう。

 

M先生に現在の自覚症状を聞かれたので、視力が落ちてきているところに無理に見ようとして診療するので、背中と腰が具合悪いと思いますと伝えました。

「わたしの調べでもまず目からきて、そのせいで首の後ろの筋肉が硬直しているとでています。背中に手を置いた瞬間にわかりました」  とさ。

で、M先生は僕のメガネを手に取り、向こうの方でじっとレンズを見ておられるわけです。

要するにレンズの波動を変えてるんでしょうね。

驚くのは僕は整体ベッドで仰向きになっているのに、向こうでレンズの波動を変えるにつれ、またしても僕の筋肉が動き出したことです。

「どひゃ~」

波動っていう言い方が適切かどうかわかりませんが、なんにせよ面白いですねぇ。

 

その後、妻と一緒に靭公園の方にランチを食べに行く予定で、途中堺筋本町の紀伊国屋書店に立ち寄ったら、五日市剛氏の本が出ていました。

彼が本を書き下ろすのは初めてのはずです。

6年前の氏の「ツキを呼ぶ魔法の言葉」から始まった僕のスピリチュアルの旅は今年で一旦終了。

それならば、幕引きはやはりこの人の本かな、と思い購入しました。

内容などどうでもよくって、始まりと終わりの僕の中でのけじめです。

 

紀伊国屋が入っているビルを普段出ない所から出たら、歩いても歩いても四ツ橋筋に出ません。

気がついたら北浜です。

これって西向いて行かないといけないのに北向いて来てんじゃん!

なんで出口を変えただけで90度方向間違えるかなぁ。

そういえば、御堂筋も通らんかったような気が・・・

 

気を取り直して一路、目的の発酵料理の店へ。

ところが団体予約が入っていてアウト。

僕はこういう時、ツイテないとかって思いません。

その結果、また別の素敵な店を見つけました。

とりあえず昼ビールと天丼を注文したんですが、天ぷらがババほど入っとる。

海老天、チクワ天、海苔、さつま芋、蓮根、イカ、魚の白身、青唐2個、あと忘れた、くらい入ってます。

最初はご飯が見えません。

女性はきついと思います。

僕はビールがあったので天ぷらをアテ代わりにしてなんとか完食。

あとから来た、隣の若い兄ちゃん、天丼の大盛り頼んでるし。

靭公園が見える良いお店でございました。

 

今度は方向を間違えないように心斎橋まで歩いて行き診療所のトイレ用の高級芳香剤を購入。

夕方から奈良県歯科医師会の学術委員会があり、その後、委員会の忘年会。

よう飲みました。

よう唄いました。

きっと各委員は本日半分死にながら仕事をしていることと思います。

衆議院選挙と同日に会長選挙があり、そのことについて皆マジに喧喧諤諤の議論をしております。

歯科医師会の在り方って、おまえら、真面目か!

 

僕はなぜかしら比較的元気に今日一日を過ごしました。

ということで、ついに僕も意識だけでヒーリングが出来るようになったかな。

これが出来たら仕事が全然変わってくるんですけど。

すごいと思うのは、あれだけ酒飲んだにもかかわらず、現時点でまだ歪みが取れた状態が続いていること。

 

僕はあまり社会的な付き合いがないので、忘年会と言ってもこれと、あとは診療所のだけです。

人によっては毎日のように何かがある人もいて大変ですね。

あっという間に12月が終わる気がする今日この頃。

マヤ歴の終わりなんて考えてるヒマないわ、マジで。

2012.12.14

Top of the World ~始まりのための終わり~

12月になって、もののみごとに何のメッセージも来なくなりました。

アッハッハ~。

12月21だか23だか知らないけど、マヤ歴が終わるとされる日まで続くのかと思ったらそうじゃないみたい。

新潟のお話会での最後に僕はこう言いました。

「僕が皆さんを連れていってさしあげられるのはここまで。あとは皆さんがご自分で歩いていってください」

 

「シャングリラからの伝言」には副題が合って、それは”人生をより良く生きるために”

良い悪いという意味ではなく、生まれてきた目的に適ったという意味でのより良くです。

本当はその道にいるのに、その捉え方が善悪・損得・優劣で考えてしまうために、視点が低くなりがちで、自由で創造的になりづらい現状があります。

僕たちのの思考・捉え方を少しずつですが修正していきましょう、ということです。

すると確信と自信を持ってその道を歩んでいくことができます。

そのためには既成概念から解き放たれる必要があり、ディクシャがひとつの有効な手法として存在しました。

また本来は伝承されていたはずの、宇宙の理や智慧というものを復活させました。

人生ゲームの目的、ルール、とりあえずのゴールと永遠なるゴールについてもお伝えしました。

 

これ以上はもう必要ないでしょう。

 

あとは実地があるのみです。

 

本日午後10時から遠隔ディクシャをしますが、特定の人に対してするのはこれまでにもありましたが、申込制でない不特定の人を対象にするのは初めてです。

以前からやりたかったことですが、実際のところどうなるのかわかりません。

責任取れないから無料、なのではないのですが。

 

今、僕に何が起こっているかというと、”調和のとれないものはうまくいかない”というのを嫌というほど味わっています。

表面をいかに上手く繕っていても、中身がエゴ満載であれば不調和を起こし、ものすごいツケを後から払わないといけない。

今は自分の中でのそれのフォローにアップアップしている状態です。

ホント、たいへん。

自分のことを中心に考えた所謂エゴは、もうここで手放しなさいということなのでしょう。

ここが最後のゴミ箱設置場所よ!みたいな。

ですので、現在の僕は50年生きてきて、ある意味最悪の状況とも言えます。

何もわからない時には不調和を起こしていることにすら気づかないのですから。

 

これは裏を返せば、ワンネスの世界に必然的に突入していっていることを示します。

自分のことはさておき、他人のことを一番に考える、というのとも違います。

そのバランス、自分も他人も大切にしつつ、それらが調和する。

お互いの利益が調和する。

お互いの想いが調和する。

そうしないと、目に見えて亀裂が走るようです。

 

こんなことあまり言い切らない方が良いのでしょうが、僕がディクシャをするのはこれで最後かもしれません。

かねて言っているように、もうエネルギーワークは必要ないのです。

それよりは一人一人が自分のエネルギーを大切にし、他人のエネルギーを感じることが出来るようにするべきでしょうね。

というか、必ずそうなっていきます。

 

2010年の7月から始めたこのブログも、そういう意味ではひとつの役割を終えたのかもしれません。

これからは本来の歯科関係の記事を”集患のために”(笑)もう少し充実させて、ブログの方はまた違った方向性が出てくるのでしょう。

 

いま、精神世界をみわたすと

・グルのような人についていっている人たちと、そのグルを演じている人たち

・除霊やら浄霊などにこだわっている人たち

・シリウスやらプレアデスやら、魂の故郷を省みている人たち

・〇〇の法則などと、いかに現実の世界を上手く渡っていけるかを説いている人たち

・闇の勢力のことが頭から離れない人たち

等々いらっしゃいます。

それぞれに対して僕自身は思うところはありますが、皆、それぞれあって良いのでしょう。

きっとそうなのだと思います。

 

本日の遠隔ディクシャにしてもそうなのですが、僕がやるのじゃないのです。

皆さん僕に感謝してくださって、それはそれで良いのだけれど、実は自分でしているのだということをわかって頂きたいのです。

著書の最後の方にも出てくる言葉にこんなのがあります。

 

「気がついていましたか?実はこの本はあなた自身が書いたのだということを」

 

”神との対話”にも出てくるこのことは、自分で書いておきながら何ですが、イマイチよくわかりませんでした。

でも今は何となくですが、わかる気がします。

このブログも然り。

もし共感されるところがあるのなら、そこはあなたが書いたのです。

それも遥か以前、宇宙が出来た時に。

いずれ自分で見ることになるであろうメッセージを、自分で書いておいたのです。

それを今、僕を通して読んでいるだけ。

 

気がついていましたか?

「シャングリラからの伝言」は実はあなた自身が書いたのだということを

2012.12.10

絶対性の世界 vs 相対性の世界

これも新潟でお話したこと。

本にも書いてあります。

目を閉じて、リンゴを一つ思い浮べようとしても、大きさが定まらない。

そこにミカンを一つ持ってくると、お互いの大きさの違いは生じますが、それでもリンゴはイメージの中で大きくなったり小さくなったりします。

その状態では絶対的な尺度がないから。

そこでバナナやパイナップルやキリンに象、原子からはては銀河に至るまでありとあらゆるものを無限に想像=創造しました。

そうしますってえと、なんとなくですけど一つ一つのものの大きさって決まってくるような気がしません?

あくまでも相対性の世界ですけどね。

 

さて、あなたはそこに物だけではなく、無限の事象(出来事)も創りました。

嫁と姑との葛藤、父親との軋轢、子供のことを愛せない、仕事における劣等感などなど・・・・

もちろん嬉しいこと楽しいことも創ったんですよ。

目を閉じた状態で、あなたの瞼の裏の向こう側にある、それらのあらゆるもの。

あなたはその事象の真っ只中にいるのでしょうか?

それともこちらからその事象を眺めているのでしょうか?

 

・・・・どちらの自分も同時に存在している、が正解。

向こう側は相対性の世界。

こちら側は絶対性の世界。

問題は視点をどこに持ってくるかということ。

 

この世界はこのようにして出来ましたので、どうしても相対つまり他人との比較に陥りやすいのです。

でもね、他人というのはあくまでも”自分を知るための尺度”でしかありません。

それがなければ自分の姿がわからないのです。

比較する必要はなくって、単に自分を知るための道具というところでしょうか。

そこに優劣はなく、損得もなく、善悪もありません。

比較すると違いに目がいきます。

同じになろうとしてしまいます。

あるいは違いを強調してやろうと思ってしまいます。

そうではないのですね。

あくまでも、あなたはあなたのまま。

そして、そんなあなたをただ見つめるだけ。

観察するだけなのです。

 

僕たちは小さい頃から比較の渦の中に放り込まれて育ってきましたから、いきなりありのままの自分を受け入れると言ってもなかなか難しく、どうしても他人と比較してしまいます。

であれば、自分の子供を、自分のつれ合いを、自分の友人を他とあるいは平均や標準や常識的に、というところと比較するのを止めてみては如何でしょう?

自分のことはできなくても、他人を比較するのを止めるのは心掛け次第で可能なんじゃないでしょうかね。

僕はより良く生きるための方法論などは大嫌いですが、これはありかも知れません。

そのうち自分のことを他人と比較しなくなるかもね。

 

 さて、目を閉じて何も思考が働かない状態、すなわち無の意識の状態のとき・・・・般若心経の前半のくどくどした説明はそのことを述べています。

目を閉じれば即、宇宙創世前の状態かつ現在も裏で存在する絶対性の世界を体験できる。

誰でもこれが出来るってところが素敵だと思いませんか?

悟っているもへったくれもない、誰でも出来るんです。

 

多くの人がこの般若心経に対して私訳とか意訳(「わたしはこのように解釈したの、これって分かり易くない?」というとんでもない錯覚)で挑んでいます。

こういう人たちは、果たして本当に上のことがわかっているのだろうか?と思います。

後半は単に、このマントラが素晴らしいという大絶賛の嵐で退屈です。

で、さんざん訳の分かったような分からんような話を聞かされたあげく出てくるのが

”ガテーガテーパラガテー パラソーガテー ボジスヴァハ”

サンスクリット語です。

おまけにそれを音訳した”ぎゃていぎゃてい・・・”を唱えてるし、オメデタイにも程がある。

日本人にとって全くもって無意味なマントラです。

ですから多くの人は「すべては無であり(前半)、それが腑に落ちるととても気楽に過ごせるわよん(後半)」というところを、ああでもない、こうでもないと解釈するのですが、そもそも般若心経を頭で理解しようとするのが本末転倒だてぇの。

もののわかった師に導いてもらって瞑想したら一発でおます。

何度も繰り返しますが、般若心経を百万遍唱えようが写経しようが意味無しホーイチですから~。

 

明日からいよいよ古い世界、古い価値観が本格的に崩壊していき、新しい世界へと突入していきますよ。

あなたは他人に押されてそこへ行くのか?

それとも自ら進んでそこに入っていくのか?

どっち?

2012.11.30

喜怒/哀楽

昨日ヤフーニュースを見ていたら、アメリカのとある企業のCEOが今後20年間で火星に8万人を移住させる計画があることを発表したそうです。

これはペガサス・プロジェクトと呼ばれていましたが、2012年11月末になって大きくアナウンスするのはどうしてでしょうね?

地球滅亡の時に備えての地球人類保存の保険だそうです。

あなたも、好きねぇ・・・・

ということで、本日は喜怒哀楽のお話。

 

どこかの項で、喜怒哀楽とは喜怒哀という感情を”楽しむ”ということだ、みたいに書きました。

これは中西研二氏の受け売りなのですが、今はこのように他人の言葉をそのままパクルことはしません。

また、怒りという感情は人間が本質的に持っているものではなく、そもそも感情ではないのだとも書いています(これはオリジナル)

一般的に言われる怒りというものは、人間が頭で拵えた勝手なストーリーに対してムカムカするもので、瞬間的に悲しくなったり笑ったりというのとは明らかに一線を画すのです。

怒りとは岡本太郎氏のごとく、”爆発のエネルギー”です。

氏を見ていると、宇宙創世の神であるシヴァ神を彷彿とさせます。

 

喜怒哀楽という語の並びがそもそも?なのですが、なぜこういう順番なのでしょう?

僕はこういうことじゃないかと思うのです。

著書にも書いてありますが、目を閉じて何も思考が浮かばない状態のとき、それがまさにビッグバン以前の単に意識という無のようなエネルギーが存在している、という状態そのものです。

つまりあなたがそのような瞑想をすれば、即、現在の宇宙創世前にどうであったかを体験することになります。

というか、あなたがそれなのです。

 

自らを体験的に知りたいと考えた意識は、自分を分離細分化していき現在の宇宙を創りました。

そして分離細分化は今も続いており、宇宙は膨張を続けていますが、その裏で最初の意識だけの無の状態も同時に存在します。

さて、自分を細かく分けていく時の、やっと自分を体験的に知ることが出来るのだという、得も言われぬ喜びが爆発したのがビッグバンです。

だからシヴァ神は怒っているような顔をしているのですが、あいつぁ、ああいう奴なのであれで喜んでるんです、許したってください。

 

目を閉じた状態は即ち闇。

その反転として光がありこの世界が出来ました。

ディクシャ瞑想をしていると、時に眩しすぎて目をそれ以上閉じていられない、という不思議な体験をすることがあります。

これも宇宙創世の追体験なのかもしれません。

 

”喜怒”とはひとつのセットの言葉で、喜びの爆発のこと。

”哀楽”とはひとつのセットの言葉で、哀しいことがあるから楽しいことがある、逆もまた真なり。

人における感情とは、突き詰めると哀しいか、楽しいか、のどちらか。

いわゆる怒りに属する嫉妬や恨みなどは、本来の感情ではない。

人のマインドが作りだした幻想。

哀しいこと、楽しいこと、このあらゆるバリエーションを味わえるということで喜び爆発~!!

・・・・・ということでございます。

2012.11.29

愛の人になる

そういえば、新潟で個人セッションが終了し、お話会までのわずかな間にジャパンカップの投票を済ませておこうと、持参したパソコンでインターネット投票のページを開こうとしたら 「当センター管理者により接続を拒否されています」 みたいな文字が。

ヤフーはつながるのを朝のうちに確認したのに。

「え~、なんでぇ~?」 と続きを読むと

「理由:ギャンブル」

「・・・・・・」

「このクソ・センターがっ!」と悪態をつきつつ苦笑。

ていうか、お話会の前に馬券買うなっつう話ではあります。

 

結局スマホで投票するも、あの審議はないよなぁ。

どう考えても1着に来たジェンティルドンナは降着で然るべきです。

これがJRAのイカサマたる所以なんですけどね。

1着は絶対に彼女じゃないとダメだったのでしょうが、3歳の3冠牝馬に負ける4歳の4冠馬っていったいなんなんだ!?

シラケルわぁ。

配当安すぎて、当たって取り損です。

 

「愛人になる」じゃありませんよ。

”の”を抜かさないように。

スピリチュアルを語るのが、もういらないと思ってきた。

皆が知らないことを話してあげる。

本当は皆が忘れていることを思い出させてあげる。

そんなの、もういらないと思えてきた。

 

あなたはわたし

わたしはあなた

そんな感じになったわけじゃないけれど

相手が何かを必要としているというスタンスでいると

相手が何かが足りないという見方をしていると

相手はいつまでたっても 何かを必要とし 何かが足りない人としていつづけてしまう

そんなことは もう止めようと思ったの

 

わたしは もう一度 じぶんの内深くもぐってみる

するとそこには 広大な宇宙が ひろがっているかも

ちいさな ちいさな ひかりがみえるかも

道端の 可愛らしい 赤い花も

何億光年先に きらめく銀河も

全部わたしの内側にあり つながっていて わたしの外側へと出ていく

 

ただそれを味わいたいだけなの

ただそれに涙したいだけなの

そしてその感激が

そしてその喜びが

少しでも あなたに伝われば良いなと思うの

 

そう わたしは 愛の人になる

言霊の種まき人 あらため 幸せの種まき人となる

 

(スタッフに給料払ってスッテンテン) ← そんなオチいらんねん(笑)

2012.11.28

明日への啓示 ~Last Dance in NIIGATA~

夜中に眠れずに噛み合わせのことを半覚醒状態で考えるのは相変わらずなのですが、先日などは「これは結局どこの筋肉が関係しているの?」と自ら問うと、左側のとある筋肉がピクリと動きました。

そこを触ってみて「ああ、やっぱりそうなの?顎二腹筋の後腹?」

ついに、スピリチュアルにとどまらず本業でも啓示を受けるようになってきたかな。

 

僕が上の立場にある人、権力を持っている人に対してきついのは今も変わりません。

しかし、それ以外の人に対して、あるいは物事に対しては非常に緩やかに、ほんのちょびっとずつではあるけれど、優しくなっている気がします。

このブログにしたって、結構辛口の部分もあるにはあるけれど、あるいは読んでへこむ人もいるかもしれないけど、基本的には愛情いっぱい。

著書の方は皮肉な文章がない分もっとそう。

最近自分でそのことを認められるようになってきました。

 

23日の祝日の朝、伊丹をプロペラ機にて出発。

いつもプロペラが止まったらどうしよう?と考えちゃいます。

気圧の関係で途中、飛行機がドスンと落ちるような感じになった時、「ああ、このまま召されるのもありかも」

きっと妻子に宛ててメッセージを記すような余裕はないだろうけど、そう思ったらなんか50年の間に出会ったすべてのものに強烈な感謝の気持ちがわいてきました。

今思えばよく頑張ってきた気がするし、いつ終わってもいいよ的な、いつだって「十分やりました」と言える自分がいます。

こんなことを考えるのは、膵臓癌で亡くなった兄の年齢まであと二つとなったのとも関係があるのかもしれません。

 

北方文化博物館.jpg

新潟は雨です。

そういえば沖縄も雨でした。

主催の方に迎えに来て頂いており、そのあと北方文化博物館という、とんでもない豪農の屋敷跡を見学。

とんでもないにも程がある、という位とんでもない豪農です。

しかしそういう家を継ぐ立場に生まれた男性は、それなりの知性と品格とさまざまなものを身につけるとともに、膨大な数の奉公人やら小作人に対する責任がありますから、背負うものがとてつもなく大きすぎるかも?という気もします。

 

それからなぜかしらないけど、整体を予約していまして、施術受けたところ非常に勉強になるところ大なるものがありました。

生まれてから今までに受けた打撲などの外傷が、表面上は治っているように見えても、骨や靭帯等の歪みとして残っていて、それが元で何年も経ってから身体の他の部分に異常をきたす。

これには妙に得心させられたのです。

 

夜は一人で寿司屋で食事。

翌日は昼から7人の個人セッションと主催者側の人たち数人とで懇親会。

・・・・は良いんだけど、そのあと男性メンバー二人とオネエちゃんのいる店を2件ハシゴしてしまいましたぁ~。

こういうこと、しないつもりだったのに。

 

最終の日曜日は朝から二人のセッションの後、12時半から16時半までお話会です。

最近、ものごとを的確かつ簡潔に話せるようになったのと、そもそも、もう伝えたいことなんてあんまりないわ、というノリなので時間が余りそうになって焦りました。

一番伝えたかったことは、「答えを外に求めないように。深いところの自分と一緒にいてください」という一点だけです。

ミネハハの唄を聞いたり、クリスタルチルドレンのDVDを見たり、ディクシャをしたりしながら、なんとか定時をむかえました。

 

会自体が成功だったかどうかはわかりません。

普段はもっと有名どころを招いておられるでしょうから。

一人一人の感想もきっとまちまちでしょう。

だって、「何か良い話を聞けるかな?」と思って来ている人に対して、「もうこういう風に誰かを招いて話を聞くのをやめたら?」って、元も子もないこと言ってるんですから。

 

そして僕の個人的な正直な感想を言えば、「ああ、もういいや」 です。

 

会の途中でも話したのですが、僕のようにペラペラと言葉でスピリチュアルを語るなんて下の下なんでして、音楽や芸術を通して語っている人の方がより魂に訴えかけるし、もっと素晴らしい人は表になんて出て来ずに淡々と日常を幸せに生きています。

そう考えると帰りの道中は結構くら~い気持ちでした。

「ああ、いつまでもいい気になって何やってんだろ、オレ」

 

元々、今年中であらゆるセッションもお話会もやめるつもりでしたけど、益々その気持ちが強くなりました。

こないだね、「神との対話」を再読しようとしたら全くページが進まないのよ。

読む気がじぇんじぇんおきないわけ。

もうそういうのは、いいんだろうなぁと感じています。

よしっ!

 

これからは僕は他人に優しい人であろう(自分にも)

これからは僕は他人を愛する人になろう(自分をも)

ただそれだけでいいや。

そうやって仕事と家庭を大切に生きていこう。

 

ということで、最近のブログの更新は少ないのはそのせいですし、今後もっと少なくなるかもしれません。

もう知る必要のあることなんてないんです。

アホなこともあまりしなくなるかもしれません。

でも、するかもしれません。

ということで、今後ともよろしくお願いします。

この僕の中での変化は地球の波動上昇に伴うものだと考えておりますです。

2012.11.27

出会い、別れ、そして・・・ニライカナイへ

一昨日、沖縄から帰ってきて夜、NHKの「Family History」を見たら具志堅用高氏の話。

このシンクロは何?

僕が世界の中心?

・・・・否。

他の人は、そのことに表面的には気づいていないだけで、それは皆の体験でもあるのです。

個人的なシンクロなど実際には存在しないということ。

だから一人でも不幸な人がいると幸福な人というのは存在し得ないということでもあります。

 

もし、あなたの子供がものすごく足が遅くって、運動会ではビリが確実という時、あなたはどのように応援しますか?

「頑張れ~!」というあなたの声援の中、前の子たちにはるか離されながら走っている我が子をよく見てみると、抜かそうとかいう気持ちは微塵もなく、ただ、走っている。

まるでスローモーションを見ているような、パラパラ漫画をめくっているような・・・・

たとえそうであっても、あなたの子供は確かに風を切って走っています。

天使がダンスを踊るが如く、走りながら子供は大地と風と青空と一緒に喜びの中にいます。

さあ、もう気づきましたよね。

子供があなたに見せてくれているのは、キラキラした生命の躍動感です。

他の子と比べることなど、もうあなたの頭にはありません。。。。。よね?

 

今回の沖縄行き、まず阪神高速が大渋滞していてリムジンバスは梅田くらいまで一般道を走り、バスの中でヤキモキする状態。

伊丹空港に着いたら、手荷物検査場はあり得ないような大行列。

「なんじゃ、こりゃ!?」

ニュースでご存知の方もいらっしゃるでしょうが、警察手帳だけ見せて検査場を入っていった輩がおり、不審者かもしれないということで、検査場がしばらくストップ。

結局、本物だったそうですが、おかげでたくさんの飛行機が遅れました。

ところが、そのお蔭で本来なら札幌行きに搭乗しているはずの知り合いの技工士さんに会うことができ、今頭の中にある質問をぶつけてみることができたのです。

 

沖縄に着くと、もうすぐ両陛下が到着ということで警備とテレビカメラの嵐。

外は雨。

ホテルにチェックインした後、浦添で開業している山内先生と、読谷村の喜器というレストランへ。

ここのママは以前、奈良で沖縄料理のお店をやっておられまして、僕も行ったことがあるのです。

高台にあるレストランからは海が見えます。

すごく素敵なところでした。

 

夜は山内先生宅で宴会。

よく飲む人3人とほとんど飲まない人2人で、泡盛をしこたま飲みました。

奥さんの手料理は沖縄料理店などで出されるよりも、もっと家庭的な味付けで大変に美味。

二次会はスナックへと移動しましたが、僕はどうやら寝ていたそうです。

 

美ら海水族館.jpg

翌日は快晴でして、僕は行ったことがなかったので”美ら海水族館”へ行くことになりました

なかなかに感動的です。

口力旅行2012.jpg

これも感動的?

着てるシャツ、緑色て(笑)

この先にニライカナイが・・・・・て、あるかそんなもん(笑)

水族館も楽しかったけれど、それ以上に感動したのはお昼に食べたステーキ。

これも僕がA1ソースをつけるステーキが食べたいとの希望が聞き入れられ、名護にあるフリッパーというバカ流行りのお店に連れていってもらいました。

20分待ちです。

熱々の鉄板にのった230gのヒレステーキにスパゲッティやフライドポテトの付け合わせ、ポタージュ・スープにサラダ、ライス、コーヒーがついて何と!1680円也。

メチャメチャ美味いっ~!ほいでから安い~!

 

その後、皆とはしばし別れ、糸満にいる大学の同級生と再会して2時間ほど話してました。

夜は秋田から一人合流して、またしても宴会の後スナック。

この夜は僕も唄い倒して、「カッパ何さま」で大ブレークしました(笑)

 

友人たちと会い、いっぱい笑ったり、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論もしたけれど、、、、、

次の月曜日には、山内先生と糸満の同級生は普通に診療、他のメンバーはそれぞれ別のフライトで大阪、名古屋、秋田へと帰っていきます。

大阪の先生とは同じ便だったので、空港で一緒に沖縄そばを食べ、最後は声もかけずに関空で別れました。

来年からは、もうこのメンバーで沖縄に行くこともないでしょう。

 

ニライカナイとは沖縄的にシャングリラと同義。

それらが物理的に存在するとするならば、シャングリラ(シャンバラ)はチベット奥地やシャスタのどこかに、ニライカナイは琉球の海の彼方にあるのかな。

でも、陳腐な言い方になりますが、概念的に存在するとすれば、それはやはり僕たちの心の中なのかもしれません。

今回集まったメンバーは皆、それぞれに思っていること、やっていることは違うけれど、でも、向かっている先は同じ。。。。だけど違う、違うけど同じ、そんな気がした旅行でした。

いよいよ明後日は新潟に出発です。

2012.11.21

In vivo, In vitro

一応説明しておきますと、in vivo というのは生体内でという意味、in vitro とは試験管レベルでという意味であります。

要するに実験的事実と生体で実際に起こること、(は同じなのか、違うのか)という感じです。

 

昨日のNHKの「あさイチ」で”スピリチュアル・トラブルにご用心!”ていうのがやっていました。

基本的には霊感商法や占い依存などの話なのですが、NHKはインプラント・バッシングもやってくれて、今度はスピリチュアル叩きされたら、うちは商売あがったりです(笑)

夜には「ためしてガッテン」で歯ぎしりの話をやっていました。

今、歯科で歯ぎしりの権威と言えば出演された佐藤教授なのですが、まあ僕はなるほどと思うこともあったけれど、それ以上に言いたいこと(反論)満載なのですが、それは来年のセミナーででも話していきたいと思います。

 

試験管レベルでの実験と生体内で起こる現象とは全くもって違います。

生体においてはある機能が失われても代償作用が働いたりして、単純な構造にはなっていないのです。

実験室においては非常に限定された条件で結果が出ます。

〇〇は身体に良いみたいな。

よくってマウスを使った動物実験で証明ですか。

でもね、やはり違うのよ。

そんなことは僕のように生理学をかじって、動物実験をしていた人間なら本当はわかっていることです。

 

前にも書いたかもですが、神奈川歯科大の佐藤教授の歯ぎしりに関する一連の実験は、ようやくその研究の緒についたものであり、それはそれで評価されるべきものですが、それが発展するというよりは(少しはしていますが)そこがほぼゴールになってしまった。

権威のある教授が言うのだから”(良い)歯ぎしりはストレス解消に役立っているのでした方がよい”ということがまかり通ってしまって、異論を挟めない状況になっています。

アホかいっ!とわたしは言いたい。

歯科の世界でもそうなのですが、先達の言うことをよく学ぶことも確かに大切だけど、自分の疑問や直感を大切にすること、そしてそれらを受け入れるような学会であって欲しいものです。

論文ばかり読んでるやつに何がわかんねん?というのが正直な感想でおます。

 

僕は昨日、世界中の歯科医が引っくり返るような、それこそちゃぶ台をひっくり返すような面白い命題を思いつきました。

自分なりの仮説が出るまで、当分この命題と思考をともにします。

2012.11.15

変曲点

最近のカッパはサンポをしませんね(笑)

僕自身は忙しく動いているのですが、書くこともないし、書く気力もあまりわいてこない。

昨日曜日などは、朝からインテックス大阪といって大阪港あたりにある展示場で日本歯科医学会総会のポスター展示と広大な業者展示をみて、速攻で新大阪の一つ手前の西中島南方にある歯科関係の会社のオフィスに行き、FotoSanというデンマーク製の光殺菌器の消耗品を買い、その足で京都の四条烏丸でやってる同級生の奥さんの個展を観に行き、なにげに味勝の大将に電話したら「あ、先生?今オレ競馬場におんねん」とのご返事。

筋金入りの〇〇です。

じゃあ、ということで夕方に合流して先斗町で焼き鳥を食べ、祇園で酒にカラオケでした。

 

てなことを言ってるうちに、今週末から沖縄旅行です。

僕は今月で口腔力学研究会を半永久的に休会しようと思っているので、皆で行く最後の旅行になるかもしれません。

不思議なことに、去年か一昨年のテーマが”横とつながる”であって、まさにその通りの年だったのですが、今年の後半くらいからどんどん分離していき独立していくような流れになっています。

これがどういうことなのか分からずにいますが、皆が溶け合うワンネスではなく、はっきりとした個性の違いをもっと明確にしながら、他のものと共存している状態がとりあえず向かう先なのかとも思ったりします。

他を受け入れるということは、相手に合わせるということではないということかな?

 

とにかく独創性が問われているんです。

そう問われると、自信がない自分がいたり、人の視線や評価を気にしたりする自分が相変わらずいます。

先日来言っておりますように、そういう自分を愛せるのか?ということでして、非常にきびし~い状況下にあります。

テンション上がりません。

酒飲んでパァ~ッという気にもなれません(飲んでるけどね)

 

そうこうしているうちに、来週はもう新潟のにんげんクラブでのお話会です。

これもきっと意味のあることなのでしょう。

 

ただ、言われてみれば、僕自身は僕自身でありながら、例えば母親であれば相変わらずの母親なのですが、「これは自分なのだ」と何とな~くですが感じるようになってきました。

相手と同化するわけではりません。

よくディクシャのワンネス体験ではそれが起こるようですが、そうではなく、自分と相手は確実に別のものなのだけど、でも相手は自分なのだという、わかったようなわからんような微妙な感覚にようやく到達してきました。

これって、進歩してるのかしらん?

 

最近、夜中の3時位に目が覚めて、それから2,3時間眠れずにいます。

その間にいろんな考えがわいてくるのですが、咬合(噛み合わせ)に関する発見やアイデアがやたらと出てきて、どうして今までこんなことを考えつかなかったのだろうと不思議な気分になります。

僕の咬合に関する基本は、生体をよく観察するということです。

僕が師匠に習ったのはNatural Occlusion(自然な咬合)というものですが、まさにそれの発展形です。

 

歯科界では、いろんな診査法や診断に関する情報とか、ME機器を使ったやり方などありまして、顎関節症や不定愁訴の治し方も数多の先生が独自の理論で展開されています。

でも、僕の最近の気づきは、ちょっと考えて生体をよく観察すればわかることなのに、いまだに誰もそのことに触れてこなかったという類のものです。

ここに近来の科学の過ちがあり、まずは観察して疑問に思うところから始まるはずなのに、先に診断法や治療法などの情報を習ってしまうから、見えるべきものが見えずにおり、著名な先生の言うことに盲目的に追従するというスタンスが蔓延しています。

現在、スタッフの治療をしながら、色々と試行錯誤している状態ですが、もしかしたら新たな咬合の世界を切り開いていくのかもと思ったりして。

でもね、きちんと観察したらということだから、本当は古くて新しい世界であり、単にそこを見ずに来たというだけなのでしょうね。

来年始めるつもりのセミナーに向けて、そこは中々にエキサイティングな状況にあります。

 

あ、ちなみに、それだけ忙しい日曜日で競馬場にいたわけでもないけど、エリザベス女王杯は”かわいく”とりました。

でも、夜の祇園で消えましたとさ(笑)

2012.11.14

Only You, Only Me ~本当に大切なもの~

僕はときどきセンチメンタルになります。

 

きのうの朝、近鉄奈良駅の特急券売り場で難波行きの特急券とスルットKANSAI3千円分を買って改札に向かう途中、横のコーヒーショップから流れてきた彼のコール・ポーターの名曲”Begin the Beguine”が耳に入ってきて、思わず僕も口ずさんでしまいました。

そして改札の手前5mくらいのところで、ものすごい感情がわき上がってきたのです。

 

そのとき、僕は自分の小さな声が目の前にある大気を揺るがして、さっきまで存在しなかった音を生んだことを実感しました。

そして自分というものの存在価値をも実感したのです。

「ああ、僕がいなければこの音はうまれなかった。僕がいるからこの空気は振動し、歌がうまれたのだ」

僕にしか出せない音・・・・

 

なんとも表現しようのないその感覚、いまだかつて感じたことのないその感じに、しばらく浸っていました。

 

改札を抜け、コンビニで新しいビッグコミックを買い、特急に乗り込み読んでいたときのこと。

最初は興味のなかった漫画のページをパラパラっとめくっていると、途中で妙にひっかるセリフが書いてあり、きちんと読みなおしました。

和算をテーマとしたその漫画、今は出奔して行方が知れない偉大な算術士を父に持つ少女(米倉律)に、父のことをよく知るお殿様が彼から託された言葉を娘に伝えます。

それが・・・・・・

 

算数の心は学ぶものではない

いいかい、律

おまえは算数で

算数はおまえなんだ

計算のお作法なんか いつだって学べる

それより自分の心に 問うてごらん

「一」とはいったい何なのか

どうしておまえの心の中に

この世のどこにもない「まんまる」があるのか

そして

己の心一つをもって

思うさま算数の世界で遊ぶがよい

 

・・・・いたく心を打たれました

そして次のように思いました。

 

「ああ、この感情をもって、このひと粒の涙滴を世に送り出すのは世界中で僕しかいないのだ・・・・・」

 

先日ブログで書いた人生の目的。

「人生とは自分を愛することができるようになる旅路である」

あれ以来、こういったことが頻繁に”僕の中で”起こります。

さまざまなシンクロがやってきますが、起こるのは”自分の中”です。

ああ、ほんと、僕が不十分な人間で良かった。

だって、だからこそ、こういうメッセージが書けるんだもの。

 

Begin the Beguine    ビギン・ザ・ビギン

あとのBeguineとはサンバやマンボと同じく、ある地域(マルティニック島)の音楽のことです。

でも、そういったことを除けて直訳すれば

「始めることを 始めよう」

 

たしか、来年2013年のテーマは「自分はどこから来てどこへ行くのか?」 でした。

そしてこの10月以来、それを問われるような出来ごとばかり僕に起こります。

自分が何者か、自分を何者と宣言するのか、しょっちゅう確かめさせられます。

 

どうして、特急券を買って何も考えずに歩いている”あの”ときに、コーヒーショップからこの音楽が流れてきたのでしょう?

それって、愛じゃないの?

誰からのって、自分の、自分の中の、深いところから・・・・・

 

考えてみれば、僕が生涯で最初に自然に頭に浮かんだ詩がこれなのです。

本にも書いていますし、このブログでも紹介しました。

 

~いやしの言霊~

 

わたしは あなたが大好きです

いまのまま そのままのあなたが大好きです

あなたがただ そこにいるだけで

なぜだかとても うれしくなります

そんなあなたに 両手いっぱいの

花束をおくります

本当に 本当に ありがとう

 

           わたしの大切なあなたへ

 

いま、書いていても泣けてきます。

 

こんな僕でいいのね?

 

こんな僕でよかったぁ。

 

で、本日のオチですけど、昨日の午後から散髪屋さんに行った時のこと。

その近くに周辺住民大反対の葬儀屋さんがついに完成していました。

「もう、できあがりましたねぇ」

「そうなんですよ。なんか、今度プレオープンするらしいですよ」

「プレオープンて、何それ? 仮死状態の人が運ばれてくんの?」

 

その場にいた一同が笑いに包まれたことは言うまでもない・・・・・

(実際はB級グルメの屋台とかが出るのと、会員になったら自分の葬儀が割安でできるそうです・・・・って、なんじゃそりゃ?)

2012.11.9

第三者委員会

前回のブログの”サンデー”は明らかに”サタデー”の間違いです。

アップしてセミナーに行く途中で気づきましたが、面倒くさいのでそのままにしておきます。

なんで間違えたかというと、日曜朝のTV番組の名前が頭に刷り込まれていたからです。

で、翌日曜朝にテレビで石原慎太郎氏を見ていると、ずいぶん老いたなぁと感じました。

体力的なものも滑舌もそうですが、何よりアナウンサーの質問に対して的確に答えていない点に違和感を感じました。

これから第三極を率いて国政でひと暴れするのは少し厳しい気がします。

 

田中真紀子はひとことで言ってドアホです。

新設を却下された大学はお気の毒としか言いようがないですが、きっと覆ると思うのでここは思慮深く対応して頂きたいと思うのです。

テレビで安倍自民党総裁が言っていた「とにかく田中さんはメチャクチャな人ですから」というのが笑けた。

 

件のツアー会社はまあ、大変にお粗末ですな。

5年前の北海道の山岳事故に続き今回ですから。

例によってマスコミによる袋叩きが当分続き、尼崎の事件はちょっと脇に追いやられるかな。

マスコミは弱い者いじめが大好きですからね。

 

いじめを無くすために、上級生に下級生の面倒を見させて大人がそれを褒めるようにしたところ、いじめが”減った”という事例があるそうです。(無くなったわけではない)

子供の世界というのは大人の世界の反映です。

そんなもの、ちょっと考えればごく当たり前ということがわかります。

であれば子供の世界で起こっていることは、すなわち我々大人の世界の縮図なのだということです。

誰一人そんなことに気づかない第三者委員会ってなに?

いったいそこで何を議論しようというのかな?

バカじゃね?

 

いじめを無くすために、子供をどうしたら良いかじゃないでしょう。

そう考えている限り、絶対にいじめなど無くなるはずがありません。

 

僕は思うんだけど、いじめを無くすためにどうしたら良いか、当の子供たちに聞いてみるというのはどうでしょう?

いじめられた子供に

いじめた子供に

そしていじめに加わった子供に

また見て見ぬふりをした子供に

どうしたら良いか聞いてみては如何ですか?

 

最初は、先生が気づいてくれたら良かったのに、とか

わたしはちゃんと先生に言ったのに何もしてくれなかった、とかいう意見が出ることでしょう。

でもね、絶対最後に出ると思われるのは・・・・

 

「お父さんも、お母さんも、わたしのことをわかってくれない」

だと思いません?

 

でも、この言葉はなかなかしゃべってくれないんだよなぁ、子供って。

本当の胸の内って言わないものなのよ。

 

それはともかく、あれこれ対策を考える前に、子供の気持ちってのはどこにいったのでしょうね?

第三者委員会って名前がうがってるよなぁ・・・・

2012.11.7

サンデー・モーニング

特別、書くことってないんです。

ただこのブログを読むのを楽しみにしている方もいらっしゃると思うので、なんか書くのでございます。

 

最近の新患の方を見ていて思うのですが、インプラントやMTコネクター、歯を削らないドックセメントによる治療、つまりは治療法”だけ”を求めて来られる方はどうもスムーズにことが運びにくい気がします。

一方で、この先生なら信頼できると思って来られる方は、例え親知らずを抜いて腫れようが、それがどうということにはなりません。

いつも申し上げているように、医療機関のHPは受診前の信頼関係の構築のためにあるのだと確信する次第です。

 

本日より6か月間にわたる松本勝利先生による「総義歯セミナー」が始まります。

非常に内容の濃いセミナーになることは必至ですので、頑張って学ばなければなりません。

この先生は、神戸であった2日間コースの後の懇親会で、一次会がしゃぶしゃぶなのに、二次会でホルモン焼きに皆を引き連れていくような人です。

注意しなければなりません。

 

一昨日、前に当院に勤めていた衛生士の浅野さんが遊びに来てくれました。

以前ここでも紹介したのですが、長男のいっせい君は2歳に、4か月になる次男のかんた君も一緒です。

この二人は同じ日に生まれたそうで、なかなかのものです。

来年になれば保育園に預けられるので、パートで良いから仕事に復帰したいとのこと。

うれしく思いました。

ちょうどその2日前、今務めている村上さんが将来別の仕事もしたいので、いつかはパートにしてもらえませんかと言ってきてたのです。

二人は打ち合わせしていたのではないので、不思議ですね。

 

僕は今、考えているプランがあり、それは来年になったら”噛み合わせのセミナー”を当院で開催しようというものです。

多くのセミナーでは、理論立てて色んなことを教えてくれるし、実習もあるにはあるのですが、実際の患者さんの口の中や身体を診て、そこからどのように情報を得て正しい診断をしていくか、というのが抜けている気がします。

もし、レントゲンや複雑なME機器などがない場合、自分と患者さんの身二つだけの時に、どうやって診断するのかというと難しい歯科医が多いのではないかと思うのです。

様々な検査や機器は確かに有用ですが、それより最初にもっと大事なことがあるのに、そこを教えてくれる人は少ない。

その他、僕が今伝えたいたくさんのことを、ごく限られた人数ですが(実習するので6人までが限度)やってみようかという気になりました。

もし、歯科医の先生でこれを読まれて興味を持たれた方は、どうぞご連絡ください。

近々クインテッセンスに広告を出そうと考えています。

 

僕には噛み合わせ治療の師匠が横浜にいますので、一応仁義を通すために昨日電話でお伺いをたてました。

(僕が先日関内で泥酔して迷子になった時に参加していた勉強会の師匠)

すると、その先生のオリジナル部分は出してもらっては困るとの返事。

もうその先生が自分のセミナーをしなくなって(人が集まらない)久しいのです。

その間、いつも参加している研究会としても、ナチュラルオクルージョン・セオリー(そういう言い方をします)を人に伝えていこうという動きは一切なかった。

なのにそれかよ、って感じ。

ケツの穴ちっさ~。

でもね、僕の中では自分がセミナーを開いているビジョンが明確に浮かぶので、「じゃあやめときます」ってな話じゃないのです。

その先生のオリジナル部分は話さないようにして、なるべく穏便に認めてもらえるようにしていくつもりだけど、僕にそんな話の進め方できるかな?(笑)

 

前回書いた、「人生とは自分を愛することができるようになる旅」という言葉は僕の中でずっしり重くって、「そうかぁ・・・・」と結構内向的になってしまうのであります。

そうだと考えると、意識は当然自分の内側にしか向きません。

外側で起こっている事象はホント単なる事象でしかありません。

この言葉が、「シャングリラからの伝言」の中で一番重いのかもしれませんね。

 

そんなことを想うセミナー開始前の土曜日の朝でした。

世間は連休かぁ・・・・・

2012.11.3

Awakend Person ~覚醒者現る~

一昨日きた「いやしの村だより」11月号に、ついにバガヴァンに日本人で初めて完全な覚醒者と認められた男性とケビンとの対談が載っていました。

神代(かじろ)さんとおっしゃるその方の話を読んでいると、確かにこの人は覚醒したなぁと納得させられるものがあり、悟りなど興味がないと言ってる僕でも少々羨ましかったりします。

大したものだと思います。

 

僕が来年以降、個人セッションや遠隔ディクシャなどをやらないというのは、いつまでもそういうことをしていると、いつまでもそういうことが必要な人がいるということになるからです。

歯科に関すること以外のメール相談も同様。

これからはそういった意味でのエネルギーワークは不要であると考えています。

しばらくの間(どの位なのかはわかりません)は言葉・言霊が大切になると感じています。

そしていずれ、その言葉すらいらなくなる。

ただ、各々がそこにいるだけで良い。

僕が存在するだけで心地良い波動が、光が出るようになれば最高ですね。

もちろん皆さんもです。

 

しかし、現実はなかなかに厳しいもので、すぐブレがちになるし自分を見失ってしまいそうになります。

僕の方は現在少々下降気味でして、非常にネガティブな感情がワンサカ出てきます。

こういったことは直線的に右上がりに進むことはなく、サインカーブのように上向きの時もあれば下向きのこともあるけれど、全体としての傾斜は時間とともに上昇するよ、というものであります。

慢性病などでは波状治癒と呼ばれますが、人間的なこともそうなのでしょう。

 

人生とは自分自身を体験的に知る旅でした。

究極のところ、僕らは光であり、愛でした。

でも自分が光であると体験的に知るっつってもねぇ、あなた・・・・

自分が愛であると体験的に知る・・・・

・・・・僕、こないだ思ったんですけど、これって要するにこういうことじゃないかしら。

 

人生とは自分を愛することができるように歩んでいく旅である

それにより人は愛が何かを、自分が何者かを知るのだ

 

だから、”自分を愛する”ということが究極に難しいようになっているのではないでしょうか。

「シャングリラからの伝言」では人生をより良く生きるための方法論が書かれることは滅多にありません。

目的を定義し、さらに当分たってからそれを再定義し、またしばらくして再定義する。

HPが始まって以来、それの繰り返しで来ている気がします。

最初の定義が間違っていたわけではなく、ただ何かの薄皮を剥ぐとより核心部分があらわになってきて、再定義をする。

そういうことです。

 

今までは、人生が上手くいっていないのは、自分を愛していないからだ、自分を許していないからだ、とずっと言われてきました。

それはその通りなのですが、今回、見方が違って、実は自分を愛して許すことこそが”人生の目的”だったのかもしれません。

目的から離れりゃ、そりゃ上手くいくはずもないですよね。

愛の反対語というのは難しいのですが、不安とか裁きとかいうところでしょうか。

ですので許さないという気持ちや行為は愛の対極にあるものなのです。

(本当はそれらですら愛の中に包括されるのですが)

 

さあ、気を取り直して、今日から新たに人生を歩んでみましょう!!

2012.10.31

飛鳥美人~つばめいろツアー in 上ノ太子~

”かみのたいし”と読みます。

近鉄南大阪線に乗るのは何十年ぶりかわかりません。

集合1時間前の10時に到着して、天王寺MIOの本屋さんに行こうとしたら11時オープンて。

遅っ!

中高と天王寺で乗り換えて通っていたので、当時時々行ってたマクドナルドでどうしてもマックシェイクを買いたかったのですが、大きなショッピングビルの地下に場所が移っとる。

そりゃそうやわな・・・。

で、マクドえらい行列やったので結局スタバでチャイを注文してると、主催のスタッフのヨッシーが子供さんと朝飯食ってる。

食べ終わったヨッシーはカップをどこに捨てて良いかわからず店員さんに聞く始末。

思わず「田舎も~ん!」

実は僕もわからんので、そのままカップ持って電車に乗りました・・・・とさ。

 

飛鳥ワイナリーの社長さんがぶどう畑や工場を案内してくださいました。

肥料は剪定したぶどうの枝や果汁を漉すときのろ紙などを一年かけて発酵させるのだそうで、鶏糞などの動物性のものは一切使っていないとのこと。

山と積まれた肥料は3カ月に一回はかえして底の方にある分にも空気が通るようにしないとダメなんだとか。

これはすごい手間です。

広大なぶどう畑の土の管理とぶどうの世話とイノシシ対策やってたら、一日何時間あっても足らんよね。

 

日本酒の場合、能勢の秋鹿酒造のように自分のところで酒米まで作っているケースはごく稀です。

ですから僕たち酒飲みは、どうしても日本酒の造りの方にばかり目が行きがちですが、良いワインを作ろうとしたら良いブドウが必要なのは当然で、むしろブドウ作りの方が重要であり大変な手間と労力がかかるのです。

正社員は少なくて、ボランティアスタッフに支えられているそうです。

見学していて、ワインに対する見方が少し変わりました。

ありがたく頂かないといけませんねぇ。

結局は、このように一所懸命真面目に仕事していたら、人生で悩んでいるヒマなんぞなくって、「スピリチュアル?何言うてんの、自分?」てな感じです。

飛鳥シャンパン.jpg

いつも言うように、きちんと仕事して現実を生きましょうね。

晴れていたら、ぶどう畑のてっぺんにある社長ご自慢のピザ窯でピザ食べ放題のBBQだったのですが、あいにくの雨のため工場の2階にあるサロンスペースで宴会となりました。

で、社長の奥様がえらく美人でいらっしゃたのでございます。

写真は工場の中で、澱を瓶の先に集めている最中のシャンパンたち。

このあと、コルク打ちも見せてもらいました。

飛鳥ワイナリー.jpg

ビンゴ大会で僕はスカでしたが、慧がBINGO!!

その景品がコレです→

ヨッシーが慧のために即興の唄をうたう。

当たって良かったのか悪かったのか・・・・・

慧は思いっきし照れてますけど。

まるで罰ゲームやね、こりゃ。

ちなみに後ろの真ん中にいらっしゃるのが仲村社長。

そして、天王寺へ帰ってきて、行きしなにクロワッサンの店で発見した ”雲丹醤油”をゲット。

前から欲しかってん、これ。

2012.10.30

こころのやわらげ方

昨日更新したつもりが、アップ出来てませんでした。

アリャリャ。

 

筋肉のリラクゼーションにはいくつか方法があります。

腕相撲を例にとってみます。

腕相撲を通して相手の筋肉の緊張をいかにやわらげるか、ということです。

 

①相手と同じ力で拮抗する

②圧倒的な力でスコンと勝つ

③圧倒的にスコンと負けてあげる

④じんわりと少しずつ優勢を保ちながら勝つ

⑤じんわりと少しずつ劣勢を保ちながら負けてあげる

 

このうち②と③は最も嫌な感じがしてリラックスどころではなくなります。

①の中にも2通りあり・・・・

①-a   5秒間相手が最大の力を出している間、こちらはそれと同等の力を出し、5つカウントしたらお互いに同時に瞬間的に力を抜く(操体法はこのやり方です)

①-b  上と同様に5秒間相手の最大の力を受け、今度は5秒かけてゆっくり力を抜いていく

で、どちらかと言えばbの方が心地良いですが、臨床的にはケースバイケースです。

 

④と⑤では⑤のゆっくり負けてあげるほうが相手は心地良いです。

また、その間の呼吸法も大切で、原則として吸気は緊張、呼気は弛緩ですから、それをうまく使うとより効果的に筋肉のリラクゼーションがはかれます。

 

ということで、これは”こころ”にも通じるのでして、上のことをそのまま心のリラクゼーションに置き換えたらどうなるでしょう、、、、、、か?

 

・・・・・ちょっと、ええ話でしょ(笑)

2012.10.28

ハイ!これが究極

こないだ斉藤一人氏のことを書いた次の日に、かえる庵さんに行って新聞開けたら思いっきしこんな広告が・・・・。

 

”変な人の書いた世の中のしくみ  斉藤一人”  4万部突破!

「私が今、伝えたい事は全部書きました・・・・・」

 

おおっ!(苦笑)

この人、本をいったい何冊書いてんだろ。

前の本が足りないから次の本を出すんだよね、ふつう。

結局、不完全なものを次々出版してきたということじゃん。

どうしてこうなるかというと、この一人氏、書いていることは全部その通りなんだけど、肝心の根幹がないので全部上っ面の話となってしまわざるを得ないのです。

根幹とは、「人生とは何か?幸せとは何か?」ということの定義です。

 

僕が今、伝えたいこと。

そんなものはありません。

あえて言えば、「今さらあなたに伝えたいことなど何もない」 が伝えたいことでしょうか。

あなたはすべて知っているのだ!!

伝えようとする行為は、下手をすると相手を無知にしてしまいます。

そして、多くのメッセンジャーがヘタをうっています。

 

幸せとは何でしょうか?

幸せとは「自分が生まれてきた目的に沿った道に、自分が今まさにいるんだと自覚すること。そしてたくさんの人やその他のものに実は助けられているのだと自覚すること」でした。

この時、人はこの世界で自分以外のものとの繋がりを実感し、そうやって世界は動いており、その繋がりがなければ何事も起こり得ないし、何事も無意味なことを理解します。

更にもうちょっと付け足すとその時の充足感、静かな喜びの感情が幸せな感覚なのでした。

 

著書にも書いていますが、実際問題として自分の人生の目的通りに歩んでいない人などいないのです。

ただ、その自覚があるかどうかが境目。

だから幸せなど本人が自覚すればその瞬間につかめる、というか一生ぶれない幸せな状態が続くようになります。

たとえ、どのような状況下にあっても、です。

厳密なことを言うとね、ワンネスだから、一人でも幸せじゃない人がいると自分だけ幸せということにはならないんだけど、そこはそれ、ね。

 

昨日思いついた”幸せとは何か?”の究極の答え。

上のことをすべて理解したらわかるんだけど、それはね・・・・

 

幸せとは、すなわち(自信と確信を持って)生きることなのだ

 

ああ、俺って天才かも~(笑)

( )付きなのがミソですが、生きている人で生きていない人なんていないからね。

どこからもケチのつけようのない、完全無欠の定義なのでした。

そして、論理は進化するけど、どこを切っても矛盾がないってことね。

だって、閃くまで僕はいつまでも待ってるから。

 

明日はちょっと自信のある天皇賞(秋) 東京競馬場 芝2000m GⅠ

枠順が確定する前から軸馬2頭決まっていました。

そ・し・て・・・・

去年、丹後半島にある伊根野の向井酒造に見学に行って以来一年ぶりとなる、”つばめいろツアー!!”(ヒューヒュー)

泥酔して、酒造の前の溝に思いっきりハマってしまい、右足の脛をえぐく怪我しながらもエヘラエヘラしてましたが、今年はそういうことのないように。

大阪羽曳野市にある飛鳥ワイナリーに突撃でおます。

ワイン飲み放題、なぜか知らんけどピザ食べ放題、そしてBBQ。

うちは僕たち夫婦と慧の3人だけ。

もう一人ブログの読者が参加されます。

雨天決行。

たのしみ~。

では皆さん、馬券頑張ってねぇ~。

その頃わたしは、ほぼ落馬状態でしょう(笑)

未来を予測し、未来を創造してしまうわたし・・・・

2012.10.27

自立と孤立 ~Self-standing VS Standing-alone~

ちなみに自立の正確な訳はindependenceです。

dependent(頼っている、依存している)の反語ですが、それだと実は自立の正しい意味を言い表さないのね。

今、僕がスピリチュアル関係で特に推薦する本を挙げるとすると

・「神との対話1~3」と「神へ帰る」

・「聖なる予言」シリーズ

・「シャングリラからの伝言」

そして

・「自分を信じて生きる インディアンの方法」 松木正著 小学館

でしょう。

ただし「神との対話」シリーズの中でも、最近では著者のウォルシュ自身が書いている本が出ており、こちらの方はスカです。

また「聖なる予言」シリーズでも著者が第〇の予言を体得するためのワーク集のような本を出しており、こちらもスカです。

要するにインスピレーションを基に書かれたものと、著者が頭で考えて書いたものとの間には雲泥の差があるということですね。

ただし、どういう言葉をキッカケに変容するかは人により違うので、すべての人に上の本が最良であるというわけではありません。

 

最後に書いた松木氏の本は、この僕ですら静かに感動し、言葉が心に沁み入ってきます。

彼も関西人ですが、ネイティブと一緒に暮らしたり、様々な悩める人を相手に話をしたりしている関係上、文章が非常に穏やかでゆったりとした感じで言葉が並んでいます。

僕の書く文章は、どうしてもテンポを重視しがちになるので、僕が喋るのと同様、早口の文になってしまいます。

彼の本を逐一引用して、ここでご紹介したい気分に駆られるのですが、それはルール違反なので適当なところで止めておきます。

どうぞ本編をご覧ください。

 

で、少々引用するのですが(笑)、「人は自立しようと思ったら、『助けてくれ!』とヘルプ・メッセージを出せなきゃいけない。そうでないと本当の自立にはならない。もし君が他人のヘルプ・メッセージを聞いたら、必要とされるものを与えつくせば良い」というものです。

わかります?

どうしてin-dependeceが正しい意味を表していないかってこと。

自分で立っていても、嵐が来れば人は倒れそうになります。

その時に助けを求めれば、前回言ったロープがピンと張って倒れずに済む、それが本当の自立だということです。

自分だけで頑張ろうとすると”孤立”になってしまい、倒れてしまうのです。

 

僕が普段、患者さんを観ていて思うのは、感情を押しこめている人が実に多いことと、助けを求めずに孤立している人がこれまた多いことです。

僕が手を差し出しても、その手を取ろうとしません。

そういうことは、いけないことだと親に教えられてきたのでしょう。

そうではない・・・・ということです。

 

昨日、開館早々に美術館に入りましたが、思っていたよりやけに空いていました。

エル・グレコって人気がないのかな?

僕は宗教は大嫌いですが、宗教画は大変に好きなのであります。

ゆっくり見ても1時間かからない位で外に出ると、横が交通科学博物館なもんで、遠足の小学生たちがお弁当を広げていました。

思わず笑みがこぼれます。

美術館内のレストランの表に出ている本日のオススメが、ハンバーグステーキ。

美術館を出て道を歩いていて最初に通ったレストランの本日のオススメが、ハンバーグステーキ。

ということで、北新地のステーキ屋さんで、ハンバーグステーキ・ランチ(千円也)を食べました、妻は。

僕は美術館のレストランのオススメの2番目に書かれていた、ビフカツ・ランチという言葉がずっと頭にこびりついていて、結局それに。

ビーフカツやったら、それほど思わへんかったんですけど、”-”を抜かしてビフカツと書かれるとそそられるのよ、関西人は。

ファミレスのような万人受けする味付けじゃなく、本格的なデミソースなので大人の味やね。

 

阪急百貨店がきれいにリニューアルして今日オープンやから、どうしようかと話していました。

でも混んでるからやめとこかと言ってると、後からステーキ屋さんに入ってきたサラリーマンの男性三人の会話が耳に入ってきて、どうも阪急百貨店の関係者みたい。

ああ、そういうことね、ということで阪急へ。

なかなかすごいことになってますなぁ。

言っときますけど、これ百貨店の10階ですからね。

阪急1.jpg    阪急2.jpg

 

4時前に家に帰ってきて、パソコン開けてヤフーニュース見てたら、石原都知事の辞任より先に目に飛び込んできたのは、「知的障害の少女殴られて死亡」です。

虐待のニュースは日常茶飯事ですが、障害を持つ中学生の女の子がこういう目に遭うのは、僕としては非常につらい。

お父さんとお母さんのことが大好きで生まれてきたのに、それが内縁の夫であっても、彼女の想いが通じなかったことに言葉がありません。

ニュースでこれだけショックを受けたのは、僕の出身校の姉妹校である附属池田小学校の事件以来かもしれません。

嗚呼・・・・・

2012.10.26

1Q62 ~揺らぎのある安定感~

橋下氏の好きなところは、ちょっと暴走し過ぎた後に必ず会見で謝る羽目になるとこです(笑)

 

昨日だけでアマゾンで本が4冊も売れました。

一体どうなってるんだろう?と思うのですが、この調子で年内で在庫が無くなってくれれば良いのに。

あれはそういう役目の本です。

2013年からは僕たちがあの本を超えていかなきゃなりません。

そういったメッセージを本日最後に披露します。

 

ちなみに次の本は・・・・・って考えたら、もういらんのじゃないか。

サンマーク出版の編集長とお会いした時は(柴田氏の取り計らいの元)、何かに突き動かされている感じがしたけど、もしかしたら僕が出したかっただけかもしれない。

もっとより詳しく書くことは可能だけど、それによって皆さんにもっと納得してもらうことも可能だけど、ちょっとね・・・・・

 

今、再読している松木正氏の「自分を信じてい生きる~インディアンの方法~」の中にこういうことが書かれています。

”受け取ること” と ”受け入れること” の違い。

これをネイティブの智慧として聞かされたら普通ならどうしますか?

そもそも何のことかわかりますか?

もし通勤電車で隣にネイティブ・アメリカンが座っていて聞かされたのなら、ちょっと考えて「それってどういう意味?」と質問することでしょう。

でも、松木氏がそれを聞いたのは居住区の中の神聖で特別な場所なのです。

時間の流れ方が違います。

 

受け取ること、受け入れることがどうちがうのかは、松木氏の本を読んで頂くとして、大切なことは自分で考えて自分の中から答えが出てくるのを待つということです。

多くの人はすぐに答えを知りたがります。

当HPも少しだけかじり読みして、すぐにメールで質問してくる人がいます。

こっちも鬱陶しいし、相手のためにもなりません。

こういう場合、ある程度考えて分からなければ、その分からないというのが今の自分なので、信じて待つのです。

何を信じるのか?

 

すべて最善のタイミングで最善のことが起こる

 

ということをです。

 

つまり、その疑問を常に頭の中に置いておけば、必ず何かの体験を通してスコンと「あ、そういうことか!」と得心することになるのです。

宇宙と自分の繋がりを信じておればね。

なのに無理やりそれらしい答えをひねり出してしまったら、誤った所に着地してしまい、せっかくの先人からの智慧が活かされないことになります。

少し前のブログでも書きましたが、僕は歯科的なことに限らずスピリチュアルな疑問に関しても決して無理に答えを出したりはしませんでした。

だから「シャングリラからの伝言」も「虫歯の本当の原因」も、どこにも矛盾点がありません。

常に論理は進化はしますが、以前の考えが間違っていたなどということが起こらないのです。

 

多くの人は、せっかくの機会を性急に他人に聞くということで台無しにしてしまっています。

だから、いくら僕が「あなたは本当はすべて知っているんですよ」と言っても、「そんなことないよ」って思ってしまうのです。

ええ加減にして欲しいよね。

「成長したくないのか!」って思ってしまいます、正直言って。

 

土曜日に妻が松木氏の講演を聞いていて一番心に残ったのが次の話だったそう。

「僕たち人間同士の繋がりは、ピンと張ったロープで結ばれているより、少々たるみ気味のロープで結ばれている方が良いのです。

でも人はお互いに強く結ばれていないと不安になります。

少し引っぱったらすぐ隣の人が感じられるようにしておきたいと思います。

ところがそうすると、一人こけたら皆こけた、となってしまう怖れがあります。

多少誰かが揺らいでも、それはそれでOKで、本当にこけそうな時に緩かったロープがピンと張って支え合う、それくらいが人間ちょうど良いと思うのです」

 

妻がその話を聞いた2時間ほど後、セミナーで発表していた僕の最後のスライドは次のようなものでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

最後に・・・・・ワンネス歯科の想い

・ワンネスとは、性質の違うものがお互いに受け入れあって

調和している状態のこと

・このとき、あらゆるものはファジーでありながら安定している

・歯科界において次の30年の間に

今まで見えないとされてきた世界が証明されていくであろう

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

僕はこれまでワンネスの説明で、”ファジーで安定”などという言葉を使ったことがありません。

Power Pointで最後のまとめのスライドを作っている時に、急に思いついて書いたのです。

すごく違和感を感じたので、消そうかどうしようか迷いましたが、結局そのままにしておきました。

すると奈良女子大の講堂と京都精華町のセミナー室とで2時間の時間差をもってシンクロを起こしたのです。

 

前から知っていたことですが、実は今回のアセンションに関し、1962年(昭和37年)生まれの人間(実際にはその前後)の果たす役割が非常に大きいのです。

僕も松木氏もその年齢にあたります。

他にもそういった人が散見されるのですが、いかんせん世間的にものすごく目立つ存在ではありません。

松木氏は現在フィールドワークを中心に活動されており、僕はご覧のとおりです。

僕たちより上の世代は旧弊の概念に基づいて行動している人が多いです。

僕たちより下の世代はそういった親に育てられてきた人が多いです。

僕たち1962年生まれはおそらくその分水嶺に位置するのでしょう。

両方の世代を受け入れながら、でも変えるべきものは静かに変えていき、何よりも自分が何者か?を大切にする。

決してリーダーとなるのではなく、人の中にいて、ゆるやかな絆を結んでいく。

いや、結ばれているということに気づいてもらう。

何よりも、自分を信じること。

自分を生んだこの世界を信じること。

それをメッセージとして伝えていくのです。

 

明日は、妻と大阪国立国際美術館にずっと楽しみにしていた”エル・グレコ展”を観に行きます。

その後、なんか最近テレビでやたらとハンバーグ・ステーキばかり見たので、洗脳と言われようが何しようが、どうしてもハンバーグ・ランチを食べに行きます(笑)

2012.10.24

名無しの権兵衛

今朝のNHKのあさイチで浮き指のことがやっていましたね。

合っていない靴と足の変形の話題でしたので、オンデマンドで見られるようだったらお勧めします。

 

週刊朝日は編集長の謝罪文を掲載した号を何の添付文もなく、ただそれだけを橋下氏に送ったようで、そりゃ氏が激怒するのも当然です。

それを訳知り顔のコメンテーターたちは、人気が落ちてきている維新の会を盛り上げるためのパフォーマンスだなどと笑止。

社会の木鐸たるマスコミの、それも編集長のあまりの無礼さにキレただけじゃん。

要するに本当は謝罪したくないのに、朝日新聞本社からの指示で嫌々謝罪文を書かされたわけで、橋下氏はそのあたりを明らかにしていくと言っているわけ。

まあ、馬鹿を相手にしても時間の無駄なので、いい加減なところで矛を収められたら良いと思いますが。

 

以前にTVで名画をやらなくなったと書きましたが、最近のお笑いタレントの頻出ぶりはどうでしょう?

日本を敵視する国からのエージェントが大きな顔をしているTV業界において、日本人白痴化計画がもうこりゃ最終段階まで来てるっつう感じやね。

笑いは健康のために大切ですが、それをお笑タレントに頼る必要はない。

笑いというのはね、どのような状況であっても、その人が笑えるかどうか、なのです。

笑いは外にあるのではなく、自分の中にあるものを表現しているに過ぎません。

 

尼崎の殺人事件にしても、そういうことがあったと、ちょっと放送すりゃそれでええやん。

それをいつまでもTVで流されて、気分いいですか?

今、TVというのは残念ながら国民の洗脳のために使用されています。

マスコミはそれで良しとしています。

だから信用するなって言ってるのね。

真実を報道もしなけりゃ、追求しようともしない。

朝日系列だけのことじゃありません。

どいつも、こいつも・・・・です。

お笑いタレントで視聴率稼ぎ、同じ顔したコメンテーターに頼り、基本的にスポンサーのための仕事をし、弱い者があればよってたかって袋叩きにし、裏では皆知っているのに怖くてさわれないものには近づこうともしない。

これくらいで、ええかね?

 

ここ最近、アマゾンで僕の本が週に2冊くらいの割合で売れています。

アマゾンは動きのある本に対してはすぐに補充してくれて常に6冊在庫があるようになっています。

出したのが2009年末ですから、今さらって感じがあるものの素直に嬉しかったりします。

あの本はカッパの人形が書いたことになっています(てか、ホントにそうなんだけど)

それは誰が書いたのかということを、メッセージの内容から切り離したかったからです。

 

世間的に成功した人が書いた幸せに関する本には致命的な欠陥があります。

それは読者がメッセージの裏に、この通りにしたらこの著者のようにお金持ちになれる、社会的な成功者になれる、幸せになれるというのを見てしまうからです。

著者にそういう意図がなくても、人間とはそうしたものなのです。

有名どころでは銀座マルカンの創業者である斉藤一人氏。

人は彼の書くものの向こう側に絶対に〇年連続個人納税額第一位というのを見ます。

というか、実際に本の表紙にそう書かれていたりもします。

そういう人が書いたものだから信憑性があるよ、ということなのでしょうが、これってメッセージの出し方からすれば立派なイカサマなんですよ。

そういったことをすべて伏せて、ペンネームで出してみろってえの。

だいたいが、スピリチュアルや自己啓発系統で同じような内容の本を何冊も書くのって、どうなんだろうと思います。

本当に核心がわかっているのなら、非常にシンプルに、かつ分かり易く、2,3行で示せるはずです。

 

いわゆる成功本をいわゆる世間的な成功者が書くのはあり。

そりゃその通りを真似たらきっと早道でしょうから、それを望むのなら正しい選択です。

 

もしね、釈迦やキリスト本人が今、皆さんの目の前に立って説法をしだしたとしましょう。

皆さんは彼らが本物であるときちんと認識している状態です。

そうしますとね、間違いなく彼らの言うことに縛られて身動きとれなくなりますよ。

大いなる自己とのつながりなんて遥か彼方へ飛んでいってしまいます。

釈迦がこう言ってたから、正しいことしかしてはいけない。

キリストがこのように言っていたから、無理にでも他人を愛さなければならない・・・・・。

(本当は彼らはそのようには言ってないんだけど)

だから彼らは(アホじゃないので)そのような形では転生してこないのです。

それをいまだに同じようなことをしている人がいて、それに依存して幸せを求めている人が多いのは非常に残念なことです。

 

知るべきことは宇宙を支配している法則だけ、ゲームのルールだけなのです。

ルールを知らずにゲームをするということは、なぜせっかく進んだこのマスから5つ下がらないといけないか分からないまま駒を戻している状態です。

こりゃ虚しおすえ。

そういうルールだと知れば、その中でそのルールを活用しながらゲームを楽しむことができます。

ほとんどの人は、ルールに翻弄されている状態です。

宇宙法則を熟知すれば、それを活用してより創造的になれるとともに、ジタバタしなくもなります。

すべては自分の創造した世界であり、自分中心で結構なのですが、これが面倒くさいことに向こうにいるのも自分、こちらにいるのも自分、あちこちに自分がいるということなんですなぁ・・・・。

2012.10.23

Beautiful Life

僕の発表は土曜日の夕方でした。

結構受けたと思います。

”受けた”というのは、内容的なものと笑いとの両方の意味です。

内輪の勉強会での発表の場合、笑いを取るのも大切な要素です(学会じゃやらんけどね)

発表内容は前回のブログの通りなのですが、強調したかったことはこのHPと同様、僕の考えや視点の正否云々ではなく、自分で疑問に思ったことを観察を続けていって仮説を構築し、それを検証していくということの大切さでした。

そうやって各々の視点からの仮説が複数出会った時に、より真実に近づくのであるということです。

多くの場合、科学者とされる人は自説の正しさだけを主張します。

それではダメなんです。

スピリチュアルの話もほんの少ししましたが、何となく受け入れられた気がします。

だって、普通に臨床していたらどうやっても物理的なことだけでは説明できないことに遭遇しますもん。

 

ところが、直前に追加したはずのスライドがうまくUSBにコピーされていなくて、最も言いたい事が言えずじまいでした。

それは、歯科医療の、あるいは医療というものの最終目標についてなのですが・・・・

 

The docotor of the future will give no medicine but will interest his

patients in the care of the human frame, in diet, and in the

cause and prevention of disease.

Thomas Edison

将来の医術者は薬を使わずに、人間の骨格構造・栄養・病気の原因と予防に注意を払うようになるだろう

トーマス・エジソン

 

現代医学の祖と呼ばれているヒポクラテスですら、同様のことを遥か2500年前に言っているのに、今の医学の在り方はどうでしょうかね?

僕は究極的には医療というのは生活習慣に対するアドバイスと、たまたま歪みを抱えたらそれを除く手助けをするところに行きつくと考えています。

救急医療は話が別ですよ。

そして、心のあり方、スピリチュアルな視点というのも重要な位置を占めるということです。

 

ちょうど僕が発表する2時間ほど前、奈良女子大で開かれた講演会にて、以前にここでも紹介した松木正氏の話を聞いている妻の姿がありました。

講演中ずっと泣いていたそうです。

テーマは「自分を信じて生きる」

 

日曜日は、6か月間にわたる歯然の会「模型分析セミナー」の最終日でした。

車で京都の精華町にある会場まで行く間に通る並木道。

朝の光を受けて街路樹が非常に鮮やかに目に飛び込んできます。

緑や黄色、そしてわずかなオレンジ色の木の葉の数々がそれぞれの色を放ちながら、全体として初秋の樹木を作りだし、そして立ち並ぶ樹木たちはこの真っ直ぐな道をして僕をどこへ誘おうとしているのだろうという感覚にしてくれます。

 

2013年のテーマは、「僕たちはどこから来て、どこへ行くのか?」だそうです。

だそうです、て(笑)

ヒーリングやディクシャを用いた個人セッション・遠隔ディクシャなども今年一杯で止めにしようと思います。

来年からは、もし依頼があればですが、きちんと講演料を頂く形のお話会だけにします。

ディクシャはもはや必要ないし、かえってその神秘的・宗教的な形態が人々の覚醒を邪魔するようになるとのことです。

とのことです、て(笑)

 

バガヴァン系の人たちはよく、プレゼンス(presence)という言葉を使います。

直訳すれば”存在”となるこの言葉は、ハイヤーセルフと同義、つまり大いなる自己という意味合いなのですが、彼らはどちらかというと誤った使い方をしています。

頭で考える自分は本当の自分ではなく、プレゼンスこそが本当の自分である。

僕もこういう説明の仕方をすることもあります。

 

3次元から5次元へのアセンションの途中である現在、どうしても(スピリチュアル好きな)人は霊性の方ばかり重視しがちです。

物質的な現実世界は幻想であり、劣っているものだと軽く見がちです。

そうではない、というのが当方の見解で、今大切なのは ”霊性と物質性の融合” です。

そこを霊性ばかり追求している、いわゆる頭でっかちのスピリチュアル馬鹿がいます。

友達になりたくないタイプで、少々距離を置きたい人たちです。

いまだに物質面の豊かさばかりに関心がある人、成功重視の人がいます。

アムウェイじゃあるまいし(笑)

こういう人は、最終的に望む物をすべて手に入れて、最終的に幸せを求めるようになります。

 

どちらも大切なのです。

 

自分の最も神聖な部分、すなわち大いなる自己をプレゼンス等どんな呼び方をしても勝手ですが、それを自分と分離させて神を崇めるみたいにすると落とし穴にはまりますよ。

頭で考える自分というのは確かに幻想ではありますが、この仮想現実の世界ではそれこそが揺るぎない現実なわけですから、そこにも神聖な自分があるのです。

神やプレゼンス(ハイヤーセルフ)を自己と切り離したかのごとく扱うのではなく、自分がそれであり、全体の一部であるという認識を強く持って頂きたいのです。

それをあるセミナーでは「プレゼンスを呼びだしましょう」とか「プレゼンスにお礼を言いましょう」などとやりますが、僕は(そういう気持ちもあるにはあるが)それは違うと言いたい。

 

昨日行われた第73回菊花賞 京都競馬場 芝3000m GⅠ

3連単 12450円 かわいく的中

いくら賭けていたか恥ずかしくて書けないくらい、かわいいものです。

以下、競馬素人の人は飛ばしてください。

 

今回の出馬表を見たら、競馬を僕のようなスタンスからやっている人には、1枠1番に配置された1番人気の皐月賞馬ゴールドシップが勝つのは明白です。

4着以下はこのメンバーではあり得ません。

それでは面白くないので、それが2,3着になった場合の馬券を必死に考えるわけ。

ダービーを負けている皐月賞馬が菊花賞を勝つには特殊決着しかありません。

出走取消はありませんでした。(結果的に競争除外もなかった)

1番人気が抜けているので、それから万馬券になるような相手の馬もいません。

2番人気の馬は絶対に来ないので(NHKマイルカップで失格になっていて、一度そんなケチのついた馬はアウト)、1、2、3番人気決着もなし。

そうすると、”もし1番の馬が勝つなら”2着にゴールドシップと同枠の2番の馬が来るゾロ目か、2着に外国人騎手が来るか(それも特殊決着とされる)、そのどちらかしかないのです。

そして、ある理由から8枠の16番(外国人騎手)か17番の馬が来ることもわかっていたし(18番の馬の戦歴が示唆)、7番か15番の馬が来ることもわかっていた(テレビCMで流れていたミスターCBとマンハッタンカフェの戦歴が示唆)

結果   1着 1番 /2着 16番 /3着 15番

やっす~。。。。

でも今度の秋の天皇賞の軍資金にはなりました。

 

普通の話に戻ります。

故桂枝雀師匠が生前自分が理想とする高座についてこう語っていました。

「お客様の前にわたしがこう出てまいりまして、な~んにも喋らんとただニコーニコ笑うてるだけで、お客様も何や知らんけどニコーニコ幸せな気分になる。それがわたしの理想でございますが、今のところこうして喋らんならんような状態で・・・・・」

ならまちワンネス歯科の理想の高座、もとい診療は、患者さんが来られてヒーリングミュージックが流れる待合室で、大きなガラス面から外の景色をボーっと眺めていたら、なんか院長に診てもらったわけでもないのに癒されて、「ヨシッ!」と立ちあがって帰っていく、そんなのがいいなぁ。

でもそんな人ばっかりやったら、つぶれるけどね(笑)

2012.10.22

OLD & NEW ~古くて新しい概念~

というのが今回の僕の発表のタイトルです。

今日か明日かわかりませんが、約30分~40分のプレゼンテーション。

我ながら非常に面白い内容です。

副題がありまして、「う蝕(虫歯)の真の原因を探索する」です。

”〇谷崇氏へのアンチテーゼ”なんてのがスライドの端にこそっと書いてあったりします。

この先生は日本の予防歯科の草分け的存在で、その世界では神さまのように思われていますが、僕に言わすと「それだけじゃ不十分だろ」

僕は虫歯もひとつの感情表現だと思っているので、徹底して虫歯予防をやるとその感情のはけ口はどこに来るの?と考えるのです。

 

20年くらい前に、虫歯になる歯とならない歯の違いは、相手の歯に攻撃されているかどうかじゃないかと思いつきました。

強く相手の歯が当たると、その部分のエナメル質に微小な亀裂ができ、そこから虫歯を起こす細菌が侵入しやすくなるというものです。

これを口腔力学的観点からのう蝕の考察と題しました。

これらはあくまでも観察と検証の結果によるもので、現在では僕的にごく当たり前のこととして存在します。

 

次にサイドメニューの虫歯のスピリチュアル的解釈のところでも書いていますが、口を呼吸器としてとらえれば、消化しきれていない寂しさが虫歯を作り易くなる。

これを心理学的観点からのう蝕の考察としました。

こういったことに気づきだしたのは、今から5、6年ほど前です。

これも大胆な想像を伴ったとはいえ、観察と検証を繰り返してきており、僕的に当然のこととなっております。

 

そして最近、歯には内側にある歯髄(神経)から象牙質、エナメル質へ外側に向けての細胞液が流れていることを知りました。

それにより外部からの細菌の侵入を阻止する防御機構となっているわけです。

ところが、甘いものやストレスなどは、この細胞液の流れをストップすることが実験で明らかになっています。

サックバック(SUCK BACK)といいますが、ある方向に流れているものがいきなりその流れを停止すると、流れは逆流するようになるのです。

この防御機構を司っているのは脳の中の視床下部といわれるところで、これは自律神経をコントロールしている場所です。

自律神経ですから、当然ストレスにより影響を受けます。

これを身体的観点からのう蝕の考察とします。

ここに至って、僕の今までの仮説と科学的実験の結果がcross-link クロスリンク(出会って結びつく)するようになりました。

 

以上三つの考察から導き出される虫歯のひとつの典型的な原因は・・・・

①噛み合わせにより力の集中している歯のエナメル質に微小亀裂が入り

②元々幼いころから寂しいという想いを押し殺していたような人は、それにより歯髄からエナメル質へ向けての細胞液の流れが阻害され、その結果虫歯の原因菌を歯の中に吸い込んでしまう

③そこで細菌は酸を産生し、歯の内側から歯を溶かしていき虫歯を作る

 

これね、実は画期的な仮説なんですよ。

そして、ここまでたどり着くのに20年かかりました。

細胞液の防御的な流れについては、カリフォルニアにあるロマリンダ大学の先生の研究結果によりますが、その他の論理の構築は僕のオリジナルです。

ここで注目すべきは、口腔力学的考察も間違っていなかったし、心理学的考察も間違っていなかった、それがここにきて統合され全体像がより明らかになってきたということです。

以前の仮説がどうして間違わずに、最終的な仮説の構築に役立ったのかというと、僕がいつの時も無理やり答えらしきものを導きだそうとしなかったからです。

その姿勢こそが評価されるべきだと考えます。

 

20年前にある勉強会で口腔力学的考察について発表したところ、相手にもされません。

ある学会で誌上発表しても全く反響はありませんでした。

心理的考察に至っては、阪大の同窓会誌に投稿したのですが、そこでも多くの同窓生に馬鹿にされます。

しかし、今、ようやくそういったことが科学的にも解明されつつあるのです。

きっと次の20年で、身体と心理的要素の関係、ざっくり言えばスピリチュアル的な見方というのが正しかったのだということが証明されるようになるでしょう。

 

僕はpriority(プライオリティ、誰が最初にそれを言いだしたのか)には全く興味がないので、要するに真実が認められればそれで良いのです。

 

昨日、歯科材料屋さんが来た時に、「マタニティ歯科外来」という専門書を納品していきました。

あれ?僕こんなん頼んでたっけ。

そうです。

「な~にが、マタニティ歯科だっつ~の」みたいなことを以前のブログに書きながらも、きちんと勉強しようとしていたのね。

俺って、なにか、ス・テ・キ(笑)

2012.10.20

懲りない面々 ~そろそろ断捨離かな?~

今頃になって復興予算の使い道が適切であったかどうかを議論するなど、こいつら本当にマトモな大人か?と思います。

このような使われ方がされたのはすべて官僚の采配によるものです。

くどい位に言いますが、有名進学塾で優秀な成績をとっていて、有名中学・高校・大学と進学した人たちがこういうことをやっているわけです。

うちの藍やふうさんは因数分解もおそらく出来ませんが、それでもこのようなおかしなことはやらないというより、彼女たちの中ではあり得ないでしょう。

本当は頭が良くて正義感も強い官僚もいるのでしょうが、組織の中でその力を発揮できないようですね。

 

インプラント・バッシングについて触れた際に書きましたが、週刊朝日などクズ中のクズです。

橋下氏の言うことがすべてもっともであります。

皆さん覚えておられるかどうかわかりませんが、そもそもが朝日系列のマスコミは今までからやたらと問題を起こしているのです。

今回の橋下氏の記事にしても、あんなものを校了にする編集長は頭がおかしいとしか言いようがないのに、相変わらずこのざまです。

謝罪しようがなにしようが、今後もずっとこの調子でしょう。

 

僕はブログには好き放題書いていますが、これが本になり活字になるとなると話が別です。

「シャングリラからの伝言」を出版する時に最も気を遣ったのがそこでして、”て・に・を・は” や言い回しの重複よりも、他人を傷つけるような表現があってはならないというところに時間を費やして校正をしました。

そのために何度も読み直したのです。

活字にするというのは、それくらい責任を持ってやるべきだと考えます。

 

今までにも書いたと思いますが日本のマスコミは基本的に韓国・中国の裏勢力に牛耳られており、額面通りに受け取ってはいけません。

橋下氏のような政治家が出てくれば、とあるところから命令が下り、バッシングするような記事や書籍がワンサカ出てくるのです。

そのような記事を書くのは、自分の意思ではなく、その系の意向に沿って書くわけです。

世の中には金で動いているその手のライターがごまんといます。

どれもこれも懲りない面々です。

 

僕は一昨年の2月からシャスタの秀さんに勧められて、マナテック社のサプリを摂り続けていました。

次回の分が届かないなぁと思っていたら、支払いのためのカードの有効期限が更新されていなかったため(事務手続き上)次回分が送付できない旨の連絡が来ました。

僕はこれが合図なんだなぁと思って、妻と相談してそれをやめることにしました。

M先生には、そのサプリが素晴らしく良いと太鼓判をおしてもらっていました。

でも、そもそも不食を是とする僕が、足りない栄養素をサプリで摂るというのは矛盾があるのです。

鎖骨骨折の予後も良くなってきたことだし、そろそろやめる時期かな?と思った次第で、紹介してくれた秀さんには感謝しておるのです。

 

昨日の午前中は大阪歯科センターで見学でした。

前回の見学でも思いましたが、宮野氏は益々進化しておられます。

僕が見学に行き始めて2年くらい経ちますが、そろそろ見学もやめてもいいかな、と感じました。

氏が進化しているのにどうして見学をやめるのか?

それはね、常に進化し続けている人にべったりくっついて細かい所を盗もうとしても、その人を超えることは絶対に出来ないと思うからです。

MTコネクターや咬み合わせの調整に関する基本的なことはある程度習得しました。

例えば、この歯が強く当たっていると血圧が高くなるとか、逆に当たっていないと不整脈になるとか、そういったことを逐一覚えようとするのではなく、自分の臨床の中で考えてやっていくことが、今大事なのではないかと考えるわけです。

ようやく、その段階まで来たということです。

そして機会を見て時々見学にうかがう。

その時に自分と宮野氏との差を見て、埋めていこうと努力し、いずれは少し違う感じでそこを越していきたいと思います。

自分が超えなければ、師匠に対して申し訳ない。

実はこのように考えるのにも、ある種の合図がありました。

 

合図が来た時に、それを見逃さず、勇気を持ってそれに従ってみるというのも必要かもしれません。

どうなるかはわからないけれど、自分が責任を持ってその道を行くのです。

 

昨日の午後は歯科医師会の学術委員会だったのですが、その後、理事の先生と二人で食事をしている時に「ところで西塔先生、宇宙の真理ってどうやって勉強したの?」 と聞かれたのには驚きました。

「いや、もし勉強したのなら、本にもブログにもきちんと出典を書きますけど、そうじゃないので自分の中にあったものを思いだしただけです。それで皆さんの中にもそれがあるよ、ということが言いたいだけなんです」

てなことを、居酒屋であらたまって話すのは非常に変な感じでした。

 

先日、僕たち家族全員が寝ている子供部屋のカーテンレールを慧が誤って壊してしまいました。

こけそうになってカーテンをつかんだら、レールごと外れたみたいです。

もちろん嫁さんにこっぴどく叱られたわけですが、いざカーテンが無くなってみると、朝起きた時に青空が見えてすごく気持ちが良いのです。

4階だというのと、北向きだというのもあるのですが、非常に爽快です。

一度、今ある所から離れてみるというのも、景色が変わって面白いですね。

 

最後に書かなくても良い(てか、きっと書かない方が名誉のために良い)、どうでもいいこと。

オチが欲しいので書いておきます。

朝、トイレで大をした後に、手を洗ってフンドシを締め直そうとしたら、トイレの床のあちこちに水滴が落ちています。

おかしいなと思いながら、トイレットペーパーで拭いても、また別の所に水滴が見つかります。

あれ?と思ってよく見てみると。。。。

拭いて流したはずのトイレットペーパが、僕のお尻(の穴)にダラ~ンとくっついて垂れ下っているではありませんか。

そのペーパーの下部半分はベチャベチャに濡れています。

僕がこっち向けば僕の後ろにそこから水が(それも汚染された)したたるという寸法。

 

もう僕って、ジジイですか・・・?

(その後、EM水を吹きつけたのは言うまでもない)

ていうか、ランチタイムにこれを読まれた方、ごめんなさい。

(どんなブログじゃ!)

2012.10.19

出生前診断について

今週末、模型分析のセミナーが最終になるので受講生が順番に発表することになっています。

それの準備で昨日寝たのが深夜1時位なのですが、近頃ないことに全然寝つけません。

こういった時はだいたい誰かが(!)来ていることが多いのですが、それも感じませんでした。

知らないうちに浅い眠りについて、今朝6時に目が覚める直前に見ていた夢。

 

・・・・・僕が道を歩いていると、数人の人が倒れています。

どうやら事故に遭ったようです。

警察官もいるのに、彼らも倒れているのです。

救急車の音が遠くで聞こえるので、それまでの間救急処置をしようと近づきました。

一番重症と思われた人は、最初見た時は成人の男性だったのに、僕が駆け寄った時には掌にのる位の小さな赤ちゃん(胎児?)でした。

当然言葉など話せないはずなのですが、なぜか僕はその子と会話し始めたのです。

身体が冷たかったので、ずっと手でさすっていると、そのうちに2歳くらいの男の子に変わりました。

顔中血だらけでガリガリに痩せたその子に対し、僕は内心もうダメだろうと思い、傍で呆然と倒れている親に対して何かメッセージはないか聞いていました。

すると昨日、いたずらしていて怪我をしたことを少し笑いながら話してくれました。

どんどん冷たくなっていくので、僕は裸になって自分の体温で温めようとしました。

そしてついに小さな声で「楽しかったよ」と言って、その後目を開けることはありませんでした・・・・・

 

目を覚ますと、隣の布団では慧が寝ています。

「どうしてこんな夢を見たんだろう?」と考えていると、昨日のNHKのあさイチで”出生前診断”をやっていたのを思い出したのです。

今月にも試験運用される予定だったのが、先ほどネットで調べてみると少し延期になっているようですね。

なるほど、もしかしたらそういうことか・・・

 

子供が欲しいのに出来ない人に僕はいつも言います。

あなたの子供は天国に必ずいます。

あなたが結婚する前から、いや、あなたが子供の時からあなたの子供は、あなたの受け入れ準備が整うのを待っているのです。

ただ、もしかしたら今回はその時ではない可能性もあります。

でも必ずその子供は(その子が他と変わることはありますが)、あなたの元へ生まれてくるのです。

実際に肉体となって生まれて来なくても、小さな魂はずっと天国からあなたの子供としてあなたを見守っている。

 

今回、僕の夢に出てきた子供が伝えたかったのは、出生前診断の是非ではない気がします。

障害を持って生まれる権利を取らないで、というのでもないと思います。

ただ、いのちの尊さについて、もう一度考えて欲しいという希望なのではないかな。

でなけりゃ、朝早くこんなにスパッと起きて夢を忘れないうちにブログなんて書かないからね、僕。

あ、そういや、友達に奥さんが予定日間近のやつがいたなぁ。

彼が今日、ビルの掃除に来てくれるんやった。

2012.10.18

The Ultimate Being ~高次の存在~

森口さんを執拗に吊るし上げようとするアホな記者たち。

臨時国会はいつ開かれるのでしょう?

民主党が大敗するのが確定的な解散総選挙はどうなったの?

どうして拉致問題担当大臣をコロコロ変えるのでしょう?

その度に挨拶に行く拉致被害者の家族の気持ちはどのようなものでしょうか。

与党が変わってもその大臣だけは変えないくらいの気持ちがないのだろうか。

いかに本気で解決しようと考えていないかがわかります。

自国民を守れないのであればとても国家とは言えません。

という社会とは別に、人々の霊的な成長は進んでおります。

この秋は特別なものになるでしょう。

 

よく高次元の存在とコンタクトをとるという人たちがいます。

それをメッセージとして依頼者に伝えてお金もらってる人もいます。

これが一般受けするのは、その高次元の存在というのが比較的低いところにいるので、依頼者には非常に受け入れやすいということです。

厳しいことも優しいことも僕らと近いポジションから話します。

そんなのとコンタクトする人がいかほどのものでしょうか。

本当に高次の存在はもっと超越した言葉を投げかけます。

本当に高次の存在とコンタクトする人は、依頼者の行動を型に嵌めるようなことは絶対に言わないのです。

 

世間で言うところの守護霊などというのは、下も下、僕たちよりは上にいますが、それでもかなり低い次元のエネルギー体です。

我が西塔家では子供たちが喧嘩しても放っておきます。

普通なら「やめなさい」とか「あなた、お姉ちゃんでしょ」とかいうところを妻は何も言わずに自分の用事をしています。

時々「ああもう、うるさいっ!」 って怒鳴るくらい(笑)

 

あなたが小学校の先生だとして、子供が問題を解けない時に正解を教えますか?

間違うことは悪いことでしょうか?

子供の成長というのはそんなものの結果よりもプロセスにあるのだと知っているあなたは、絶対にヘタな手出しはしないはずです。

それをやってしまうのなら、自分の人間性がそこまでだという話です。

僕たちより上位にいる霊的な存在にしても同じこと。

 

僕は子供が危ないことをしようが、多少の怪我くらいですみそうなら黙って見ています。

命にかかわりそうならストップをかけます。

これは干渉ではありません。

子どもはそれが命にかかわるということを知らないだけだから教えるのです。

 

「そんなことしたら危ないで。怪我すんで。こっちで遊び」 というのが世間一般で言われるところの(安物の霊能者に仲介される)守護霊です。

ずっと黙って見ていて、本来の意図した人生と違う方向に行こうとした時に、少し景色を変えてあげるというのが上等の出来た守護霊。

それでも突き進むのなら、また黙って見ています。

だって何回でもやりなおせるんだから。

 

でないとね、列車の事故で運悪くそれに乗り合わせて亡くなられた人の守護霊はボンクラかサボっていたということになるでしょ。

ぐっとこらえて見ているのです。

間一髪助かった人の守護霊は、それがその人の人生だから手助けしただけ。

 

僕がかつて中西研二氏のセミナーで体験した、光となって天に昇っていき、大元の光と合体する感覚。

その時”自分”という感覚はありませんでした。

人型の神さまが迎えてくれたわけでもありません。

圧倒的な至福と受容と安心感と眩い光があっただけです。

全体と個というのが最もふさわしい言い方かな。

その個というのも全体から分離しているわけではなく、溶けているんだけれど、完全に溶けきったら今思考している僕の意識はどこかにいっちゃう。

そんな微妙な感じです。

 

霊能者がコンタクトする高次の存在というのは、要するにその程度のものだということをお忘れなく。

あなたに何らかの強制的なアドバイスをするのなら、善悪の意識があるということですから、はっきり言って僕以下やな。

もしあなたが明確な意図を持っていて、そこへの行き方に迷っている時にプチ・アドバイスしてくれるのは”あり”です。

子供に接するのと同じですね。

巷に溢れる霊能者はほとんど前者に属するので注意してね。

そこに頼ると結局成長せえへんよ。

 

”オーラの泉”に出演して涙流した芸能人の多くがその後、大したことになってないのでもおわかりでしょ?

法則を教えてあとは自分で解かせるということをしないからそうなるのよ。

問題見せて、すぐに答えを見せるようなことばかりしていたら、その人絶対に自分で違う問題解けないからね。

 

そんなこと言いながら、時々僕、ネットで他人の競馬予想見ますぅ(笑)

 

オホン、え~究極の存在というのはどういう現れ方をするかというと、コンタクトなんかする必要なくて、僕たちの直感、そして感情という形でいつも一緒にいるのですよ。

ただそれを無視したり、抑えつけたりしているだけなの。

高次の存在云々のおかしなところは、自分でその声聞いたのならまだしも、他人からの「こう言ってるよ」と伝聞形になっている点にあります。

それが本当かどうかなんて誰にわかるの?

自分にしかわからないことを言われたっていうけど、単に霊能者が透視しているだけかもしれない。

ある読者からのメールの返信にも書きましたが、当方の書くものも読んだら頭から捨て去って欲しいのです。

2012.10.16

誇り高き男 ~The Proud Ones~

以前読者から頂いたコメントに対する答えが延び延びになっていましたので、本日はその話題。

あ、その前に先日の僕が母校で歴史の授業をするというのは、あくまでも仮想の話ですからね。

本当にやったわけじゃないですよ。

 

世間には”ワクワクドキドキ系の歯医者” というのが存在します。

ざっくり言うと、歯医者さんに行くのが楽しくなるような歯医者ということです。

システムとしては、まず初診で来られた患者さんの約一時間にわたるカウンセリングから始まります。

原則としてズキズキするような痛みがない限り応急処置はしません。

とにかく相手の歯科治療に対する希望や想いを思いっきり聞くわけです。

治療そのものは何か変わったところがあるわけではありません。

 

ちなみに初診の時の(初対面の状態での)カウンセリングでしゃべる内容など、あくまでも表面的な戯言でしかなく、当方には必要ないことで、よってうちではやっていません。

本当に聞きたい事は相手が触れられたくない核心ですから、そんなもの感じ取るしかないのです。

 

治療が終わった人に対する定期検診などのためのケアルームがあり、そこには歯を削る音が絶対にしないように、そもそも削る道具が置いてなかったりします。

また子供たちの予防のために”キッズ・クラブ” などを作り、比較的安い年会費制で虫歯を作らず、きれいな永久歯の歯並びになるようにします。

この系統の歯医者の大元は大阪にあり、僕もよく知っているのですが、今やそのスタイルは日本全国に行きわたり、行列のできる歯科医院としてその名を轟かせています。

 

昨年末の某講演会で、予防歯科では草分けの講師の先生はこの系統の歯医者のことをボロクソに言っていました。

僕は笑っちゃったのですが、まあ一理も二理もあると思うのです。

僕の場合はその先生とは少し違う意味合いですが、「あ、こりゃ嘘があるや」と感じるわけ。

スマイル・コーディネーターと呼ばれる、患者さんを笑顔で迎える係の女性の目の奥にある、すごい対人恐怖心。

「きっとこの人、小さい時にお父さんにきつく叱られたことがあったんだろうなぁ」 と思ったり。

そこの院長、っていうか全国のワクワクドキドキの総元締めの先生の目の奥にある、切ないまでの寂寥感。

寂しいからこそ父親に認めてもらおうとして頑張ってしまう。

端的にそれを示すにはずばり、医院を流行らしてお金を稼ぐこと。

途中で方向転換して人を喜ばせて笑顔を見たくなる。

結局は自分の寂しさの裏返しなのですけど。

 

どちらも表面的にはファストフード店並みの笑顔をしているのですが、内面はまったく違うのが読み取れるのです。

これでは患者さんに幸せの種をまくのは無理だ、と思うのですね。

あまり具体的には話せませんが、表の顔と裏の顔があるようです。

 

しかし、経営的には大成功しているように見えるので、彼のセミナーには全国から歯科医が集まります。

そして同じようなシステムにしていって、医院が繁栄しすごくハッピーに(一見)みえる人も多くいます。

それはそれで大変に結構なことだと思います。

た・だ・し・・・・・そこに嘘がなければ、です。

白衣をやめて、スタッフ全員がカラフルなポロシャツ着て、いつもニコニコしていて、それできっちりした治療をする。

それが自然に出来ているのなら素晴らしいことです。

僕には無理だけど。

本来そういう性格の人じゃないのに、”ワクワクドキドキ”のシステムのために自分をそこに嵌めようとするなら厳しいものがあるのではないでしょうか?

 

時として、院長が自分のやり方に固執するあまりスタッフとの軋轢が生じたり、経営的な問題を抱えたりすることがあります。

スタッフとの人間関係というのは、院長の人間的成熟度に関係するのでここではおいといて、経営のためにやりたくもないことをやる、違う自分を演じるというのは僕は疑問に思います。

しかしスタッフの給料を払わないといけない、家族を養わないといけない。

自分の意地だけの問題ではないのも確か。

 

当院でスタッフの給与が遅れたことはなく、その支払いが何より最優先されますが、妻や子供たちは贅沢から程遠い生活をしています。

テレビの旅番組を見るたびに、「ああ、温泉行きたいねぇ」という妻にいつも申し訳なく思います。

しかし、妻のご両親が非常に質素な生活をしてくれたおかげで(貧乏という意味ではない)、彼女は足るを知っています。

子どもたちは贅沢を知らないので、知らないということは存在しないのと同じです。

ですからうちの子供たちは自分の創造するものに興味があるのであって、LEGOと”トムとジェリー”のDVD以外には物に関心はないようです。

妻はたまには旅行がしたいというのはあるでしょうが、基本的に毎日の生活を楽しんでおり、おそらく今、幸せだと感じています。

 

以前メールをくださった、”老いた若造”さん、これが僕の返事です。

ご友人の歯科医が自分のやり方にこだわるあまり、奥さんが心配されるような経営状態になる。

それがその一家に対してどのような問題たり得るのかは、その家族の質によります。

もっというなら、彼の仕事のスタンスそのものはどうでも良いのであって、それによりどう幸せな家庭を築きあげていくのか、が問われているのではないでしょうか?

自分を曲げて、家族を金銭的に豊かな状態にするのも一つの選択、このまま突き進みいずれは好転すると考えるのも一つの選択です。

それらはあくまでも幸せをつかむためのプロセスでしかありません。

大切なことは仕事のやり方云々ではなく、何を創造しようとしているのか、それによりあなたや家族は本当の意味で幸せになるのか、でしょう。

 

ちなみに本年をもって、個人セッションや遠隔ディクシャは止めにしまして、歯科や健康に関すること以外のメール相談も打ちきります。

そんなこといつまでもやっていたら皆さんのためになりませんもの。

こちらは真剣に答えているのに、後からお礼メールがくるのなんてね、半分くらいなんですよ。

笑っちゃうでしょ。

そんな常識すらないから、こんなつまらん質問よこすんだよって心の中で思っています。

どうぞ自分の直感を信じてやってみて。

失敗したらやり直せば良いだけのこと。

何度も言いますが、絶対に大丈夫なのです。

この間何かで読んでプチ感動したのですが、金銭問題で困っている男性に友人がこう答えるのです。

「それって、金で済む話でしょ」

 

素晴らしいと思いません?

2012.10.15

簡潔な証明 ~Simple Proof~

なんか皆さん、僕が書くことを辛口とか何とか思ってらっしゃる方もいるようですが、本当は皆さんが薄々感じていながら敢えて考えないようにしていることを書いているだけじゃないですかね?

違います?

 

ま~たまた出ました人生ゲーム。

神の示すところの教え、すなわち宗教とは人生ゲームのルールを書いてあるだけです。

単にそれだけ。

でも人は、ここのマスに止まって、これだけお金をもらって、土地と家を買って、結婚して子供を産んで、最終的に他人より早くゴールしなくちゃ負けだと思ってしまいます。

ゲームが一回きりならそうでしょう。

でも人生ゲームは輪廻転生の中で永遠に続くのですよ。

それだけ数やりゃ、誰が勝ちで誰が負けですか?

どこで決めるの、そんなもの?

もし、魂の永遠さを信じないのなら、金儲けて成功するのが最善でしょう。

それしかないので、どうぞやりまくってください。

それで本当に幸せなのなら、皮肉ではなく何も間違っていません。

でもね、達観してみれば、たくさんのパターンのゲームをやった方が勝ちって感じしない?

 

今の宗教は”こうしなさい”、という性質の悪い教えを強要しています。

もしイエスや仏陀がそんな風に言っていたのならあいつら馬鹿者ですが、おそらくは弟子たちが阿呆だったのでしょう。

うまく師の想いを(教えではない)伝えられなかったのではないかと思います。

 

あなたねぇ、もし(タカラの)人生ゲームやっていて ”教えを守れ” ~すなわち、このマスに止まりなさい、それ以外は人の道に反するなんて言われてごらんなさい。

4人でゲームやってて、皆が同じ目出して、同じマスに止まって、同じように進めていったら、何が面白いですか?

だっから、今ある宗教なんてカスだっつうの。

 

あ、僕は時々、ていうかしょっちゅう ”アホ”とか”カス”とか言いますが、これは関西人特有の意味合いでして、関東における言葉そのままの意味とは少しニュアンスが違いますので、お聞き苦しいでしょうがご了承ください。

これらの言葉を間に挟まないと、文章にテンポが出ないのよ、関西の人間は。

 

僕たちは何ひとつ欠けるところのない完全な存在です。

完全だからこそ、このアセンションしつつある三次元世界において不完全な自分を演じることが出来るのです。

それでいいのに、どうして完全であろうとするのでしょう?

そこがわかっていない伝道者のなんと多いことか!

 

著書には少し書いているんですが、来月の新潟のお話会では、宇宙というのがどういうものか知って頂こうと思います。

ワンネスの体験というのは、一般的には非常に感動的な疑似体験に誘導したりしますが、僕のは淡々と、でも確実に腹に落としてもらいます。

般若心経を言葉ではなく、体験として理解してもらおうと思います。

てなことを、昨日思いつきました。

 

いつも言いますように、僕の書いていることなどどうだって良いのです。

それが皆さんに気づきをもたらすキッカケになってくれればよいので、あくまでもキッカケですから、気づいたのは皆さん自身であり、そこに僕はいません。

これまでもずっとこのスタンスでしたし、これからもそうです。

 

靭バラ園.jpg

木曜日にM先生の診察の後、妻と靭公園を歩いて、公園沿いにあるカフェでランチを食べました。

今、靭公園は様々な色のバラが咲き乱れています。

それぞれが魅力的でいて、かつ全体が調和していて素晴らしい景色を見せてくれます。

久々にたくさんのバラの匂いというのをかぎました。

おそらくは、ひとつひとつのバラの花の匂いって違うと思うんですけど、公園の中を歩いていて僕がかぐのは、”バラの匂い” です。

その帰り道の中華料理屋さん。

いくらランチメニューが3種類から選べるからって、これはないよなぁ。

中華ランチ.jpg

空の皿て・・・・。

なんのためのラップですかぁ?(笑)

 

明日は秋華賞。

味勝の大将と京都競馬場に突撃してきます。

3冠牝馬は誕生なるでしょうか?

スタンドで僕を見つけた人には、ビールと牛串おごっちゃいます(来んでええよ、笑)

2012.10.13

課外授業・ようこそ先輩 ~歴史の時間~

え~、僕の年代の男子はこの”課外授業”という言葉を聞くと、ちょっと甘酸っぱいものがこみ上げてくるのです(笑)

では、早速教室をのぞいていましょう。

場所はとある附属中学校の2年3組。

 

え~、紳士淑女の諸君(笑)

はじめまして、こんにちは。

僕は30年以上も前にここを卒業して、今は奈良で歯医者をしています。

そんな僕がどうして歴史について話をするのか?についてはそのうちわかってくると思います。

 

今日は緊張することに、テレビカメラも入っておれば、校長先生や教頭先生、そして後ろには父兄の方々もいらっしゃいます。

こういう状況で、普通の歴史の先生なら絶対に避ける話題をしますよ。

日本と韓国・中国の関係についてです。

皆さんもテレビで見て知っていると思いますが、今、日本と両国の間には領土問題というのが表面化していて、かなりこじれています。

もしかしたら皆さんの中にも、お父さんの会社が困っていたりする人がいるかもしれません。

 

また普通じゃ絶対にしない話をしますが、特にここは国立の附属中学ですからね(笑)、領土問題の裏には太平洋戦争中の日本軍による蛮行があるとされています。

韓国においては従軍慰安婦問題、そして中国においては南京大虐殺。

それ以外にも細かなことはあるのですが、よく話題にされるのがこの二つです。

 

皆さん、戦争ってどういうものだか知っていますか?

基本的には殺し合いです。

普通に考えたら、人間として一番してはいけない行為が合法化されている状況下で、何が正しくて何が間違っているのでしょう?

古来より、戦争時には敵を殺して、金品を奪い、敵の女性を犯す、そして領土も奪って負けた方は奴隷になる。

何をされても文句を言えないのが、戦争に負けるということなのです。

時として、食料が欠乏した時には、殺した敵兵の肉を食うことだってありました。

狂気としか言いようがないですが、皆さん、それが戦争なのです。

 

韓国や中国には日本がひどい加害者のようなことを言われますが、日本だってアメリカに原爆を落とされたし、焼夷弾によって街や人を焼き尽くされたし、アメリカ軍は低空飛行で民間人を、それも女子供まで機銃掃射で撃ち殺したのです。

風防ガラス越しに、アメリカ兵が笑いながら撃っていたのが見えたと言います。

ソ連だって日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、罪もない民間人を多数殺した上に、どう考えても非人道的なシベリア抑留を敢行しました。

・・・・・なんですが、今日はそういったことは少し横に置いておきます。

あくまでも韓国・中国と日本の関係にだけ着目してみましょう。

 

さて、前もって担任の先生から渡してもらっていたと思いますが、領土問題、そして慰安婦問題、南京大虐殺についての資料は読んでもらえましたか?

わかってもらえたと思いますが、それぞれの問題について、日本側が用いている資料、韓国・中国側が用いている資料の両方をプリントしてあります。

では、ディベートをしてみましょう。

ハイ! 教室の真ん中で区切って大きく2つのグループに分けます。

机を動かしてもらって、2つのグループが向き合うようにしてください。

まずは黒板に向かって右側のグループが韓国の立場で、左側が日本の立場で、慰安婦問題について話し合ってください。

その次には立場を入れ替えて、右側が日本、左側が中国になって南京大虐殺について話し合いましょう。

 

その前に、もう少しだけ話をさせてください。

・・・・・校長先生、大丈夫ですか?

なんか顔面蒼白ですけど、ご気分悪くないですか?(笑)

 

今日の歴史の授業の一番大切なところ、僕が皆さんに考えて欲しいのは、”なぜ歴史を学ぶのか?” ということなんです。

それを考える材料として、先ほどの問題を取り上げたに過ぎません。

 

皆さんは自分のお父さん、お母さんが好きですか?(挙手を求める)

え? たったこんだけ?

挙げてる人も、何、その中途半端な挙げ方(笑)

それって後ろに親が来てる人だけが挙げてんじゃないの?(大笑)

まあ、嫌いな人ってそういないと思うけど、いざ「好きか?」って聞かれたら困るし照れるよね。

 

では、この中でこの教室にいる自分以外の全員のことが好きだって人います?

ハイ、ゼロね (笑)

つまり、嫌いな人が1人はいるってわけだ。

別にそう思うのが悪いことじゃないんよ、言うとくけど。

 

皆さん、自分は誰の影響を一番受けていると思いますか?

こんなの言うまでもなく自分の両親ですよね。

反抗している人もいるとは思うけど、それだって影響を受けていることには変わりはない。

ということはね、あなたが嫌いな生徒のことを理解しようと、もし思うなら、その子の両親のことを知らないといけないよね。

その子が今、そうなっているのは、その子なりの歴史があるんだから。

その子の両親に最も影響を与えたのはその両親の両親、つまりお祖父ちゃんお祖母ちゃんなんだから、そこも知らないといけない。

そして・・・・・ってやっていくと、延々とキリがないんだけど、要はそういうことで、その子のここが嫌と思っているんだけど、その原因はその子にはなくって単に結果というか、その子もある意味被害者ちっくなのかもしれない。

誰だってみんなに好かれたいと思うんだからさ。

 

もしかしたらこの中の誰かが、あなたのことが嫌いって思ってるかも知れないよ。

どうします?

「あたしもあなたが嫌い」ってやり返す?

それともわかって欲しいと思う?

もし、あなたがわかって欲しいと思うのなら、相手だって同じじゃないかしら。

 

人類の歴史を見るとね、戦いと勝利と敗北の歴史なんですよ。

これを人類が誕生してから現在まで延々と懲りずに繰り返しているわけ。

戦いに勝ち続けるというのが不可能というのは、まさに歴史が物語っていて、どのような大帝国をうちたてようとも、最後には別の国に滅ぼされてきたんです。

例外はゼロ。

でも、人類はいまだに戦っているわけ。

これは何も戦争だけじゃなくて、会社だってライバルに勝とうとしているし、皆さんも来年には受験戦争で勝たなけりゃいけない。

少なくとも、明治以降はどの国だって自分の国や他の国の歴史について勉強してきたはずなんだ。

でも同じことを繰り返してしまうというのは、どういうことなんだろう?

誰だって戦争なんかで死にたくないわけだから、じゃあ一体どうすればいいんだろう?

 

いったい、歴史を学ぶ意義ってどこにあるんでしょうね?

さあ、それを今からディベートしていって考えてみようか。

まずは日本と韓国から。

双方とも成りきってもらって、本気で言い合ってください。

ただし、暴力はなし。

この小さな街の小さな中学校の一教室から、新たな歴史のスタートです!

2012.10.12

Be Strong ! Be Yourself ! ~強くなること・自分であること~

これでこういうこと言うのは最後にしたいと思うのですが、世の中には様々なスピリチュアル系のセッションがあります。

ヒーリング、霊視、タロット、バカラ カバラ、星座、等々挙げ出したらキリがありません。

やっている人の意識レベルもピンキリですが、キリの方が圧倒的に多い。

それをすることにより、自分が少し偉くなった気がしたり、自分の存在価値を見出しそうとたり。

今だったらアセンションの手助けとか・・・・・(笑)

他人とのかかわりの中で自分の価値がどうこうなるものではありません。

 

僕の個人セッションでは到底望むべくもないですが、通常愛だの光だのプレゼンスだのと言ってる人のセッションを受けますと、確かに非常に癒されます。

人生がリセットされた感覚になります。

その感覚は当分続きますが、いずれ元の状態に戻っていきます。

そして再びセッションを受け、「ああ、やっぱり〇〇さんのセッションはいいわぁ」 となるのです、ていうか、そうでしょ?

大切なことは、そのセッションにより、あなたは強くなった感じがするのかどうか、です。

本当の意味で強くなるのは、ただひとつのことが起こっているだけ。

それは内なる自分(ハイヤーセルフ)との繋がりが強くなったのです。

内なる自分という言い方は実は低い次元から見た言い方で、本来なら僕たちが外なる自分なのです。

ともすれば分離しがちになる内外の自分がしっかりと一体化するように手助けしてあげるのが個人セッションの目的であり、方法は何であろうが関係ありません。

 

かく言う僕だって、ハイヤーセルフとの一体化と分離を繰り返している現状ですが、セッションを受けたりはもうしません。

そんなことしなくても、こちらが離れそうになるとハイヤーセルフの方からギュッと手を握ってくれるのです。

それは軽く肩を叩いて気づかせてくれるようなことだったりもします。

一体化の状態に縛りつけられないところがミソなのでして、僕には離れる自由があります。

もちろん真我から自分が本当に離れることなど出来はしませんが、その錯覚に陥ることは可能なのです。

なぜか?

なぜ、ずっと手を握りしめてくれないのか?

 

自分から分離した状態から見えるものがあるのです。

そこでしか体験できないものがあるのです。

ですから、必ずすべては自動的に起こります。

見捨てられたような感覚も

救われたような感覚も

誰にも頼らなくても

ただそうなのだと信じれば

必ず起こるのです。

 

多くのセッションにおいて、術者は依頼者との間に何らかの存在を介在させます。

過去や現在の聖人と呼ばれる人だったり、守護霊(天使)だったり、経典だったり、宇宙のエネルギーだったり、プレゼンス(神、あるいは内なる神)だったり。

このようにして依頼者は、自分自身の神聖さや偉大さ、無限に大きく、実は自分がそれ(神)なのだ、という大切な、本当に大切な事実から遠ざけられてしまうのです。

これまではそれでも良かったのかもしれませんし、またそうあるべきだったのかもしれません。

しかし、人類の進化の過程はもはや核心に気づくところまで来ているのです。

 

お年寄りが孫に智慧を授ける場合、それは孫の中で宝物となり、やがてその宝物を自分で発見するようになるでしょう。

自分の中にね。

お祖父さんやお祖母さんは、孫にとって特別な存在ではなく、ごく身近にいて、でも温かくて優しくて、親のようにガミガミ注意せずに見守ってくれている、そしてどこか自分はこの人たちの血を引いているのだという感覚。

聖者や聖人や教祖などとは全く別物です。

 

あなたが すべてです

あなたが存在するものの すべてなのです

自分とともにいてください

そして信じてください

自分があるということを

さすれば すべてはつながり

自動的に進んでいきます

2012.10.11

勉強と学習

「どうして勉強しなくちゃならないの?」と聞かれてあなたは答えられますか?

僕なら、「おまえはどう思う?」と答えておいて、そのスキにもっともらしいことを考えます(笑)

 

そもそもこの質問自体がおかしいのですが、質問の中に勉強=義務という図式がすでに組み込まれています。

この質問が出ること自体、現在の教育システムが根本的に抱える問題があるのです。

この世界にしなくてはならないことなど何もない。

であるならば勉強が義務というのは間違っているのですが、義務勉強などという言葉は存在せず義務教育があるだけです。

これは教育を受ける義務でしょうか?

それとも教育を受けさせる義務でしょうか?

 

これは後者が正解であって、子供には教育を受ける権利だけがあるのであり、その権利を行使したい場合に受けさせる義務が大人にあるということです。

だったら、勉強が嫌だから学校行かなくてもいいの?

ちょっと待って下さいよ。

そういう問題ではないのです。

 

今の中学における義務教育は、子供の興味を引くようなものは皆無ではないですか?

興味がわかないのに、教え育てるというのは如何なものでしょう?

勉強の意味を取り違えているのじゃないですかね。

本来勉強とは、ある目的のためにするものです。

ですから嫌々することだってあり得ます。

受験勉強然り、国家試験の勉強然り、その他の資格試験だってそうです。

 

学習とは目的もあるにはあるでしょうが、そもそも学びたい、習いたい、という気持ちが先にあります。

そのことにより自分が成長したいというものです。

社会科を勉強する、というのと社会について学ぶ、というのは似て非なるもの。

 

大学の歯学部において僕は学び、習いましたが、試験の時は勉強しました。

今、僕が休みの日に矯正や義歯や咬合のセミナーを受けたりするのは、自分のスキルを上げるという目的を強調すれば勉強とも呼べるし、歯科医としてさらに成長したいという欲求に重きをおけば学習とも呼べる。

 

「どうして勉強しなくちゃいけないの?」

これに対する答えは、まずそこにおける目的は何なのか?です。

ところが、この質問をする子供は普段の学校での勉強や家での勉強、塾の勉強のことを言ってるわけ。

もうおわかりですよね。

この質問が出るということは、日本の教育システムが何かおかしいということが。

いくら子供といえど、本人が目的を納得していない中で教科書教えられてもそりゃ無茶だっせ。

システムがおかしい中で、この問いに答えようとすること自体に無理があるわけでして、大人がスッと答えられなくて当然なのです。

決して「義務教育だから」とか「結局は自分のためだろ」な~んて陳腐な答えを言わないでね。

子供に馬鹿にされっからね。

 

ふうさんは藍がいるコミュニティに農作業の手伝いをするため、福井に向けて今朝早く為ちゃん号で発ちました。

これこそ体験学習です。

中学に行ったことがない(懇談だけは行くよ)中3の女の子と、3カ月ももたずに不登校となった中1の女の子姉妹が、自給自足の中で二人でしか話さない心の内を語るのでしょう。

 

2012.10.10

いちまいの年賀状

え~っと、放っておいて欲しいのですが、外れました。

2着3着はわかる。

1着に来た馬もわかるんだけど、その”組み合わせ”だと方程式が成り立たない。

祝日開催の取り消し戦だからかな?

まぁ、こんなもの前哨戦で、毎日王冠も京都大賞典も秋の天皇賞に向けてのステップレースです。

僕が祇園を街ごと買い取るためのステップに過ぎません(嘘つけ)

ていうかね、週末は酒飲むし、予想も時間かかるしで、どちらかというとお酒に比重を置く僕としたらあまり予想に時間かけれないのよ。

 

真面目な話に戻って、この連休で矯正の話を聞いて考えるところ大でした。

1年後には僕は本格的な矯正もしているかもしれない。

そのくらい今の材料と概念の進化は激しいのですが、〇〇大学の矯正学講座に残っていましたという人は、いつまでもその時の講座(教授)の考え方に捉われるので、僕らみたいな専門外の人間の方がかえって自由に身動きできて良いのかもしれません。

僕のことですから、講師の話を聞きながらオリジナルのもっと楽で良い方法はないか模索していました。

きっとそのうち開発するでしょう。

そこが僕ののスゴイところだと思います(エヘン)

 

スゴイと言えば、僕と同じ1962年生まれの山中伸弥教授のノーベル賞受賞です。

彼のiPS細胞に関しては研究費に困ることがないと思うので、正直言って、今回の受賞によるお金もそれほど必要としていないだろうし、むしろ取材で研究が進まないイライラの方が大きいのじゃないかと推察します。

インタビューの際の彼の謙虚な態度も人柄を表していて好感が持てますね。

僕とはえらい違いだ(笑)

 

色々と言いたい事はあるのだけれど、それについてはちょっと間をおいて・・・・

たしか2年前に患者さんから頂いた一枚の年賀状についてお話しましょう。

「永遠の0」を”かえる庵”の常連さんに貸してあげて、そのままかえる庵の奥さんのところにいってますけど、僕の方は「日輪の遺産」を再読しています。

その患者さんは、自費の治療もしてくださいましたが、基本的には御夫婦そろって、いわゆる年金生活の方です。

でも盆暮れにはきちんと何かくださるんですよ。

ですので、僕にとっては亡き兄貴から引き継いだ良識ある老夫婦という感じでした。

ところが2年前の正月に頂いた年賀状には、サイパン島に立つお二人の写真とともに、「ようやく夫婦でここに来ることが出来ました」という文言が添えられていたのです。

元旦から静かな心のさざ波がたちました。

 

考えてみればそうなのです。

僕は知らなかったけれど、この方は玉砕状態のサイパンから帰還された日本兵なのでした。

それをして、「自分だけ生き延びて帰ってきて申し訳ない」とか「どうか安らかに、日本のことは心配しないでください」などとドラマチックに考えるのは簡単です。

しかし、その時のその状態のその方の真の心など推し量るべくもなく、そのことに気づいた瞬間、今までの特攻隊や回天部隊などの話や遺書にまつわることが、すべてある一面しか語っていないような気がして、僕たち今生きている人間は、それについて安直に語ることはならないのではないかと思うようになったのです。

 

映画やドラマにするには一本筋の通った脚本が必要です。

でも実際の人間は、そんなきれい事だけじゃないだろうし、正直言って”不可立入”ではないでしょうか?

僕はあの年賀状を頂いた時に、単に老人保健で受診している昔からの患者さんという感覚を大幅に反省したのです。

「嗚呼、この人たちがいたからこそ、今、僕がここにいられるのだ」

そう考えると、老人扱いすることすら憚られます。

本来は、床に頭をつけてお礼を言うべきではないかとも思うのです。

 

そんな中、自分で自分の命を絶つなんざ、大バカ野郎です。

いじめられて死ぬやつも、いじめるやつも、そのどちらの両親もアホンダラです。

あの時、守りたいもののために、あるいは何を守るかもわからないまま死んでいった人たちのことを考えたら、とてもじゃないけど全部タチの悪い冗談としか思えません。

その数多の犠牲のお蔭で命を授かった人間が、「何を考えとんねん!?」 ですよね。

 

いま、2012年をあと3カ月を残すのみという時点において、スピ系の人は色々と(鬱陶しく)動いています。

もう僕は、ディクシャでも、ヒーリングでも、スピリチュアルレッスンでも、シャスタでも、何でもありません。

僕はいま、僕として生きながらメッセージを出しており、他人の受け売りなどするつもりは微塵もありません。

僕はこの素晴らしい自分に自信を持っており、それは到底、他の聖人とされる人や聖地とされる場所、バシャールみたいにあったま悪い奴や、その他諸々に影響を受けるはずもなく、だからこそ僕はあなたにも完璧性を見るのであります。

 

あなたこそ素晴らしい 僕と同じように

 

僕がこの間から書いている、どちらかというとあまり気分の良くない他のリーダーに対する否定的な言葉。

それは今だからこそ発せられるんですが、

2012年は日本人にとって脱・依存 である。

 

アメリカも、民主党も、政治も、マスコミも、(阿呆の)アンマ・バガヴァンも、(結局は負けず嫌いの)中西研二氏も、(光輝けば輝くほど依存を生む)金城初子さんも、もちろん(偉そうに書いた競馬予想を外す)当方も、

 

あなたはあなたであって、完ぺきなのだ。

そして、他人に尋ねるようなことなど、なにもない。

それを知らない限り、あらゆるものが無効となるであろう。

もう一度、過去と同じ過ちを繰り返したいのか?

いま、あなたがどうありたいかが問われているのだ。

 

2012.10.9

すべてはワタシ

日曜、祝日と、大阪で矯正のセミナーを受講するため、連休もへったくれもあったもんじゃありません。

ただ今回のは非常に触発されるところ大なのでして、僕は「なぜ不正咬合が起きるのか?」みたいな大命題に挑むなんてのがたまらなく好きです。

当院で本格的な矯正治療をすることはありませんが、予防的なこと(主に生活指導)をする機会が増えているので、ピンと来て受講している次第です。

そうでなければ、秋の京都開催の連休なんて淀に行って、祇園で飲むに決まってるのね。

そうならないところが、僕のちょっとだけ残ってる歯医者の矜持です(笑)

 

僕は答えそのものを欲しません。

ヒントもいらない。

ただ、あることに刺激されて想像をめぐらして仮説を思いつく、ってのが好きなんでござぁます。

その意味において今回のセミナーは、場所がめんどくさい所にあるという点以外は非常に満足するものであります。

 

皆さん往々にして〇〇のスピリチュアル的な意味は何?って知りたがります。

確かに僕は著書においても、当HPでもそういったことを書いてはいますが、そんなものどうだっていいというのが本当のところです。

よく引き合いに出されるリズ・ブルボーの「自分を愛して」に書かれているように、すべての身体のトラブルの霊的な意味を知ろうという、その姿勢が”?”ということに気がついて欲しいのです。

おまけに、ありゃ西洋人の身体の事を書いているので、日本人はちょっと違うからね。

 

僕はディクシャギバーでありながら、バガヴァンのことをボロクソに言いますし、そっち関係の人と知り合いであるにもかかわらず、言いたいこと言ってます。

自著で病気のスピリチュアル的な意味などを書きながらも、今みたいなことを平然と書いてのけます。

だってね、僕、思うんだけど、自分でそういうこと(スピ的意味合い)が頭にふと浮かぶんならともかく、わざわざ調べるくらいなら、他人のマインド(頭で思考したもの、嘘か本当かわからない)拾ってるだけだって、どうしてわかんないんだろう?

こんなもの占いと一緒で、信じたら占い師と一緒にその未来に行っちまうぜ。

(でも、その時、占い師はきちんと自分の魂をその現場から引くんだけど)

実にバカバカしいです。

単に体験すりゃいいだけの話で、その霊的原因はわからなけりゃほっときなはれ。

 

僕のスピリチュアル的診断というのは、現実的な視診、触診やレントゲン写真を見たり、問診票を見たりして、あくまでも参考としてそういったものを付け加えているだけです。

といっても、その付け足しが案外重要やったりするんやけど。

病気に対して専門的な診断が出来ない人が、スピリチュアル的な意味だけ追うのは全くのナンセンスでして、そういうことする人は(誰の話かなぁ?笑)結局その程度の意識状態だということです。

現実世界と霊的世界をきちんと両方バランス良くおさえる人が、まあ、エエ感じなわけ。

 

さて、昨日の毎日王冠は穴馬として2着に来た12番人気の7番を軸にしていたにもかかわらず(もちろん1着の4番はもってた)、ハズしてしまって忌々しいことこの上ない。

こんなもの、きさらぎ賞4着歴が思いっきり輝いているのは明白なのに、3着馬がくぅ~~~・・・↓

僕は穴馬を根拠もなく買いません。

でも、外れたら偉そうに言えません。

馬連でも万馬券やのに、3連単しか頭にない僕はそこまで気がまわりません。

それがムカつく。

本日の京都大賞典はおそらく堅い決着なのですが、裏的解釈をする人(JRAのイカサマって言う意味ね)でも取り消し馬が出た時の対処の仕方がわからない人が多いのは笑わしてくれます。

それによりレースを統制しているのに。

本来取り消し馬が出なければ来ない馬が来て、来れる馬が歩く。

こういう時にゾロ目(同じ枠が1,2着すること)とか、万馬券が出ますのでして、明日ゾロ目が出るとすれば4枠しかないのですけど(万馬券は考えづらい)・・・・。

僕の買い目は配当安いけど   3連単 4,6-2-4,6  の2点買い。

ローズキングダムはきっととびます。

(知らんよ)

それにしても、凱旋門賞でのオルフェーブルは実に惜しかったですね。

きっと、日本馬はここでは勝たしてもらえないのでしょう。

 

話を戻して、僕が個人セッションの際に書いて頂く問診票に、家系図というのがあります。

別に個人情報じゃないのですが、ご本人にわかっている限りのつながりを書いて頂いて、その方々がどういった病気になっているか、あるいはそれで亡くなっておられるかを一緒に見ていくのです。

そこには連綿と続いた感情の捉われの奔流が・・・・・。

一応、”私”を中心に書いてもらうのですが、これがクライアントがその方の連れ合いだったらそこから”私”が始まるわけで、その方の父親だったらそこから”私”が始まるわけです。

そう考えるとね、本にも書きましたが、みんな辛くって苦しかったのだというのが見えてくるんですね。

(見えなきゃボンクラだ)

自分は父親あるいは母親との心の葛藤に苦しんでいたと思っていたけど、祖父や祖母が家系図に現れ、その病気すなわち捉われていた想いがわかると、結局自分は非常に偏屈になっていたなぁと思うわけです。

縦の流れ、横の流れ、そういったものをずっと眺めていくとわかってくるのは・・・・・

実はですね、そこの家系図に現れているのは、すべて”あなた”なのです。

これが心の底からわかると、結構楽になるよ。

 

普通は、ご先祖様と自分とは(特に同時期に生きていないなら)全く別物だと思うでしょう。

だから江原さんの言うような守護霊とかいう話になるのですが、それって過去のあなたなんだよなぁ。

もちろん未来のあなたもいますが、そんなもの目の前で家系図に書かれた日にゃ、その場を逃げ出しますよ、僕(笑)

ほとんどの人が、過去世というのを直線的なものとして誤解してるんですよね。

世の中こんなもんさ。

特殊な能力ひけらかしてるやつほど、つまらんかったりして。

自分で言っててなんだけど、言霊こそが人を依存させずに目覚めさせるものじゃないかと、本気で思う今日この頃。

2012.10.8

2012年、秋の教え(笑)

読者の中にはディクシャギバーの人が少なくないと思いますし、僕自身もギバーなので前回みたいなブログは「え~っ!?」と思われるかもしれません。

でも僕は正直な男なので、バガヴァンが阿呆だと思っているのを隠すつもりもないし、彼はそれなりの立場にいる人間なので言われても仕方がないでしょう。

もっと弱い立場にいる人に対してはこんなこと言いませんもの。

そもそもそう思ったのは、僕が初めてインドに行った時からなので昨日今日の話じゃないのです。

彼の阿呆な理由は結局、新興宗教を作っていることと、人の中の強さを依存によって砕いていっているという2点にあります。

現人神なんて、いらんっつうの。

馬鹿じゃネ?

すごく悲しく思うのは先月の仙台で行われた6人のメディテーターによる会でして、参加者はわからないのでしょうが、どっからどう見たって怪しい宗教だし、それぞれのメディテーターは本当に賢く素晴らしい人たちなのに、なんで「アンマ・バガヴァン神さま」みたいにするのかしら?

「シャングリラからの伝言」は常にあなたの中にしか真理を見ません。

僕の書いていることの中に真理があるなんて言ったことないからね。

 

ところが、こういう場合時間がかかります。

僕の個人セッションにしてもそうなのですが、正直申しまして、「西塔先生のセッション受けてすごく良かった」なんてことにはなりません、すぐには。

もしそうなるなら、それはセッションの行い方が依存を起こすようになっているのです。

ほぼ全員が自分に自信がなくって来られるわけで、そういう人にハイヤーセルフとの繋がりを強調してもすぐにどうこうならないわけです。

でも、かなり時間が経過してからボディブローの如くジワジワと来るはずなので、それで良いと思っています。

わかるかなぁ、言ってること。

 

ディクシャで幸せになるわけでもアセンションするわけでもないのよ。

勘違いしないでね。

単なるキッカケだからそんなもの。

大勘違い男はバガヴァンでありまして、ディクシャなどというものは彼経由でなくても可能なのであります。

 

昨日の休診日の夜6時くらい。

自分の部屋で寝転がりながら、ふと今ある借金や毎月の支払のこととかを考えていました。

「きっとみんな、こういう時に自殺を考えるんやろうなぁ。僕が仮に今自殺したとしたら藍とかふうはどう思うやろか?」と考えました。

するとどうでしょう。

いきなり強烈なエネルギーが頭の中心(松果体、脳下垂体の辺り)にやってきて、いわゆるディクシャエネルギーなのですが、それ以上何も考えられなくなりました。

思考しようとしても出来ないのです。

僕が偉そうに言う理由はここにあって、本当にプレゼンス(ハイヤーセルフ、宇宙)と繋がれば、ディクシャなんて勝手にやってくるということを体験しているからなのですね。

バガヴァン教の人はきっと、それすらバガヴァンの愛だ、などと寝言いうでしょうけど。

その後、しばらくしてから色々なことを思いました。

普通ならセッションを受けないといけないようなことを体験して、すごく有難いなぁと思った次第です。

 

もしあなたが何かの宗教のようなものに入っているのなら、教祖でも誰でもいいから次のことを尋ねてごらんなさい。

「宗教ってなんですか?」

もし、サクッと定義できないようであれば、そんなところはとっとと離れなさい。

宗教とは”神の示すところの教え”なのですが、この場合の教えとは前回も述べたように理(ことわり)のことです。

こうしたら、こうなるよ。

もしこのように望むのであれば、今のやりかたは適していない、みたいなね。

神はすべてを体験したくて僕たちを創造したので、そこに良い悪いはありません。

ですから何をしたってOKなんです。

モーゼの十戒や釈迦の八正道などというのは嘘っぱちなのであって、神がこうしなさいなど言うはずがありません。

 

極論すれば戦争だって何だってありなのであって、実際人類は未だにそこから抜けられないわけですが、その結果として平和とか愛とかを学ぶ、というか作ろうと努力するわけです。

それを神さまが「戦争や争い事はあかんよ」などと言わないっちゅうとるわけです。

意識がワンネスになってくれば、自然とそういうことはしなくなるという話で、違うものを認めるようになるのが人類の進歩であるのです。

 

僕は母親に対して心の確執がありますが、最近それが徐々に薄まりつつあります。

なんとな~く、この人にこれ以上言ってもきっと変わらんわ、というあきらめの気持ちでして、そうするともう今までのように抵抗するのが馬鹿らしくなってきました。

母をあるがまま受け入れようとかじゃないんです。

ただ、「もう、ええわ」みたいな感じ。

すると結果的には受け入れてることになるのよね、これが。

 

皆さん、偉い人や悟った人の話聞いて面白い?

ためになりますか?

・・・・てえのが、シャングリラの教え、なんちゃって。(ふっる~い、笑)

 

ちなみに、僕が自殺したら「シャングリラからの伝言」が全部引っくり返ってしまうので、死んでも自殺などしません(なんのこっちゃ?)

それにしても、金子哲雄氏の逝き方は見事としか言いようがないですね。

写真は、僕が轢死体になったら、こんな感じという図。

干しタコ.jpg

2012.10.5

〇〇の教え ~アセンションの超誤解~

先日の台風の時に、奈良もそれなりの暴風雨だったわけですが、日曜の夕方に診療所でパソコンやってたらビルの階段を下りてくる音がしたので、見ると子供たちがカッパを着て長靴履いてます。

「おまえら、何してんねん?」

ふうさん 「え?今から台風を体験すんねん」

・・・・だそうです。

普通、子供にカッパ着せて台風の時に外に出さんよね、親は(笑)

なかなか素晴らしい子供たちだと思うのです。

 

とある地方のとあるお寺のお話。

浄土真宗のそのお寺の住職は本山の結構上の役職を務めたこともある人です。

その長男が結婚することになりました。

こういった場合、通常その世界では普通の女の人をめとることはありません。

跡継ぎになる長男の嫁にはやはり、それなりのお寺の娘さんが嫁ぐことになっておりまして、これが良かったり悪かったりなんでございます。

相手方は蓮如上人ゆかりの地にある大きなお寺。

普通、日本では娘を嫁がす側が多少控え目に振る舞うものですが、そんなこと何のその、うちの方が由緒ある立派な寺だ、くらいの勢いです。

 

そこから刺客のように嫁いできた花嫁さん。

もちろん紹介とはいえ一応恋愛結婚なんですよ。

お寺では同居が当たり前ですから、当然家の中は皆にとってストレスだらけになります。

長男にとっても、舅姑やたまに実家に遊びに来る新郎の姉妹たちにとっても、そして、お嫁さんにとっても

お嫁さんが悪いわけじゃないですよ。

人間関係というのは相対的なものなので、どちらかが一方的に責めを負うなんてことはあり得ません。

これが、浄土真宗某派を束ねたことがある人の家の実態です。

阿弥陀様の教えはどこに行ったのでしょう?

これは特殊なケースではなく、およそどこの家庭でも似たり寄ったりです。

神父さんだろうが、学校の校長だろうが、スピリチュアルリーダーだろうが、です。

 

考えてみてください。

久々に名前を出しますが、インドのアヴァター(神の化身)といわれる(アホの)バガヴァンですら、息子が造反して離れていってるじゃないですか。

彼を信奉する人の中でも、家庭を見たらアレ?という人多いですよ。

実に多いですよ。

皆さんご立派なことをのたまうのですが、社会の幸せは家庭の幸せからでっせ。

家庭の幸せは個人の幸せからじゃないと始まりません。

幸せな家庭とは、円満で喧嘩など一切ないということやおまへんねや。

様々な個性を持つ家族がそれぞれを最終的には受容し合っている状態を幸せな家族と言うのよ。

他人同士のわだかまりというのは一生溶けがたいものがありますが、家族のスゴイところはどのような状態からであっても一発逆転ホームランが可能だという点です。

なぜなら血縁というのはすなわち、同じ人生の目的を持っているに他ならないからです。

 

僕と妻や子供たちのことは、ここにすでに書いてある通りですし、他のこともほとんど書いているのですが、いまだ残っている心のシコリも、最近徐々に(本当に徐々にですけど)少なくなりつつあります。

よくスピリチュアルなセッションやセミナーで、「親との感情のシコリが一気に取れました、今では仲良しですぅ」 みたいに言う人いるんですが、嘘つけっつうの!(笑)

オホン、まあそういうこともあるかもしれませんが、ほとんどの場合はある短期間だけの体験談を話しているに過ぎないのです。

その状態は長続きしなくって(だって、1日や2日のセミナーで取れた気になってただけでしょ)、次はもっと深い泥沼が待ってるのよ。

 

バガヴァン系の人がよく言う「親との人間関係を整えなさい」という言葉はそのまま本人に返してやります、僕。

そんなこと努力してやることではなくって、感情の確執があることに気づいてさえいれば、いつかは必ず自然に癒されます。

大丈夫なのっ!

大体、家族関係を整えるのに努力がいったり、セミナーに行くこと自体がおかしくね?

だって、お互いをそのままで受容できるようになるのが家族の幸せなんでしょ?

矛盾がありますよね。

 

スピリチュアルで著名な人がしゃべると、どうしたって”教え”になってしまいます。

その人が教祖でなくっても、成功した人、お金や地位や名誉を得た人ならなおさらです。

それだと過去、現在の宗教すべてがそうであるがごとく、同じ二の徹を踏んでいるわけです。

「神との対話」を読んだらわかりますが、あの中で神は教えなどは一切しゃべってませんよ。

神は単に理を述べているだけです。

「あなたが〇〇したいと望むなら、そのやり方は間違っている」として、宇宙の法則を教えてくれているだけで、その教えですら「あなたたちは忘れているだけだ。だからただ思い出せば良い」と言ってるのです。

当HPのトップページと一緒ね。

でないとね、”皆さんの中に真理はあるのだ” ということを強調しないとですね、

皆さんはいつまでたっても弱っちいままなのですよ。

自分より偉い人、ものをよく知っている人、に聞こうとするのよ。

違うでしょ、それって。

 

もう5次元に行ってるとか、一緒に5次元に行きましょう、などとまことしやかに言う輩がいます。

あのね、たとえ5次元にこの地球がなったとしても、皆さんそれと気づきませんよ。

相変わらず仕事をして、子育てをして、学校に行って、なんです。

ただ、それらの形態が少しずつ変わっていく。

何をしていても楽しくて幸せを感じるようになっていく。

争いが減っていく。

皆が個人の幸せと同時に全体の幸せも考えるようになっていく。

全部「・・・・していく」 という移行形であり、そのプロセスこそがアセンションなのです。

 

ねえ、そこのスピリチュアルやってる人、なんか誤解してない?

2012..10.3

Happy Family ~幸せな家族~

え~、結局土曜日はどうたったのかというと、記憶が途切れることは無かったし、朝食券も(久しぶりに)有効活用されたのでした。

むしろヘロヘロだったのは、連れの方。

最後は、「おまえ、いわゆる酔っ払いか?」とつっ込みたくなるような千鳥足で、かつ足をする音がしている状態。

膝上がってないがな。

往々にして片方が酔うと、もう一方は意識がしっかりしているというふうになりがちです。

滅多にないけど、そのしっかりしている方が僕やったわけです。

 

ただ寝るだけやったら、サウナで十分過ぎるね。

大きな風呂に入れるし、そもそも安い。

今回は3千円にプラス200円で朝食付きのプラン。

飲んでた所からも近い。

梅田界隈で遊んでた人間で”大東洋”を知らん奴はおらんでしょうが、実際に利用したことがあるとなると話が別です(僕は初めて)

 

マッサージの受付を通り抜けレストランに行くと、朝から生ビール飲んでる人が結構いる。

その200円の納豆定食の内容は、ご飯大盛り・納豆・味噌汁・漬物・生卵・海苔・1/64丁くらいに小さく切られたまるで沖縄の豆腐ようのような冷奴(普通に頼むと550円するみたいです)

それから富雄にある実家に立ち寄り、無事ご帰宅。

馬券をPCで買い、久しぶりにTVで観戦。

少々考え違いがありハズレたのですが、JRAの今年のイカサマ方程式だけはおよそ解析済みなので、あとはドカンと当たるの時間の問題って感じ~。

 

何を考え違いしたかという専門的なところを言いますと・・・・(良い子は無視して飛ばして読んでね)

①去年まで春季番組だったCBC賞が今年から夏季番組としてスプリンターズステークスのステップレースとなったことにより、その連対馬が必ずや起用されるだろうということ

②今回の8枠2頭のように、前走を同じレースで1,2着している馬が同枠に組まれた場合は、1着馬の方が起用される傾向が強い

どちらもスカくらいました。

 

ちなみに初めて行った(一度行ったことがあるがその時はお酒飲んだだけ)天神橋筋6丁目近くにあるマッシュアップさんには、すごく満足。

今度嫁さんと行こうと思います。

 

本日はこれが言いたかっただけなのですが、愛想がないのでマトモな話も少々。

結婚したら幸せになるわけじゃありません(←そう思っている人多いよ、特に女性)

「僕が〇〇さんを幸せにします」というのも勘違いも甚だしくって、妻の幸せはつきつめれば妻の問題なのであり、そのために夫が出来ることは自分が幸せかどうかなのだということをわかっていません。

子供が出来て幸せなのでもありません。

要するに、そこにポンと幸せな家庭があってそれをゲットした、なんてことは金輪際ないということです。

幸せな家庭というものは、皆で創るものなのです。

およそ、この世界に存在するもので”最初っからありました”というのは意識以外にはございませんのですよ。

あとはすべて(意識が)創造したものです。

例え覚醒した女性が普通の男性と結婚したとしても幸せな家庭になるかどうかはわかりません。

覚醒した男女が結婚したところで同じことです。

新しいものを創る時、なかなかにポンッ!とは出ないのですなぁ、これが。

 

ちなみに、わたしのスマホ、またしても ”ちはやぶる~・・・” になっちゃいました↓

2012.10.1

Moon Time ~月のリズムで~

これも先日買った本ですが、「月の癒し」

面白かったです。

ネイティブの知恵関連の本も、月のリズム関係の本も、以前から知ってはいましたが何故か今、なんでしょうね。

もし、僕が総理大臣になったら、いろいろ変えたいところはあるけれど、そのうちの大きな目玉が太陰暦に戻すということです。

一カ月を本来の28日周期に戻すだけで、様々な肉体的・精神的不調が改善されると確信します。

で、そうじゃない今、僕たちが出来るのは”月のリズム”すなわち14日で満月になり、その後14日で新月になるという月の満ち欠けを意識して生活するということです。

 

考えてみれば、一日の中でも満潮と干潮があるわけです。

月からの引力の変化なわけですが、僕たちの身体のほとんどが水分であることを考えたら、潮の満ち引きと同じことが身体にも起こっていると考えるのはごく自然なこと。

それがあまりにも緩徐に起こるから、それとわからないんですね。

もしかしたら、深夜に考えたことが次の日起きたら妙にロマンチック過ぎて赤面するというのも、月に関係するのかも知れません。

 

一日の中でもそれだけの影響を月から受けており、当然それは28日の中でも起こります。

日内変化というのは月と地球だけの関係ですが、月内変化は太陽と月と地球の関係であるというのが面白いですね。

古来より月の満ち欠けを基にして人は生きてきました。

そう考えると、日本が太陽暦で生活しだしたのはごくごく最近の話ということになります。

そりゃ、わけのわからん病気も増えましょう。

 

特に女性は月経というものがあり、文字通り月の影響を受けること大なるものがあります。

生理関係のトラブルがある方は、もちろん父親との心理的問題というのもあるのですが、月のリズムを意識して、布ナプキンに変えて、月経のコントロールという感覚を持てばずいぶん改善すると思います。

 

月のリズムということを考えてみれば、女性だけの問題ではないのでして、男性もその影響を受けており、男にも生理があるという言い方さえできます。

満月に向かって月が満ちていくというのは、ごく端的に言うと吸収です。

反対に新月に向かって月が欠けていくのは、放出・発散。

性別にかかわらず、そのようになっており、その流れに沿うように行動すると上手くいきやすく、あべこべのことをしますと大失敗する可能性もあります。

僕たちがインプラントの手術をしたり、親知らずを抜いたりする時には、本来やっちゃダメな日とか時間帯があるわけですが、そんなことを言ってたら仕事になりませんので、とりあえずは無視しております。

 

もっとつっこんでいくと、生まれ月や日や時間帯などにより、人によって特定の星座の影響を強く受けたりということもあります。

思うに、昔の人の智慧というものは(僕は宇宙人や、神様が人間化した人に教えてもらったと考えていますが)本当に驚くばかりで、科学的な根拠ばかりが優先される現代とはえらい違いです。

でも科学が追い付いてくると、迷信と言われていたことが根拠のあるものだったと証明されつつあるんですがね。

 

ご存知のようにバイオリズムというのもありまして、肉体的なバイオリズム、精神的なバイオリズム、感情的なバイオリズム、これらの周期が全部違うというのが難しいところです。

なんでもバイオリズムのせいにすることもないですが、そういうこともあるんだと思うだけでずいぶん違うんじゃないでしょうか。

よくあるじゃないですか、「おまえ、今日どうしたん?なんか変やで」ということ。

昔、明石屋さんまがひょうきん族でやってましたが

「きょうのわたし、なんかヘン~」 (笑)

バイオリズムというのに自分も影響されているが、他人もそうなのだと知ってるだけで、人間関係のトラブル減るんじゃないでしょうか。

 

本日、親友に誘われて ”天満ナイトでGO!” です。

初めて行くお店に予約を入れまして、非常に楽しみ。

嫁さんには皆のために大阪で泊まってこいと言われておりまして、タクシーよりも安くないと意味がないので、これも初めて利用する天然温泉湧き出る”大東洋”のカプセルとりました。

先にチェックインしてから出動します。

さて、僕の記憶は何時頃までもつかしら?

朝食付きにしたのは無駄にならないかなぁ?

ということで、明日の更新は無し。

午後からはようやく始まる秋のGⅠ緒戦、スプリンターズステークスでっす。

皆さんのご健闘をお祈りします(え?賭け事なんかしない?だめだよ、そんなこっちゃ。笑)

2012.9.29

Spiritual Diagnosis ~スピリチュアル的診断~

最近、ホームページ経由の新患さんが何人かいらっしゃるようになりました。

ようやく、、、です。

歯科医院のHPとしての機能も発揮しだしました。

とはいえ、当方は歯医者を探している人には見つかりにくいHPであります。

奈良市 インプラント とか 奈良 無痛治療 などでは絶対にトップページには来ません。

そちらの方のSEO対策をやるつもりも今のところありません。

ところが ”悟り” とか ”宇宙人は本当にいるのか?” などで検索すると思いっきし最初にきます。

「それでええのか?」 ということになっております。

 

HPを見て「ここで診てもらいたい」と思って来られる方は必ず治療がうまくいきます。

そしてうちの得意技である癒しも自動的に起きていきます。

自動的に起きるので、時間がかかることもあれば、すぐのこともありまして、いずれにせよ僕が何かをするわけじゃないというのがミソですね。

そういった方はそもそも歯医者を探してうちのHPを見つけたのではなく、全然別の、おそらくはスピ系のことで検索していて「ここ、おもしろそう」で来院とあいなるわけです。

 

たま~に、自分の治療のことで悩んでいる人が歯医者を探していたら、うちのHPにたどり着いたという人もいるにはいます。

YahooでもGoogleでも思いっきりたくさんページをくっていかないと”ならまちワンネス歯科”まで来ないと思いますけど。

で、そのように他院と当院を比較してとりあえず診てもらおうと思って来られる方は、9割が実際の治療にまでいかなくて、セカンドオピニオンで終わります。

この違いは非常に面白いです。

直感で「あ、ここだ!」と思って来院する人と、他と比較して来院される人との違い。

うちに来るということは、そういう必然性があって連れて来られているので(誰に?笑)、必ずや治療以外の受け取るべきメッセージがあるはずなんですよねぇ。

そこに気づかずに通り過ぎていかれるのは何とも、もったいないことだと思います。

 

僕は正直にわかりやすく現状と治療方法および考えられる治療結果について説明します。

その際に前の歯科医が言った内容を否定はしません。

よほどじゃない限り仁義として他院の中傷のようなことは言わないという、ごく当然の話です。

それには患者さんが治療に使った時間とお金を尊重するという意味合いもあります。

まれに、いくらなんでもヒドイ治療だなぁ、と思う時は「ちょっとこの先生は誠意が足らないですね」という言い方をします。

 

常にある医院と別の医院を比較しているような患者さんは、いつも頭でものを考えていますので、いつまでたっても「ここにしよう。この先生に任せよう」とはなりません。

ずっと迷っています。

そりゃそうだわね。

HPを見られて直感で当院を選んで頂くことに対して、ものすごく有難いと思うのであります。

そういう患者さんが当院を選ばれる理由の一つが、すべてが正直に書かれているということです。

ですので、うちに来られて期待外れということがありません。

もしそういったことがあるのなら、勝手に妄想されているのだと思います。

当方はここに書いてある通りの医院です。

 

僕が自分のスゴイと思うところは、他の人にない視点で物事(身体)を見て、他の人が思いつかない疑問を抱くこと。

そして無理やりその疑問を解こうとしないこと。

もちろん調べ物はしますが、基本的に答えが閃くのを待ちます。

同業者に話しても、視点が違うわけですから、馬鹿にされるか感心されるか両極端の反応をされます。

こういった視点で患者さんの身体に起こっていることを説明していくと、すごく納得されまして、その話を家族や知り合いにしてもらえれば、自然に心と身体に対する正しい見方が広まっていくかもと思っています。

 

当院のもうひとつの大きな特色として、いわゆるスピリチュアル的診断があります。

患者さんに起こっていることをスピリチュアル的に解析していくのです。

僕の場合、霊視とかオーラを見てとかじゃなく、単に宇宙法則を適用して紐解いていってるだけで、学びさえすれば誰にだってできます。

素直な心と相手を感じる気持ちさえあれば、そんな特別なことじゃないんです。

ただ、これを人に施すときには注意が必要で、下手をするとその診断はその人を裁くことになりかねない、ということを肝に銘じなければなりません。

「あなたは、こうだからこうなのだ」みたいにやってしまうと、癒しもなにも起こらないのです。

その人をそのまま受け入れることができるのか?

そこに愛はあるのか?

ということね。

スピリチュアル的診断の目的は、癒しのキッカケを与えることなので、決して当てものなんかじゃないということです。

2012.9.28

H*A*N*A ~大切なこと~

僕たちは子供の頃から、感情を抑えることを強制されてきました。

それが良いことだと教えられてきました。

僕たちは子供の頃から、我慢することを教えられてきました。

それが人間としての美徳のように教えられてきました。

僕たちは子供の頃から、無知であるかのように育てられてきました。

子供は教えてもらわない限り、何も知らないのだと思わされてきました。

 

花にはいろんな種類があって、それぞれ好む環境が違います。

花をきちんと育てようとするならば、その花の特性を知る必要があります。

水をやり過ぎてもいけないし、やらなさ過ぎてもいけなくて、それは花の種類によって違います。

養分(肥料、それが必要であるならば、ですが)をやり過ぎても、足らなくてもいけません。

でもね、そもそもベランダでプランターで育てるのは花にとっては嬉しいことでしょうか?

あなたが、夫婦で自分の庭に、あるいは近くの野や山に花の種をまき、

あとはそこの土が、そして天が雨を降らしたりして育ててくれます。

あなたに出来るのは、”ただ育つのをじっと見守っているだけ” なのかもしれません。

 

大切なこと・・・・・

本当は僕たち全部知っていたのに

忘れているのは大人の方なのに

子供にとって

そしてすべての大人にとって

大切なこと、それは・・・・

 

先日買った絵本 「たいせつなこと」 マーガレット・ワイズ・ブラウン 作 (内田也哉子 訳)

その最後のページはこんなでした・・・・

~~~~~~~~~~~~ 

 

あなたは あなた

 

あかちゃんだった あなたは

からだと こころを ふくらませ

ちいさな いちにんまえに なりました

 

そして さらに

あらゆることを あじわって

おおきな おとこのひとや おんなのひとに

なるのでしょう

 

でも あなたに とって

たいせつなのは

 

あなたが

あなたで

あること

 

 ~~~~~~~~~~~~

 

もしかしたら、自分であることが苦しくって仕方がない時があるかもしれない。

そんな時はね・・・・

「助けてっ!」

って、大声で叫べばいいんだよ。

恥ずかしくないから。

みんな、そうなんだから。

 

 

もう、わすれないようにしよう。 

  

2012.9.25

LOST in 馬車道

土曜日の午後4時から横浜は山手駅近くで始まった口腔力学研究会。

矯正の話題でした。

その後、関内に場所を移して宴会。

僕は予約してある東横イン横浜スタジアム前にまずはチェックインしました。

文字通り横浜スタジアムの前にあり、JRに乗っていても窓から目の前に見えるわかりやすい場所にあります。

 

祝日ですがほとんどのお店は開いてました。

適当に決めた居酒屋で、総勢10名の参加者のうちお酒を全く飲まない人が1人、あまり飲まない人が2人、残りのよく飲む人7人で飲み倒しました。

生ビール2杯のあと、隣に座った秋田の先生と日本酒攻撃。

「西塔先生、次はなにいきます?」の声についついお酒のメニュー見て次々銘柄を変えて注文し、6勺(0.6合)のグラスを5杯くらいまでは覚えています。

あとはなし崩し的に焼酎と泡盛のロック。

どれだけ飲んだかってね、最後にお店の人が言ってたそうです。

「よく飲まれましたね~。普通これだけ飲んだら、誰か一人くらいは両肩を担がれた状態で出ていくようになりますけど、皆さんお強いですね」 だって。

 

それから、馬車道にあるいつものM’s BAR に行ってテーブルに座った位までは覚えています。

(その後カウンターに移動したらしい)

次の記憶はホテルに帰ろうとして全く方角がわからずに迷っているところまで飛んでしまいます。

小雨が降っています。

道行く人に尋ねました。

「すみません、ちょっとお伺いしたいんですけど、スタジアムはどっちでしょうか?」

関内にいてスタジアムがわからないというのは、ドアホとしか言いようがないくらい、わかりやすい所にあるのね。

聞いた通りに行こうとして、途中でコンビニに入り競馬ブックを買ったのがいけなかった。

店の中の自分の動きで、また方向がわからなくなったのです。

もう一回人に聞きました。

 

次に意識が戻ったのは、何か心地悪いなぁと思って目を開けた時、ホテルの部屋のベッドと机の間の床で寝ていました。

横浜で酔っ払うとなぜかホテルの床で寝てしまう僕。

いつも思うけど、あの状態でホテルのフロントで自分の部屋番号をきちんと言えるのはすごいよなぁ(自慢でけへん?)

僕が横浜の勉強会に参加し始めたのは、まだ大学の医局にいた20年前です。

それから年に何度も横浜に来てるんです。

関内など自分の庭のようなものなのに・・・・・

自分の庭で迷うところが方向音痴の方向音痴たる所以なのですが。

 

次の朝、当然のごとく使われないままの朝食券がテーブルの上に置かれたままチェックアウト。

だって、ここの朝食ね、カレーライスなんですもの。

二日酔いで食えるかっつうの。

悲しかったのは前回の出張に引き続き、嫁さんの用意した着替えの中に下着が入っていなかったこと。

またしても前日につけたフンドシをつけ直す羽目に↓

 

日曜日の勉強会は”高濃度ビタミンC療法”について。

と、その前に・・・・。

 

とある先生が昼休みに弁当食べながら教えてくれた話。

「昨日はよう飲んだなぁ。 あれからバーでウイスキーのロック飲んで、最後ストレート飲んでたもんなぁ。 えらいエエ調子になって、それからまだサイちゃんラーメン行こ言い出して、止めとけ言うてんのに『僕は定食食べる』言うてチャーハン定食頼みよんねん。それでも途中でしんどなったんやろな、『先生、ちょっと食べません?』てこっちに皿渡してたもんな」

普通ね、どれだけ泥酔して覚えてなくても、次の日にあんなことあった、こんなことしてた、って誰かに言われたら、かろうじて思い出すもんです。

それがね、ラーメン屋に行ったと言われてもからきし覚えてないのよ。

どうやら関西人の習性として、関東で”天下一品”見たら入ってしまう、みたいな。

「サイちゃん、覚えてないの!?」

「じぇんじぇん覚えてません。今言われても思い出せません。だって覚えてないんですから・・・・」

ダメダメ人間です。

これのどこらへんがアセンションなのでしょう?

 

あ、ちなみにこういった時に出来がちな手や肘の擦り傷。

きっちりありますぅ(笑)

でも、ズボンは破れてないよ(ちょっと自慢)

 

話を戻しまして、僕はアンチエイジングのためにビタミンCを摂るとかいうのは好きじゃありません。

まずは、自分の不健康な生活習慣を改めるべきなのであり、どのような感情であれ否定せずにそれを表現し、過大な活性酸素を発生させているような原因を取り除くべきなのです。

それに活性酸素を除去する目的だけなのなら、今はもっと凄いサプリがあります。

不食が可能ということが当然の頭にとっては、必須ビタミンという考えも違和感大なるものあり。

そもそも人間は外部から何かを摂らなければ生きていけない(健康にならない)ような不完全な存在ではないというのが僕の健康に対する考えの基本です。

ただしこの高濃度のビタミンCを点滴するという療法は、癌には著効を示すことがあるようですので、知り合いにそういった方がおられる場合は教えてあげても良いと思います。

どこの病院でもやっているというわけではありません。

こんな僕が言って説得力・・・・・ある?

2012.9.24

Oneness Trust ~信頼~

ここ最近のブログにおいて、あまりくどくなるのももひとつなので、色々と説明不足のところもあるかもしれません。

弁解がましいこと書くの好きじゃないんです。

 

たとえばインプラントには良い所ばかりじゃなく問題点もあるけれど、それでもこの症例にはインプラントが最適であると思えば勧めるわけです。

歯科治療においては人工物を入れざるを得ないわけですから、完璧なものが存在しない以上、メリットがデメリットを上回る場合にそれを選択するということになります。

入れ歯はどれだけ精密に作ったところで所詮は入れ歯です。

でもインプラントよりは入れ歯の方が良いということも多いのです。

ちなみに昨日も午後から一件のインプラントのオペがありました。

 

右下の一番奥の第二大臼歯が欠損しており、その手前の第一大臼歯の二本ある歯根のうち一本がダメなので、その歯を抜くと同時にそこにインプラントを埋入し、第二大臼歯部分にもインプラントをする予定でした。

抜きやすくするために第一大臼歯を真ん中でカットしていき、まずは助けることが出来ない歯根を抜きます。

すると残った方の歯根は全く問題なく、抜くには忍びない状態でした。

そこでその歯根は抜かずに残して、一本手前の被せ物とつなぐことによって活かしてあげることにしました。

二本予定していたインプラントを一本にし、抜いた歯根と第二大臼歯の間に埋め込んだのです。

それで上の歯との噛み合わせも問題ないと判断しました。

これにより、予定していた収入が半分になりました。

そういう意味では非常に悲しいわけです。

何せ単価がでかいですからね。

でもあの歯根を抜くことはようせんし。

 

ということで、途中に不意の出血も何とかクリアし、オペを終了してから処置内容の説明をしました。

患者さん 「じゃあ、インプラント一本分のお金でよくなったんですか?」

僕 「はい。残念ながらそうです(笑)」

「先生、途中ずいぶん悩まれたんじゃないですか?(笑)」

「そうですね。”チェッ” って思いました。ハッハッハ(泣)」

なかなかね、患者さんとこんな会話はできませんよ。

本心を喋っているのにも関わらず、笑いになっているところがミソです。

これがホントの自然歯科、なんちゃって・・・・

 

インプラントバッシングの報道のせいで、コンサルテーションに時間がやたらとかかる。

コンサルテーションとは、なにもインプラントを決断するように誘導することじゃありません。

すべての情報を正確に知ってもらった上で、患者さんが自分で納得して選択できるように手助けすることをさします。

どのような選択をしても、その選択に対する結果は自分に返ってくるのだと理解してもらいます。

もちろん僕の考えもお伝えします。

その結果、インプラントになることも、義歯を選択されることもあり、他の治療に関しても色々と了解を得るわけですが、近頃、最終的には「先生にお任せします」と言われることが多くなりました。

昔はこれ言われるの嫌でした。

自分の身体のことやねんから、歯医者任せにせんといてよと思ってました。

今はひとつの信頼の証だととらえています。

 

なんかね、今頃になってAmazonで本がよく売れてるんですよ。

自費出版の本ですからね、発売して3年近くも経って一週間で4,5冊売れるというのは凄いことです。

本が動くとAmazonも次々仕入れてくれて在庫を置いてくれるのね。

本を買ってくださった皆様、ありがとうございます。

一冊売れても僕の儲けは70円くらいにしかなりませんが、元々自費出版で儲けなど頭にありませんから、皆さんの手元にいくことが嬉しいわけでして・・・・。

世間は連休でございますが、わたくし午後から横浜へ勉強会に参ります。

先週の連休もセミナーでした。

どうぞよい休日をお過ごしください。

2012.9.22

自然歯科とワンネス歯科

歯科医療の目的・・・・口腔の健康を通じて全身の健康および幸福に寄与すること

であれば、クレドとして”患者様のために”というのは正しい、というよりそうあるべきなのではないか?

 

まあ、そうなんですが、実際診療している時にやっていることは、感染源を取り除き、炎症を抑え、歪みを取るとともにバランスを正す、ことです。

ただ淡々とそれをしているだけで、その時に患者さんのためになどとは考えません。

もちろん患者さんの心に対しては常に注意を払っていますが、〇〇のためなどと考えながら仕事などしないのです。

歯科医療もサービス業であると心得ていますが、そのホスピタリティの在り方について誤解している人が多い気がします。

 

よく歯科の経営セミナー等で言われるのは、「うちのライバルは東京ディズニーランドです」だとか、「リッツカールトンのサービスに学ぼう」とかです。

僕に言わせれば、これは勘違いも甚だしい。

僕たち医療者は他人を思いやる気持ちは必要ですが、もてなすというのとは違うでしょう。

医者が患者をもてなす必要がどこにあるのですか?

馬鹿言ってんじゃないよ!って感じ。

講師の医院がそれで流行っているから真似ようとするのね。

 

当院の患者さんに対する言葉づかいは丁寧ですし、かといって肩肘張らず、双方ともに自然体でいられることを是とします。

あくまでも歯科医と患者という両者の関係はあるべきでして、歯科医には然るべき威厳が備わっているべきでしょう。

過剰なホスピタリティはクライアントには心地良いかもしれませんが(僕はそういうの心地悪くて、イラッとしますけど)、正しい医者ー患者関係はできづらいと考えます。

これについては、山形県酒田市の熊谷崇先生も昨年の最終講演でおっしゃってましたけど、「”患者様”という言葉は使ってはいけない。な~にを言ってんだと思います」

ワクワク・ドキドキ系の歯医者のこともボロッカスに言ってましたけど(笑)

熊谷先生は僕以上にはっきりものを言う方ですが、どちらも全くもって同感。

 

自然歯科というのがあります。

おそらくこれは造語だと思われるので、自然歯科の定義と言われても困るのですが、およそ次のような感じであります。

まず診査・診断に波動を利用します。

これは波動測定装置を使うこともあれば、AK(アプライド・キネジオロジー)という筋反射を利用することも多いです。

Oリングテストなどはこれに属します。

手技療法を駆使する場合もあります。

カイロプラクティックの真似ごと(?)や、筋肉や筋膜の緊張を緩めたり、頭蓋仙骨治療などをやってみたり。

症状によれば、ホメオパシーやフラワーエッセンスなども使ったりします。

詰め物や被せ物に使う材料と患者さんの体質の相性を調べたりもします。

まあ、特徴的なのは、こんなところでしょうか。

 

で、うちはどうかというと、別にホリスティックでもなければ自然歯科でもありません。

そういった概念に縛られるのが嫌いなんです。

ワンネス歯科とは何か? と尋ねられたら、今ならこう答えます。

異質なものを調和させることにより健康を維持し、日々幸せに過ごすことを目的とする歯科。

これとてあえて定義づければ、という話でして、他人に聞かれればそう答えるけど普段はあまり深く考えていません、というのが本当のところ。

とにかく身体に害を与える恐れのあるものは一切排除し、身体にやさしい治療、それが自然歯科なのでして、僕は否定も何もしませんが、なんとな~く、農薬も添加物も原発もとにかく反対!みたいなのと同じ匂いがしなくもないかなぁ・・・・・

もちろん素晴らしい先生はいます、確かに。

 

Oリングテストをするから、その歯医者さんは患者さんの身体の事をよく考えてくれている、みたいなのもイヤ。

患者さんの出す波動は感じますが、今のところは波動を使った治療は当院ではしておりません。

ただし、僕が治療に集中すると独特の波動というかエネルギーが出るようで、患者さんは(人によるけど)非常に深いリラックス状態になり、勝手に筋肉の緊張が取れていって身体の症状が軽減する人もいらっしゃいます。

もちろん中には歯医者というだけで緊張しっぱなしの人もいます。

手技療法は稀にやることがあります。

ホメオパシー系統に関しては、僕は好転反応というものに疑問をもっているので、取り入れておりません。

感染を起こした際、発熱することにより侵入した細菌やウイルスをやっつけるのは自然な反応ですが、好転反応はそれとは違うような気がするのです。

といったところで、我がワンネス歯科における自然歯科とは、先も述べたように医療者も患者も自然体でいられる歯科治療とあいなりまする(チャンチャン)

2012.9.21

ホリスティック・デンティストリー

ホリスティック(holistic)とはホロン(holon)という言葉から来ており、ホロンとはすなわち全体性といった意味らしいです。

ホリスティックな医療というのは、患者さんの病気だけ診るのではなく、人間としてまるごと診ようというというものです。

身体とこころと魂とか精神性やその人の置かれている社会的立場なども全部ひっくるめて、ですかね。

例えば仕事が忙しいサラリーマンの男性が来られた時に、ある人はこれを機会にきちんと診てもらおうと思うかもしれないし、ある人は応急処置だけで構わないと思うかもしれません。

どちらもその人にとって間違った考えではありませんが、医療者側は身体の事を真剣に考えない人を思慮の浅い人間として見てしまいがちです。

これも間違いではありません。

これはどこで折り合いをつけますかね?

 

きちんと治療したいという男性は問題がないとして、そうでない人に対して相手に合わせてこちらも適当な態度で臨むか(治療の手抜きという意味ではないよ)、あるいは優しく丁寧に自分の身体の事を真剣に考えるように諭すか、もしくは偉そうに説教するか。

どれも間違いではありません(こればっかり、笑)

まあ、非常に難しい問題でして、うちなんかは僕の気分次第です(ハッハッハッ)

 

自院の方針に合わない人は、基本的には来なくて良いというスタンスのところも少なくありません。

患者さんに媚びる必要はないですが、自分のところの方針を何が何でも貫き通すというのも、果たして如何なものかとも思います。

うちなんかは適当・・・・・っていうか、当院に相性的に合わない人は来なくて良いとは思っています。

だって、そんな場合は治療が上手くいきませんもの。

 

さて、通常ホリスティック・デンティストりーと言われるものは、アメリカのパンキーという歯科医が確立した概念のことをさし、全人的歯科医療と訳されます。

日本では川村泰雄先生というのが有名でいらっしゃいます。

どのような患者であれ、歯科医療や治療に対する知識や認識は我々医療者側とは大きく異なります。

これは当然・・・・・であっては困るのでして、本当はもっと学校教育の中で歯科に限らず健康に関する知識を必須科目として教える必要があるでしょうね。

 

しかしながら、患者と歯科医のその間にある歯科治療に対する認識がかけ離れているという現状は厳としてあるわけでして、これでは治療がうまくいくはずがありません。

まずは、お互いに違う認識を持っているということに気づき、認めることが大切です。

すべては良い結果を生むためです。

患者と歯科医ではあるのですが、その前に人と人であるということで、お互いに相手のことを尊重する姿勢が求められます。

そしてなるべくその認識や視点を近づけてきて(相手のことを受け入れる)、何が最善か話し合うのです。

こう考えたら、応急処置だけ望む患者さんを劣った人間のように見下すなんてことは起こりようがありません。

 

良い結果を生むためには、患者の歯科的なIQを上げていく必要があります。

例え忙しくて歯医者に時間もお金もかける余裕などないという患者に対しても、少しでも真剣に考えてもらうような機会を与えることがいるのかもしれません。

 

ホリスティック・デンティストりーについて話していけば際限がなくなりますので、入り口だけにとどめておきます。

 

たま~に当院にもホリスティックな歯医者を探して来られる方がおられますが、僕はDr.パンキーの本を読んだことはありますが、それについて真剣に学んだことはありません。

これには基本的な診療システムというのがあり、それに則って行うのですが、最も大切なのはパンキー・フィロソフィーと呼ばれるように、その概念・哲学であります。

 

当院の診療システムというのは、今までの経験と試行錯誤などから現状があるのですが、これからも微妙に変化していくことでしょう。

ただね、他人が書いた本とかセミナーとかを受けて、治療方法などは参考にするけど、根幹となる診療システムは人真似すると窮屈でやってられなくなるんです、僕の場合。

ですから自分たちを縛るような決めごとがないというのが当院のやり方であります。

 

クレドというのがありまして、信条、理念、誓いてな意味合いですが、毎朝これを朝礼の時に合唱する真面目な医院もあるようです。

そこで絶対に書いてあるのが、”すべては患者様のため、我々のため、チーム(医院)のため”

この〇〇のためというのが曲者です。

特に患者様(お客様、他人様)のためというのは実に嘘臭い。

他人のために尽くすなんてことを真顔で言うやつは信用できません。

僕たちは他人のために生きているのではなく、自分のために生きているのですが、その自分のためというのも時としてどうか?と思うことがあります。

目的というのはあっても良いが、あったらあったで我々を縛ってしまいます。

クレドに書かれていることは、あくまでも結果であって目的ではない気がするのですが、いかがでしょうか?

ていうかね、毎朝そんなことを唱和しなければ成り立たないチームなのなら、スタッフも院長も未熟だってことじゃないの?

話が長くなったので、本日はこのへんで。

明日は自然歯科とワンネス歯科についてでおます。

2012.9.20

答えは自分の中に~自分を信じて生きる~

先日ご紹介した服部みれいさんの本を今読んでるんですが、陳腐な言い方ですが”こころのサプリ”みたいです。

僕の個人セッションを受けて頂いた方は是非とも読まれたらと思います。

 

よくこのブログと自分に起こることがシンクロしてビックリするというメールを頂きます。

僕もシンクロにはよく出会います。

シンクロに関して皆さんが誤解しやすいことがありまして、なんか自分のためにシンクロが起こっていると勘違いしやすいんですね。

テレビをつけたら偶然今話題にしていたことがやっていたり、前を走る車のナンバープレートが自分の誕生日と同じだったり、ある人のことを考えていたらその人からメールが来たりetc…..

すべて自分を中心にして考えたら、それらが何かの合図かしらと思ってしまいます。

そう思うのは良いのですが、シンクロニシティ(共時性)というのはヘタをすると分離の考え方になります。

自分のために他のものが動いているってね。

皆がつながっている感覚になると、シンクロの捉え方は少し変わってくるのです。

 

大浴場に例えるとわかりやすいかもしれません。

そこに非常に粘稠度の高い流動体、グミを少し溶かしたようなものが満たされているとしましょう。

これがお湯だとわかりにくいのですが、そういったネバ~、ドロ~っとしたものだと浴槽に入っている誰かが少し動くと、流動体も微妙に動き、その動きはあなたにまで伝わってきます。

この場合あなたがそうと感じるまでに多少時間を要しますが、この世界のシンクロではそれが一瞬で起こっています。

そしてこれは相手の動きだけに反応するのではなく、思考にも反応します。

媒体はこの宇宙を埋め尽くしている素粒子かな?

どうですか?

こう考えると、すこ~しシンクロに対する感じ方が変わってきませんか?

 

先日、読者の方からプライベートな質問メールを頂きました。

それを読んで、その方に起こっていること(霊的な意味、原因)はおよそサクッとわかるわけですが、それをそのまま書いたものかどうしようか考えてました。

風呂からあがって、思いついたことがあり、詳しい回答を書くのは止めにしました。

「よし、例のヤツでいこう!」

これは”神との対話”シリーズのどこかに書かれていたことで、ある意味究極の回答だと思っています。

それはね・・・・

 

「もし、あなたがその質問に対する答えを知っているとしたら、どのように答えますか?」

「もし、あなたがあなたのハイヤーセルフだとして、今悩んでいる自分にどのようなメッセージを伝えますか?」

というものです。

 

そのメールをくださった方は非常に優秀な方でして、すぐに返事が来ました。

そこには僕が大まかに書こうとしていたことが、より詳しく(もちろん本人にしかわからないことですから)書かれていました。

要するに質問しておきながら、その一日後にはご自分で答えを出されたわけです。

というか、出せたわけね。

 

考えてみればね、皆さんの自分の人生における疑問の答えが僕の中にあるはずがないのです。

それは皆さんの中にしか存在しません。

そもそも答えなんてものがあるのかしら?

どのような出来事もそれをどう解釈するかによって変わってきます。

その解釈はその人本人がするべきものでしょう。

そしてその後どうするかも本人が決めることです。

そのかわり、自分のとった行動に対する結果はすべて自分に返ってくるし、それに対する責任を負わねばなりません。

それが自分の人生を生きるということですから。

僕はただ、この世界の原理原則を述べているだけでして、それ以上でも以下でもないのです。

が・・・・

 

僕はメール相談に対する答えを真剣に頭で考えては書きません。

その質問に意識を向けて浮かんでくるメッセージを書いているだけなのです。

先の相談者に対する返事を「もし、あなたが答えを知っているとたら・・・・」にしようと決めて、読みかけていた本「自分を信じて生きる~インディアンのやり方」のページを開けた時、そこに書いてあったのはまさしくそのことでした。

グレートスピリットとつながっていれば、すべての答えはあなた自身の中にあるというものです。

WOW!!

インディアンの知恵に関する本はたくさんあります。

しかし僕は今まで、どれもピンとこなかったので買ったことがありません。

この本も先日の天王寺の雑貨屋さんで購入したものですが、必要なタイミングで手に取るようになっていたのだと思います。

 

万物あらゆるものがつながっています。

僕のハイヤーセルフと相談者のハイヤーセルフもつながっています。

というか個人のハイヤーセルフなんてものは無いのかもしれません。

要するに僕からのメッセージも本来は相談者の中にあったもので、少し遠回りして受け取っているだけなのでしょう。

2012.9.19

歴史の勉強

しかし、まあアレです。

中国は自分で自分の首絞めとりますな。

それよりも愚かしいと思うのは、自民党の総裁選に出馬している人たちのインタビュー番組。

韓国、中国の領土侵犯は(あくまでも日本側の見方ですが)”今”起こっているのです。

それについての考えを述べているのですが、「あんたら現役の国会議員やろが!」と思いません?

どうして、今、何らかのアクションを起こさないのでしょう。

それと、ある番組を見ていて思ったのが、彼らがフリップに書く字のあまりの下手さです。

字というのはその人の意思を表します。

 

例えば僕は患者さんの書かれた問診票をみて、まずはその人の状態を間接的に観ます。

アレルギーの有無とかのチェック項目も大事ですが、それよりもまずその人の名前の書かれ方をみるのです。

字の巧拙を問うているのではありません。

他人に読んでもらうという書き方がされているかどうかが大切なのです。

字からはその人の様々な情報が読み取れますが、詳細はここではおいときましょう。

 

で、総裁選の候補者の字の拙さというのは、字そのものの下手さもあるのですが、この状況ではその候補者の国政に対する強い意思が現れていなければなりません。

それをどいつもこいつもフニャフニャした字を書きやがって・・・・・ペケッ!!

 

今回の中国のデモをみて日本企業はよく考えて欲しいのです。

賃金が安いから海外に生産拠点を移す。

それがその土地の人たちに経済的な豊かさや文化的な豊かさをもたらすのも事実でしょう。

中国の巨大な市場に活路を求める。

それが中国人民の生活水準を上げるかもしれない。

でもね、結局はその企業がどうやって生き残ろうか考えてるだけじゃない?

常に経済的に成長しなければならないという呪縛を手放したらどうなのでしょう。

 

皆さん、歴史ってどうして(何故)勉強するんだと思いますか?

これには三つの理由があります。

まずひとつは、人の集合意識というのがどのように働き、どのような過程を経てどのような結果をもたらしやすいのかを学ぶということです。

どれだけ専制君主のような組織であっても、その君主単独で物事は進みません。

例えヒトラーであっても、ナチス党を後押しした民衆の意思があったわけです。

ある国において、それを縦軸で見ていくとどうなるのか?ということです。

(たいていは同じことの繰り返しですけどね)

 

ふたつめに、違う集合意識(文化)が出会うとどうなるのかを学ぶのです。

多くは戦闘になりますが、一方において侵略・略奪・征服などで文化の融合が起こり新しい文化が創造されるという現実もあります。

これは歴史の横軸ですね。

ですから、年号を覚えるのが大事なのじゃなくて、時間軸で地球全体の各国々がどのような関わりを持ったかをみることが重要なのです。

 

そして、みっつめ。

上のことより、ある国の人の(自分の国も含めて)現在の考え方や感じ方の背景にあるものを理解し、それを受け入れるということ。

 

以上のことを学んだ上で、あなたはどのような歴史を作っていきたいのか?それに対する戦略を練るということこそ歴史を勉強する最大の意義であります。

 

人間というものは情けないことに非常に愚かな一面を持っています。

尖閣諸島にしても、竹島にしても、お互いに利益が絡むのですから歴史認識が違うのは当然でしょう。

古事記、日本書紀にしてもそうなのですが、歴史を記したものというのは原則として時の政権に都合の悪いことは書かれません。

これは編纂したのがその政権なのですから、自分に都合の悪いことは書かないのです。

それどころか、事実を多少曲げて書くことすらあります。

ですから、日本、韓国、中国に残存する文献をいくら読み説いたところで真実などには至りません。

どちらも違うことが書かれているからです。

 

であれば、我々はどうするべきなのでしょう?

望むのは日本だけの利益ですか?

僕は、あらゆる子供たちのことを自分の子供のように考えています。

同じように韓国のことも中国のことも平和で幸せであって欲しいと願います。

現状は皆、自分さえよければという外交政策と内政になっています。

歴史を勉強するということは、過去の過ちを繰り返さないために、新しい未来を創造するために、人の思考や行動の傾向というものを学んだ上で、違う個性のものが調和する世界(ワンネス)を作るために必須ともいえるのですね。

2012.9.18

太陽フレア~磁気嵐の影響~

今朝の夢。

なんと先の皇后さまの診察をしてるんです、僕。

もちろん玄関先は警備の車や人たちでいっぱい。

こりゃ、なんじゃ、いったい?

 

昨日の整体のM先生。

最初にいつも通り足をテケテケ動かして調べておられ、「ところで西塔先生の現在の自覚症状はどうですか?」

「実は、最近不整脈がひどいんです」

「ああ、そうですか。目に見えないことを言って恐縮ですが、さっきの方にも話しましたように、それはどうも太陽フレアの影響のようです。そのせいで胃の調子も悪くなってるとでています」

でています・・・・て(笑)

実はこのM先生、とある組織でで特殊訓練を受けたこともあるツワモノです。

そしてなぜかNASAの研究員に友人がいるそうです。

いったい、どういう人や、この人は?

その研究員曰く、今、アメリカでは太陽フレアによる磁気の影響で赤血球同士がくっついて(鉄イオンがあるからね)脳血栓や、脳出血などの脳血管障害を発症する人が激増しているそうなのです。

で、研究員ですからどうすれば治療できるかも研究するわけですが、一般的に血液をサラサラにしますよと言われているようなものは効かなくって、微量ミネラルであるMo(モリブデン)を静注すると一発で効くそうなんですね。

ということで、わたくしダイコクドラッグでNature Madeの”ミネラル”というのを買い求めた次第であります。

これをね、医者に行ったらさ、いっぱい検査されて結局薬を出されるわけです。

えらい違いやと思いませんか?

 

その後、奈良の法隆寺にある”いかるがホール”でAso Aligner という透明なマウスピースを使った見えない矯正というののセミナーに参加しました。

その途中、昼飯を食おうとJR天王寺駅のファッションビルMIOに入りました。

そこでまたしても雑貨屋さんで出会った服部みれいさんの本。

strawberry juice forever.jpgStrawberry Juice Forever

この人、タダもんじゃないね。

例えばこんなことが書かれています。

 

「仕事をやめたくなったら」

いますぐ辞表を書いてみて。

そして辞表を出す日を決めてみて。

そしてその日まで

とにかく一生懸命、働いて。

 

ちょっと僕じゃ思いつきません、こんなこと。

尊敬すらしちゃうわ、マジで。

 

韓国冷麺とミニビビンバを食べてセミナー会場へ。

法隆寺駅から徒歩10分て、ああ、ダッル~~。

Aso Aligner とは、すべての矯正の症例に適応できるものではありませんが、適応さえ選べば非常に快適に(だってワイヤーないんだから)、つけていても他人に知られずに歯並びを治すことができます。

早速、当院の受付の工藤さんが手を挙げました。

これの良い所は今言ったこと以外に、成功しないことはあっても、失敗するということがない点にあります。

つまり必ずしも患者さんが望むような結果にならない(あまりに高いレベルの期待をされると)ということはあり得ますが、これは術前によく話し合っておけば済むことです。

透明なマウスピースを歯がある程度動くたびに交換していくのですが、基本的に最終目標に向かって動かしていますので、どこかの段階で治療を中断したとしても必ず元の状態よりは良くなっているのです。

一般的なワイヤーを使った矯正は、場合によっては動かしたくない歯まで動いてしまって厄介なことになることもありますが、Aso Alignerではそれがありません。

典型的な適応症は、前歯のガタツキを治すというものですが、かなりのスグレモノです。

ワイヤーの調整がいりませんから、術者も楽だし患者さんも楽。

早速、必要と思われる患者さんに勧めていきたいと考えています。

 

この装置は厚みが0.5mm、0.6mm、0.8mmの3種類を使います。

0.8mmなんかを入れたら絶対に一番奥の歯しか当たりません。

最後の質問の時間に「調整はしないのですか?」と聞いたところ、「しなくても問題が起きたことはありません」との回答でした。

これね、言っときますけどね、絶対間違い。

必ず奥歯が均等に当たるように調整する必要があるに決まっています。

どうして矯正の先生ってこういうところがいい加減なんだろう?

0.5mmくらいだと、人によれば無調整でそこそこ均等に当たることもありますが、それ以上の厚みだとちょっと無理ね。

新しい武器(治療法)を安価に手に入れるというのは気持ちのいいもんだ(笑)

ちなみにセミナー費用は2万5千円でしたとさ。

2012.9.14

バランスのとれた噛み合わせのために気をつけるべきこと

原則として、口の中の治療に使う材料は統一するべきでしょう。

特に噛み合う上下の歯については合わせる必要があります。

それによって摩耗度合いを極力均一にしたいのです。

しかしながら全部がきれいな自分の歯であっても、様々な理由により摩耗度合いが異なり、それによって噛んだ時に高い所、低い所が出来て身体が歪んでいくこともあります。

口の中が治療痕だらけであろうが、そうでなかろうが、何か自分で気をつけることでプラスになることはないか考えてみましょう。

 

ここでまず、身体と噛み合わせの単純な関連性について理解してもらいます。

座っても立っても構いませんが、背筋を伸ばしてもらって正面を向いて上下の歯をそっと噛み合わせてみてください。

その上下の歯の当たり方を覚えておいてくださいね。

では一度噛み合わせを解いてください。

次にそのまま首を右に回してみて、同じことをやってみてください。

どうですか?

通常、右の奥歯しか当たらないか、右の方が強く当たるはずです。

では次に首を左に回してやってみてください。

今度は逆になるはずです。

左の奥歯しか当たりません。

また噛み合わせを解いて、前を向いてもらって、次は首を前に傾けてそっと噛み合わせてみてください。

前歯しか当たりませんよね。

首を後ろに向けてやると一番奥の歯だけが当たるようになります。

この四つの単純な相関性というのが非常に重要になるので、よく覚えておいてください。

 

もう一度左を向いてもらえますか。

その状態では左の奥歯が当たって、右の奥歯は空いていました。

単純に言うと左側が高くて、右側が低いわけです。

この状態で非常に硬い物を咀嚼しようとすると、実は左では噛みづらいのです。

右の上下の奥歯はわずかに空いているわけですから、そこに硬い物が入ってぐっと力を入れて噛もうとすると、左の一番奥の歯が当たってきて右で力を発揮する支えになってくれます。

左は逆で、そこで力を入れようにも右側の奥は空いたままですから支点がないため、非常に噛みづらい。

テレビを見ながら食事をするような習慣がある人は、テレビをどの場所に置いているかによって、知らないうちに噛む側が偏ってしまうということがあるということです。

これは、幼い子がダイニングキッチンで母親の方を目で追いかける場合についてもいえます。

 

人が右側で咀嚼する時、頭蓋骨の乳様突起といわれる所と胸骨・鎖骨をつなぐ右側の胸鎖乳突筋が収縮しますが、首を左側へ回転する時にもこの筋肉が働きます。

人の噛み癖をみるときに、首を左右に回してもらい、左の方がスムーズに(あるいは大きく)動くのであれば右噛みの癖がある可能性が高いと言えます。

右側ばかりで咀嚼していると、今も言ったように胸鎖乳突筋の働きで右側の鎖骨が上方に引き上げられます。

すると背骨は右側を凸にした形に側湾していきます。

その結果、骨盤は左側が上方に引っ張られ、左足が短くなります。

よくカイロプラクターが患者さんの両足首を持って、どちらが短いとかやっていますが、それはこういうところを診ているわけです。

 

よってバランスよく両側で咀嚼するのが良いのですが、それは少なくとも若いうちに確立しておくべきもので、40歳も過ぎてから急にバランス良く噛もうとすると顎の関節に異常をきたすことがあるので要注意。

子どもの食事の時の姿勢というのは非常に大切ですので、気をつけてくださいね。

 

咀嚼というのは意識下のものですが、無意識のうちにやってしまうことで、むしろこれが一番異常な歯の摩耗を引き起こすというのが”歯ぎしり”と”噛みしめ”です。

以前のブログに書きましたが、これらは過度の飲酒やカラオケで騒ぐのと一緒で、昼間に溜まった肉体的、精神的ストレスを発散しようとして結局自分にダメージ与えている類のものです。

この時、就寝中にもかかわらず交感神経優位の状態にあります。

そして必ずといっていいほど舌先が低位にあります。

低位というのは舌の先が下の前歯の裏側あたりに位置していることで、本来は上の前歯の裏側の歯ぐきに接していなければなりません。

舌の位置が低位にあると、連動する神経や筋肉の関係で口は開いた状態になりやすいし、下顎は後退して気道が狭くなり鼾をかきやすくなり、歯ぎしりや噛みしめをしやすくなります。

逆に言うなら、舌の位置を正すことで他のことは自動的に矯正され得るということです。

当院では舌の位置の是正のための特殊なマウスピースを作ったりすることもあります。

特にお子さんの歯ぎしりにはてきめんに効くようです。

 

寝る時の姿勢をみてみましょう。

本来は仰向け寝です。

朝までこの状態で舌も正しい位置にあれば、非常に深く質の良い眠りを得られますし、夢見も良いです。

ところがうつぶせ寝をするとロクなことがありません。

この写真をみてください(モデルは慧)

うつぶせ寝左.jpg うつぶせ寝右.jpg

真下を向いて寝る人は少ないと思いますので、だいたいこのどちらかでしょう。

よく見て頂くと、顔を向けた側の足が上に上がり(骨盤が上がる)、反対側の手が上にいきます。

必ずしもこうなるとは限りませんが、身体の原則的にはこれが自然で楽なはずなのです。

これは先ほどの片噛みの説明で述べた通りのことが寝ている時にも起こっていることを示します。

常態化した寝癖も身体を歪ませ、ひいては片側噛みを助長し、それがまた身体を歪ませるという悪循環を生みます。

でもね、朝まで上向いたままで寝るのは至難の業ですよねぇ。

枕を工夫したりすれば良いのでしょうが、これについては現在研究中であります。

ちなみに上の写真を見比べたら、顔を左向きにしている方がよりスムーズに左側を向いているのがおわかりでしょうか?

右向きはなんだか窮屈そうでしょ?

よって彼は右側でよく噛んでいる可能性が考えられます。

 

左を向いてうつぶせ寝をすると、右側が低くなるので原則として右側で噛みしめてしまいます。

歯ぎしりに関しては、どの状況でどの部位でするのかは今のところ不明です。

夜中じゅう特定の歯だけ噛みしめていると、噛みしめた歯は沈みますから、他の歯が強く当たるようになります。

すると強く当たる歯がやられてくる。

その歯は歯周病になりやすくなります。

こんなこと言ってる歯医者、他に僕は知りません。

 

自律神経のバランスが崩れれば、それ即ちほとんどの場合において交感神経優位になりますので、血圧は上昇し、筋肉の緊張は高まります。

自律神経というのは様々なものの影響を受けますが、目からの刺激、それと花粉や黄砂なども大きな影響を与えます。

僕は寝室に空気清浄機を置くことを強くお勧めします。

うちは当院に流れている殺菌水を超音波噴霧器で夜中じゅう空気中に噴霧しており、驚くことに風邪引きにくいし、花粉・黄砂の影響も受けにくいし、そもそも扇風機との併用で室温が2,3度下がるのが不思議。

寝る部屋にはそもそもエアコンがありませんが、今年の夏はかなり快適でした。

 

身体のバランスが悪ければ当然、噛み合わせのバランスも崩れますから、そちらにも気を使わないといけません。

そこで登場するのが靴です。

そう、あのテクテク歩く靴です。

一日中で最もよく歩くのに使う靴にはお金をかけましょう。

そもそも正しい靴選びを学ぶとか、オーダーメイドの靴を作ってみてはいかがでしょう?

間違った靴選びで足が変形してしまって、体の重心が不安定になっている人のいかに多いことか。

僕は靴選びと舌の位置で、靴舌健康法と呼んでいます。

 

もひとつ追加しておくと、現代人は誤った身体の使い方をしております。

物拾い誤り.jpg 物拾い正.jpg 物拾い、膝曲げ.jpg

例えば床にある物を拾う時に、ほとんどの人は左上写真のように右手と右足を出します(モデルはおさむちゃん。写真撮ってもらう時に衛生士の村上君に「先生、頭入りますけど・・・・」って、入ってええんじゃ!)

これはこのように歩行する人がいないが如く、間違った不安定な身体の使い方です。

本来は右手で拾うなら左足を前に出すべき(写真中央)なのですが、こうすると手が届きにくくなります。

だから膝を曲げるという動作が必要で、日常的にスクワットのようなことを数多くすることになるはずなのです(写真右)

更に物を取るという一連の動作の中で、現代人は肩甲骨を大きく動かす(滑らす)ということをしなくなりました。

小手先で物を取るようになったのです。

肩甲骨はすなわち健康骨。

ここが大きく動くことにより、身体全体の筋肉がストレッチされ血液循環も良くなります。

考えてみれば、肩甲骨を動かす日本人になじみの深い運動ってね、ラジオ体操第一なんですよ。

あれはきちんとやれば実に良く出来た体操なんですねぇ。

こういった事に関して感心のある方は、かの操体法の創始者である故橋本敬三氏の本を読んでみてください。

まさしく温故知新という内容です。

ただし装丁は古臭くてダサい。

 

最近うちではね、治療そっちのけで、こんなことばっかり患者さんに喋ってまんねん。

歯科領域に限らず多くの病気の原因は誤った生活習慣にあるのであれば、その指導をするのはごくごく当然なんだけど。

2012.9.12

打率10割のオトコ ~伊勢ー白山道氏に思う~

松下金融担当大臣が亡くなりました。

遺書があろうがなかろうが、あんなものが自殺であるはずがありません。

それにしても今朝のTVでの扱いの少なさはどうでしょう?

この事件はつっこんでいくと最終的にはCIAにまで行きつくので「ハイ、それま~で~よ」なんですが、これじゃ戦後のGHQに統治されていた頃と何にも変わっちゃいません。

つくづくこの国の主権はこの国にないのだなぁと思うわけです。

こんな状況下でやってる自民党の総裁争いなんて僕に言わせれば、とんだ茶番です。

そもそも自民の総裁が一番時期総理に近いというのが妄想だっつうの。

現在、国会関係に詰めてる記者が本来行くべきは松下さんの事件の方なのであって、その先にこそ日本の政治を動かしているものの正体があり、日本中がひっくりかえるようなニュースなのに。

中学の英語で習いましたが、

The pen is mightier than the sword (ペンは剣よりも強し)

日本のマスコミの辞書にはこの言葉はないようです

 

パラリンピックの選手が感動を与えてくれたなんて言ってるけど、どれだけの局がLIVEで放映しましたか?

いいところだけ昼間放送して、持ちあげといて、何言ってんだ?

ほんと、恥を知れと言いたい。

 

で、パラリンピックのVTRを見ていたら、脳性麻痺の人の100m走があったので驚愕。

え~っ!?

ちょっと僕の中の常識では考えられません。

何とも言えない感動がこみ上げてきました。

 

僕にはちょっぴり好きな女性アスリートがいます。

これは超ふっる~い人ですが、体操の加納(旧姓)弥生選手

あとは現在で、柔道の中村美里選手、バドミントンの潮田玲子選手、(皆が言うので一応)水泳の鈴木聡美選手、そしてゴルフの有村智恵選手です。

有村選手はメジャー初制覇されましたが、この人いつの間にか八重歯じゃなくなってますねぇ。

でも可愛いから何でも許す。

ちなみに加納選手の画像をネットで思いっきり探しましたが見つかりません。

ツンとすました美人でした。

あれ以来、女子体操はガキの独壇場となってわたしは悲しい・・・・。

 

今日も身体の話はお預けでして、昨日道を歩いていたら思うところがあって、それについて書いてみます。

僕はあまりスピリチュアルという意味ではない方の霊の世界は好みません。

これは好き嫌いの問題でして、否定しているわけではありません。

伊勢ー白山道氏は、どちらかと言えばそちら系統に重きを置いておられます。

僕は彼のブログを普段読みはしませんが、ここに書く以上チェックはしました。

先祖供養と感謝の心の重要性を説かれており、それは何もおかしなことではありませんが、どうしてもネットの世界では宗教とか邪道とかって書かれてしまいます。

数多の誹謗中傷のその一方で、「お蔭さまで道が開けました」と感謝をする人も多いわけ。

彼は僕と同様、他人に依存させるようなことは否ですから、単にヒントを与えているだけなのですね。

 

ブログなんてものは個人の日記です。

日記に何を書こうが本人の自由じゃありませんか。

ただしネット上で公開するのが前提ですから、他人を貶したりすると、その反響は自分に返ってくることは覚悟しないといけません。

ですので、そういうことがない限り自分のブログで単に精神世界のことを書いているだけならば、それについて批判をする方が”頭が”おかしい。

嫌やったら読むなや、そんで黙っとけ、という話です。

 

誰しも100%の他人に好かれることは不可能です。

神さまのことすら嫌いな人一杯いますからね。

僕だって、自分のところに来られた患者さんを全員満足はさせられません。

そうすると相手に阿る(おもねる)ことになるからです。

この人合わないなあ、と思う患者さんでも、うちの何がその人を満足させなかったのだろう?とは考えます。

改善できることは改善したいと思うからです。

 

打率10割のバッターがいたとしましょう。

否、打つボールがすべてホームランになるくらい凄いバッターがいたとしましょう。

どうなると思いますか?

そのバッターはより上を目指せるでしょうか?

すべてホームランなら、それより上はないわけで、きっとつまらなくなって野球をやめちゃうかもしれない。

ていうかね、そんなバッターがいたら、確実に敬遠です。

バットを振らせてもらえません。

そのバッターが出れば確実に一塁に出られるのですから、自軍の監督は彼を使い続けるかというと、そんなことにはならないでしょう。

それ以上のことにならないのがわかっているなら、そもそも客が満足しません。

ということは、彼は夢の打率10割、すべてホームランを打てるにもかかわらず試合に出場できないという憂き目に遭うこと必定であります。

 

要するにそんな人間は存在しないし、そのような存在になった瞬間には昇天(昇華)してしまうっちゅうことです。

合わない人間がいるから、出来ないことがあるから、生きている価値がある、自分が存在する価値があるのです。

 

あなたがドツボの状態にある時、助けを求めたのに手を差し出してくれなかった友人がいたとしましょう。

その人は見方によれば冷たいかもしれない。

でも違う見方をすれば、あなたが自力でその状態から脱出する手助けをしているとも言える。

どうとるかは、あなた次第です。

昨日の道すがら、こういうことを考えていると、僕を陰からずっと支えてくれている妻、自由に生きている子どもたち、いろ~んなことがあった母、性格がまるっきし合わない兄、親戚、友人、先輩、後輩、、患者さん、近所の人、その他諸々の人々。

み~んな、僕のためにいてくれてる。

いろんなことをしてくれた。

そしていろんなことをしてくれなかった。

もちろん一見、こちらに都合の良い事ばかりじゃありません。

でも、よ~く考えてみると、よ~く感じてみると・・・・・

強烈な、そしてとても自然な感謝の気持ちが体の芯から湧き上がってくるのです。

す・る・と

 

ごめんね

許してね

ありがとう

愛してるよ

 

セルフ・アイデンティティ

 

皆がいるから僕が僕たり得るのだ。

自分が何ものかわかるのだ。

なんとなく、その時のその感覚を授けてくれたのが、ご先祖様なような気がして

伊勢ー白山道さんじゃないけれど、心の中で手を合わせてしまうのでした。

 

打率3割4分もいけば通常、首位打者獲得です。

それでも毎日練習して少しでも打率を上げようとするわけです。

打率4割、5割を目指すけれど、その願いは成就することなく引退するようになります。

もしかしたら、大切なのは、毎日一所懸命生きるということかもしれません。

結果ではないのかもしれません。

 

いま、僕は歯科の専門書を読むペースを上げています。

本当に尊いこと、それは毎日の真摯な労働のような気がしてきました。

自分のため、お客さんのため、そんなことすら考えずに

ただひたすらコツコツと働く

今さらというべきでしょうが、ようやくそこに目覚めてきました。

 

あえて、書きます

生かして頂いて ありがとうございます

 

2012.9.11

伊勢ー〇〇道

歯科医なら同業者と外科医の治療、特に外科処置は何となく嫌なもんです。

それが先輩や年上なら尚更です。

土曜日は兄貴(整形外科医)のインプラント手術でした。

サイナスリフトと呼ばれる、副鼻腔(上顎洞)を持ちあげる処置をしてのインプラントの埋め込みです。

持ちあげたスペースに填入する補填剤もハイドロキシアパタイトにするかβ-TCPにするか、本人と相談して決めるという、普通の患者さんではあり得ない話です。

兄は僕と同じく生物由来のものよりも、化学合成されたものが安全で望ましいと考えており、性格のえらく違う兄弟にしては珍しく意見の一致をみたりなんかします。

 

当院では多くの症例において、大口式という骨をほとんど削らないインプラント手術方法でやりますが、骨が十分にあってドリルで削った方が圧倒的に手術時間が短い場合にはそちらを選択します。

手術時間というものは感染のことや治癒の事を考えれば、短いに越したことはないのです。

初めて使うサイナスリフト専用器具の使用感覚が掴めなかったので、時間はかかりましたが手術後撮ったレントゲンでは完ぺきな結果でした。

 

噛み合わせについての総括は次回ということで、本日はそれとは趣の異なることを書いてみます。

ていうか、もう書いても良さそうなので書くわけですが、表題はなにも彼のスピリチュアル・ブログ界に燦然と輝く(アクセス数という意味よ)「伊勢ー白山道」さんのパロディではありません。

伊勢神宮は言わずと知れた日本における神道の頂点に位置する神社です。

エネルギーとかにどれだけ鈍感な人でも、内宮の参道を歩いていれば何か違う空気を感じるはず。

人によれば外宮の方がエネルギーを強く感じたり、好きだとかいうのはあったりするようです。

 

今年はどうも伊勢神宮の内外でいろいろと動きがあるようで、これはもちろん正式な行事も含めて言っているのですが、なにか暗示的な気がします。

ここからはあくまでも僕の個人的な考えですので、適当に聞いてください。

多くの人は伊勢神宮が日本の中心的役割を果たしていると思われていますが、僕はあくまでもそれは表向きの顔だと考えています。

表というのは仮の姿ということで、こんなこと言っていいのかどうかわかりませんが、朝鮮半島から流れてきた大陸人が日本各地に散らばる中で出来たのが伊勢神宮。

何の証拠も根拠もありません。

そう感じるだけです。

 

では裏の顔はどこにあるのか?

ず~っと前にもちょびっと書いたことがあるのですが、およそ皆さんが思われるようなところではありません。

出雲大社でも幣立神宮でもない。

じゃあ残るところは・・・・・?

 

今年、なんで2012年という西暦と日本のそういうのが重なるのかわかりませんが、真の日本の中心がその存在を現すようです。

といってもあくまでも裏の方から。

ようやくに重い扉が開かれつつあるといったところでしょうか。

伊勢神宮は悪い言い方をすればfake、真の中心を守るために自分の方に目を向かせるという目的がありました。

純粋な日本民族と言っていいのか、大和民族と言っていいのか、何と呼べば良いのかわかりませんが、要するに大陸の血が混じっていない元来の日本(一応そう呼んでおきます)の核が、ある場所に秘匿されているのです。

その核とは鏡なのか勾玉なのか剣なのか、はたまた全然別のものなのか、全くわかりませんが、そのようです。

i-Pad やったら笑うね。

その封印が解かれ、まさに日本民族が世界に向けて立ち上がる時、それが今年なのです。

この話もこれ以上つっこむと、これまでだと命まで危なかったのですが、僕は根拠があって言ってるわけではないし、そこを探求しようという気もさらさらない上に、もう真実を隠すために陰謀がまかり通るような時代でもないのです。

上の話はぜ~んぶ僕の想像ですからね~。

 

真面目な歯科の話より、こっちの方が好きですか?

2012.9.10

インプラントと噛み合わせ ~真実を見ようよ~

なんの笑いもない「おまえ、真面目な歯医者か!」と言いたくなるような内容が続きますが、健康を考える上で非常に大切なことなので、もう少し続けます。

笑いはありません。

今思いだいましたが、そもそも僕は真面目な歯医者やったんです(過去形?)

 

自分の歯であろうが、被せ物であろうが、義歯であろうがバランスよく擦り減ること。

これについて少し詳しく説明しておきます。

上下の歯が噛み合う際に、どこか一カ所が高いとしましょう。

これがずっと続くとどうなるか?

高い部分がしょっちゅう当たる状態だと、そこのエナメル質が欠ける、歯が少し動揺する(靭帯が弛緩する)、知覚過敏が起きる、といったことが誘発されます。

これを攻撃パターンと呼びます。

しかし、無意識のうちに高い部分を避けるように噛むようになる、そのような運動パターンが出来あがることも多く、こちらの方が問題はややこしくなります。

これは逃避パターンと呼んでいます。

 

普段の自然な身体の動きのパターンをいきなり変えたらどうなるでしょう?

靴の中敷きに小さな石ころが入ったとしましょう。

これに攻撃パターンをとる人はいません。

石ころをつぶそうとして、足をグリグリやりながら歩く人などいないのです。

その部分が当たらないように足の裏を浮かせ、その結果いつもと違う筋肉が緊張して、違和感を感じながら歩くようになります。

普通はすぐに靴を脱いで石をとりますが、この状態で1時間も歩いたら腰いわします。

何日もそのままなら、身体全体が歪むようになり、その結果、靴の小石が原因とは思えないような部位に想像もつかないような異常をきたす可能性があります。

噛み合わせも同じことなのです。

 

下顎が逃避パターンをとる時、通常は高い部分を対角線方向に逃げることが多いです。

その場合、逃げた先の歯が攻撃を受けることになり、そこに問題を起こすことも実は非常に多いのです。

僕は患者さんが異常を訴える歯を診察する際に、必ず反対の対角線上の歯の噛み合わせをチェックします。

これ、常識。

下顎のわずかな運動軌跡の変化がなぜ重大な歪みを引き起こすかというと、上に重たい脳を入れた頭があるからなのね。

わかりますよね?

重たいものの下にあるものが、その位置を変えただけでも全体のバランスが崩れるのは当然ですし、ましてやそこに運動エネルギーが加われば尚更です。

これが噛み合わせと身体の健康との深い関連性についての明快な説明。

 

体幹を構成している関節ってみなしっかりしてるんです。

ところが、顎の関節だけは非常にデリケートでありまして、すぐにおかしくなる。

だってね、身体中どこの関節を見ても顎関節ほど大きく複雑な動きをするところってないわけ。

おまけに関節というのは原則としてきちんと長軸方向に圧迫されています。

頸椎とか脊椎とかそうでしょ。

牽引されるような力がかかるのって他にないんじゃないかしら。

顎関節というのは小さく動いている時は回転運動、大きく動くときはそこに滑走運動が加わります。

これも他には見当たりません。

関節が滑るわけですからね。

肩甲骨は大きく滑走しますが回転は少ないでしょう。

 

自然体でいる時、身体の各関節は適度な圧で接しています。

ところが顎関節の場合、カチッと噛むことにより受け口である頭蓋骨の関節窩と呼ばれる所に圧接されるのです。

噛み合わせのバランスがとれていないと納まりが悪いのです。

ということはその影響で頭蓋骨の変形や血行不良なども起こし得るということ。

身体の司令塔である脳が正常に作動しなければ、身体のどこにどんな異常が起こるかわかりません。

 

以上のことから、いかに被せ物も含めた歯の噛み合わせのバランスが大切かお分かりいただけましたでしょうか?

擦り減り方が違うようになれば、部分的に高い所ができるわけで、身体にとって大変よろしくないわけです。

歯科治療上、完ぺきに理想的な材料というのは存在しませんが、日進月歩で改良されてはいます。

先の理由により、色んな種類の材料が口の中で混在しているというのは避けるべきでしょう。

特に上下の噛み合う歯同士は、セラミックとセラミック、金属と金属というふうに同じでなければなりません。

 

さて、いよいよインプラントの抱える最大の問題点です。

インプラントの一般的な問題点としては以下のようなものがあります。

①基本的には生体にとって異物であるものを半永久的に顎の骨に埋め込むことの生物学的な妥当性

②本来、顎骨と口の中は遮断されているものなのに、インプラントがそこを貫通していることの生物学的妥当性

③天然の歯とその周囲組織にあるような自然治癒力が欠如していること

④天然の歯根周囲にある歯根膜と呼ばれる靭帯がないために、噛む力に対する緩衝作用が効かない

⑤電磁波を集める可能性があり、それにより体調不良を起こすかもしれない

 

そして僕はここに6番目の、今後最も大きな問題となるかもしれない点について説明します。

インプラントにセラミックの被せ物をつけた場合、よく割れたり欠けたりします。

これはもう、どの歯科医も本当に悩みの種というくらい起こります。

その理由は、上に書いたように天然の歯根に備わっている靭帯が存在せず、インプラントが直接骨と結合しているためで、クッションが効かないのです。

コンクリートの上に陶器のお皿を置いて、上から木づちで叩いたら確実に割れます。

でも、クッションのきいたマットの上ならどうでしょう?

ということです。

インプラントに人工の靭帯を持たせることは今のところ成功しておりませんので、歯科界の流れとしてはセラミックの強度を上げるようになってきました。

特にジルコニアと呼ばれるものは、ちょっとやそっとじゃ壊れません。

骨と直接くっついていて、噛んだ時に一切緩衝作用が起こらないインプラントに、これまた非常に強固な被せ物を入れたとしたらどうなると思います?

他の歯や被せ物はそれぞれ今後何十年にわたって徐々に擦り減っていくわけです。

その中で一カ所絶対に減らない歯がある。

こんなものそこを支点として下顎の位置がずれていくに決まっています。

ここなんですよ、問題は。

要するに身体の歪みとなって現れてくる可能性があり、患者さんはよく噛めると言って喜んでいるため、歯科医はそこに気づかない可能性があるということです。

 

ではゴールドだとどうか?

よく奥歯にはゴールドが一番生体に優しい擦り減り方をすると主張する歯科医がいるのですが、ケースバイケースであり、患者さんによっては柔らかすぎて擦り減り方が大きな弊害を生むこともあります。

保険診療で使用される金銀パラジウム合金などは、そのアレルギー誘発性、耐腐食性の低さ、合金として口に使うには少々硬すぎる等の点から正直言って論外です。

でも、それしか認められていないので仕方がないのが現状。

これは今という社会情勢での話で、国民皆保険が実施された何十年も前であれば上のことは贅沢で厳しすぎる意見だということはお断りしておきます。

 

ところで、”ならまちワンネス歯科”はインプラントにも精密義歯にも力を入れております。

結局、インプラントも含めて噛み合わせを一生にわたり安定させるにはどうしたら良いのでしょうか?

長かったこのテーマも次回が最終。

すべてを総括します。

何度も申し上げますが、ここに書いているような内容が学会において真摯に論じられることはありません。

2012.9.8

義歯の噛み合わせ ~歯科医療の可能性~

今朝、探していた僕の赤い靴下の片方が見つかりました。

僕の部屋にある座蒲(ざふ、座禅用の座蒲団)の下に隠れていたそうです。

噛み合わせの話は続くのですが、嫁さんにくどいと言われたので、原稿は出来上がっていたにもかかわらずアップするのを控えてました。

 

かつて僕は特殊なマウスピースで身体の不定愁訴を治そうとしていたことがありました。

いろんな経緯があり、そのうちそういう治療はやらなくなりました。

咬合のことを常に念頭に置きながらも、淡々と普通の歯科医であろうと考えました。

「噛み合わせの治療をして頭痛とか肩こりとかを治しましょう」 みたいな歯科医は嫌だと思ったのです。

そこを目標にはしないけれど、治療の結果としてそういうものが緩解すれば良いな、くらいのことです。

そして今、ふたたび噛み合わせのバランスをとることによって身体の健康に寄与しようと考えるようになりました。

それには理由があります。

 

大阪歯科センターにMTコネクターの見学に行き始めてもう2年近くになります。

MTコネクターとは非常によく考えられた精密義歯ですが、それを入れたからといって良く噛めるわけでも身体が健康になるわけでもありません。

そのためには、それを活かすだけの歯科医師による噛み合わせの調整が必須なのです。

そうでなければMTコネクターはその性能を十分に発揮しないでしょう。

単にバネのない入れ歯というだけに堕してしまいます。

だからこそ僕は歯科センターの宮野氏にくっついて、氏の調整法やその他諸々を見学(時に実際に調整させてもらえることもある)するのです。

僕は最近ようやくその調整法を体得してきましたが、そうしますと臨床的にもそれに伴った結果が出てきます。

 

ここで少し歯科界における義歯の講習会の話をしておきましょう。

大学で勉強するだけでは当然役に立ちませんから、卒後さまざまなセミナーを受講することになります。

僕もずいぶん受けましたし、11月から新たに松本勝利先生の6か月間コースというのを受けます。

それほどに義歯は奥が深いし、おもしろい。

総義歯というのは歯が一本も残っていないわけですから、歯科医が患者さんの噛み合わせをすべて決めることになります。

それが間違っていれば即、義歯が安定しない、粘膜が痛んだり傷を作ったり、うまく噛めないなどという症状として返ってきます。

患者さん固有の噛み合わせの決め方というのはどのセミナーでも教えてくれます。

その内容は千差万別ありますが、とりあえず教えてくれることは教えてくれるのです。

 

と・こ・ろ・が

僕の知る限りにおいて、細かな噛み合わせの調整の仕方を教えてくれるセミナーは存在しません。

義歯を装着して次の来院の時に、患者さんが色々と不具合を訴える。

その訴えを聞いて(ほとんどの原因は噛み合わせにあるので)、どのような噛み合わせの不調和が考えられるのかすぐ頭に浮かぶ歯科医は少ないと思います。

偉そうに言ってますが、僕も歯科センターで勉強するまでは、そんなにひどくはないけど、わかりませんでした。

 

例えば、右目の奥が痛いとか、最近動悸がするとか、自分の声がこもって聞こえるとか言われた時に、入れ歯の噛み合わせの不具合を疑う歯科医は少ないです。

ましてや実際にどの部位の噛み合わせの不調和がそれを引き起こしているのか診断して調整するなんて出来るわけがありません。

 

義歯を入れて半年後に定期検診に来られた(総義歯であっても定期検診は必要です)

患者さんは良く噛めて満足そうである。

しかし噛み合わせをチェックすると、どうも偏って摩耗しているところが見られる。

「最近、首の後ろの右側が痛くないですか?」

「え、どうしてわかるんですか?それって入れ歯と関係あるんですか?」

という具合なのですが、定期検診の時に義歯のどこを見て、どのように調整するべきなのか、あるいはしなくても良いのかということを教えてくれるセミナーは日本全国探してもどこにもないと言って良いと思います。

 

入れ歯名人と呼ばれる歯科医でも、入れ歯が安定して、痛くなく、よく噛めて、審美的にも問題ないというレベルの仕事をしているのであり、身体との関連性で見ている人は非常に少ない。

関係していることはわかっていても、具体的なアイデアがない。

それが宮野氏の頭にはあるのです。

だっから飽きもせずに行くのね、僕。

氏が20年、30年かかって会得したものを、1,2回話を聞いたり見学をしただけでわかるわけがありませんもの。

 

その患者さんの骨格と筋肉を考えて噛み合わせを決め、その噛み合わせが実際の動作の中でうまく機能するように調整する。

それが上手く出来ていればいるほど、その後患者さんの身体は変化していきます。

歪みがとれてくるわけです。

身体の歪みが取れて元に戻ろうとしているのに、噛み合わせは最初に決めた状態のままではうまくいきません。

変化した身体に合わせて調整してあげる必要があります。

すると身体はもひとつ歪みが取れて健康になっていきます。

もちろん、ある日庭仕事を一日やったら一時的に身体は歪みます。

しばらくして身体がそのまま戻ればいいんだけど、そうでない場合は噛み合わせを調整してあげます。

実際に自分の治療により、患者さんがどんどん健康になっていくのを見ていると、嬉しいというよりは噛み合わせと身体の健康の深い関連性について、益々真摯に考えなければいけないと思うようになります。

 

一般の人にはそのような認識はほとんどないでしょう。

それはそういう情報に接してこなかったということもありますが、歯医者に行って健康になったという経験がないというのも大きい気がします。

これについては前回も述べた通り。

僕もこと保険治療に関してはまったくもって偉そうに言えません。

なので最近は極力歯を削らない、余計な治療をしないようにして、クリーニングを主にするようになってきました。

あとはペチャクチャしゃべるとかね(笑)

でもね、多くの病気の原因が誤った生活習慣にあるのであれば、そこを見つけて指導するというのは当然だし、治療そのものよりも大切かも知れません。

 

これからの高齢化社会で重要なのは、”健康で長生きする”ということです。

ピンピンコロリ、昨日まで元気やったのに今日老衰で死んじゃった、みたいにいきたいものです。

少なくない老人が合っていない義歯のせいで、体のバランスが保てずによくこけ(転び)ます。

骨折して寝たきりになり、食べられなくなってボケて死んでいく。

これが現状ではないでしょうか?

義歯がきちんとしていれば、こけない(にくい)のよ。

今、通院中の患者さんでこけて骨折して入院してる間に噛み合わせがメチャクチャになってしまった人がいます。

その方にきちんと義歯を入れて調整していくと、知らない間についていた杖がなくなってる。

先日も御主人とあちこち歩き回ったそうでして、先ほど来院された時に立ち姿や歩き方を見たら、噛み合わせ治療が必要だった人だとは到底思えない。

そのくらい普通の状態に戻っています。

で、今日はその患者さんに何を指導したかというと、足と靴と歩行の関係について。

そして当院の近く(元興寺そば)にある靴職人さんの所へ行って良い靴を一足つくってもらったら?ということでした。

 

もう一人、比較的若い女性で杖をついていた方がいらっしゃいました。

2年前に治療して(噛み合わせ治療ではない)、その時に色々お話をしたのですが(ヒーリングはしたかどうか忘れました)、僕は最後にこう言ったのです。

「〇〇さん、僕にはね、5年後にあなたが杖をついている姿は見えない。絶対に大丈夫です」

「そうでしょうか・・・・」

でね、最近お越しになった時に見たら、普通に歩いてはるわけです。

これは僕の治療とはまったく無関係なんですが、こういうこともあったという話。

 

咬合治療を謳っている歯科医がよく言うことなんですが、その場で患者さんが何年もついていた杖が不要になり元気に歩いて帰られましたとか、車椅子の人が立って歩き出した、みたいな体験談ね。

ヒーリングをしてもそういうことがあるかもしれない。

でも、これはかえって危ないんです。

だって、身体の筋肉や関節は杖をついて歩くことに何年も慣れているわけです。

その場は感動的でいいかもしれないけど、あとでエライことになる可能性大。

身体の変化というものは、例え健康方向に向いていたとしても、急激であってはならないと思うのです。

 

長年の腰痛についにたまりかねて手術に踏み切った患者さん。

痛みは無くなったけれどまだ急な動きが出来ないなどの機能不全があります。

この方、左下の奥歯二本が抜けていて義歯を作ったけど入れていない。

こんなもの整形外科医にまともな歯科の知識があれば、まず最初にその部分の歯科治療です。

インプラントでもよく合った義歯でも構わないので、それが最初に来るべきで、そうすれば手術しなくて済んだ可能性だってある。

これが現状であり、非常に嘆かわしいことです。

 

まだまだ続くよ、噛み合わせと健康の話。

こういったことを中庸なスタンスで話す歯科医は少ないです。

皆、自分の持論を振りかざします。

ここ数日のブログを読んだだけで、皆さんはその辺の歯科医よりよほど身体についての理解を深めることになるでしょう。

2012.9.5

噛み合わせと全身の健康 ~歯医者にはかからない方が身のため!?~

まあ、何ということを言うのでしょう(笑)

歯科医療の目的は「口の健康を通した心も含めた全身の健康および幸せに寄与すること」でした。

この”口の健康”というのは、もちろん虫歯や歯周病がなく噛み合わせも良好な状態ということで、それはすなわち感染や炎症がなく、機能もきちんとしていることを意味しますが、突き詰めていくとどうなるかというのが最近ようやくわかりました。

それは健康のための必要条件と言っても良いかもしれませんが

歯が全体のバランスが取れた状態で咬耗する(すり減る)こと

なのです。

ここで言う”歯”というのは入れ歯や被せ物すべて含みます。

そして通常はバランス良くは擦り減らないのですよ。

これが大きな問題なのです。

う~ん、こんなのブログに書く内容じゃないね。

本来ならサイドメニューに載せるべきものでしょうが、そっちだと体裁整えるのがちょっとだけ面倒くさいんですわ。

 

身体の関節が年齢とともに擦り減るように歯も当然擦り減ります。

あなたが生まれてから今日までずっと右足でケンケンしながら過ごしてきたとしましょう。

左足は一切使わなかったわけです。

すると右足は関節の摩耗の分だけ短くなりますから、ある日両足で歩こうとしても上手くいきません。

左足が長く、右足が短いわけですから、骨盤より上の関節がすべて少しずつ歪まないと真っ直ぐ立つことも難しいでしょう。

非常に単純化したモデルでお話ししたので、実際の生体で起こることとは違うのですが、あくまでもわかりやすくするための話だと考えてください。

 

この話を口に置きかえてみると、どちらか片方でしか噛まないと身体が歪みます。

この状態を長年続けてきて、ある日両方でバランス良く噛もうとすると、当然身体がもっとおかしくなります。

子どもはともかくとして、成人になってから「両方の歯でバランス良く噛んでください」というと往々にして顎の関節に症状が出てしまう理由です。

左右差だけではなく、一本一本の歯で見ていくと、やはりそこにも摩耗度の差があります。

それはその時の体調により下顎の位置自体が始終変化するのと、咀嚼時の下顎の動きの軌跡も変わるからです。

噛み合わせなど瞬間瞬間で変わるのであり、個人特有の噛み合わせが永続するなどということはありません。

 

そしてこれが本題なのですが、歯に被せ物や詰め物をしているなら、その材質の差も大きく影響するのです。

歯のエナメル質の硬さ

金属の硬さ

樹脂(レジン)の硬さ

セラミックの硬さ

それぞれ違う物性をもちます。

また、金属でも樹脂でもセラミックでも、それらの中でも様々な種類があり、そこにおいても差があります。

それらが口の中で好き勝手に減ってくれるわけです。

減るばかりかと思えば、口の中の唾液で膨張する場合だってあります。

とにかく口の中というのは噛むという機械的な刺激だけではなく、温度変化、水分変化、化学変化、さまざまな変化にさらされますから何を使おうが、経年劣化は避けられません。

こうやって口の中では、さまざまな摩耗度の差により、噛み合わせの高い所と低い所が出てきます。

それにより虫歯や歯周病の間接的原因となりますが、口の中が壊れなければ、それは身体の歪みを惹起するのです。

噛み合わせというのは普通に上下の歯をカチカチ合わせるだけのことではなく、咀嚼などの動きの中でのことも含みます。

 

 

現在通っている模型分析のセミナー。

そこで学んだことは、セファロと呼ばれる主に矯正の診断の際に撮影するレントゲンを用いて、あるいはよく顔貌を観察したり計測したり、規格化された模型を作製しよく読みこんでいく等により、その患者さんの骨格、筋肉、身体の使い方の癖、その他諸々のことを勘案し、補綴物(詰め物、被せ物、入れ歯などのこと)を身体に調和させることの重要性です。

たとえ小さな詰め物ひとつといえど、本来はそこまでするべきなのでしょう。

実際問題は、全顎的な治療を望まれて開始する場合を除いて、そこまでする歯科医はいないと思います。

たった一カ所に小さな詰め物をするのに自費の治療で1本1万円で済んでいた治療費が10倍以上に跳ね上がり、診断にかかる時間も数時間を要します。

これはいくらなんでも現実的ではありません。

 

必要性と現実性が乖離している。

というのが歯科の現実だと思います。

噛み合わせと全身の健康は密接に関係しています。

噛み合わせ治療で、ちょっと関連性が考えづらいような身体の不調が治ることもあります。

以前にも述べましたが、国民皆保険のお蔭で国民の口の健康度は確実にあがりました。

それゆえ平均寿命も延びたと僕は考えます。

お年寄りで要介護の人に、もっと良く噛めるようにしてあげて(多くは入れ歯の不調が原因)、殺菌水などで口の中を清潔にしてあげたら、平均寿命は確実にあと10年は延びるでしょう。

しかし一方で、安易な歯科治療の介入が、身体の不調を生んでいる可能性も否定できない。

たくさん治療してもらえばもらうほど、口の中の噛み合わせのバランスが崩れて、その結果身体の歪みを生み、さまざまな病気の原因になっているのではないか。

ここでは材料の摩耗度だけに注目しましたが、アレルギー性とか環境ホルモンとか波動とかも考えたらどうでしょう?

こう考えてくると、表題はあながち誇張しすぎとも言えないのです。

そしてインプラントの抱える本当の問題は、ここにあるのです。

長くなったので続きは明日。

2012.9.4

Keep Fair ~フェアにいこうよ~

僕は「咬合(噛み合わせ)に関して造詣が深い」と言っても、おそらく同業者からそう文句は出ないと思います。

で、そんな僕が最近、もっともっと咬合について勉強し、理解を深めようとしています。

その中で思うことがあります。

昨日の白水貿易主催の「デンタルセレブレーションin大阪」

主軸のスプラインインプラントというのはHA(ハイドロキシアパタイト)コーティングされたもので、これは海外では思いっきり否定されています。

過去に苦い失敗をした時にそこを触らないというのは世の常で、学会でもHAインプラントの良好な成績を発表しても海外演者は目もくれません。

しかし、このインプラントは適切に使用されたなら素晴らしい優位性があることも事実なのです。

 

僕は大学以来、一般的なチタンインプラントのひとつであるストローマン(ITI)インプラントというのを用いてきました。

最近Bone Level(ボーンレベル)という新製品が出て、それはそれで良いのだけれど、システムが複雑になったのと、外資が日本の販売店を乗っ取ったみたいな営業態度が嫌で、スプラインインプラントも使ってみようかとなったのです。

 

少し説明しておきますと、チタンインプラントは骨と結合すると言っても100%くっつくわけじゃありません。

それに関しては色々なデータがありますが、僕の臨床的感覚では骨とくっついているのはインプラント全面積の半分以下です。

ただくっついている部分の結合が強いので錯覚するだけです。

チタンインプラントの骨結合はosseo-integrationと呼ばれますが、HAインプラントの結合様式はbio-integrationと呼ばれ、より緻密な骨結合があるとされています。

そもそもハイドロキシアパタイトというのは生体内に存在するものですから当然と言えば当然です。

 

昨日の講演会で何人かの演者の話を聞いて、非常に印象に残ったことがあります。

一流と言われる歯科医ほど重症の歯を救える術に長けているわけですが、その人たちが自身の講演の中で共通して言われたのは次のようなことです。

 

高齢化社会の現在、70歳を超えて初診で来られインプラント治療をする。

その際に普通なら何とか治療して残せるような歯をどうするか?

どうするか、というのはその患者さんが治療を終え、定期検診をしていく中で80歳や90歳になっていった時に、無理して残した歯が果たしてどうなるのか?

おそらく抜歯をせざるを得ない時が来るでしょう。

仮に上の前歯3本を残して他が全部インプラントであったとしましょう。

その患者さんが年をとって通院が無理な状態になった時に、その3本がもうダメだとなった。

ではその3本を抜いて、あとどうするの? ということです。

来院してもらってインプラントの手術など到底無理。

では他が全部インプラントなのに、そこだけ入れ歯にするの?

じゃあ何のためのインプラントだったの?ってなるわけです。

それであれば、最初からその歯を無理して残さずにインプラントにしておいた方が結局は患者さんのためではないか、という話。

 

これはインプラント治療をしている歯科医として非常によくわかるのですが、違和感があるのも確か。

だって助かる歯を将来を見越して抜くというのですから。

正解は僕にはわかりません。

ただし、患者さんがインプラント治療を望まれているとはいえ、あと10年20年後のことを考えたらこの歯は抜歯しましょうという説明をするのであれば、よくフィットした入れ歯という提案がどうしてなされないのか? という疑問が残ります。

入れ歯であれば抜歯になってもその部分の歯を元の入れ歯に追加すればよいわけですから、何の問題もありません。

僕なら無理してインプラントにせず、MTコネクターで治療するな、という症例発表がいくつもありました。

もちろんね、東京の青山で開業していて、お金はあるので最高の歯科治療をと望まれた場合に、入れ歯という提案はしづらいというのはあるんだけどね。

以上が前置き。

 

インプラントはいくら骨とくっつくと言っても生体にとって異物には変わりありません。

中にはインプラントをしたがために体調がおかしくなる方もいるようです(当院では経験ありませんが)

よく言われるのはインプラントがアンテナの役割をして電磁波を呼び寄せてしまうことによるというものです。

僕の見解は、そういうこともあるかもしれない、しかし、そうであるならば厳密に言うと歯科治療で口の中に金属を入れること自体がダメになるわけだし、整形外科の世界では骨折の治療後にスクリューやピンを取らずに残しておくことだって出来ないわけです。

ただしそれに関して否定はしません。

僕が今強く思うのは、歯科医も医師も、もう少しあらゆることをフェアに見るということをしないといけない、ということです。

民間療法を頭から否定してみたり、インプラントは絶対ダメと言ってみたり。

かたよっています。

 

これはうちの医局の現教授が声高らかに言ってることなんですが、いわゆる顎関節症というものがあります。

日本での顎関節症に関する歴史というのは中々に複雑でして、学術的な根拠のない怪しげな治療法がもてはやされたりもしたことがあります。

テンプレートと言われるものはその典型でして、いまだにやっている人がいるのは非常に残念なことです。

細かい説明は抜きますが、あんなもの素人が考えたって自殺幇助装置でしかありません。

で、現在ではその反動として、顎関節症というのは自然治癒することも多いので、歯を削るとか被せ物をやり変えるなどの不可逆的な(元に戻すことが出来ないという意)咬合治療は絶対に控えるべきであるという見解が一般的です。

これには僕も大賛成でして、少なくとも顎関節症という病名がつくのなら当院での第一選択は運動療法と経過観察です。

マウスピースなどはほぼ100%作りません(大学にいた20年前は顎関節治療と称して100%マウスピースを作っていた。当時は医局がそういう方針であった)

ところが、ここからが話がおかしくなってくるのです。

自然治癒することがあるから、顎関節症と咬合(噛み合わせ)は関係ない。

咬合のアンバランスが顎関節症の原因となることはない、と言うのです。

阿呆なアメリカ人の言うことを真に受けてる留学経験のある教授たちの愚言です。

僕のいた講座の現教授などその筆頭なのですが、馬鹿を言うにも程があります。

 

顎関節症というものは顎の開口制限、開口時の雑音、疼痛を主な症状とするものですが、それに限れば放っておいても治るというのは確かでしょう。

しかし、身体の不調というのは原因があって起こるのです。

その原因を明らかにすることなく(多くはストレスと言ってごまかされる。ただしストレスが原因のことも多いのは確か)、顎関節の痛みが消えたとか、口が開くようになったとかで治癒とするのはおかしい。

なぜならその原因が一過性のもので、症状も一過性なら良いのですが、誤った生活習慣なり何か持続している原因があるのなら、顎関節の症状の消失は単に身体の他の部位の不調に変化しただけとも考えられます。

頭痛、肩こり、腰痛、血圧の上昇、その他諸々。

そして、先の理論の信奉者たちは決して身体の他の症状(不定愁訴)を調べようとはしません。

それはそれ、顎関節症状は顎関節だけのこと、と考えるのです。

アホです。

国立大学の教授をしてその程度です。

権威なんてね、僕らに言わしたら「フンッ!」てな感じよ、正直言って。

頭が本当に良くて、腕も立つ人は通常、大学病院というような自由のきかないところにいつまでも身を置きません(例外はあります)

 

まともな歯科医療を実践している歯科医なら、噛み合わせと歯周病(これも学会的には無関係とされている)、噛み合わせと全身症状などは深く関係していることを理解しています。

だって、噛み合わせを治してそれらが快方に向かうことを嫌というほど経験しているし、それ抜きでは非常に治療成績が悪いことも熟知しているから。

で、これは何を示すかというと、大学で咬合を教えている教授たちは、実は一番咬合がわかっていないのだということです。

誰が何と言おうと、目の前で患者さんに起こっていることは認めなければならない。

それをエビデンス(学術的根拠)がないからと頭から否定するのは学者の取るべき態度じゃありません。

しかし、エビデンスがないことを延々やり続けるのもおかしい。

今のところ現象に根拠がついていっていないというだけですから、とりあえず患者さんが良くなればいいんだ、という態度じゃなく根拠を探すことは必要でしょう。

 

インプラントが電磁波を集めて体調がおかしくなる患者さんがいるというのは事実だと思います。

だからといってインプラントを全否定するのも違うと思います。

フェアでいこうよ。

僕の言うことも、国立大学の教授が言うことも、歯科界の臨床的なリーダー達が言うことも、全部素直な態度で聞こうよ。

それが学究の徒の取るべき態度じゃない?

その先にこそ真実があるんじゃないの?

インプラントの本当の問題点は違う点にあるのね、じ・つ・は・・・・

それについては次回。

 

で、昨日セミナーが終わって一人でニコちゃんとこに開店と同時に入って、だらだら喋って酒飲んで肴喰って、奈良行きの最終の”各駅停車”で帰ってきて(一人で居酒屋で5時間も何しとんねん!)、朝嫁さんに言われました。

「あんた、靴下もう片方は?」

ないんです。

昨日履いてた赤い靴下の片割れが、どこを探しても見つからないのね。

う~~~ん・・・・・

なんで?

2012.9.3

生命の根幹

生命の根幹、それは呼吸に他なりません。

この宇宙に始まりがあるとするなら、それは呼吸の開始とともにあったのです。

地球上の生命にとどまらず、宇宙のあらゆる生命体で呼吸をしないものは存在しません。

ここでいう呼吸というのは酸素を吸って二酸化炭素を出す、ことに限りませんよ。

エネルギーの局在(偏在)と安静位へ戻ることをして呼吸と言っております。

 

普段口やかましく言っている、口呼吸の弊害と鼻呼吸の確立。

男性の場合は、ほとんどが口呼吸をしていると言ってもいいでしょう。

喫煙は当然のことながら口呼吸になります。

飲酒をすると鼻腔粘膜が拡張するので、口呼吸に成らざるを得ません。

スポーツをしている人はたいてい口呼吸です。

酸素を多量に必要とするため、鼻呼吸では間に合わないからです。

それと日本の場合、特に団体競技においては声を出せと強く言われますから、口呼吸になるわね、そりゃ。

僕は高校時代、吹奏楽部でしたが、これもよろしくないんですな。

アルトサックスを吹いていましたが、今思うと、これが呼吸にも歯並びにも悪影響を与えました。

 

口呼吸になる最大の原因が早すぎる離乳であることは今まで散々書いてきました。

できれば一歳半から二歳くらいまでは授乳してあげて欲しいものです。

そしてその後は、外国では当然のおしゃぶりを与えてください。

三歳から四歳くらいまでは必要のようです。

でも、そんなことしてたら周囲の人からボロクソに言われるでしょう。

「いったいいつまでそんなもの与えてるの?」って。

それはそっちが間違ってるんだけど。

もし現状の乳幼児保健指導が正しのであれば、今の子どものアトピーやアレルギーの多さは一体全体どういうわけなんだ?

 

そうすると一時的に開咬(上下の前歯が噛み合わない)にはなりますが、永久歯が生える頃にはきちんとした噛み合わせになります。

むしろ鼻呼吸をその時期に確立させないことの弊害の方が計りしれないのですね。

指しゃぶりは少し話が違って、指は中に骨があって硬いですから、おしゃぶりとは全然別のものと考えてください。

 

で、ここからが本日のメインテーマであり、他に誰も言っていないことだと思うのですが、早期の離乳食と同じくらい悪いのが、実は”ストローで水やお茶を飲ませることなんです。

なぜそれがいけないのか?

考えてみてください。

昨日まで乳首を吸っていたわけです。

お乳を飲む時、赤ちゃんは舌で乳首を上顎に思いっきり押しつけて、上下の唇を乳房に当て、舌を前後にしごくようにして飲みます。

その位しないとお乳吸えないのね。

さあ、そんな赤ちゃんに今日からストローを与えました。

乳首を吸うような感じで上顎にストローを舌で押しつけたとしたらどうでしょう?

ストローはひしゃげてしまって、水が吸えませんよね。

ここで赤ちゃんは困ってしまうのです。

そこで、上下の唇は乳房に当てる時のように半開きのまま、舌を唇の隙間を埋めるようにして吸うようになります。

ここに至って、舌を上下の歯の間に挟んだり、あるいは本来上顎に接していないといけない舌先が低位(下顎の方に下がってしまう)をとるようになります。

この時の刷り込みというのは強烈で、その後改善しようとしても一苦労どころじゃない苦労を要します。

 

確かにこの時期、赤ちゃんは一杯食べこぼしますが、少なくとも水だけは普通にコップで与えるか、哺乳瓶で与えるかして欲しいのです。

哺乳瓶を使う場合は、吸い口を少々大きめに穴をあけるのもありかと思います。

 

お母さんは世界一の名医.jpgこれに関しては、西原克成先生の本を大いに参考にしております。

先生は様々な素晴らしい本を出版されていますが、少々難解な話が多いのがアレなんですけど、この本は非常に読みやすくってためになります。

お母さんだけじゃなくって、健康に関心のあるすべての人に呼んでもらいたい本です。

「お母さんは世界一の名医」

でも、これって本当なんだよなぁ。

 

 

本日、大阪は中の島で一日インプラントの大きなセミナーを受講してきます。

インプラントについては最近、色々と思うところがあり、それについてはまた近々書きたいと思います。

2012.9.2

Sleeping Beauty ~昼寝のススメ~

今朝起きて、ビルのエントランスを開けると爽やかな風が舞い込んできた。

もう今日から9月。

一昨日の奈良はすごく湿度が高くて不快だったが、昨日あたりから暑いけれどカラッとしているので全然楽。

シャスタに行く途中に立ち寄った、サンタモニカやサンディエゴを思い出す。

なんとも心地の良い気候であった。

日々の変化は非常に微妙でわからないけれど、それでも一年生きていると春夏秋冬を経験するのだ、日本という国は。

 

僕は毎日たとえ5分でも良いから昼寝をします。

ある高校では生徒に15分ほど昼寝をさせる、というのをテレビで見たことがあります。

その方が午後からの授業に集中できるそうです。

 

ところが、ここにひとつ勘違いがあります。

昼寝というのは何も頭(脳)を休めるというだけではありません。

むしろそれは二次的な問題で、本当の意義は”横になる”ということにあるのです。

ですので、セミナー等でお昼休憩が1時間あろうとも横になって寝ることなど出来ませんから、昼からものすごく眠たくなることがあります。

これは僕の問題ではなく、そもそも人間というのはそのように出来ているのですね。

 

”横になる”というのは、重力から解放されるということを意味します。

そもそも四つ足から二足歩行になった人間はそのお蔭で文明を発達させてきたものの、身体という観点からすれば致命的な弱点を持つようになったのです。

今、人間に起こる病気のほとんどが二足歩行の結果、生じたものと言っても過言ではありません。

二足歩行ロボットの開発に何十年もかかったように、そもそも構造力学的に無理があるのです。

 

血圧の問題もこれ故に生じます。

最も大切な器官である脳は心臓より上にある。

そこに向けて血流を絶やさないようにしないといけないわけです。

また身長に対して、足の裏から心臓へ血液を返す距離を考えてみてください。

ここにも無理があります。

あ、ちなみに動物の中で一番血圧の高いものと、一番低いものってなんだか知ってますか?(前にも言うたかな?)

ヒントは今僕が書いたことをよく考えてもらえればわかります。

答えは最後に。

 

スポーツ選手はたいてい故障するから、スポーツが健康に良いというのは?(はてな)じゃないの、とよく言います。

で、立ち仕事の人を見てください。

料理人さん然り、キャビンアテンダントさん然り。

たいてい身体に不調があります。

まず下半身が冷えます。

そして心臓に問題起こしやすいです。

立ちっぱなしというのは人間にとって無理な状態なのですね。

よく大人が子どもを自分たちと同じようにあちこちに引っ張り回したら、その晩、熱出したなんてことを経験しませんか?

子どもには特に”骨休め”が必要なのです。

 

そうしないと、造血(血液の一部は骨髄で作られると言われている)に障害を起こして、ひいては免疫力の低下につながるのです。

だから、小学生が学校から帰ってきて、菓子パン食べさせて、夜9時位までクラブ活動なんてさすんじゃねえっつうの。

これは中学生でも高校生でも同じこと。

親”バカ”とは本当はこういうことを言います。

 

(問いの答え)

血圧の最も高い動物・・・・キリン (あの長い首の先にある脳味噌に血液送らないといけませんからね)

血圧の最も低い動物・・・・コウモリ (天地逆ですもの)

2012.9.1

海賊とよばれた男~明治男の気概~

海賊とよばれた男.jpg先日もご紹介した百田尚樹氏の新刊です。

この作家は名作と駄作を交互に書く癖があるようで困ったもんですが、本書は「永遠の0」と並ぶ素晴らしい本であると言えます。

書の中では国岡商店の店主、国岡鐡造が主人公となっておりますが、物語はノンフィクションであり、国岡商店とは出光興産のことで鐡造はその創業者である出光佐三氏であります。

細かい説明は省略しますが、戦後GHQの統制下にある中で、間違っているものはGHQにまで乗りこんで文句を言い、外資に事実上乗っ取られている形の他の石油会社からは徹底的な排斥行為を受ける中、同商店は全従業員が一丸となってセブンシスターズ(石油メジャー)を敵に回し真っ向勝負します。

店主は戦時中も自分の財産を投げ打って徴兵された社員の家族に給料を送り続け、戦後何も残っていない状態でも誰ひとり馘首することがありませんでした。

超男前であっぱれの一言に尽きます。

 

それに比べて、時代は違うとはいえ今話題になっている会社はどうでしょう?

時代は違うと言っても、むしろ戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた会社の方がすごいよね。

僕は件の会社の歯科診療室に大学の医局に在籍中、出張に行っていた関係で、毎月そこから給料を頂いておりましたので心中複雑なのですが、そもそも企業の存在意義、企業の成長とは何ぞや?と考えざるを得ないのです。

僕は”いかに多くの人々の役に立つか” それしかないと思っています。

そして国岡鐡造の経営理念もまさにそこにあったのです。

彼はのちにこのような質問を受けます。

「中には全然ダメな社員もいると思うが、それでも馘首しないのか?」

「確かにその通りだが、社員はすべてわたしの家族である。出来の悪い家族がいたからといって、そのものを切り捨てたりはしないだろう?」

 

そういえば、うちのスタッフの間で人間関係の問題が起こった時に、僕も彼女たちに話し合いの場で同じことを言いました。

いろんな場面で共感するというか、僕と出光佐三氏を同列に見るのは失礼ですが、自分と同じものを感じるのです。

明治を生きた人というのは、(皆が皆、そうではないでしょうが)なにか一本筋が通っている気がします。

情報が溢れ、多様性が認められる今、そのような生き方について学ぶのもあながち無駄ではないのではないでしょうか?

強くお勧めします。

 

失敗から学ぶ.jpgついでに紹介と言っては何ですが、実は大阪本町の紀伊国屋書店で百田氏のハードカバー上下を買った時に、あれ?と手に取ってみたのが船井勝仁氏の新刊「失敗から学ぶ」でした。

偉大なオヤジを持った息子は往々にして苦しみます。

自分自身を、そして自分の往く道を探します。

勝仁氏は僕より少し年下ですが、彼の現在の地位を考えた時に、このように正直に自分のことを書くのはなかなか出来ることではないと思います。

その人当たりの柔らかさとは裏腹に、彼の男気を感じる次第です。

ただし、僕はこの本を購入はしませんでした。

単に社会的地位のある人の著作を買うのが癪にさわるからという理由です(笑)

 

先ほど広島から家族が帰ってきました。

一人だと、何をしていても楽しくありませんなぁ。

僕は一人で飲みに行ったりすることが多いですが、それは家に家族がいるからであって、それがなければ外に出るのも億劫になります。

嫁さんがおらんから遊びに行ける、とかいう性質の男じゃございませんです。

2012.8.31

停滞!?

まあ、時ここに至ってはそうそう書くようなメッセージとてありません。

 

これまでの生きる目的は、あらゆることを体験的に知ることでした。

多くの場合それらはネガティブなもの、あるいはネガティブとセットのもの(不幸な出来事の後に幸せを感じるとか)でした。

それらはもういい加減やり尽くしたので、そろそろ方向転換しようよ、でしたね。

これからの生きる目的は、本当に体験したいポジティブなことを自ら創造していくというものです。

で、いざそう言われましても、今までの癖が身体中に染みついてるというか、そんなもんアダムとイブが善悪の判別の実を食べてから延々続いてきたことですから、おいそれとはいかないというのもまた事実でございます。

僕のメッセージの停滞もそういったところ、自分自身の足踏みのせいもあるのかもしれません。

そう言われてすぐに体験したいことを創造できるんやったら、誰も苦労せえへんっちゅう話です。

その創造にはどうやら明確な意思の他に、やっぱりというか地道な努力が必要みたいです。

あ~あ、そんなことやろと思たわ(笑)

 

アメリカとソ連の話で少し補足しておきますが、どちらも基本的に連邦制でありながら、そして双方とも多種の民族が混じっているのにもかかわらず、どうして片方は頓挫し、もう片方は世界のトップに君臨するようになったのでしょう?

これは資本主義と共産主義だけの違いでしょうか?

もちろんそれは大きいとは思いますが、僕が考えるに一番の原因は各州(地区)の政治的な独立性があったか否かではないだろうか。

そのことって、今まで僕が事あるごとに言ってた何かに似てませんか?

 

話は変わりますが・・・・

たとえば3.11はアメリカが地震発生装置を使って仕組んだものだとか、

9.11は中東のパイプライン建設に関する権利をフランスと争うための自作自演だったとか、

イラクに無差別攻撃兵器など最初から存在しなかったとか、

捕えられ殺されたフセインはそっくりさん(影武者)で本物ではないとか(←これは僕はそうだと思っている。なぜなら公開された写真、いやしくも一国の独裁者だった人間が、アラーの神の元にあのような不様な姿を見せるだろうか)、

そのほとんどが実際には起こっていない振り込め詐欺を報道することにより、銀行は顧客サービスをどんどん低下させ、最終的には個人が自由にお金を動かすことが出来ないようにしている(生体認証の全導入に次ぎ国民総番号制と究極はICチップの埋め込み)とか ←これは絶対にそうだと僕は信じている

 

いろんな話がもっともらしく語られますが、そして僕も確信を持っている話もあるにはあるのですが、そんなことあなたねぇ、金輪際当事者の口から「いやぁ、実はそうなんですよ」なんてなるわけがない。

アメリカが、「東北の震災も9・11同時テロもうちらがやってん」てなことを、例え一億個証拠をつきつけたところで言うわけがないのです。

永久に真実が明かされることがないのであれば、あれこれ詮索しても始まらんでしょう。

ベンジャミン・フルフォードみたいに、そんなことばかり言うてたってしようがおまへんさかい、もうフリーメーソンだとかイルミナティだとかロスチャイルドだとかいうような話はやめなはれ。

 

中丸薫(敬称略)という笑わしてくれるメッセンジャーもどき(雑にできた偽物)は、船井幸雄氏や斉藤一人(敬称略)なみに次々と本を出してくるのですが、もう2014年がどうのこうの言ってます。

2013年(アセンションの翌年ということ)について書かれた本はそれなりにあるのですが、その先を行ってるつもりなわけね。

彼女もベンジャミン・フルフォードと同様に社会の裏側の話大好き人間です。

でもね、未来について書くのはおかしい。

どのような未来を築こうとも、それは個人の自由であるはずと思うから。

だから僕はメッセージは出すけれど、一緒にワンネスの為に活動しましょうなどとは絶対にやりません。

 

ついでに毒づいとくと「マシューブック」というのがあります。

若くして亡くなったマシュー君という息子が天国から伝えてくるメッセージを、母親がチャネリングして本にしているというもので、この本はもっともらしいことを書いているようですが、読んでいて気分が悪くなります。

世間の裏側にも大きくフォーカスするからです。

僕はこういったものは、一様によくできた偽物と断定します。

自分の感覚、感情がそう言うので、僕の中では偽物でOKなんですね。

 

さて、3回目の出張お話会の要請を頂きました。

今度は新潟であります。

11月24,25と何とあの”にんげんクラブ”の新潟支部の方が呼んでくださいました。

当然それは船井勝仁会長の知るところとなっております。

ご存知ない方のために説明しておきますと、”にんげんクラブ”とは日本で最大手の経営コンサルタント会社である船井総研の創始者、船井幸雄氏が作った「人類の為に何が出来るか」ということを目的とした組織であります。

その趣旨に賛同し、共に活動するなら誰でも入れるはずです。

僕は直接の関係はありません。

 

昨年暮れ、僕が東京で加治将一氏の講演を聞いた折に、船井勝仁会長の話も前説みたいな感じでありました。

もひとつ言っておきますと、これはにんげんクラブ関係の人じゃないとご存知ないと思いますが、小滝流水(大下伸悦)氏ともずいぶん前に大阪で名刺交換したことがあるんですね、これが(向こうは絶対に覚えていない)

個人セッションもやります。

 

いわゆるアセンションデイと言われていた日(現在ではコールマン博士の去年であったという説をとる人が多い)の1カ月前ですから、いったいどういった話になるのか今からはとても想像つきません。

6月の仙台でのテーマは”ワンネスの体感””ハートの奥にある光に気づき、それとの絆を深める”でした。

確かに想像がつくのは、夜の新潟の街で日本酒を飲んでエエ気分になっているカッパの姿であります(笑)

もし、そちら方面で参加ご希望の方がいらっしゃいましたら、下のメールフォームよりお申し込みください。

交通費、宿泊代だけでこんなことするのは、言っときますが今年限りですよ~。

来年からはタップリお金もらうよ~(笑)・・・・ていうか、きっと皆さんはそんなものを必要としなくなっていることでしょう。

2012.8.28

雑感

24時間テレビっていうのは、いったいいつまで続くんだろう?

特にマラソンはもう意味なくね?

見たりはしないけど、いい加減うんざりします。

日本各地のローカル局に時々映像がとびますが、聞いた話ではその時に放映地に選ばれる商店街は、局に対してかなりのお金を払っているそうです。

よくグルメ番組でラーメン対決とかやりますが、一番多くのお金を払った店が優勝する(ように審査員に事前に打ち合わせておく)ことも少なくないとか。

 

先日大阪に行った時に紀伊国屋書店で例の週刊朝日MOOK「いい歯科 インプラント治療医を選ぶ」が置いてあったので目を通しました。

前書きによると、インプラントによる事故が多いので、出来るだけ安全に手術を受けることのできる歯科医院を紹介したいとの建前でした。

最初の数ページで紹介されているのは、歯科医なら誰でも知っている日本のインプラント治療のリーダー達です。

それはまあ良しとしましょう。

この本は実は一切広告のページがありません。

実際にはないように”見える”のです。

この手の本は広告なしには成立し得ません。

どういうことでしょうか?

ページをめくっていくと、インプラント治療に関する基礎知識の他に日本全国のたくさんのインプラント治療をしている医院が紹介されています。

その紹介ページのはじめの超ウルトラ端っこの方に ”広告企画” と記されています。

僕はそれを探そうとして見ていたのでそうだとわかりましたが、一般の読者は気づかないことも多いでしょう。

よく、「良い病院、信頼できる歯科医院」なんて雑誌が出ていますが、純粋に紹介されている場合もあれば、そうではなくお金をもらって広告代わりに載せていることも少なくないのです。

 

話変わって、先日のブログで漫画「美味しんぼ」の話を出しましたが、ちょこっと誤りがありました。

モニターの人たちが試食したのはお吸い物であって、それがきちんと出汁をとったものか、化学調味料が入ったものかという話だったのです。

まともな吸い物の方を美味しいと感じたのは、漬物会社の社長と、アメリカ人が”2人”でした。

日本料理の修行に来たジェフ、豆腐料理の研究に来て今は真打ちの落語家となっている快楽亭ブラック。

結局は漬物屋の社長がもう一度ちゃんとした漬物作り(販売)に挑戦するということになります。

 

僕は”プレデター”が結構好きです。

プレデター、プレデター2、エイリアンvsプレデター、そして昨日テレビで放映されてたプレデターズ。

異常に戦闘を好むプレデターですが、彼らにもプライドがあって、相手が素手で戦おうとするならば、彼らも武器を使わずに素手で勝負します。

相手が刀ならプレデターも腕についてるナイフで勝負。

何精神の現れなのか知りませんが、そこにはこだわるみたいです。

ただし、相手が戦う姿勢を見せずに逃げる時には、容赦なくやっつけます。

この映画では時々人間側が強烈なマシンガンを持って登場し、僕はそこが大好きなのです。

第二次世界大戦中に米軍が採用していた”トンプソン”

僕はマルイ製の電動ガンを持っていて、僕がこれを手にする時、気分はサンダース軍曹かプライベートライアンか、てな感じであります。

 

ロンドンオリンピックが終わって、高校野球やプロ野球を眺めていると、まったく桁違いに面白くないと思うのはどうしてでしょう?

ニュースでスポーツの結果を結構な時間を割いてやるのも全くもってバカバカしいと僕は思います。

プロ野球など皆目見なくなりました。

 

今朝、嫁さんも広島に帰って行きました。

昔は、一人になったら大阪に飲みに出たりしていましたが、今はそれすら面倒くさい。

4日間ほど寂しい日が続きます。

2012.8.27

お盆の出来事

一昨日のブログに昨日コメントを頂きまして、色々と感じることがありました。

僕は、いろんなことを深く考えた上でブログを書いておりますのが、文責は当然僕に帰結します。

読者の状況により感じられることは様々でしょうし、時には心ならずも傷つけてしまうこともあるかもしれません。

でも、僕は敢えて世間に問います。

というスタンスです。

「傷つくならば、それは愛ではない」という本があります。

アマゾンでは非常に多くの人に高い評価を得ているようですが、本の内容はともかく、僕はこのタイトルには違和感を感じます。

ぬるいことばかり言っていて世の中変わるんだったら誰も苦労しない、と思うからです。

 

たまに礼節をわきまえられた正直なコメントを頂くと、それで僕のブログがどうなるということはないかもしれませんが、少なくとも忘れることなく心には留めておくのであります。

なぜなら、そのようなコメントはよほどに感情と精神がコントロールされていなければ書けないからで、そういった姿勢を僕は大変に尊重します。

さて・・・・・・

 

お盆休みが始まる前に、「休みの間に全国で水難事故や交通事故で亡くなる人がいるだろうけれど、誰も現時点ではそれが自分に起こるとは思っていない」と書きました。

13日朝から奈良の五條にお墓参りに行きました。

吉野川も前日までの雨で濁っており、微妙に水かさが多いかな?という感じ。

ですので1時間くらいで撤退したのですが、まあひどかったのはバーベキューをした人たちが残して行ったゴミの山。

焼かなかった鳥肉や水鉄砲まで捨ててあります。

言葉も出ません。

気持ち悪くなりました。

 

食事をしてその帰り道のことです。

僕のような人間がブログで何かを書くとどういうことになるかというと、交通事故に巻き込まれる羽目に陥るのです。

僕は国道を車の流れに沿って走っていたのですが、横道から合流しようとしている軽自動車の動きがおかしい。

ちょろちょろ出てきてるのですが、どう考えてもそのままだと僕とぶつかります。

いくらなんでも気づくやろうと思いながら不安だったので減速していきました。

するとその車は結局こちらの道に左折してきて、あり得ないことなのでクラクション鳴らす余裕もなかった。

僕は片道1車線の中央ラインギリギリに車を寄せ、左折で合流しようとしてきた向こうの車もさすがに気がついてハンドルを左に切ります。

「あ~~~~~っ!」

ドシンとなるかと思いきや、両者ともほぼ平行に近い状態になったので、僕の運転席側(一応左ハンドル)のドアと相手の右のウレタンバンパーが擦れた程度で済みました。

凹んだりはしていません。

 

ここからが話がややこしくなるんです。

近くの道端に停め、向こうが車から出てくるのを待ちます。

とりあえずは怪我の有無を確かめ、何もないということで「おたく、わかってますよね?信号無視なの」

と言うと相手の女性は「いや、ちゃんと信号が青になったん確認したんやけど」

え~~~~っ!?

もうこの時点で話になりません。

今考えたら、仮に信号確認したとしても右方向全然見てへんかったんやんかいさ。

それで双方とも保険会社に連絡し、警察に来てもらいました。

 

「おたくが最後にあそこの信号を確認したのはだいたいどの辺?」

「その時前の車との距離はどのくらい?」

「スピードどれくらい出てました?」

警察に非常に細かいことまで聞かれると、なんか僕が信号無視して相手とぶつかったみたいな錯覚に陥ってきます。

だいたいね、前に車がいて普通に流れている場合は、信号なんか視界の中に風景として見ているのであって、赤とか黄色とかだったら風景の中の変化として捉えるわけです。

冤罪で捕まった人が検察の取り調べで、だんだん自分がやった気になるというのがわかる気がしました。

僕の車はすでにあちこち修理していない凹みが多数あり、相手も同様でしたので、お互いに連絡先は交換しましたが結局は何もなしということにしました。

下手なことブログに書いちゃあかんね。

でもね、実は僕の中では事故の瞬間、相手の車がドスンと当たった記憶があるのです。

その一瞬のちに状況が入れ換わった気がします。

そういった時って微妙に時間が拡大するので、そこのタイムラグ、つまり平行現実へと移行する瞬間がわかったような感じがするのね。

ま、先日のUFOの話もあるので僕の思い違いかもしれませんけど。

 

さて、もうひとつ書いたことがあります。

その週の関屋記念で大万馬券をゲットするということ。

こちらの方は現実化しませんでした。

なぜかというと、”大”万馬券にはならなかったからです。

ん~~、言葉遣いがヒジョ~に難しいわい。

では、今から身障者の検診に行ってまいります。

2012.8.26

一筋縄でいかないこと

母親の皆さんに対してずいぶんきついことを書いているようですが、これから世界を変えていくのはそういった母性的な愛だと思うからです。

これは何も女性だけではなく、男性の中の女性性や母性が引き上げられれば良いのですが・・・・。

それには少々時間がかかるでしょうな。

 

スペインのとある教会で傷みの激しいキリストの肖像画を、絵を全く描いたことのない初老の女性が善意?の修復をして、まあ早い話がメチャクチャにしてしまいました。

笑ってしまうのは、テレビのインタビューに答える彼女が、自分に悪い所など全くもって一つたりともない、という態度を示したことです。

韓国大統領(政府)の態度も幼稚極まりなくて笑わしてくれます。

彼は必ずこのツケを払うことになるでしょう。

時々テレビで、韓国や中国での抗日運動や集会をクローズアップして放映していますが、実際に向こうに暮らしている日本人に聞くと、それらはごくごく一部のことで自分の周りでは以前と何も変わりないということをよく言われます。

 

例えば大学のどこかの講座がNHKの番組に協力するという時に、あとから出来上がった番組を見てビックリ。

こういった番組作りは下請けのプロダクションが請け負いますが、明らかに先にストーリーありきで、そのようなつもりで喋ったのではないのに・・・ということもよく起こります。

およそにおいてこんなもんです。

 

かつて東西冷戦というのがありました。

スカイツリーパフェ VS しろくま

とかいう話じゃないですよ。

アメリカ 対 ソ連、資本主義圏 対 共産主義圏ということです。

常に緊張関係にあった両者ですが、確かに裏で様々な戦いがあったでしょう。

情報戦もそうだし、CIAとKGBの殺し合いみたいなのまで。

 

ところがね、この緊張関係は実は両者にとって必要なことだったのです。

だって、どちらか一色に世界が染まってしまえば紛争が起こりづらいし、抑止力的な軍備も持ちづらい。

つまりは軍需産業が立ち行かないわけです。

米ソともお互いに相手を敵視してはいましたが、共存共栄だという意識も持ち合わせていました。

意外に思うかもしれませんが実際そうなのです。

予定調和というか、どちらも相手を必要としていた、仮想敵国が必要だったのです。

これはそうとも考えられるというような話ではなく、両国の首脳がどちらも認識、了解していた話なのですよ。

誰かに聞いたわけでも何かを読んだわけでもないけれど、僕はそうだと知っているのです。

 

なぜ、アメリカが日本と韓国や中国との問題に介入してこないかと言うと、アメリカは日本を絶好の市場と見ているとともに、変な力をつけないようにアジアにおいてはあくまでも嫌われ者でいて欲しいという本音があるからです。

北朝鮮の問題にしても、日本にとって脅威であってもらわないと困るのです。

だからこそ、なし崩し的に憲法第九条のマイナーチェンジを画策し、自分の国は自分の武力で守る必要があると日本人に思わせること、そしてアジア諸国にとっては日本が再び侵略者としての道を歩もうとしていると思わせること、それらの上でアメリカはエエとこ取りする腹なのです。

 

再び強調しますが、こんな話はどうだって良い。

ではなぜしつこく書くかというと、これから日本に対してこれでもかという位いろんな外圧がかかってくると思われるからです。

その時に、相手を意識してはいけない。

逃げても戦ってもいけない。

”日本人が日本人たるところを世界に示すにはどうするか?”ということこそ大切なことなのです。

 

今、読んでいる最中の百田尚樹氏の「海賊とよばれた男」

前作「錨をあげよ」は全くもってつまらなかったのですが、今回の新作はあの「永遠の0」に次ぐ名作です。

実話を基にしていて、出光石油の創始者がモデルです。

明治生まれの一本筋の通った主人公は読む者の胸を打ちます。

僕は常々嫁さんに「明治生まれの人は何か違う。芯がビシッと通っていて男らしい」と言っていますが、まさしくその通りの人です。

本を置くのがもったいない、そんなお勧めの本であります。

 

一昨日嫁さんと大阪ミナミへ出ていた時のこと。

なんばパークスにある「カタログハウス」に行きました。

嫁さんについて行っただけなんですけど。

買い物を済ませて帰り際、ビル風というのでしょうか、強い風がビュッ!

僕のかぶっていた麦わら帽が風に吹き飛ばされました。

僕のすぐ後ろを歩いていた女性が「クッ・・・」

うちの嫁さん「中のヅラも押さえとかんと・・・」

 

じゃっかんの脚色があります(笑)

てなこと言いながら高島屋の地下食料品売り場へ。

ここの乾物屋さんの品揃えが素晴らしい、、、、んだけど隣が酒売り場なんだよねぇ。

嫁さんが買い物している間にお酒を見ていると、わかるんですなぁ「こいつ酒飲みや」というのが。

蔵元から営業の社員がきていて試飲を勧められたんです。

倉敷のお酒で”燦然(さんぜん)”

ここは「奇跡のリンゴ」の木村さんの指導の元に自然栽培で収穫した米で作ってる酒もあったりします。

3種類試飲した中でお気に入りのものがあったので、ひとつお買い上げ。

さっき店員さんが棚に置いていた屋久島の銘酒「三岳」

聞くと、これは他の酒と抱き合わせでしか販売しないとのことで「ほな、いらんわ」

近くにいた宮崎から来られた蔵元の人に焼酎の試飲を勧められます。

ここでもストレートで2杯。

といっても、試飲用の小さなカップですからね。

”さんぽ”で生ビール飲む前に日本酒と焼酎飲んじゃったよ、みたいな。

その焼酎は買わずに、もう一本、山口県のお酒で”獺祭(だっさい)”

これは天満の寿司屋”しん”に置いてあった僕のお気に入りの酒であります。

それと甲州種のブドウで作った甲州ワインを2本。

重たいので送ってもらうことにしました。

こんなん買うつもりやなかったのに・・・・ 

 

その後、エスカレーターで8階のダイニングメゾンにある居酒屋”さんぽ”へ。

2番目の客でしたが、その後来るわ来るわ、結局満席になりました。

なんか最近、忙しいそうです。

この勢いで9月3日オープン(予定)の老松町のお寿司屋さんも流行ればイイネ!

 

最後にひとつ残念なお知らせが・・・・。

昨日の終礼で水曜日に見た光の話をしたら、衛生士の村上君が「あ、それわたしも見ました。何かな?と思って追いかけて行ったんですよ。そしたら、天平祭のリハーサルやってたみたいです」

「・・・・・・・」

2010年の平城遷都1300年祭はその後”平城京天平祭”と名前を変え、この金・土・日とイベントをやるようです。

僕が見たのは「光と音の祭典」

BOOOOOO・・・・・↓

お漬物の語ること

浅漬けのO157による感染事故。

小さな女の子まで亡くなったのは何とも痛ましい限りですが、まさに今の食品業界の実態を表しているのではないでしょうか。

問題を起こした食品会社がこれから吊るし上げられるでしょうが、そういうことではないのです。

皆さんは、スーパーや農家から買った野菜を消毒してから食べますか?

洗いはするでしょうが消毒まではしないでしょう。

調理器具に関しては家庭でも消毒に近いことをするでしょうし、食品工場なら当然です。

でも工場では白菜は消毒液に漬けられるようで、その消毒液の濃度が云々という問題になっています。

このことに違和感感じませんか?

 

浅漬けであろうが、いやしくも漬物という看板背負いながら雑菌が繁殖するのはおかしいでしょう。

ここには現代食事情の様々な問題が凝縮されていると思います。

塩分を抜いて、保存料や化学調味料で味付けした漬物。

それを美味しいと言って食べる子どもと、食卓に出し続ける母親。

 

漫画「美味しんぼ」でも幾度か漬物に関する話が登場します。

今は東西新聞を定年退職されている男性の奥さんが大の漬物好きで、漬物小屋まで作っている。

そんな彼女曰く「漬物をスーパーで買うなんて、日本の女性として恥ずかしいことです」

それを聞いた山岡は世間の現状を見せようと百貨店に彼女を連れていき、食料品売り場でいくつか”本物の漬物”と銘打ったものを試食してみます。

あまりの人工的な味付けに思わずトイレに駆け込み幾度も口を漱ぐ彼女。

コーヒーを飲んでもその嫌な後味は消えることはありませんでした。

その後、彼女は本物の味を伝えないといけないと、儲け度外視でご主人と漬物屋さんを始めます。

 

別の話では、こういうのがあります。

何人かモニターの人に集まってもらい、一切添加物なしの本物の漬物と、いわゆるスーパーで売られている化学(旨味)調味料満載の漬物を食べ比べてもらいます。

二人を除いて全員が後者の方の漬物の方が美味しいと判断しました。

その二人とは、漬物屋の社長と日本文化を学びに来ているアメリカ人でした。

社長曰く「わかってはいるけれど、自然な味の漬物を作っても消費者は買ってくれないんだ。皆、化学調味料が入った方が美味しいと言うんだ」

これが現状です。

件の白菜の浅漬けを作った会社の管理体制にはもちろん問題があったでしょうが、彼らだけが悪者じゃありません。

今回の事件をそのように処理してはいけないのですが、マスコミは大手食品会社等のスポンサーとしての問題がありますから、絶対にそこには踏み込みません。

でも、皆さんだけはよく事の本質を理解して頂きたいのです。

 

多くの母親は子どもへの愛情を履き違えています。

真っ当な食事を整えること、手作りのおやつを作ってあげること。

これ以上に母親が子どもに示す愛情は無いと言えます。

そのためには母親に当然負担がかかります。

それを負担と捉えるのなら、そこまでの話。

子育ての何たるかをわかっていない。

親にとって子育てとは無償の愛を学ぶ、試される、そういう場です。

要するに自分のためなのです。

面倒くさい云々言ってる時点で論外ですな。

 

結婚の何たるかを知らずに、結局相手が悪いということにして離婚する。

子育ての何たるかを知らずに、偏向した愛情のかけ方をして子どもがおかしくなる。

でももうそういう時代じゃないです。

ここに智慧を詳らかにしているのだから。

 

子どもに無償の愛を示せるか否かは、自分の母親がどうであったかに影響されます。

料理をしなかった母親の娘は、自分が母親になった時に手作りの・・・・なんてことが出来ません。

でもそれを変えていかなくてはならないので、どうぞ学んでください。

いじめの原点はそういったところにあるのです。

2012.8.24

見ざる、聞かざる、言うカッパ

裏の世界のことは、本当はどうだっていいのです。

そんなことに固執しないでくださいね。

知っててもいいよ、でもそこに感情や意識を向けないでね、という類のものです。

それらは僕たちの心の暗黒面、ネガティブな面の強調形かつ集大成に過ぎません。

それを敵視するということは、自分自身の内面の弱い所を敵視するということで、実にバカバカしい限りです。

そして、それがあるからアセンションという話が出てくるのであって、それがないのならアセンションもへったくれも、その必要性がないということになります。

そこのところを誤解しないで頂きますよう。

 

もしあなたがニュースを一切見ない人ならば、あなたの中で「シリアで日本人女性ジャーナリストが銃撃され死亡した」という事実は無いも同然です。

知らないのだから、起こっていないのと同じだというのです。

彼女のことを例に出して申し訳ないのですが、この場合何に例えようとも多少非礼になることは免れない。

(山本美香さんの「紛争で犠牲になっている何の罪もない子どもたちや一般市民の姿を世界中に届けることによって、少しでも紛争が早く終結してくれることを願う」という想いは必ずや聞き届けられるでしょう)

 

知るということは、それがあなたの中で現実になるということです。

アセンションのことを一切知らない人は、毎日を淡々と生きて、仮に大津波が来たのなら「ああ、こりゃダメだな」と潔くこの世を去るだけです。

そうでなければ、淡々とした日々が続くだけ。

「2012年に地球は、日本はどうなるのか?」と心配げにネットで検索している人とはえらい違いです。

特にマスコミの報道というのは意図して作られる映像や音声があるので、そんなものは見ない方が良いし、知らない方が良いと思うのです。

アメリカなどは凄腕の映像プロデューサーを使って、事実そのものをねつ造したりします。

大したもんです。

 

聞くというのも同じ。

よく患者さんが「インプラントは絶対に嫌です」とおっしゃる際に理由を尋ねると、「友達がインプラントをして術後すごく化膿して結局はずしたというのを聞いたから。友達に絶対にインプラントはやめときと言われた」などという答えが返ってきたりします。

その友達に起こった事は事実でしょう。

それがインプラントが嫌だという理由にはなるでしょうが、その患者さんにとってインプラントが適さないということにはなり得ない。

蕎麦とか海老、蟹、牡蠣などにあたって、ひどい場合はショック状態になり死にかけることだってあるわけです。

でもそれらがほとんどの日本人にとっては好物であるという事実も一方である。

どちらが正しいでしょう?

この話の一番の問題はね、プロである僕の話より、ド素人の友達の話に重きを置いている点にあります。

友達のインプラントが失敗したのには失敗した理由が(多くは歯科医師の力量の問題)あるのであって、それがインプラントを敬遠する普遍的な理由にはならないのです。

正直言って僕は心の中で「こいつ、アホや」と思ってしまいます。

しゃあないでしょ、そう思うんだもん。

ものを聞く態度がなってないよね。

 

ほとんどの人は聞くという行為に自分自身の狭小なフィルターを掛けてしまっています。

だから本当に大切なことが聞こえてこない。

 

マスコミも含めて、自分が現実に見聞きしたものでないものを、間接的に知らされる場合、現状では真贋を見極めるのは非常に難しいです。

だからいっそ知らない方が良いよ、と言うのです。

さすれば、あなたは目の前のものにしか集中できなくなる。

それでよくね?

もし雑音が入って来たなら、自分の直感がどう言ってるのか聞きましょう。

その話が自分にとって心地良いのか否か。

それだけは嘘をつかないです。

なぜかというと、神様とあなたとの会話は通常、感情を通して行われるからです。

そこに嘘があったら、ぜ~んぶ意味無しホーイチやもんね。

 

で、”言うカッパ”です。

あなたは信じるだろうか?

ここ3日ほど子どもたちがいないので、診療が終わったら嫁さんと散歩がてら百均で資料整理のためのファイルボックスを買ったり、近鉄奈良駅近くに出来た成城石井やお酒屋さんでワインを買ったりして、3日連続白ワインを一本ずつ空けました。

昨日も午後7時半くらいに二人して外に出て、信号渡ってふと空を見ると・・・・・・

なんかサーチライトを空に向けて照らしているような光が雲に映っています。

でもね、それだったら地上からの光線が見えるはずなんだけど、それが見えないのね。

おまけに雲に映った光の影はおよそ8個くらいあって、それらがあちこち周回しながら時折、一カ所に同時に集まって一つの大きな丸い光の影になり、また四方に散っていく、みたいなことを繰り返してるんです。

おおっ!!

これはもしかして久々のUFOかっ?

UFOは何も円盤のような目に見える形をしているとは限りません。

NASAが飛ばしているものは別として、本物は物質化を自由自在に操れるので、多くの場合は光として認識されます。

だから昼間に飛んでいてもわからんのね。

 

光の影はそのうち一つにまとまったきり動かなくなりました。

酒屋さんの方に歩きながら見ていると、その一つになった光の影から地上に向けて光の筋が出ています。

おおよその場所は、推察するに西大寺から学園前方面。

誰か連れて行かれたかな?

 

その後、光の影は徐々に薄くなっていきました。

これはいよいよ僕にもお迎えが来たかな?と思ったのですが(←ウソだよ~ん)、これということもなく、エグイ夢を見ることもなく夜が明けました。

ただ、夢ではお目にかかったことのない死んだ兄貴が出てきました。

僕と二人だけで空港からリムジンバスに乗っているのですが、このバスの運ちゃんが飛ばすの何の。

140kmくらいスピードだすんですもの。

僕の問いかけに兄貴は応えることはなかったので、これは兄貴の魂が僕の夢に出てきたのではなく、単に僕の意識が兄貴という幻影を映しだしたのでしょう。

 

実はスマホでその光の映像を動画撮影したんだけど、僕と嫁さんは現場を見てるので「ああ、これか」とわかるのですが、見ていない人には伝わりにくいのでアップするのはやめときます。

それにしても、不っ思議~。

もひとつ不思議なのは、道行く他の人が誰もそのことを気にもとめていないことなのよねぇ、これが。

 

本日夕方、なんば高島屋ダイニングメゾンにある「さんぽ」に出現予定。

2012.8.23

社会の木鐸(ぼくたく)

国民のテレビ離れが進んでいるそうです。

テレビ欄を見てもそりゃそうだと思うのが当然。

毎日、どの番組でもお笑い芸人とジャニーズのタレント、そしてアシスタントの女子アナ。

飽きられるのが当然。

グルメ番組とも呼べないような食べ物のロケや、なんでもかんでもクイズ番組。

意地でも名画は放送しないという〇曜ロードショー。

笑わせてくれます。

 

こないだ日本の政治は外国の勢力によって操られていると書きましたが、そこに一役も二役も買っているのがマスコミです。

日本の各マスコミには外国のスパイ、というよりは工作員が多数入り込んでおりまして、日本人白痴化計画を着々と実行し(これは思いっきり成果を挙げている)、国民の洗脳や意識操作を自由自在にやっております。

小泉改革を持ちあげたかと思えば、自民党叩き、そして民主党万歳の次は叩きまくり。

そして先日、よりによって終戦記念日に韓国大統領の竹島上陸、その他諸々。

こんなの全部シナリオがなければ起こり得ません。

 

僕はたま~に、”かえる庵”や”がじゅまるの木”で産経新聞を読みますが、そこで面白いと思うのは「朝の詩」「夕焼けエッセー」誰かのインタビュー記事や曽野綾子さん他のエッセイなどであって、それに比べて新聞社の記事の方は非常につまらなく感じるし、文章力ですら疑問に思うことも少なくありません。

僕が受験生の頃は、朝日新聞の天声人語がよく国語の入試に引用されていたものですが、もうそんなことはないのでしょう。

天声人語にとどまらず、産経抄しかり、余録しかり、読売は何やったっけ?

読んで心温まるような記事が少なく、争い事ばかり掲載されていて、こんなもの金出して毎日定期購読するわけないじゃない。

 

新聞社には様々な所から外圧がかかりますが、マスコミ全般にいる工作員、でもね日本にはそういった人たちを取り締まる法律がないので、彼らは全くもって合法的に目的を粛々と果たしているだけです。

小欄でも取り上げましたが、NHKによるインプラント・バッシングの前から延々とそれをやってきたのが週刊朝日です。

ところが週刊朝日は一方において「いい歯科インプラント治療医を選ぶ!」という雑誌を出版しているのです。

もうここまできたら恥も外聞もあったもんじゃありません。

朝日新聞だけは金輪際読まない!と言ってる歯医者も少なくないみたい。

まあ、人間のクズの集まりですな、週刊朝日編集部は。

 

どの世界でもそうですが、良識ある人はいるんですよ。

むしろ現場で働いている人は皆、真面目に一所懸命やっているでしょう。

でも上層部の意向というのがあり、その意向は内部工作員と外部からの圧力で決まるので、会社全体とすればある特定の歪んだ方向へと進んでいるわけです。

よってマスコミ全体とすれば信用できないことに変わりはないのです。

 

次にトヨタを例にとってみましょう。

会社の発展とは半永久的に売り上げを伸ばすことでしょうか?

そもそも毎日莫大な数の車を作って市場に出す必要性が本当にあるのか?

日本がダメなら海外へ。

中国の次はインド、インドネシア。

じゃあその次は?

いったいいつになったらその消費型の会社経営を改めるのか?

一人勝ちの裏には膨大な人の血と涙が散っているのに。

本当に莫迦だと思います。

 

製薬会社もそうだし、多くの食品会社もそう。

減塩と叫んでいる医学界も愚かしいにも程がある。

そもそも食品にまともな塩を使っている会社がどれだけあるでしょう?

そのロクでもない塩すら減らすから、当然食品は腐り易くなって保存料や防腐剤が使われる。

天然の塩に含まれているはずの旨味が減らされるから、多量の化学調味料他、添加物が使われる。

当然、癌に限らずたくさんの病気を生みだします。

医師会は製薬会社と結託して、新聞広告をうち、患者を集め、絶対に摂取しない方が良い類のワクチンを打ったり、薬を出したりします。

いったい、これらのどこに正義があるのか?

 

しかし、これらを変えることはできます。

彼らは残念ながらすぐには変わりません。

しかしその状況を変えることはできるのです。

それは、あなたが必要ないものにNOと言えば良いだけ。

 

本来はマスコミもあって然るべきでしょう。

車もあった方が便利に決まっています。

添加物がすべて悪いわけではありません。

薬も時には必要だし、西洋医学を全否定するなどもっと愚かしいことです(←でも、こういう人多いよ)

すべて僕たちは恩恵を被るものなのですが、それはあくまでも真心(義)の元に行われている場合に限りです。

現状は歪んでますよね。

そしてそこには、わかってはいるものの、自分を律することができない消費者側の日本人がいるのです。

2012.8.18

Super Star

すでにひとつ書き上げているブログがあるのですが、先週の金曜日の夜に放送された女性の復元納棺師の話を見てから、アップするのを延期しました。

ブログの内容はマスコミに対する批判なのですが、あれを見ちゃったら言葉で人を切り捨てるようなことは憚れます。

僕のセッションを受けられた女性に新聞記者の方がおられるのも影響しまして、修正の筆を入れてから載せたいと思います。

昨日、一カ月ほど前にセッションを受けられた女性から近況報告のメールがきまして、少々思うことあり本日はそれについて詩の形で書いてみます。

ちなみに、なんちゃって文語調ですので、大いに間違っておると思いますがそこは無視してくださいませ。

 

ああ 我が愛しき同胞たちよ

我が言葉が 汝の直接の気づきとなることなかれ

願わくは 其れが汝の内なる声を引きださんことを

汝 その声に気づかれんことを

 

ああ 我が愛しき兄弟たちよ

我が手が 汝の直接の癒しとなることなかれ

願わくは 其れが汝の内なる癒しを引きださんことを

汝 自らの手で己を癒さんことを

 

ああ 我が愛しき分身たちよ

我が手に持つ光が 汝の往く道を直接照らすことなかれ

願わくは 汝、己が手をかざしたるところに光明あり

それが往くべき道を照らさんことを

 

汝、それ自身が神であり 仏である

この世界の始まりであり

この世界の向かうところである

汝、つねに己とともにあらんことを

2012.8.20

「シャングリラからの伝言」2012年秋~日本の行方~

先日、知り合いに、ある方が書いた政治の裏側に関するコピーを見せてもらいました。

僕はその人のことを全く知りませんでしたが、株やその道では有名な人のようです。

そこには戦後の統治政策のことから、アメリカに対してNOと言ってきた各首相が文字通り抹殺されてきたことなどが書かれていました。

それらについては当ブログでも触れたことがあるものもあります。

 

僕がかつてすごく違和感を持ったのは、故橋本龍太郎氏が死去した際のマスコミの扱いがあまりにも小さかったことです。

今調べてみたら、内閣・自民党の合同葬が行われた際、葬儀委員長を務めたのは小泉さんなのね。

橋本氏は最終的に日本歯科医師会からの1億円ヤミ献金をでっち上げられて失脚していきました。

そしてこれ以降、中医協から歯科医師は外され厚労省の思うがままの歯科行政が横行するようになり、我々歯科医は厚労省の官僚に踏みつけられるような立場に甘んじているのです。

 

このコピーは日本の裏側を暴露するタイプのものですが、こんなこと普通に目をあけて世間を見ていれば勘の良い人間なら誰だって気づくことばかりでした。

最後の結びが秀逸なのですが、いわゆる相場に関することが本業なのでしょう、これから自分の面目躍如となる株での大儲けを目論んでいるそうです。

現在の円高は当分続き、11月くらいには一転して円安に”誘導”される。

為替などというものは、社会情勢で決まるのではありません。

社会情勢を決めている一部の人たちの意向で決まるのです。

そしてアメリカが起死回生を図る際の常套手段である中東戦争の勃発の可能性。

アメリカと一応書いておりますが、本来の姿は多国籍の裏のリーダーたちです。

 

そのあたりを綿密に読んで、株なり先物なりで儲けるという腹なのですが、彼はそういうことを考えている時点でもうずいぶん時代遅れなのです。

今、この時点で、過去がこうであったから、現状がこうだから、おそらくは将来こうなるだろう、だからこのように身を処そうという考え方をする人は、アセンションのことを全くわかっていないと言えます。

 

あなたはどのような未来を望むのか?

そのために今どうするべきなのか?

 

お金儲けがその人の望むものであれば、それでよろしい。

所詮そこまでの人間であるというだけの話です。

アセンションも何も関係ないというスタンスで、それはそれで結構ですが、社会の役には立ちませんなぁ。

 

僕は当初、民主党政権に期待しました。

現状はご承知の通りですが、これとてすべて裏の筋書き通りです。

つまりは既存の大政党(自民党)をぶち壊し、取って代わった民主党が不様な実態をさらけ出す。

最近、ビートたけしがTVでしょっちゅう言っていますが、「解散総選挙は良いけれど、じゃあ次はどこに投票するの?」

全くその通り。

そしてそれこそが日本の政治が誘導されてきた行き先です、今のところ。

よろしいですか?

日本の政治は日本の政治家が行っているのではないですよ。

外部からの意向、圧力で動いているのです。

彼らの最終目的は日本の奴隷化に他なりません(現在も実質はそうだけど)

 

さあ、この秋におそらく行われるはずの解散総選挙。

あなたはどこの政党に投票しますか?

石原氏や橋下氏の国政参加に期待しますか?

こういった時にこそ、独裁者が出やすいのですよ。

別に彼らがそうだというわけじゃありません。

ヒトラーにしてもそうなのですが、政治・経済の流れを見てごらんなさい。

独裁者は勝手に登場したのじゃなく、国民の期待に沿って出てくるのです。

 

僕はもう、政党政治というのは限界に来ていると考えます。

だって、そうだからこそ政党がどんどん分裂していくわけですよね。

彼らだってわかっているのです。

政党政治というのは即ち多数決がすべてを決める政治です。

大きな誤解は、多数決=民主主義だと考えていること。

全然違いますからね。

真の民主主義とは大の虫も小の虫も生かすものです。

これを突きつめると結局は個人になり、個人の霊的な成長こそが真っ当な民主主義を行う上で欠くべからざるものであることに気づくはずなのです。

それがないがしろにされる場合、民衆は強烈なリーダーシップを求めるようになります。

その方が楽だから。

そうなると、人類はまたしても同じ過ちを繰り返すことになります。

これは政治だけではなく精神世界でも同様でして、かつてキリストや仏陀などが(本人に責任があるかどうかは?だけど一応)おかした愚を今もやっている人が多数いますよ。

確かに彼らは間違ったことは言ってません。

そして中には奇跡を起こす人もいます。

でも・・・・・・

「シャングリラからの伝言」とすれば、今一度強調しておきますが

もうグルは要らない

 

なぜ僕が歯科医という以外、特殊な霊的な能力もないままに、このようなメッセージを託されるかというと、まさにこの一点に尽きるからであります。

強いリーダーは、民衆の力を弱めてしまいます。

それじゃダメなのね。

 

この秋、あなた方の意思が真(まこと)に試される時が来るであろう。

あなたは未来を予想しようとするのか?

それとも未来を創ろうとするのか?

どちらなのか?

それが日本の行方を決めるのだ。

2012.8.17

爆笑!小ネタ集

今日から当方もお盆休みです。

久しぶりのゆっくりした日曜やなぁ、と思って調べてみると何と!ゴールデンウィークの最後の日、5月6日以来の純然たる休みの日曜日じゃあ~りませんか。

セミナーや講演会やら同窓会やら諸々でずっと休みなかったのね。

そりゃ熱中症にもなるって。

春のGⅠシリーズも馬券はスマホから買うんだけど、実際にはレースはほとんど見れませんでしたからね。

夏競馬の当たり馬券も後でPCで結果を見るだけ。

これではつまらんです(お金的にはうれしいけど)

 

今日は、一日自由時間なので休日らしく過ごし、3時からはテレビ中継を見ながら競馬を楽しみたいと思います。

ちなみに、千葉県松戸競輪場では開設62周年記念決勝が行われますが、有力選手が落車していったので、こんなもん武田豊樹の優勝で何にも無しです。

施行者とすれば、このお盆の稼ぎ時に有力選手を落車させ、最終日欠場させた超三流のマーク屋には、思いっきりペナルティを課さないと気が済まんでしょうなぁ。

最終日の売り上げに影響するもんね。

武田の2,3着には地元勢が来るでしょうし、深谷選手は残念でした、、、かな?

奈良も普段月曜日お休みのお店も、お盆の間は営業してがめつく稼ぎますので、お時間ある方はどうぞ燈花会にでもお越しやす。

 

いま、うちの子どもたちは屋上でプールでおます。

よって、階下は静かなことこの上ない。

嫁さんは先ほどピラティスへと出かけました。

では、日本の夏のお盆のカッパのサンポ第一弾、まいりましょう。

 

タイトルはなんか、探偵ナイトスクープみたいになっていますが、残暑厳しい中、「いかに人生をより良く生きるか?」なんて話、いらんでしょ?

 

~ふうさん編~

(其の壱)

当院では患者さんに説明する際に、このスカル(頭蓋骨模型)が頻繁に登場します。

ある時、うちの子供たちが「何でこめかみの部分が人間の急所で、そこをぶつけると死ぬことまであるのか?」と質問してきました。

咄嗟に答えられなかったので、僕はスカルをよく観察して考えました。

スカル.jpg

おそらくは、この部分に衝撃が加わると脳を収めている頭蓋の底の部分から脳が引き剥がされるようになるからではないか、と思っております。

で、子供たちに頭蓋骨模型を見せながらその旨の説明をしたのです。

当然、子供たちは初めて見る頭蓋骨に驚いています。

そこでふうさんが一言。

「これ、お父さんの?」

 

おまえ、何言うとんねん!

お父さんの頭蓋骨を自分で持ってんねやったら、お父さん死んでるがな。

 

本当は、この模型はお父さんのものか?という意味だったそうです。

そりゃそうやわね。

 

(其の弐)

家族で鶏鍋を食べた時のことです。

他のメニューも頼みたいということで、家族5人のところに3人前で予約を入れておきました。

座敷に上がって出された皿を見てビックリ。

鶏肉がてんこ盛りに盛られています。

思わず「ウッ!」と言ってしまうくらい。

鶏二羽分くらいあるんじゃないか?

必死で食べて、うどんも入れて完食し、他の食べ物を注文します。

キスの刺身がありました。

刺身を食べ終わったころ、女将さんが来て「お皿こっちにもらいましょ」

ふうさん、皿を差し出したくなかったようです。

僕は、残った骨を唐揚げにしてくれるんだとわかっていましたので、「ふうさん、それを揚げてくれはんねや。早よ渡し」

ふうさん、なんで皿を渡したくなかったかというと、まだケンが残っていてそれを食べたかったみたいなのね。

そこでふうさん、どうしたかというと、キスのしっぽを手で持って「ハイ」

おいおい・・・

 

~慧編~

これ別におもしろくないです。

といの修理.jpg

ずいぶん前に、僕が仕事終わって自宅に上がると、嫁さんにホラ!と促されて慧が「お父さん、ごめんなさい」とえら泣きしながら言うじゃありませんか。

どうしたのか聞くと、バドミントンの羽根がエントランス上の小屋根の上に乗ってしまって、それを取ろうとここを登っていき、樋に体重を掛けたら樋が折れてしまったとのことです。

それで妻と一緒に脚立を使って応急的にガムテープで修理したんだそう。

見に行くと、上手いことテープでとめてあるんだ、これが。

思わず出そうになった褒め言葉を飲み込んだ僕でした。

 

~夫婦編~

子どもたちがいない時に、JR奈良駅下にある居酒屋さんに夕食を食べに行きました。

そこで滅多に食べない”ニラレバ炒め”を注文し、食べた後に残った汁を見て僕は「これに白いご飯入れて、卵落としたら旨いやろうなぁ」

嫁は「この汁飲んだろうかと思うた」

結局そんなことはしませんでしたが、ニラレバの残り汁、夫婦して飲んでるとこは患者さんには絶対に見せられへんね。

 

~番外編~

藤城清治色紙.jpg

これも別に面白くない話ですが、羨ましいことではあります。

僕がよく行く元林院にあるお寿司屋さんの”玉ろ”

こないだ行ってカウンターの端に座ってふと見ると、「え~っ!?」

「おかあさん、ここに藤城さん来はったん?」

「そうやねん。藤城清治さん来てもろてん」

ええなぁ~・・・・。

お酒をよく召し上がられ、寡黙だけどずっとニコニコしている非常に感じの良い方だったそうな。

 

~天満編~

しん箸袋.jpg

今、僕がヒジョ~に気に入っている寿司屋さんの”しん”

「今ちゃんの実は」にちょこっと出てからというもの、予約が取れにくい。

そこの箸袋には、店長の想いがひとつずつ違う言葉で書かれています。

実はね、ここの店長の徹ちゃんはかつてちょびっとだけ”キッチンニコ”でバイトしてたことがあるのね。

しん箸袋その2.jpg

そして、ニコちゃんグループは”キッチン和(ニコ)” ”炉端つばめいろ” ”居酒屋さんぽ” に続く四軒目を梅田はアメリカ領事館近くに今秋オープンするのでございます。

それもなんと!お寿司屋さん。

そこを任されるケンボーが現在、”しん”で昼間に仕込みを手伝っておるのです。

”しん”の仕込みはすごく手が込んでいて時間と手間がかかっているのに、お安い値段で提供しております。

なので、お勘定の時に気がついたら、全部仕事がしてある寿司を食べてたので醤油を全然使えへんかったな、ということもしばしば。

しかしながら、店長の徹ちゃん。

夜も9時を過ぎて、お客さんに頂いたビールも回ってくると、めちゃくちゃ”しょうむないこと言い”になりますのでご用心を(笑)

 

~そっち系編~

BIG BOY.jpg

嫁さんと駅前の方に買い物に行き、大きなドラッグストアに入った時のこと。

彼女がレジに並んでいる間に、僕はそのあたりを物色します。

万引きするわけじゃないよ。

すると目に飛び込んできたのがコレ→

いわゆる”コンドーさん”です。

BIG BOYて・・・・・手ごねハンバーグじゃあるまいし

パッケージ馬の顔て・・・・・なんか、”それ”らしく見えてくるから不思議

レジ近くに置いてあるこれを左手に持って写メ撮るの、メチャクチャ気ぃ遣いました。

なんじゃ、その隠し撮り(笑)

 

~ダチョウ編~

馬の次はダチョウです。

こないだ近鉄奈良駅地下飲食店街(と言っても店が4軒あるだけ)にある、初めて行く居酒屋さんに入りました。

そこは新鮮な魚が美味しいのがウリで、別にゲテモノをおいてるわけじゃないんですが、メニューに”ダチョウのたたき”がありました。

壁に貼ってあるポップにはこう書かれています。

 

”足の速い ダチョウのたたき”

 

あぁたねぇ、飲食店で足の速い(=いたむのが早い)てアリ?

もちろん、そんなつもりで書いてないのはわかるのですが・・・・・

これ、僕的には今年一番の大ヒットです。

ちなみにその日、”ワニのしっぽのたたき” もありました。

~とっておき編~

ここで笑わんかったら笑うとこないよ、みたいな・・・・

2,3年前に友達の結婚式に行った時のことです。

神戸のチャペルでとり行われた挙式に、奈良から同級生じゃない一般の友人(飲み友達)として参列した僕と寿司屋の大将と坊さんの3人は、新郎側の後ろの方で参列しておりました。

前の方を見ると、あれ?

僕はここにいるはずやのに、あの新婦側の最前列にいるのは誰?

自分で自分の存在を疑うくらい似ている男性(後ろから見て)がそこにいました。

思わず横の坊さんに小声で言うたら「ん~、似てるなぁ。クックックッ・・・」

 

披露宴で祝辞を頼まれていたのですが、その時の僕の挨拶。

「〇〇ちゃん(新婦の名前)、あなたねぇ俺のことずっと陰でハゲちゃんとか呼んでたくせに、あなたのお兄さん(だったのよ!)俺そっくりやないの!!」

その時すっくと座席を立って、ヘコヘコ皆に顔を(頭を)さらけだしたのが新婦のお兄さん。

ご歓談中の写真がこれでございます↓

タイトルは”カッパが二匹”

 

コピー ~ コピー ~ カッパが二匹.jpg

どやさ!!

ちなみに僕は心の中で 「おまえ、ヒゲくらい剃れや!!」

2012.8.12

げに はかなきもの

今日からお盆休みのところが多いのでしょうね。

皆さんはお盆をどうやって過ごされますか?

僕はよく人に「お盆はどこか行かれるのですか?」と聞かれる度にうんざりするんですが、人がたくさん動く時に一緒に動いてどうすんねん!と思うわけです。

ですので、うちの過ごし方は一日は朝からお墓参りに行って、お昼を吉野川の畔にあるレストランで食べて、そのあと川遊びをする。

それ以外はその辺でグダグダ過ごす、であります。

この時期に天然の吉野川の鮎の塩焼きを食すのと、作りたての柿の葉ずしを頂くのがお盆の最大の楽しみ。

柿の葉ずしはお土産用に売っているのと、作りたてでは全然別物でございます。

 

こういった時にいつも思うのは、ここ数日の休みの間に全国で必ず少なくない数の人が亡くなるという事実。

帰省中の交通事故だったり、水難事故だったり。

でも、今の時点では誰も自分が死ぬなんて思っていない。

安全運転しなければ、急に深くなることがあるから気をつけなければ、なんだけど誰かが死ぬのね。

そういう僕だってわかりません。

出発前までは自分だけは違うと、安全だと思っている。

不思議な感じがします。

 

交通事故は少しおいといて、水の事故についてはその多くが急に足がつかない深みにいってたり、流れに逆らって必死で泳いでも全く進まなかったりで、急に恐怖感満杯になりパニックになってしまうことによるのではないかと考えます。

地元の子どもは大人に聞いて危ない場所や、いざという時の処し方を知っていたりする。

結局、都会の子供はプールで泳いでる方が安全なんでしょうなぁ。

 

当院は月曜日から水曜日までお盆休みで、通常休診日の木曜日は診療します。

その間の僕の計画は、部屋の片づけとたまっている資料や本を読むこと、買っていて見ていない歯科関係のDVDを見ることです。

それと明日の競馬で大儲けすること。

 

げに はかなきもの・・・・・

それは 人の霊(いのち)と 小学生の時から続く 夏休みの計画なり

 

げに 確たるもの・・・・・

それは 関屋記念で大万馬券をゲットすること(←こう書くことで当たると信じている)

 

うっかりしていましたが、今月の8日は”ならまちワンネス歯科”誕生4周年でありました。

石の上にも三年とはよく言ったもんだ。

叔父の所に往診に行った時に叔父に言われたんです。

「あんたとこ移転して4年になるか?よう頑張ったな」

これを聞いた僕と嫁は思わず絶句したのでした。

2012.8.11

ブラザーサン・シスタームーン

昨日は大阪のM先生に診てもらう日でした。

最近の体調を言うと、まずは皮膚の異常が出ているとのこと。

それは結局、皮膚が感じる温度差が大きい場所の移動を何度か繰り返すために起こっている。

そのために自律神経のバランスが崩れ、体温調節が出来なくなり、胃にも負担がかかっている。

つまりはそういうことでした。

僕の自分自身の体の診断が正しくて、ちょっと嬉しかったりして。

 

その後、東大阪の布施にいる叔父の入れ歯の具合が悪いというので往診。

だから車で行きました。

大阪は道混んでて、嫌んなるね。

おまけに布施の人間、信号なんか守らんからね。

必要な器材一切を車に積んで約2時間半かかって(当然、診療効率は悪い)上下の総義歯をピタッと吸い付くように調整しました。

ラスクを食べてもらい問題がないことを確認。

現在奈良で開催中の燈花会のサポーターを妻と子供たちがしているので、その受付時間の16時までに戻らなくてはならなかったのですが、奈良行きは道が空いてて楽勝。

 

話を戻して、通常こういった温度差のある場所の移動を6回繰り返すと、自律神経がおかしくなるそうです。

では、どうすれば治るのか?

水分補給はもちろんのこと、それ以外の方法を教えてもらいました。

おそらくこれは万人に当てはまると思うので、知りたい人はメールでその旨書いていただきましたら、振込先を教えます(←ウソだぴょ~ん)

 

ここでも舌が登場します。

運動は4種類、各20秒間ずつ。

①舌を今の位置より少し奥に引っ込める

②口を軽く開いて、舌を前にべ~ッと出す

③舌を前に出して舌先を左へ傾ける

④舌を前に出して舌先を右へ傾ける

 

アクエリアスも勧められましたが、これを飲む際、熱中症予防なら2倍に薄める位でちょうど良いそうです。

熱中症になりかかっているのならそのままで。

できれば常温がいいですね。

ということで、ようやくカッパの皿にも水が戻ってきて(それ汗ちゃうんか?)、平熱の35.7度になった今日でありました。

 

さて、表題は言わずと知れた、アッシジの聖人 ”聖フランチェスコ”が覚醒していく過程を描いた名画(?)のタイトルであります。

なぜ?なのかと言いますと、中西研二氏しかり、江原啓之氏しかり、スピ系の人の多くが今まで見た映画の中で感動したもの中で3本の指に入るものとして挙げるのがこの映画なのですが、僕にはそれがようわからん。

あまり皆が言うものでお店でDVD探して買いましたよ。

ネットで買ったんじゃなくって店で探したんですが、置いていたこと自体が奇跡。

 

3日くらい前、仕事が終わって自宅にあがると、6時過ぎなので当然子供たちは夕飯を食べているはずなのに、テレビを見ているじゃないですか。

え?と思って画面を見ると、「ブラザーサン・シスタームーン」です。

子供がこんなん見ておもろいんか?と思いながら妻を見ると、こっちも真剣に見入ってます。

おまえらね・・・・・はよ晩飯食わんかい。

 

二日に分けて見終わった子供たちの感想は「最初の主人公が目覚めるところだけが面白かった。あとは面白なかった」 そうです。

僕も全く同感で、強いて追加すれば最後のローマ教皇に謁見するシーンくらいかな。

 

ちなみに子供たちは、うちにある「サイモン・バーチ」のDVD見てた時、途中まで余裕かまして楽しげに見ていたのですが、嫁さんが「あんたら、最後まで見たらそんなふうには見れんで。今のうちやでそんな風に見てんの」

で、案の定ラストの方で二人とも大泣きだったそうです。

そこで図書館で原作の「オーエンのために祈りを」を借りてきたのですが、じぇんじぇんダメだったみたい。

原作の方がつまらなく感じるって珍しいですね。

 

本日午後から、新しく導入したインプラントシステムによる初めてのオペ。

ビミョ~に緊張するわぁ。

2012.8.10

カッパ、熱中症になる

マジでやばかったです。

もう、ダメかもと思ったくらい。

人間、体調悪くなると非常にネガティブになるね。

 

一昨日の夜、食事が済んでしばらくしたら、なんか熱っぽい感じがしたので早めに布団に入りました。

すると熱はどんどん上がってきて、寒気がして体がブルブル震えだします。

あっというまに39.3度。

これは熱中症だと思いました。

水分補給をして、塩を舐めるも、いつもなら美味しいと思う皇帝塩が妙に味が尖って感じます。

ちょうど先日の為ちゃんキャンプで、ふうさんが海水を炊いて作った手作りの塩があったので、それを舐めます。

非常にまろやか。

糖分も少し摂ったほうが良いと感じたのでハチミツを少々。

体温が39度を超えているので、いつもの豆腐パスタ。

個人セッションに来られた方が勘違いされていましたが、豆腐パスタというのは豆腐で作ったpaste(ペースト)です。

スパゲッティのパスタのことじゃありませんよ。

患部を冷やすのではなく、出た熱を吸い取る役目をします。

 

これをまず額に当て、しばらくしてから順次太い血管が通っている所に移動させます。

頚動脈、鎖骨下動脈・腋窩動脈(腋の下、あるいは鎖骨の下で肩に近い部分)、大腿動脈(鼠径部)

子供の場合、これらの部位をアルコール綿で拭いてあげると結構効くようです。

熱中症の本態は体温の恒常性が保てなくなることですが、怖いのはそれによる臓器不全と血栓なのです。

僕は一昨夜、自分の体内の血液がドロ~ッとしていて、きちんと流れていないと感じました。

それらが心臓に詰まったら心筋梗塞、脳に行けば脳血栓・脳梗塞です。

 

震えがあったので、長袖のTシャツとガーゼのパジャマを重ね着して、ガーゼの掛け毛布に普通の夏用の掛け毛布を重ねました。

ここがポイントなんですが、体温が上がると冷やして下げなければならないと考えてしまいます。

脱水状態で血液は濃くなっているのですが、体温を下げると血液の流れは悪くなります。

ですので、水分・ミネラル分(電解質成分)をきちんと補給した上で(ある程度血液を薄めておいて)、先に述べた太い血管の部分は熱取りをし、体全体とすれば暖めることにより、血液の流れを促進したほうが良いのです。

半身浴の達人なら、思いっきり上半身に着込んでやるかもね。

 

体を冷やしたほうが良いのか暖めたほうが良いのかは、その状況により判断しなければなりません。

昨日は結局40.3度まで上がりましたが、それ以上どんどん上がるようだと細胞が熱で壊れていき多臓器不全を起こしますので、これは何が何でも冷やさなければならない。

ま、救急車ですな。

基礎疾患を抱えている人も、救急車を呼ぶか病院に行くほうが良いでしょう。

インフルエンザにかかった時の発熱は、体がウイルスと戦っているわけなので、無理に下げない方が良いとされます。

ただし、発熱が続くと体がしんどいので、出た熱を豆腐パスタで吸い取ってあげる。

ところが熱中症のように体温調節が効かない状態の発熱は意味合いが違って、例えば肺炎のように体のどこかに感染があるのであれば、その細菌が脳に行く危険性があります。

子供やお年寄りなど抵抗力の弱い人も要注意ですね。

血液が流れないと体温下がらないのね。

 

熱取りをしだしてからは、体がずいぶん楽になりました。

これは今晩絶対寝られへんなと思っていたけど、うっすらと汗が出だして時々ウトウト。

このあたりで停滞していた血液が流れ出したのを感じます。

そこで今度は心臓の熱取り。

胸の上からやるのではありません。

心臓に当たるところの背中に豆腐パスタを置くのです。

腎臓や肝臓も同様に同相当部の背中に置きます。

しばらくすると結構汗が出てきて、下着がぐっしょりになったので、タオルで拭いて着替えます。

 

40度を超えていた体温が39度代になったら全然楽で、そのうちに38.6度まで下がりました。

水分と塩分はしょっちゅう摂って、かつ体温もかなり頻繁に測ります。

通常38度代前半になれば、豆腐パスタだと熱を取りすぎて体が冷えるので、キャベツやレタスの類に変える必要があります。

キャベツを頭の下に敷くのね。

僕は豆腐パスタと同様に太い血管のあるところに当てていきました。

途中でキャベツを二つにちぎって鼠径部へ。

ちんちんの両横にキャベツを置いているという大変に間抜けな図です(笑)

 

結局、昨朝には36.4度まで下がったのですが、僕は平熱が低いので微熱がある状態。

一昨日の夜中には明日は休診かな?と思っていたくらいですが、体調万全ではないものの何とか仕事しました。

 

さて今回の熱中症の原因です。

まずは非常に体が疲れていたということがあります。

セミナーや何やかやであちこち行ったり来たりし、夜は懇親会等で飲む機会も多かった。

診療所はエアコンを効かせていますが、その温度は外から歩いて来られる患者さんのためにあまり高めには設定できません。

ずっと中にいる僕たちスタッフは体が冷えてしまいます。

また途中で自宅に上がると、自宅はエアコンを入れていませんし、銀行等で休み時間に外出する時も暑いわけです。

これがまず体の調子を狂わせるのでしょう。

 

6月くらいまでは常温のビールを飲んでいましたが、さすがにこの時期になると冷えたものじゃないとつらい。

冷たいビールや冷酒、焼酎や泡盛のロックなどをバンバン飲んでたらお腹が冷えます。

冷房の効いた部屋と外気の激しい差、おまけにお腹の中から冷たいもので冷やしてしまう。

昔は井戸水で冷やした西瓜やたまにカキ氷、それ以上に冷たいものを頻繁にとるなどということはありませんでした。

見直さないといけません。

今回の水分補給も常温の水でした。

スポーツドリンクは成分上、こういった場合にはアリですが、冷えてるのを飲むのは良くありません。

本当は塩を舐めながら、白湯を飲むのがいいんじゃないかと思います。

 

今回の反省点は上のことだけじゃないんですね。

一番のキモは、実は僕の体にちゃんと予兆があったのにもかかわらず、それに気づかなかったということなのです。

ここ一週間くらい、ずっと肩が凝っていて、時々背中が痛くなっていました。

背中には内蔵の代表点があるので、そういったところが痛んだのでしょう。

また足のふくらはぎが、つったような筋肉の違和感がありました。

これらすべて熱中症の前駆症状です。

体の血液循環が悪くなってそうなっているのです。

最も反省すべきは、自分の体の変化に気づかなかった、体の声を聞けなかった自分のアホさ加減であります。

ということで本日は白衣のパンツの下に冬用のパッチを履いて診療しているカッパでした。

2012.8.8

トマトジュース

第60回クイーンステークス 札幌競馬場 牝馬限定 芝1800m GⅢ

3連複 13000円   的中!

3連単 77140円   これまた的中!!

ま、ざっとこんなもんです。

tomato.jpg

馬といえばニンジンですが、カッパの夏はナスとキュウリとトマトです。

トマトもちょっと形が悪かったり、当たってたりして安くなってるやつを妻が買ってきて、自家製のトマトジュースを作ってくれます。

塩も入れないし、レモンも絞りません。

初めてこれを飲んだとき、今まで飲んできたトマトジュースはいったい何だったんだ!?と思いました。

 

先日も個人セッションを受けに来られた方にこれをお出ししたところ、同じように驚いておられました。

僕たちは、たとえばカゴメの缶入りのトマトジュースをそれだと思ってきました。

トマトジュース.jpg

それをもって、トマトジュースが好きだとか嫌いだとか、美味しいとか美味しくないとか言ってきたのです。

自分の家で作ると全く別物が出来上がりますよ。

トマトジュースに対する既成概念やレッテルに対して大変に反省させられるのであります。

トマトさん、ごめんなさい。

かくの如くに、実質と違うレッテルを貼りつけてるものって他にもいっぱいあるんだろうなと思う、8月はじめの今日この頃でした。

 

ちなみにカッパ先生、競馬はGⅠしかしなかったんじゃなかったっけ?

良い子の皆さん、カッパの世界でも大人は信用しちゃダメなのよ(笑)

2012.8.3

ホ・オポノポノの真髄

僕自身は、他人に頭下げるの大嫌いなので「ごめんなさい、許して下さい」なんて死んでも言うたるか!てな感じで生きておりますが、それでもホ・オポノポノは面白いよなぁとは思うのです。

昨日ご紹介した服部みれいさんの本の巻末でヒュー・レンと対談しているのを読んで、ハタと気がついたのであります。

これ、ちょっとスゴイです。

自分でも感動しました。

 

ヒュー・レン博士の”セルフアイデンティティ ホ・オポノポノ”とは、起こっていることはすべて自分の内側の記憶の現れであり、好ましく思わないのであればその内側の記憶をクリーニング(消去)していけば良いというものです。

自分の内側の記憶というのは即ち、宇宙の記憶であり、言ってみれば僕の記憶もあなたの記憶もたった一つの記憶なのだということです。

記憶・・・・・これこそがキーワードです。

 

またしてもタカラの人生ゲームを持ちだします。

それぞれが赤い駒、青い駒、黄色い駒でゲームをします。

さて一度ゲームが終わりました。

そのゲームの途中経過(誰がどこのマスに止まって何をしたか)や結果はすべて記録されています。

赤い駒でゲームを終えたあなたは、次は全く同じゲーム内容を、今度は黄色の駒で体験してみたいと考えました。

ゲーム内容自体は同じなのに、プレイヤー(視点)を変えることによって、そのゲームはあなたにとって全く新鮮なもののように思えます。

そして以前に赤い駒で同じゲームをしたことを、仮に”あなたが覚えていたとしたら”、あなたはより深い経験(多くの視点で同じものをみるということ)をすることになります。

 

ところが、ここで問題が生じます。

なぜなら、以前の記憶があなたにあれば経験は深くなるように思われますが、実は以前の記憶そのものがあなたの今回のゲームの体験(そこで起こる感情)を邪魔してしまいます。

あなたは赤い駒の気持ちをすでに全部知っているわけですから、相手の気持ちがわかっている状態で、黄色の駒のプレイヤーとしてゲームをすることになる。

つまりあなたの視点に、かつての視点が影響を及ぼすわけです。

これ絶対ダメなのね。

だからこそ、以前そのゲームをした記憶は消さないといけない。

 

でも、ゲームの記録自体は残っているのです。

あなたの頭から記憶を消している(ブロックしていると言った方が正しいかも)

 

さあ、今、あなたの友人があなたにとって好ましくない行動をとったとしましょう。

あれだけ仲が良かったのに、他の人に自分の陰口を言っている。

妙によそよそしくなって、話をしてもすごく突っかかってくる感じ。

思い当たることがあると言えばあるし、ないと言えばない。

彼女の態度はわたしの内側の反映、と言われてもピンとこないけれど、とりあえずはホ・オポノポノでもやってみようかしら。

「ごめんなさい。許して下さい。愛しています。ありがとう」

自分の内側の記憶、それはすなわちずっと貯えられてきた人類の記憶。

それをクリーニングして消すってどういうことかしら?

 

もうおわかりですよね。

そういうことなのです。

つまり、あなたにつらい態度をとるあなたの友達は、かつてはあなただったのかもしれない。

あるいは、あなたはかつて友達からあなたの悪口を聞かされていた知人だったのかもしれない。

もちろん他の人だったのかもしれません。

とにかく、あなたはそこの場(狭い意味でのその友人関係)にいたか、あるいは大きな意味でのそこの場(とある友人との関係がもつれているということが起こっている時の地球上の他の土地)にいたかのどちらかなのです。

ちょっとややこしいかしら?

 

これを過去世や、生まれ変わりということで説明することも可能です。

前世では友達を傷つける側だったから、今度は傷つく側の体験をしてみたい。

ってやつ。

ところがね、実は今回の説明は同じようで同じでないの。

 

人生ゲームというのは、あらゆる出来事がすでに起こったこととして盤面に印刷されています。

あとは、誰の駒がどこに止まるか?だけの話。

誰も止まらなかったマスに書かれていることなど、どのプレイヤーも見ませんから、その出来事は起こっているのだけど、皆が認識しないので起こっていないのと同じことです。

夜に営業する流行っている焼き鳥屋さん。

昼間にその前を通っても、暖簾も引っ込めて看板も何も電気がついていないので、その店自体がないのと同じ、みたいなもんです。

 

たった今ゲームが完了した盤面が一枚空中に浮いています。

その盤面にはそこで行われたことがすべて記憶されています。

そして宙に浮いているその盤面の上下には、違う内容のゲーム(プレイヤーの駒の止まり方が違うあらゆるパターン)をした盤面がその記憶とともにずっら~と並んでおります。

そしてその前後には、全く同じゲームを違う駒で体験したバージョンの盤面が、これまた記憶とともにずら~っと並んでおります。

駒の色なんて無制限にあるからね。

おおっ!

なんと壮大にややこしいことよ。

本当はもっと複雑に立体的なんだけど、このへんにしておきましょう。

 

これらが総じてパラレルワールドと呼ばれるものであります。

パラレルワールドの存在を否定する人もいるけれど、それを認識できるかどうかは、その人の意識の次元によります。

僕は何度か体験しているので確信を持って言うのです。

体験していないことは、ここでは書いておりません。

 

話をホ・オポノポノに戻しましょう。

要するに自分の外側で起こっているように見えることも、単に今回の視点が自分という位置にあるというだけであり、他の視点から今の出来事を見ていた時もあるのだ、ということです。

出来事は単に出来事。

そして自分はそこに関わるあらゆる人だったことがある。

 

こう考えると四つの言葉とは

ごめんなさい・・・・そのことに気づかずに、あなたに対して怒りを向けてしまったことに対してごめんなさい

許して下さい・・・・・わたしはあなただったこともあって、あなたがわたしの立場だったこともあったのに、かつてわたしがしたこと、そして今のわたしが怒りを持ったこと、それらのすべてを許して下さい

愛しています・・・・・そんなあなたを、そんなわたしを、愛しています

ありがとう・・・・結局すべては、わたしだったのね。この世界のあらゆるものに感謝!

 

記憶(記録)のクリーニングとは、人生ゲームの盤面に記録されている駒の動きや、細かいやり取りを消去するのではなく、その駒は単に出来事を体験するための視点にすぎないのに、それを自分自身だと勘違いしていることを消去しようというものではないでしょうか。

するとすべてがニュートラルになります。

ニュートラルというのは我が消えて、真我と一体になっている状態のことです。

不思議なことに、あなたがニュートラルになると、他の駒もそれに近くなるようです。

だって、全部の駒は本当はあなただからね。

すると、事態はよりワンネスに近い方向に動くということなんでしょう。

 

僕はずいぶん前にブログで書きましたが、最後にその人生ゲームをタンスの上にしまおうとした時に、箱の裏側にこそっと書かれている文を目にします。

「実は、このゲームをしていたのは、たった一人のプレイヤーなのだ」

 

人は死ぬと、まず自分の人生回顧をホログラムのように見せられます。

そして人生のあるワンシーンで、その場にいた全員の感情・気持ちを味わうことになります。

これって、そういうことなのよ。

 

今日のお話が、皆さんが今、悩んでおられる出来事や人間関係の改善に少しでもお役に立てばうれしいです。

僕自身は、自分の母親に対して、ちょこっと優しい気持ちになりました。

 

ここまで書いてきて、ハタと気づくのです。

ヒュー・レン博士のやってるのは、セルフアイデンティティ(self-identity) ホ・オポノポノ。

自己同一性と訳されますが、要するに”自分は何者か?”ということです。

深いね、これ。

2012.7.31

かっぱ、茶屋町お洒落人となる

この土曜日は夕方から横浜で口腔力学研究会の集まり。

僕がプレゼンすることになっていたので、金曜の夜は酒もそこそこに、一年に一回やるかどうかのパワーポイントを使って資料作り。

忘れてますから、”サルでもわかるパワーポイントの使い方”みたいなのを見ながらでございます。

日曜日も研究会があったのですが、僕は大阪でインプラントのセミナーに出席するために、新横浜から始発の新幹線で戻ってきました。

土曜の夜にメンバー11人ほどで関内で店を探したところ、僕が普段好んで飲む鶴齢(かくれい)という日本酒の一斗樽を店頭に置いてる店がありまして、そこのバイトのお姉さんがめちゃ可愛い。

以前うちの受付やってた和美ちゃんに似てます。

全員一致でその店に決定。

う~ん、やっぱり若くて可愛い娘はええわぁ~。

 

いつもは関内にホテルをとるのですが、今回は初めて新横浜でとりました。

6時11分発ののぞみに乗る予定だったのですが、なんと6時ちょうど発、新横浜駅が始発の広島行き”ひかり号”というのがあって、あとののぞみ号よりも京都には先着するのです。

へぇ~、ですな。

超久々に”ひかり”に乗りましたわ。

途中、静岡に停まるのはいいとして、新横浜の次、小田原て。

それでも数分遅れて出発する”のぞみ”よりも先着するということは、前に誰も走ってないから速いんでしょうね、きっと。

5時にセミナー終了して、そのまま天満へ。

最終のJRで奈良に帰って来たのが夜中の1時。

元気やわ、オレ。

 

で、木曜日の話です。

朝から妻とコメダコーヒーでモーニング食べて、清美公社へゴミ捨てに行って、梅田で映画を観に行きました。

”いわさきちひろ”さんのドキュメンタリー映画「いわさきちひろ~27歳の旅立ち~」です。

僕はちひろさんの描く子どもの絵が大好き。

最初に流れる予告編で「屋根裏部屋のマリアたち」というのをやっていて、どんな状況でも笑顔で陽気に生きている女性たちの姿を見て、ちょっとウルウル。

本編でももちろんウルウル。

ああいうやさしい絵を描く人は、かつて傷ついたり、ショックなことがあった人だったりします。

丸善ジュンク堂.jpg

映画館はロフトの地下にあるのですが、ロフトの横になんと7階建ての丸善ジュンク堂のビルが!

なんじゃ、これ!?

すんげぇ~。

今度はこの本屋さんに来るためだけに大阪に来ようねって、妻と話していました。

 

その前にあるお洒落なビル。

NU.jpg

茶屋町NUというそうです。

雑貨屋さんの他、いろんなお店があって、結構おもしろいものが案外安かったりして楽しいです。

嫁さん、麻の糸を二巻き購入。

ある雑貨屋さんで本のコーナーがあり、なかなかにコアな品ぞろえ。

あたらしい自分になる.jpg

マクロビオティックとかの本が置いてあるところで見つけた、服部みれいさんの「あたらしい自分になる」

オススメします。

女性は是非読んで頂きたいと思います。

アーユルベーダのこと、断捨離のこと、パートナーとのこと、ホ・オポノポノのこと、瞑想のこと、布ナプキンのこと、冷え取りのことetc

それらについて、みれいさんが、まるでカフェでお茶飲みながらテーブルの向こうの女友達がこちらに喋りかけてるという感じで書かれています。

 

この中でも僕が特にお勧めしたいのが布ナプキンと冷え取りであります。

確かに市販の紙ナプキンは便利。

鬱陶しい生理から女性を解放したとまでは言わないけれど、その恩恵たるやいかばかりか、とは思います。

でもね、女性の大切な性器の部分に化学製品が直接触れるというのは身体にとって良くないに決まっています。

パンティやブラジャーで身体を締めつけて、そのせいで身体のバランスを崩していることも多いんですよ。

 

半身浴や絹の5本指と綿のくつしたの重ね履き。

貴女のその身体の不調はもしかしたら冷え(上半身の体温に比べて下半身の体温が低いこと)から来ているのかもしれませんよ。

特に生理関係でお悩みの方は、是非是非やっていただきたいと思うのであります。

(不妊で悩んでいる人もね)

 

それとね、足の指で地面(床)をしっかりつかんで、指で蹴って歩くというのも試して頂きたいのです。

オシャレが優先される女性の靴選び。

そのせいで指は変形するし、指が変形したら身体の重心をきちんと足が支えられないし、しっかり歩けないので足から心臓への血液のキックバックが悪くなって冷えを起こしやすくなります。

かっぱ横丁.jpg

明治時代、外国から日本に靴が入ってきましたが、靴の文化、歩行に関する文化が伴っていなかったのです。

靴選びと歩き方って、すごく大事なの。

 

明日は、”ついにわかったホ・オポノポノの原理”

俺って天才だわ(笑)

それにしても、今このタイミングで(最近のブログの内容から考えて)こんな本に出会うんだなぁ、とつくづく感動するのでした。

2012.7.30

創造と体験 ~The Next Stage~

考えてみれば、”ならまちワンネス歯科”はちょうど北京五輪開幕の日にオープンしたのでした。

2008年8月8日。

それから4年が経ち、ロンドン五輪が幕を開けました。

中国からイギリスへという軸の移転も何か意味ありげではあります。

移転開業から4年が経ち、当院もようやく軌道にのってきました。

最近では、平成7年に大阪で西塔歯科を開業して以来、初めて経験するような新患さんの数です。

ありがたいことだと本当に感謝の気持ちがわいてきて、そういった時につい顔を出そうとする自分に対する自信のなさを封じ込めようと努力するここ数日です。

 

それには色々な理由が考えられるのですが、一番大きな理由はおそらく、”ワンネス歯科の概念”が明確になってきたからでしょう。

最初、その名前をつけたとき、「みんなひとつなんだ」といった、何となくというイメージでしか捉えていませんでした。

先日もブログで書きましたが、今では身体と心の調和、僕とスタッフとの調和、医療者側と患者側との調和、そういったことだと確信しています。

どのような商売でもそうでしょうが、掲げている看板の裏にあるもの、それが明確でなければ客は来ません。

つまりは、「ここ何するところ?ここの主人は何をしたいの?」というのがはっきりしないと、客はその店の暖簾をくぐらないということです。

ラーメン屋さんで「こだわりのスープ」などと看板に書いたところで、客にしてみたら「???」

これは人生にもつながりますね。

西塔治という看板出してるのであれば、そのコンセプトを明確に打ちたてろ!ということ。

本日は、おそらくどのメッセンジャーも言っていないであろう話をお伝えします。

 

僕が地球の波動の変化を感じ出した約3年前より、日々刻々と地球のエネルギー場は上昇しています。

その上昇度合いが大きい時は、その都度ここでもお伝えしてきました。

そして2012年夏、僕たち人類は新たなステージへと入ってきています。

僕たちが立っている場のエネルギーが上がるということは、難しい言葉を使うと”励起状態”ということなのですが、今までよりずっとわずかの力で、ほんの少しの背伸びだけで、思ったところに到達するということを意味します。

何度も言いますが、このような状態は地球の歴史上今までほとんどなかったのです。

(皆無であったかどうかはわかりません)

 

体験的に自分をより深く知る。

それが人生の目的。

だから、憎しみや悲しみや嫉妬などを経験したいと願い、他の魂たちの協力を得て(悪者役をしてくれる人のことね)、その体験を実現してきた。

そのために、さまざまな効果的であろう過去世や親を選ぶことによるトラウマを身につけてきて、それが個性となった。

しかし、実際にはそれらが自分が望んだことというのは忘れてしまっているので、つらく苦しい体験と戦って疲れ果てたり、逃げ惑って崖から落ちるということばかりだった。

ただ、それを体験してその感情を味わえば良かっただけなのに。

 

・・・・てなことは、先月までの話。

これらの概要は、かの不滅の名著「神との対話」にも書かれているのですが、この本が書かれたのは1997年のこと。

15年前です。

書かれていることはすべて永久不変のことですが、当時とは状況が違うのです。

 

皆さん、輪廻転生も含めて、人類はいったいどれだけの時間をこの地球上で過ごしてきたでしょう?

まだ、嫉妬やら憎悪やらの感情を体験する必要がありますか?

もう十分やってきたでしょう。

だからもうそういった、どちらかと言えばネガティブな感情・体験はこれからは必要ないのです。

 

これからは、あなたはあなたが体験したいことを意識的に創造する

 

そういう時代でに突入したのであり、それが可能な時代になったのです。

本来、宇宙創世の目的はそうだったのです。

自分が創造したことを体験するため。

体験したいことを創造するため。

ところが、善悪の判断がすべてを狂わせていきました。

憎しみが悪いこと、嫉妬が悪いこと、そういった価値判断が感情と体験を捻じ曲げていったのです。

もしかしたら、僕たちが普段考えている感情に対する解釈は大いに間違っているのかもしれません。

嫉妬は憧れ。

憎しみはどうしてそんなことをするんだろう?という疑問。

 

僕たちはもう、この世界の理をほとんど理解しました。

だから昨日と同じである必要はないのです。

もしいつまでもネガティブなものを引きずりたい人、希望を持って明日を見れない人は、残念ながらどうぞそのままいてください、としか言いようがありません。

すべてあなた次第だからです。

 

今まではこういったことは、苦しんでいる人を救うために言われてきました。

「今している体験を心地良く思わないのなら、あなたの思考を変えなさい」と。

僕は今、同じことを言っているのですが、時代背景が変わってきました。

苦しんでいる人を救うためにその言葉があるのではなく、本来はそうだったのだと僕たち全員が思いだすためにその言葉があるのです。

これ以上に思い出すべきことなど、もはやないのかもしれない。

 

あなたは体験したいことを創造(思考)し

創造したことを体験する

それが生きる喜びなのだ

それがあなたが生きている真の意義なのだ

2012.7.28

Midnight Affair

え~皆様、夜分遅くに失礼いたします。

と言っても、ほとんどの人はこれを明日に見るでしょうから関係ないでしょうけど。

 

僕は見た目の事情からか(ていうか、それっきりしかないんですけど)、年上の人と話していても、完っぺきに年上扱いされてしまいます。

要するに60いくつの人に先輩扱いされるということです。

そして僕が自分の年齢を言った後でも先方の丁寧な言葉遣いが変わらなかったりします。

「どうせやったら」 ということで、最近ではもう相手が幾つであろうが、こちとら人生の先輩風吹かして偉そうに話すことにしておるのです。

面倒臭いけんね。

おまけに相手の頭の中、幼稚やし。

 

てなことをしていますと、今さらながらに、僕はこういう髪型(ていうかハゲ)していて意味あることだったのだなぁ、と思うわけ。

それを聞いた”かえる庵”の大将が、「あんた、そのためにハゲとったん?」・・・・・・って。

そんなわけあるかぁぁああ!!

 

話を思いっきり変えまして、今日の話はかなり厳しい、考えさせられる話でおます。

これも酔っ払って風呂に入っていたら思いついたのね。

僕の守護天使に関して、もしかしたら「こいつも酒好きなんちゃうんか?」 と思ってしまうのですが。

 

あなたが自分の旦那さんでも奥さんでもいいんですが、その介護をしているとしましょう。

初期のアルツハイマーです。

時々、介護している自分のことも誰かわからなくなることがある、という状態。

あれだけ長く愛してきたのに、わたしのこともわからなくなるって、いったいどういうこと?

 

さて、その時、あなたの願いは何でしょうか?

連れ合いが良くなること?

もちろん普通はそうです。

でね、そのあなたの願いをとことん突き詰めていった時に、あなたの中で起こるであろう感情、つまりはそういう感情を味わいたいからその願いを持ったというのは何でしょうか?

介護している相手が良くなるというのは、相手の心に入った時にはどうなんでしょうね?

そんなのわかりっこないですよね。

つまりは、嫌な言い方しますと、あなたはその介護から解放されたい、そのスッキリした感じを味わいたいというだけではないのでしょうか?

 

よろしいですか?

嘘はナシよ。

この話は自分に正直な人だけを前進させてくれるようになってんだから。

 

これには正解があります。

しかし、99.9%の人が正解にはたどり着きません。

僕もメッセージとしては出しているけど、いざ自分の問題となった時に正解を出せるかどうか自信がありません。

その正解とは・・・・・・・

 

妻が、あるいは夫が、認知症が治るかどうかは神様(深い意味での本人)が決めること。

でも、自分は連れ合いが治ろうがどうであろうが、そこにはこだわらない。

わたしは、その介護を通じて夫婦の愛をもっと深めていくのだ。

それは、今までのように片方が働いて、片方が家事や育児をして、という何十年の中では培われなかった気がする。

だからこそ今、この連れ合いの病気があるのであり、介護があるのだ。

もちろん、治ってくれて、以前のようになれば良いと心から願う。

その一方で、神様は違うプレゼントを授けてくれた気もする。

わたしは、この介護を通じて、人として一番大切なものを体験的に知ろうとしているのだ。

 

いかが?

僕は酔っ払いながら、このメッセージを風呂場で受け取った時に絶句しました。

ひとりツッコミ ひとりボケならぬ、ひとりメッセージ受け取り ひとり絶句ってやつね(笑)

僕は最近、「シャングリラからの伝言」はもう以前のように、高次元のメッセージを仲介するのではなく、僕が僕として発するのだ、と書きましたよね。

でも、このように、とてもじゃないけど僕という人間では思いもよらないものを受け取ったりするのです。

西塔治というのは非常に濃い人間のはずなのですが、なんだかビミョ~やなぁ・・・・。

2012.7.26

限界の向こうにあるもの ~宿題の答えは?~

うちの水槽でメダカが子供を産んでいました。

実際には産んでいるところを見たわけではないので、僕にすれば水槽の中にいきなり小さな小さなメダカの赤ちゃんが泳いでいるわけです。

昨日までいなかったものが、そこに存在する。

生命の神秘を感じるとともに、”いのち”というものの何らかの意図を感じざるを得ません。

 

”もし、絶対に失敗しないとしたら、あなたは何をやりたいか?”

 

この超難問は如何でしたでしょうか?

実はこれは先日、奈良市歯科医師会主催で行われた講演会で講師の鶴岡秀子さんが聴衆に問いかけたものなのです。

「夢の設計図の描き方~夢を実現出来る自分に出会う方法~」

う~ん。

僕も唸りました。

答えはすぐに出ませんでした。

だって、僕たちは常に失敗した時のことを考えておけと教えられてきたからです。

急にそんな枠を外されても、わけがわかんない。

これって、神様に背中に羽をつけてもらって「さあ、これでおまえはどこへでも飛んでいけるよ」とポンと背中を叩かれても、「イヤイヤイヤ、ちょっと待ってチョンマゲ」ていうのと同じことです。

出来ないと思っていた事を急に出来るからと言われても身体が動かないし、頭もそういうふうに働きません。

 

限界をはずす。

自信を持つ。

明確な未来ビジョンを持つ(想像が創造をよぶ)

その未来ビジョンをなるべく高い次元に設定する。

 

”何をやりたいか?”というのは言うまでもなく、かなり高い次元の話をしています。

こう言われて、お金儲けとか言う人はまずいないでしょう。

別にそう答えても良いんだけれど、ここで聞いているのは、”お金を儲けて、そしてどうするのか?”ということです。

「総理大臣になりたい」なんだけど、

総理大臣になって一所懸命仕事をして、日本国民が健康で幸せに暮らしている、それを総理大臣という視点から眺めていたい、その時の総理大臣でありたい、という感じなわけね。

何をやりたいか=どのような自分でありたいか  です。

 

少なくとも僕らの子供の時って、「将来何になりたい?」とか「将来の夢は?」とか聞かれた時に、「野球選手!」「ケーキ屋さんっ!」「スチュワーデス!」と答えながら子供ながらに自分のその姿をイメージしていましたよね。

そして夢が実現した時のワクワクした楽しい気分を味わっていたのです。

それが「無理に決まってるじゃん」みたいなことを大人たちに言われるようになって、そんなイメージをすることすら忘れてしまった。

 

オーディションの話でもそうなのですが、とりあえずはオーディションに受かりたいという目先の願いがあるわけです。

その次に自分がモデルになることによって、その商品イメージをあげてクライアントに利益をもたらしたいという気持ち。

商品を多くの人に知ってもらい、買ってもらうことにより皆がより幸せになって欲しい(ま、ここでは”幸せ”をこういう使い方しておきます)。

これを延々続けていくと、自分はオーディションに応募しているだけなのに、最終的には人類の幸せというところに行きつきます。

このようなビジョンは現実化されやすい、つまり、こういう姿勢でオーディションに臨む人は採用されやすいということです。

なぜか?

 

この世界はワンネスだから。

たったひとつのものしかないのであれば、そのひとつのものの為になることは実現されるに決まっている。

ワンネスをひとつではなく、違うものの調和とするならば、全体が調和するような願いの元に行われようとする行為は宇宙的なサポートを受けやすい。

joyヒーリングで最初に唱える言葉

「もし大宇宙の御心に適うならば、そして全生命にとって善きことならば、わたしを電線(道具という意味)としてお使いください」

 

だから視点を高く持つということは、願望実現のために非常に大事なことなのです。

どのような願い事も、他人の協力なしには実現しません。

視点が高ければ高いほど、たくさんの人の協力を得ることができます。

ビジョンの共有が起こるからね。

 

願い事はまず大目的と小目的(目標ともいえる)とを分けて考えるべきです。

最終的には高い視点で、人類の為、地球の為ということを冠した目的になるでしょう。

しかし、そんなことはそう簡単に実現するものではありません。

一生かけて、あるいはいくつかの生涯をかけて為されるべきものです。

それとは別に、実現可能な短期的な目標を設定します。

その目標を次々にクリアしていった先に大きな目的が見えてくる。

 

この小さな目的、目標というのは比較的すぐに思いつくのですが、それを延長していった先が見えてこないので、宿題の答えを出すのが難しいのね。

ワンネスの実現とか、世界平和とか、そういった概念的なものではダメなのです。

もう少し自分の人生の生き方として具体的にイメージできながら、なおかつ壮大なものでなければならない。

無理やり考えて出すような答えには嘘が混じりますので、そういった時は無理に答えを出そうとせず、とりあえず小さな目標をコツコツ達成するようにして、いずれわかる時を待ちましょう。

 

ただね、僕が思うことは・・・・

自分で自分に限界を設けているって言いましたよね。

限界を設けていないことだってあるわけです。

例えば僕ならエッセイを書けと言われたら、かなり人の心を捉えるようなエッセイを書くことが出来るでしょう。

自分で文章が得意だと認識しているからです。

感性も豊かであると知っているからです。

それを大手出版社が出してくれたらベストセラーになるかもしれません。

でも今の僕にはスピリチュアルメッセージ以外は興味がないので、そのようなエッセイに対する依頼にも関心がありません。

つまり僕の大きな目的はどうやら、得意な文章を書くことの先にあるわけではないのかもしれません。

 

ということはですね、もしかしたら自分が本当にやりたいこと、絶対に失敗しないとしたらこれをやりたい!というのは、自分で設けた限界の向こう側にあるのかもしれません。

自分にはこういったことは絶対無理と潜在意識に刷り込んできたもの。

自分が自分の何に、どういったところに限界を設けたのか?

それを知ると、もしかしたら人間大きく変わって、人生開けるかもよ。

2012.7.24

世界にひとつだけの花

昨日の午前11時位。

堺筋本町17番出口を上がり、日曜日ということで人通りもほとんどなく、車も少ないオフィス街の堺筋を北に向けて歩いていた僕はなぜか急に、右手の人差し指を立て、空に向けて高く高く誇示したのでした。

自分という存在を。

そして思ったのです。

 

”自分の中で一番になればいいんだ”

 

自分の中での一番とはすなわち、自分の持てるものを最大限に発揮するということです。

僕たちにはまだまだ眠っていて開花していない能力だったり、魅力だったりがあるのです。

それらはどうして眠っているのかというと、無意識のうちに自分で自分に制限をかけているから。

 

僕たちは生まれた時から無知なものとして育てられてきました。

確かに産道を通る時にたくさんのことを忘れるようにはなっているのですが、親が子供のことを何も知らないとして接するため、子供は「自分は何も知らないんだ。だから他人に教えてもらう必要があるんだ」というふうに刷り込まれます。

これが僕がよく言うところの

”教えてもらわないことは知らない”

 という大いなる誤解の原因になっています。

 

時々メールで聞かれるのですが、「どうしてそんなことを断言できるのか?」「何が根拠になっているのか?」

どうしてって、知っているから。

それが理由です。

もっとも当ブログは正しいことを書いているというスタンスではありませんので、いちいちそんな面倒臭いこと聞いてくんなや!と思うわけです。

僕の言うことが合っていようが間違っていようがどうでもよいのであって、要は皆さんが自分の中の忘れていた事を思い出してもらうキッカケになれば、というのが目的なのですから。

 

これもよく使う例えなのですが、子供の頃、テストで98点とっても「よくやったね!」と褒められることなく、むしろ「どうしてあと2点がとれなかったの?そうしたら100点だったのに。いつもあなたはあと少しが足りないのよね」

その子は知らないうちに「僕はいつも何かが少し足りないんだ」というのが潜在意識に持つようになり、表面上はどうあれ何かしらの劣等感に苛まれます。

それもそのことに気づかない限り一生ね。

 

僕は小さい時から文章力を母親に褒められ続けたお蔭で、実際の文章の巧拙はともかくとしても、本も出版したし、このようなブログを自信満々に書いております。

しかし、これが文章以外の他のことだとどうでしょう?

「あなた、そんなこと無理に決まってるでしょ。出来っこないわよ」

「なに考えてんの?ダメじゃないそんなこと言っちゃ」

「そんなこと他人に言ったら馬鹿にされるわよ」 etc.

 

どのような状況で親にその類のことを言われたかにより、細かい所は人により違うでしょうが、これこそが自分で自分に制限をかける、限界を設けてしまっている大きな要因であります。

基本的には自信を持つことが困難になりますよね。

子供は元来何ものにも抑制されない自由な発想をすることが出来るわけですから、これダメ・あれダメと言われるとにっちもさっちも行かなくなります。

逆に一切否定されずに育てられた子供は大物になります。

不可能なことなどないという態度で人生に臨むことができます。

そして非常に楽天的になり、なんでもポジティブに考えることができます。

何かを為そうとした時に、もちろん紆余曲折、苦労はするのですが、最終的にはそれらを乗り越え目的を果たすことでしょう。

否定されない教育というのは、ことほど左様にその子の一生を決めると言っても過言ではないのですな。

 

僕は自分に自信がありませんでした。

今でも油断するとそういった自分がすぐに顔を出します。

「え~っ!?」と不思議に思われるかもしれませんが、そうなんですよ。

僕には、あの時のあの親の一言が・・・・というのは全然思い当たらないのですが、でもなにかしらがあったのは確実です。

そうでなければ説明がつかないもの。

そして、そうであると仮定すると、あらゆることが説明出来ちゃうの。

嗚呼、そうだったのね、って。

 

自信がないというのは大変な曲者で、これがないと人生絶対にうまくいきません。

しかし、自信を持てと言われても、そう出来るくらいだったらとっくにやってるわい・・・なんですよね。

ところが、”自分で自分に限界を作ってしまっている”という話と一緒に考えると、だから自信を持てなかったんだ、と妙に納得したりするのね。

これから、ちょっと大切な話をするでおます。

そやさかい、よう聞いといておくなはれ。

 

今までは、自分がとらわれていたトラウマを見つめ癒してあげることが必要であるとしてきました。

まあ、それはそれで良しとしましょう。

そしてトラウマにまつわる感情を解放してあげる方が良いとも言ってきました。

解放するとは、トラウマに関する怒りや悲しみを封じ込めるのではなく、もう一度味わって表現(爆発)してみようということです。

ところが、これからはもうトラウマに捉われる必要もなくなっていきます。

それが自分の中にあったと認識するだけでOK。

もちろん癒しても解放してもいいんだけど、もうあまりそういったことにこだわらんでもエエのね。

時代は未来を向いとるわけです。

 

成りたい自分の姿が想像できますか?

在りたい自分の姿が想像できますか?

想像できないものにはなれません。

想像できないものは創造出来ないという大原則があります。

今までは成りたい自分に成ろうとしても、「どうせ自分には無理」と、自分で限界を作っていました。

そうだったと気づくだけで良いのです。

その限界をはずそうなどという努力は要りません。

限界を作っていたことを認めるだけで良いのです。

あなたには無限の可能性があります。

知らず知らずのうちに、そんなことはないと思い込まされていただけなのです

 

あなたには成りたい自分に成ろうとしても自信がありません。

それもそうだと気づくだけで良いのです。

自信を持とうと努力する必要はありません。

自信が持てない自分がいると認めるだけで良いのです。

すべてそう思い込まされていただけなのです。

あなたは生まれてからずっと他人とあるいは平均と比べられてきました。

上には上がいるのが常ですから自信が持てなくて当然なのです。

 

あなたは朱でいいのに、赤色が薄いと悩んできました。

どうして藍でも青でもないのだろうと悩んできました。

あなたは朱色という素晴らしい色を持っているのに・・・・

他の色と比べられてきたからです。

そうするとあなたの朱色そのものがくすんできます。

もっともっと朱を輝かせましょう。

 

現状を認識したなら、もう過去の清算は必要ありません。

未来ビジョンを明確に設定して、イメージしてください。

そしてそれに向けてどんな小さなことでも良いから行動を起こすのです。

すると、過去は自動的に清算されます。

これが今までとは違うところで、この夏からはそうなっていくようです。

それこそが2012年に生きていることの証です。

言っときますけどね、これって目茶目茶スゴイことなのよ。

こんなこと、地球の歴史上ほとんどなかったんだから。

 

僕は自分の中で一番になる

 

それは、僕が精一杯光り輝くこと。

自分の元々持っている無限のものに気づいて、それを外に向けて発揮すること。

そう、僕は僕以外のなにものでもなく、それこそが僕が宇宙から授かった大切な宝物なのだと気づいたのだ。

2012.7.23

オーディション

担任との親子懇談のため一週間ほど帰省していた藍が今日、福井に戻りました。

普通に受験して高校に行く気は今のところない旨を担任に伝えると

「気楽な身分ですねぇ」

 

僕は、高校でも専門学校でも行きたくなったら行けば良いと思う。

15歳になったから高校に行かなければならない

18歳になったら大学へ行かなければならない

そうは思わなくなってきました。

折りしも、文科省が打ち出した飛び入学制度が話題になっているようです。

学びたい時に学びたいことを学べばよいのではないか?

そう思うのです。

 

そこに入試やら、就職やらに対する固定概念はありません。

もっと自分の人生を自分で自由に設計するべきではないでしょうか?

そこに横並びの感覚は要らないでしょう。

藍のようにやりたい事が決まっているのなら尚更です。

 

母子手帳など典型的なのですが、読んだらわかりますが、以前ほどではないにしても、生後〇カ月までに〇〇が出来ていますか?〇歳〇カ月でここまで成長していますか?みたいなことが書かれています。

ここから子供たちは常に標準と比べられる、それも社会から(検診によって)、おまけに母親からも比べられるのです。

アッホかいなぁ~。

 

最近、当院では妊産婦さんに積極的にそういったことに対する正しい情報提供をするようにしています。

専門家とされる人でさえ、嘘ばっかり言うんだもん。

すでに欧米では否定され、捨て去られた育児法が、いまだまかり通っているのは日本くらいのものです。

保健師さんですら間違ったことを言う人が多いです。

なぜかというと、それらは知識を本から得るからです。

あるいは先達の間違った考えを受け継ぐからです。

 

胎児、乳幼児に関する指導をする人は、縦軸でしかものを見ていません。

どういうことかというと、1才半であれば平均的に、ここまでの成長が見られるはずなので、それと比べるとお宅のお子さんは少し発達が遅いですね、みたいな感じ。

僕たち歯科医は一人の患者さんを、お腹にいる時から、幼児期、小児期等々ずっと追いかけることがあります。

あるいは違う患者さんであっても、さまざまな年齢の方と接するわけです。

戦前の生まれの人から平成生まれの方まで。

それぞれの育ち方、生活習慣などを見た時に、小さい時にこういうことをしていると将来こういう風になる、というのがわかるわけです。

つまり僕たちは人を横軸(時間軸)と縦軸(現象やその頻度)の両方で見ている。

そこが専門家と言われる人と違うところです。

専門家は非常に狭小な偏った見方をする人が実に多い。

そして何より自説にこだわる姿勢が何とも愚かしい。

 

ああっ、前説が長くなってしまった。

本日の主題はそんなことじゃありません。

寝ながらふと思いついたことです。

最近ちょくちょく出てくる久瑠あさ美著「マインドの法則」の中に次のような話があります。

 

著者がかつてCMモデルのオーディションを受けた時のことです。

当然選ばれるか、選ばれないかの二者択一なのですが、皆さんならどういった気持でそこに臨みますか?

普通はどうすれば選ばれるか?と考えますよね。

審査員、つまり広告代理店とクライアントの広報課の人間が、どのようなイメージのモデルを求めているのかを考えるわけです。

しかし彼女は少し違いました。

その商品がCMで放映された時に、どのようなイメージを視聴者に与えれば良いのか?

さらには、そのCMがどのように社会に評価され、どのようなインパクトを与えるのか?

その商品がヒットした時の社会的な意義は何か?

そこまで考えて、審査側の要求に対して自分を表現するというオーディションの受け方をしたのです。

つまりオーディションとは彼女にとって、試される場ではなく表現の場となったわけです。

 

これは選ぶ側、選ばれる側に共通のビジョンの存在を意味し、さらにはそのビジョンをさらに高い次元まで引き上げるように設定することにより、審査側が気づいていなかった商品の価値を見出すことまであり得ます。

こうなると選ばれる云々じゃなくって、選ばせるになってしまいます。

 

さて、僕が考えたのはそういったことを意識してやるのではなく、ただ自分がオーディション会場に存在するだけで、「ああ、この人に決定!」と思わせるような人間になればいいな、ということです。

努力をせずに成功するってやつですね。

この時、他の応募者は蹴落とされることになるわけですが、自分から見れば競争しているわけではない。

自分がそのオーディションを選択した時点で、すでにそうなっているということです。

 

よろしいでしょうか、みなさま。

このブログが先日来、皆さんを導こうとしている先がおわかりでしょうか?

2012年6月をもって(正確には6月26日)、過去を引きずるのは終わりました。

これは地球の波動レベルの話です。

7月からはすでに未来に向かっています。

これからは望みや願いを叶えていく時なのです。

そう、あなたは成りたい自分に成る!

在りたい自分で在る!

だからこその宿題であったのでした。

2012.7.21

On Top of Old Smokey

生きることに意味などない。

生きることとは、生きることなのだ。

 

通常僕たちは、オシッコをしたいからトイレに行く、お腹が空いたからご飯を食べる等、必ず目的があって行為に及んでいると思っています。

ところが生きることの目的は、生きるという行為そのものにあるということです。

これはいったい、どういうことなのでしょう?

 

僕たちは最終的にはワンネスという頂上を目指して、各々が山の斜面の違う道を歩んでいます。

その頂上は遥か高みに在って、とてもじゃないけど目視できません。

見えているのは目の前の木々や草であり、その中を切り開きながら歩いているわけです。

道が昇りになっているのか、下りになっているのかも、行く手を遮っている枝や草を取り除きながらでないとわからない。

苦労して道を切り開いても、目の前は千尋の谷かと思わせるような下り道。

下りは楽なようですが、目指しているのが頂上なのですから、これは困ったものです。

そろそろ下り切っただろうと思って、前の枝を切ってみたら、またしてもひどい下り道。

ウゲッ!

 

頂上は雲に隠れて見えないけれど、方向さえ間違えていないのであれば、いずれはそこに着くはず。

だけど、苦しいんだ。

もう十分なんですけど・・・・・。

そこでふと考えるわけ。

「オレ、なんでこんなつらい思いまでして登山をしてるんだっけ?」

頂上に立った時の爽快感?

そういや昔、こんなこと言った人がいましたよね。

 

そこに山があるからだ

 

理由なんていらないのかもしれない。

山に登ることそのものが目的。

そう、登山の目的は山道を歩くことそのものにあるのじゃないでしょうか。

当たり前のことだったのだけど、頂上を目指すという言葉に惑わされがち。

であれば、つらくても、楽チンでも、一歩ずつ歩を進めないことには仕方がない。

そしてその状況を楽しむ・・・・・って、

あれっ?

結局それって、すべてをありのまま体験することじゃないの?

な~んだ、要するに同じことかぁ。

 

僕たちは、つい物事の原因とか目的とかを知ろうとします。

その結果、今の行為に集中できなくなります。

「シャングリラからの伝言」では、”人生の目的を知らずに人生を生きるとは非常に無謀なことだ”としてきました。

それは全くその通りです。

しかしながら、いざ僕が僕の人生に照らし合わせてみると、なかなかそうだと知っても上手くいかない現実がありました。

ところが先日、「そうか。生きるとは生きることなんだ。ただ生きる。それが答えかもしれない」と思いついたのです。

 

生きることに意味などない、というのは以前からよく言われていた言葉です。

しかし、自分が自分の人生を生きながらそのことが腑に落ちるのはまた別物。

ものの見方の問題なのですが、違う角度から見てみると妙に納得するものがあったりします。

そしてよく考えてみると、どの角度から見ても結局は同じことである、とも気づきます。

 

そうやって、ごちゃごちゃ頭で考えずに腹をくくって生きてみると、なんだか自分に起こることが変化してきました。

そう、ツキだしてきたのです。(馬券のことだけじゃないよ)

この流れはもう止まりようがありません。

こちらとしては、腹をくくっているからです。

何が来ても「かかってこんかい!」のスピリットが身体中を満たしているからです。

こうなれば、もう大丈夫。

そう、僕はもう絶対に大丈夫なのです。

 

僕は、”シャングリラからの伝言”は、皆さんと肩を並べながら、あるいはもしかしたらほんの半歩だけ前を行きながら、歩んでいきたいと考えています。

歩くのが速い人はどうぞお先に。

僕は歩みの遅い人から見えなくなるような所までは行きません。

すべての人がワンネスになるように。

むか~しに、ブログに書いたと思いますが、”シャングリラからの伝言”は決して皆さんを道に迷わせません。

2012.7.20

生きるとは何か?

うちの従業員は、時々僕に相談事を持ちかけてきます。

「先生、今日診療終わったらちょっと話聞いてもらえませんか?」

これ言われたらドキッとします。

まあ、家族のことだったり、彼氏のことだったりするのですが、僕が彼女たちだとして仕事のことならともかく、プライベートな相談を男の院長にするかというと、絶対にしません。

でも彼女たちは僕にはしてくれるのです。

うれしいこと、ではあります。

信頼されているということでしょう。

なぜ信頼されるかというと、それは僕が正直だからです。

 

今、話題のいじめによる(と思われる)自殺問題。

そこで露呈するのは、教師が生徒たちに信用されていないということです。

いじめられている方にも信用されていないし、いじめている方にも信用されていない。

もしかしたら親も信用されていないのかもしれません。

教師が大変なのはよ~くわかっています。

親は自分の現実を認めるのが怖いものです。

なぜ彼らが信用されないかというと、嘘をついているのがわかるから。

でも今こそ、そこに光を当てなければ、ずっとこのまま。

なんとかこの事件が正しい問題提起へと繋がって欲しいと願います。

 

さて、「生きる」という今さらですか?という感じのテーマです。

生きるとは何でしょう?

何のために生きるのでしょう?

おそらく熱心な読者のあなたはこう答えるはず・・・・

 

”あらゆる体験を通して自分自身を深く知るため”

 

それは人生の目的。

人が何のために生まれてきたのか、の答え。

もちろん、生きる目的にその答えをしても間違いではありません。

でもね・・・・・

 

どんなつらいこと、苦しいことも味わい尽くせば、体験し尽くせばそこからスッと離れられて、次のステージへと導かれる。

ところがですね、次のステージには、さっきまで居たところが人生のどん底だと思っていたのに、まだ底があったの?って感じのものが待ってたりするんですよ。

ここで普通はへこたれます。

思わず天に唾したくなります。

「なんで俺ばっかりこんな目にあわなアカンねん!

これだけ一所懸命生きてるやないか。

これ以上どうせえっちゅうねん。

お前なんか(←神様のこと)死んでまえっ。(←死にませんからね、神様は)

くそぉっっ・・・」

 

悔しくって、情けなくって、その情けなさが自分だけじゃなく、夫として、父親としての自分にも向かってきます。

男としては矜持がありますから、仕事のことや経済的なこと、そんなことは一切家族には話せません。

心がどんどん孤立していき、ついには自分なんか生きている価値なんかないんじゃないか、と思うようになります。

そもそも生きるって何なんだ?

どうしてこんな苦しい目にあわなくちゃならないのか?

 

ここでの間違いはね、生きることの意味を探ろうという姿勢にあります。

生きることに意味なんてないの。

 

え?

だって、体験を通して自分を知るんじゃなかったっけ?

 

もちろん、そうです。

それが絶対的な真理であり、宇宙に存在するすべてのものの存在意義はそこにあります。

しかし、いざ実際に生きてみて、上の男性のような感じになれば、とてもそんな言葉では納得しかねるものがあります。

どん底の感情を味わいつくしたつもりなのに、いったいいつまで続けば気が済むのか?

「シャングリラからの伝言」は嘘をついていたのではないか?

 

僕が今まで生きてきて思うのはね・・・・・

 

生きるということは 生きるということなのだ

 

ということです。

ドツボに嵌って抜け出せない時、理由を考えたり、成功本に書いてあることを試してみたり、、、、

とにかく頭で色々考えたら腹ばかり立ちます。

そういう時にハウツー本の通りにやっても上手くいかないの。

かといって、ドツボのままいるのも御免です。

どうしたら良いのでしょうか?

 

何も考えずに、ただ生き切ることです。

現状は当面変えられない。

ここはひとつ腹を据えて

”なんぼでもかかってこんかい!”

”どこまででも相手したるわい!”

”どん底はこんなもんか?もっと来いや!”

くらいのノリが必要です。

 

ところがですねぇ、事、ここまで至るとあれれ?

何だか宇宙が動き出しましたよ。

もしかしたら、上昇気流が出てきたかも。

 

さあ、そこからが勝負です。

この勝負の仕方についてはそのうちに。

昨日の宿題、ちゃんとやっといてね。

2012.7.19

アセンションの誤解

第48回函館記念 GⅢ

3連複 24550円

的中!

いくら買っていたかは内緒ですが、いつぶりか忘れるくらい久々の会心のヒットでした。

 

返す刀で弥彦競輪で行われていた寛仁親王杯決勝も狙いましたが、1着は予想通り5番車の佐藤友一(岩手)だったのですが、もう一人2,3着に固定して買っていた矢口選手が飛んだためアウト。

3連単 33730円

く~っ、惜しい!!

 

でも、ついに「シャングリラからの伝言ダイヤル~あなたもギャンブルでひとやま当てませんか?~」の時代が来たかなぁ(笑)

冴えまくってるぜ。

 

今日の話は、こういうこと言ってる人↑はアセンションしまへんで、ということじゃありません。

人類が覚醒していくと、地球がアセンションしていくと、そのすぐ先に平和で穏やかな理想郷が待っていると思っている人がいます。

んなわけないやろ!ってことです。

 

僕が思うに、たくさんのメッセンジャーがいて、それはそれで良いのだけれど、でもね、あなたたちの素の姿が見えてこないのはいったいどういうわけ?

あなたの家族が見えてこない。

あなたの仕事ぶりが見えてこない。

どんな家にだって多少のゴタゴタはあるはずなのに。

どんな仕事してたって、山あり谷ありのはずなのに。

 

例えばディクシャを受けて「わたしは今、至福です」と言われても

「ホンマか?おまえ。俺にはおまえの私生活での幸せな姿が見えてけえへんぞ!」と思ってしまいます。

 

家族はワンネスですか?

家族のワンネスとは、家族全員が全員のことを全面的に受け入れているという状態のことです。

そこには自分で自分を受け入れるというのも含まれています。

決して家族同士喧嘩をしないということじゃないのね。

 

仕事場ではどうですか?

そもそもあなたの仕事ぶりそのものはどうなの?

他人のために役立っていますか?

そうでないなら、それは仕事とは言いません。

単なる趣味です。

 

僕はそういうことが見えてこないメッセンジャーのことは信用しません。

愛だの、ワンネスだの、なんて言うだけなら誰にだって言えるからです。

それが本当に言霊として響くには、その人の人生の裏打ちが不可欠なんですね。

 

別にうまくいってなくってもいいの。

人に言えないくらい恥ずかしいこと、情けない事ばかりでもいいの。

だからってメッセージを出しちゃダメってことはありません。

むしろそちらの方が真実味があるでしょう。

 

あまりにもスピリチュアルの言葉遊びをしている人が多すぎる気がする。

スピリチュアルというのは実践を伴ってこそ意味があるのです。

パラレルワールドなんて知っていたら面白いけど、それ以上に知る必要もないでしょう。

そんなことばかりに興味を持ってグラウンディングしてないならナンセンスです。

そういう人はどうぞ、バシャールとかの眠たい話でも聞いてください。

 

経済を例にとりますが、5年先に貧富の差がなくなるなんてことは絶対に起こりません。

お金を必要としなくなる発達した文明にはいずれなりますが、それはもっと先のことです。

ここを強調したいのですが、いきなりその理想とする所へは行かないし、行く必要もない。

まずは、お金を上手に活かしながら経済を成り立たせる社会を経なければなりません。

自分を表現・創造する機会は平等であるべき。

しかし人の能力にはそれぞれ違いがあります。

機会が均等であっても、お金をたくさん稼ぐ人もいれば、そうでない人もいるでしょう。

そんな中において、お金持ちは事業の拡大・充実に投資しながら、それに見合っただけの税金を払い、その税金が皆の幸せのために使われることで喜びを感じる。

お金を稼げない人も、それ自体が目的ではないので、自分の創造に関して満足している状態。

しかしお金が稼げるということは、それだけ多くの人の役に立っているということなので、さらに上を目指そうという意思を持っている状態。

そういった経済社会を経て 、その先のお金を必要としない社会へと徐々に移行していく。

 

ワンネスも同じことなのです。

すべてが調和して皆が幸せな状態というのは確かに理想ではあります。

最終的にそこを目指してはいるのですが、その道中で解決しないといけない人類の未熟な点があまたあるわけです。

その解決を通して人類は成長・進化し、ゴールに向かうのです。

(ただし、本当のところを言うと、ゴールなどというのはこの宇宙に存在しません。常に進化しかないのです)

 

だからね、”2012年中に覚醒しない人は、アセンション後の世界にはいなくて、違うパラレルワールドに行く” などというのは、とんだ戯言でしかありません。

宇宙人がUFOに乗って地球にやってきて、覚醒した人だけを滅びゆく地球から助け出す、というのもお笑い草です。

勝手にどこへでも行ってくれっつうの。

それアセンションでも何でもないからね。

単なる逃避行じゃん。

 

今現在は、抑止力としての核兵器というのは仕方がないのかもしれない。

でも、徐々に民族間の紛争を解決していき、大国も小国も、先進国も途上国も、皆が融和するような社会を作り上げていかなければなりません。

それをいきなり核の根絶!とかいうからおかしくなる。

反原発や給食の食材の徹底検査などの運動しているお母さん方が、疲れ切った顔をして、白髪だらけになって、友達にうとまれるようになり、自分の子供に構っている時間も無くなってくるという矛盾が生じる。

そんな先に脱原発や安全な給食などが存在しないことは明明白白であります。

 

プロセスこそが大切で尊いものなのです

 

僕が見たいのは、いじめられている子供の笑顔であり、いじめている子供の笑顔なのです。

そして、いじめられている子の親の幸せな姿であり、いじめている子の親の幸せな姿なのです。

前にも書きましたが、今もアフリカ大陸のどこかで行われている紛争で、やむなく銃を持って戦っている少年少女が笑って遊んで学んでいる姿こそが、僕が10年先に見たいものなのです。

 

アセンションとは、人類の進化の過程である

 

まさしくそうなのであって、

”ディクシャを受けて至福になりました、友達もセミナーに誘って覚醒しました。

ハイ、覚醒した皆で2013年には無事アセンションしました”

・・・・って、あんたらアホちゃうの?

 

あなたがもしディクシャ(でも、なんでもいいけど)で至福になったのなら、友人をディクシャ会に誘うのも良いんだけど、その至福を広げていきなさい。

まずは、あなたの家族から。

あなたが幸せに生きていること、そして自分自身を受け入れ、家族を受け入れることで、家族も幸せになります。

幸せに生きるとは、スピリチュアリティを持って生きる、つまりスピリチュアルの実践です。

あなたの家族が至福になれば、その至福を広げていきなさい。

次に他の親戚や友人たちへ。

そして仕事場の人たちへ。

あなたの家族が幸せに生きていること、考えの違う他の人々を受け入れ、自分たちを受け入れることで、他の人たちも幸せになります。

幸せな社会とは、幸せな人々で成り立っています。

 

幸せとは仕え合うこと。

自分と他人が仕え合っていること。

人と社会が仕え合っていること。

社会と地球が仕え合っていること。

地球と宇宙が仕え合っていること。

 

あなたと神が仕え合っていること。

 

アセンションを通じて仕え合うことを学ぶのです。

アセンションの間は特別に願いが叶いやすいエネルギー場になります。

どうか、正しくアセンションを理解して頂きますように。

 

最後に夏休みの宿題を出しますぅ。

 

あなたに絶対的な保証人がつきました。

神さまでもアラジンの魔法のランプでもハクション大魔王でも何でもいいのですが、

彼はあなたにこう言います。

「あなたに一度だけすごいチャンスをあげよう。

あなたが今からやろうとすることは、必ずうまくいく。

絶対に失敗しないのだ」

さあ、もしそうなら、あなたは何をしますか?

あなたの心の中に眠る本当の願い事は何でしょうか?

 

よ~く考えてね。

オホホホホ~。

2012.7.18

褒めて育てる~褒めたら伸びるの?~

息子の慧が小学校の野外活動で一泊してきました。

その時に、石ころアートというのをやったようで、小さな石に絵を描くんですね。

「お父さん、ただいま。お父さん、これ慧が描いてん。トトロ」

と見せてくれたのが石に描かれた「となりのトトロ」の絵。

何も見ずに描いたのに、上手に描けてるんです。

ところが僕は、「この石はどうしたん?そこで拾たん?」とかそんな事ばかり聞いて、褒めるということをしませんでした。

褒め慣れていないので照れてしまうんですね。

 

先日、ふうさんがうどんを打った時、いつもと違って細麺になっていました。

毎回上手くなっていくのですが、まだお店で食べるのと比べると足らないところがたくさんあります。

で、「今日のは何うどん?何見て作ったん?」みたいなことしか話しませんでした。

後からふうさんは妻に「お父さん、褒めてくれへんかった」と言ってたそうです。

 

そのことが頭にあったので、2時間くらい経ってからですが、慧に「上手に描けてたで」と言いました。

慧は「ありがとうございます」

 

僕は当分ホンワカした良い気分でした。

褒めるって、褒めた方も嬉しくなっちゃうのね。

 

考えてみれば僕は小学校低学年の時から、母親に「治、あんたは文章書くの上手なんやから・・・・」とことあるごとに言われていました。

それが今こうしていることに繋がっている気がします。

僕の心のどこかには、常に「僕は文章書くの上手いんや」というのがありました。

 

大学に入って軽音楽部でジャズをやっていた時も、先輩が僕のアルトサックスの音色を褒めてくれた時は嬉しかった。

そして益々練習するようになりました。

 

僕は大人が成績の良い子供に仕立てようと、あるいは大人目線で良く出来る子を作ろうと、「子供は褒めて育てろ」みたいにするのはハッキリ言って嫌いです。

でも、こうやって色んなことを考えてみると、あるいは思い出してみると、褒めるというのはやはり人の潜在意識に働きかけるんだろうと思います。

 

そう考えたら、仕事でスタッフに至らない所を注意してばかりいるよりは、感謝の気持ちを伝えて褒める方が良い雰囲気の診療所になるに決まってます。

え?

褒めるとこがない時にはどうしたらって?

僕が故桂枝雀さんの落語で一番好きなのが「寝床」

浄瑠璃をかたるのが好きな大旦那さんが、公害のようなかたりを皆に聞かせようとすることにまつわる話です。

そのマクラの部分で、稽古をつけるときのお師匠さんが、とにかく商売ですからお弟子さんを褒めまくるというのがあります。

声が良い人は褒めやすい。

声がアカン人は、言葉がしっかりしていると褒める。

言葉もアカン人には・・・・・

「あんた、長い時間座っててもシビレの切れんところがええ」

 

なんなりとと、褒めるところってあるのね(笑)

本日、同級生と天満の美味しい寿司屋さんに行く予定。

帰る気ないんで、なんばでカプセルホテルとりました。

最後はニコちゃんとこで、ヘベレケやろうなぁ。

2012.7.14

今日のひとこと

本日は、実にシンプルでおます。

シンプルですけど深いです。

たった2行の中に、いろんな意味が含まれています。

なんか、相田みつを になった気分。

では・・・・・

 

自分なんて ないんだ

あるのは ただ 自分の(?)個性だけ

 

2012.7.13

いじめと不登校と引きこもり

え~、時々「これ、誰が書いたの?」と思うようなブログ(詩?)を書きますが、書く人僕しかいませんので、それって僕です(笑)

 

パンダの赤ちゃんは名前もつかぬまま死んじゃったし、人間界においても痛ましい事件が続きますが、今日の話題はこれです。

ほぼ例外なくいじめによる自殺をした子供の親は、誰に責任があるかを問うてきます。

一応、それにより次の同様の悲劇が起こらないように、ということだそうです。

子供を失った親の気持ちを無視するのか、と言われると返す言葉もありませんが、事の本質を見ない限りいつまでたっても問題解決にはならないと考えます。

 

自らの命を絶つ一番の責任は言うまでもなく本人にあります。

これはあくまでも非常に高い視点からものを述べています。

まだ12,3歳でそれを選択せざるを得なかったことを考えると何ともやり切れない気持ちになりますが。

でもそうなのです。

そして次にその親にも原因があります。

もう読者の方はお分かりだと思いますが、親が悪いと言ってるのではありません。

原因があるということです。

そしていじめた方の子供、その親は言うにおよばず、教師、学校(の体制)、教育委員会、ひいてはこの社会すべてに原因があります。

この僕だってその社会の一員です。

 

こういった事件で「ん?」と思うのは、いじめを見抜けなかったのは、苦しんでいた子供の気持ちをわからなかったのは、親も同様なんですよね?

じゃあどうして、学校を責めるのでしょうか?

問題の根本を見失ってはいけません。

 

今の不登校児や引きこもりの数の多さは何を物語っているのでしょう?

もう、大人が作り上げてきた窮屈なルールだらけの学校教育というのは限界に来ているということではないの?

すべてを根底から見直す時期なんじゃないでしょうか?

 

不登校に対する対策というのがあります。

学校からカウンセラーを紹介しますよ。

他の生徒たちと一緒が嫌だったら、個別に他の教室で授業を受けることもできますよ。

毎週のように担任や副担任の先生が、プリントなどを自宅まで持ってきます。

でも、どれもこれも全部大人側からの目線であって、すべてが対症療法でしかありません。

学校としては不登校に対してこれだけの考えられることをしていますよ、という姿勢がハナにつきます。

やってること、やろうとしていること、ぜ~んぶ大人が正しいと考えているものに子供を当てはめようとしているとしか僕には思えない。

そのどこにも、子供の心をわかろうとする意図はみえません。

問題の本質がわかっていません。

子供はもう、これ以上無理、ってことを訴えているのです。

現状にしがみつこうとしている大人の方がみっともない。

 

先日、妻が知り合いの年配の女性に相談を受けました。

その方のお孫さんが不登校になったというのです。

その子の母親(相談者の実の娘)は、嫌なものは無理に行かなくても良いという姿勢です。

父親の方は、朝起きてまだグズグズしていたら、とっとと学校に行かんかい!という態度だそうです。

相談した女性には、うちも非常にお世話になっており妻とも仲良しで、藍やふうさんのことも御存知な上での話です。

その方の質問としては、どうしたら良いだろうか、例えば〇〇に不登校児ばかりを対象にした学校があるから、そういった所へ入れた方が良いだろうか?といったレベルです。

 

後から聞いた妻の答えは、僕に相談されてもまさにそう言うだろうな、というものでした。

要するにその女性は、本当は孫の心配をしているのではなく、祖母としての自分の体裁を気にしているだけなのです。

しかし、よくあの機関銃のように喋るオバちゃんに、うちの嫁さんがそんなこと話せたねと感心しまんねん。

本人が不登校児対象の学校に行きたいと望めば、行かせればよい。

すべて本人次第です。

しかし周りの大人は、子供にそんなこと決めさせるわけにいかないし、そんな重大な決定を出来るとも思わない、と言います。

完全に子供のことを見くびっています。

これこそが問題の核心なのだと気がつかないのね。

 

子供は大人より劣ったもの?

知識も智慧もないもの?

だから大人の言うことを聞いておけば良い?

 

子供はね、大人よりもより色んなことを感じるし、もっとたくさんの真実が見えています。

ただね、それを大人に対して表現できないだけなの。

 

夫婦は共同創造のパートナーだと書きました。

子供だってそうなのです。

家族というのも共同創造の場なのです。

その大切なパートナーのことを馬鹿にして、上手くいくわけねえじゃん。

馬鹿はお前ら大人の方じゃ!

 

いじめや不登校、ひきこもりというのは子供たちに問題があるのではありません。

だからいくらそこを探っても何も見つかりません。

正すべきは大人の方なのです。

2012.7.12

僕という存在

僕は、この宇宙のこと、この世界のことをわかりやすく伝えるためにうまれてきた。

僕は、それらのことを非常に制限のある言葉という道具を使って伝えるためにうまれてきた。

しかし、それだけではおもしろくないので、伝えるべきことを忘れておくことにした。

ある年になったら、少しずつ、ほんの少しずつ思い出すように、誕生日やいくつかの星たちに仕掛けをしておいた。

僕は知っていた。

いままでも、いつの時代でも、かならず真理を説くものはいた。

しかし、それらのものは皆とくべつだった。

そして、真理もとくべつなものとして伝えられてしまった。

だから、今度は僕はふつうである必要があった。

ふつうの人間が、ふつうの言葉で、ふつうの人に話すのだ。

伝えるとともに、僕には知りたいこともあった。

繁栄(prosperity)とはどういうことか?

成長(growth)とはどういうことか?

だから、自分をそれらの対極におくように、すべてをセッティングした。

そして、そのとおりになった。

思い出すまでのあいだ、いっぱい傷ついた。

そして傷つけた。

思い出しているとちゅうも、いっぱい傷つけた。

きっと、自分が正しいと言ってるのに、ほんとうは自分に自信がなかったからだろう。

いま、思い出すことは、じゅうぶんだと思うようになった。

これからは、真の自分の姿を知るじかんだ。

そして繁栄と成長を体験していくのだ。

そのためには貧する必要があった。

そのために未熟である必要があったのだ。

僕は今、僕以外の二人の僕と、ここに立っている。

過去の僕。

そして未来の僕。

この二人の僕が今の僕に力を与えてくれる。

この二人の僕が今の僕に自信を与えてくれる。

そう、僕は素晴らしいのだ。

僕は永遠にして一瞬の光。

さあ、二人の君たちよ、もとい、僕たちよ。

つぎはどっちを向いて旅をしようか?

 

2012.7.11

ならまちワンネス歯科~再考~

一般的には自院には〇〇歯科と自分の名前を冠するものでしょう。

そうでない場合、例えばアップル、ホワイト、スマイル、さくら・・・・などをつけるのも多いです。

〇〇デンタルクリニックはわかるんだけど、〇〇歯科クリニックは果たして言葉として正しいのか?

 

かつて西塔歯科だった当院は移転を機に今の名前に変わりました。

そのきっかけとなったのが、ある経営セミナーを開いていた講師の先生の「医院名はすごく大切で、それがその歯科医院のコンセプトを現す」という言葉。

それを聞いた瞬間、隣にいたスタッフに「今度は”ならまちワンネス歯科”でいくから」と速攻伝えたのです。

 

ならまちは地名ですから良いとして、ではいったい”ワンネス歯科”って何なのでしょう?

当初は、他人との分離感が苦しみを生み、そのせいで心が身体にサインとして不調を起こす、だから皆元々は一つなんだということを理解することが大切で、それを伝えるための歯医者ですよ・・・・という説明の仕方をしていました。

実際、移転の際に作ったリーフレットにもそう書いていました。

 

今はワンネスに対する説明の仕方そのものが違います。

”あらゆる違った個性が否定されずに調和している状態のこと”と僕は言っています。

であれば、前歯と奥歯の調和、右と左の噛み合わせの調和、噛み合わせと全身との調和、心と身体の調和などなど、色々考えられますね。

それがワンネス歯科なのでしょうか?

これにはまだその先があるのではないかしら?

 

土曜日の模型分析のセミナーの後、懇親会が新大宮の焼き鳥屋さんでありました。

その時に、お酒を注ぎに来てくれたセミナーのスタッフである若い歯科医師。

20歳以上年下の彼に偉そうに喋りながら、結局はその話は自分が自分に対して話しているのでした。

気づきを得ながら話す。

話しながら気づく。

中々に面白いですよ。

 

以前にも書きましたが、子供の心というのはわかりづらいものです。

自分が子供の時のことを考えても、親に自分の気持ちを話したことなどないし、話そうとも思いませんでした。

親になった今、そのことをふうさんに思い出させてもらったのです。

なぜ子供が親に話せないかというと、そこに強者と弱者があるから。

これは言い換えれば賢者と愚者とも言えるかもしれません。

もちろんこれは誤った認識ですけどね。

子供の方が賢いのに。

子供の方が強いのに。

ま、一般的には弱いものは内なる声をあげることなく、自分の中にしまってしまいがちですね。

 

じゃあ歯科医院における歯科医と患者についてはどうでしょう?

これも強者と弱者じゃないでしょうか。

たとえ詰め物が一カ所取れただけにしても、歯ぐきが腫れたにしても、ひどい虫歯があったにしても、すべては身体からのメッセージです。

身体は心からのメッセージを中継しています。

つまり身体症状は溜めこんでいる感情を表しているのです。

ということは、僕たち歯科医の目の前にいる患者さんの(本人も気づいていない)本当の訴えはそこにあるんですね。

 

でも、患者さんは口の中のことしか僕たちに話しません。

それが心の問題だという自覚もないわけですから当然なのですが、そういったことも含めて患者さんは自分の気持ちを(治療に対する希望であっても)言わないものなのです。

そこを僕たち医院のスタッフはよ~く認識する必要がある。

だから応急処置が終わったら、患者さんが何でも話しやすい状況を作ってあげて、とにかく色々とこちらに伝えて頂くようにした方が良いですね。

どんなことだって構わないのです。

姑の愚痴だってOK,旦那に対する不満だってOKなんです。

個人セッションじゃありませんから、それに対するこちらのコメントなど一切不要。

スピリチュアル的な解釈など余計なお世話。

ただただ胸の内を聞くこと、傾聴すること。

これがすごく大切で、それがないのであれば根本的な歯科医療が為されていないと言うこともできます。

ただ治療するだけならね、それって不登校の子を無理やり学校に行かすようなもので、表面上不登校ではないけれど根本的な問題解決には何もなっていない、というのと同じことです。

 

てなことを若手の歯科医に喋りながら、「う~ん、深いなぁ・・・・」と思った懇親会だったのでした。

これが月曜日の朝礼でスタッフへの話になったりするのね。

ならまちワンネス歯科・・・・・

そこでのワンネスとは、違っていて当然の歯科医側と患者側との心(想い)の調和なのかもしれません。

2012.7.10

行きつく先は・・・

え~、更新が滞っておりますが、書くことはたくさんあるのに書く暇がないというか、なかなか書けずにおりました。

2012年も半分が過ぎ、僕に関しては6月末くらいから、また新たなステージに突入しつつあります。

大きな壁を乗り越えようとしています。

それは・・・・

 

先週、2月に個人セッションした女性から嬉しいメールが来ました。

妊娠の報告なのですが、12月末が予定日ですからセッションの前後で妊娠されているのです。

僕のヒーリングは経験上、女性の子宮や卵巣には絶大なパワーを発揮するようです(笑)

その時ご本人に伝えた事があるのですが、それを聞いてから天使が子宮に宿ったのなら、いったいどんな子供が出てくるのか、すごく楽しみです。

双子ちゃんだそうで、僕と妻は直感的に男の子と女の子の双子と思いました。

聞いてみると、二卵性だそうです。

 

この土、日は模型分析のセミナーでした。

日曜日の朝に出かける際、ビルの前の植え込みに例によって空き缶やら何やらのゴミを詰め込んだコンビニの袋が捨ててありました。

きっと同じ人だろうと思うのですが、なんとも腹立たしいし情けなくなりますね。

車を運転しながら、ふと「今の俺の力をもってすれば、あいつ(ゴミ捨てた奴)に呪いをかけるなんて簡単やろな」と思いました。

すると対向車線との間にネズミの轢死体が見えました。

ああっ。

こんなこと思ったからやな・・・・

それから色んなこと考えながら運転して、押熊大通りに曲がったあたりで「弱いものは守ってあげないといけない。弱いものに思いやりを、そして地球にも思いやりを」という考えが浮かんだ瞬間、今度は僕が走っている車線のど真ん中にネコの轢死体。

慎重に左右の前輪の間を通すように運転。

思わず苦笑いです。

小動物は弱者の象徴です。

そして彼らこそ地球と調和して生きているのです。

僕たち人間は・・・・・という話なのですが、ここで言う弱いものとは、いまだ眠れる人間をも示します。

ゴミ捨てた人のことね。

そういう人たちに呪いの言葉を吐くのではなく、憐みと思いやりの心を持たなければいけないということ。

それを頭ではなく、体験的にそうだと明示されたわけで、僕も何となくそうなんだろうなと体感で納得するのであります。

 

この話はここで終わらないのよ。

ふうさんと慧は土日は為ちゃんキャンプでした。

話を聞くと、日曜日にキャンプ先の信楽の道で、子供たちもネズミとネコが車に轢かれて死んでいるのを別々の場所で見ているんです。

これって、いったい何?

 

僕が今、乗り越えようとしている目の前の壁。

それは、自分を許し、自分を認める(愛する)ということ。

ここでの許しというのは、少し意味合いが違って、自分で自分に制限をかけていることに対して許可を出すということです。

なんだかんだ言って、結局はそこに行きつくのね・・・・。

でもね、スピリチュアルの世界でもうええっちゅう位に強調される自分に対する許しと愛ですが、そうしなければならないと言われても無理なのに、いよいよ自分の人生がそこにさしかかって来ると、なんか自然と乗り越えられそうな気がして、その向こうには何が待ってるんだろうと思うと、すごくワクワクする感じがあるのよね。

ヘタなセッションやスピ系のセミナー受けるより、流れに身を任せて、でも一所懸命に生きることこそが結局は地に足の着いた確固たる自分を創造できる気がするのでした。

2012.7.9

真のパワースポットは何処に?

昨日の補足をしておきます。

少子高齢化問題を例にとりましょう。

そんなことはもう30年も前から言われていることです。

今までの阿呆の官僚の施策といえば、次のような感じ。

これからは、少子高齢化が益々進むから、寝たきりになる人を受け入れる施設や医療について考えないといけない。

これが20年~30年前の間の厚労省の官僚どもの考えです。

少子化対策の話が出たのはつい最近。

僕が言ってる未来ビジョンとは、”このままいけばこうなる”というものではありません。

”僕は30年後にどのような世界に住んでいたいか”

です。

彼ら(官僚や政治家)は、上記の如く怖れるものに対する対策を考えてきた結果、結局その怖れているものを現実として引き寄せてしまっている。

スピリチュアル的には、こういうのを愚か者と呼びます。

未来ビジョンに重きをおけば絶対にそうはなりません。

まったくもって別物なので、そこんとこヨロシク!

 

さて、本日の話題。

今流行りの(流行ってんのか?)パワースポットです。

パワースポットとは何か、については以前書きました。

ピラミッドなどの人為的(宇宙人為的?)なエネルギー転換装置やそれ以外の自然発生的な理由により、その場の重力や電磁場が通常とは異なる所のことをいいます。

だから、そこに良いも悪いもありません。

単に物理的な場が異なるというだけです。

ただし、そういった場所が古来、宗教的な儀式に使用されていたとうこともあるので、「パワースポットに行って癒されたぁ」などと言われたりすることもあるわけですが、逆に変なものをもらってきちゃった、ということも少なくありません。

少なくないどころか、むしろそっちの方が多いんじゃないかしら。

パワースポットめぐりとか、浄化の旅とかやって、メチャクチャ体調崩してる人いっぱいいますもん。

 

確かに、セドナとかシャスタとか、伊勢神宮でもいいんだけど、行って癒されたりメッセージもらったりすることもあるでしょう。

でも、考えてみて欲しいんです。

もしプレゼンスがあなたにメッセージを送るとしたら、別に特定の場所に行かなくってもいいんじゃないの?

今すぐ、そこでもらえるんじゃないですか?

じゃあ、どうしてそうならないんでしょう?

それはね、まず自分を世俗(仕事や家庭)と切り離して自分自身の内面と対峙しようという姿勢をあなたが示したことがすごく大切。

そういう時間をわざわざ作ったわけですから。

海外に行くなら尚更です。

そして、今も言ったようにメッセージに耳を貸そうという姿勢があるから、聞こえてくるのね。

 

では、そういうことを理解していれば、日常生活を送っていてもメッセージを受け取ったり、癒されたりするのは可能なのではないでしょうか。

だって、それらはどこから来るかと言えば、あなたのハートからでしょ。

じゃあ、いつも一緒にいるじゃないですか。

いつもそこにあるじゃないですか。

 

ということで、真のパワースポットとはあなたの中にしか存在し得ない というおはなし。

外側を探すのはいい加減止めましょうね。

 

シャスタ山にはシャンバラ(シャングリラ)への入り口があると言われています。

チベット奥地もそうです。

その他にも何カ所かあるようですが、本当のところは・・・・

 

シャンバラへの入り口は、僕たちのこころの中にある

2012.7.4

これからのリーダーに求められる資質

日曜日は日本歯科医師会主催の生涯学習セミナーというのが、奈良県歯科医師会担当で同歯科医師会館にて行われました。

これはある選抜された講師の先生が原則二人一組として、日本の各地域ごとの歯科医師会で一年間日本中を講演して回られるのです。

本年度のテーマは・・・・

”生きるよろこびを支える歯科医療”

~全てのライフステージの健康に寄与するために~

 

このテーマにふさわしい各専門の講師が6名選ばれます。

7月は近畿開催で奈良県担当だったのですが、他関東、東北、九州といった具合であります。

 

今回の講師は一人は千葉県で開業されている千葉英史先生で「初診からメインテナンスまで」と題して、文字通り初診の時から長い定期検診を通じてどのように患者さんと関わるかというお話。

もう一人は、昨年も2度奈良にお越しくださいましたが、それに引き続いての加藤武彦先生の「在宅往診における義歯治療」

加藤先生は前回奈良県歯科医師会に来て頂いてから、再度脳梗塞になったそうで、ご自身の入院やリハビリ体験を通じて、そういった患者さんの急性期医療、危急を脱してからの治療、その後の回復期医療において、いかに歯科が介入していき、患者さんが物を食べる喜びをもう一度味わうことにより、より高い次元の健康回復に寄与できるか、というお話でした。

 

どちらも大変に有益なお話をしてくださいましたが、特に加藤先生は現場至上主義といいますか、何が何でも患者さんが入れ歯が安定して痛くなく噛めるのを確認しないうちは、絶対に往診先から帰って来ないという強い意気込みを見せられ、決して自由ではない身体で今でも勉強熱心、呼ばれればどこへでも出かける姿勢は本当に感服する以外にありません。

これからの在宅診療は他の専門領域(医師だけにあらず、看護師、理学療法士、言語療法士等々)の人たちとの連携が必須であり、そんなことは以前から口先では言われていましたが、いよいよ法の制度的にも整ってきつつあり次のステージへと向かいつつあります。

逆の立場から見れば、他の専門分野の人たちも歯科的な介入がなければ、思うような結果が得られないことを実感されるようになってきたわけです。

 

最後の質問の時間に、「往診先の認知症患者さんが歯科医や歯科衛生士による口腔ケアを全く受けつけてくれないが、どうすれば良いか?」との質問がありました。

これに対し加藤先生は、「歯医者が白衣を着て正面から『口開けてください』と言って、ブラシを突っこもうとしたってそりゃ拒絶されますよ。まずは横に座って、同じものを見て『あそこに飾ってある花はきれいですねぇ』とか言いながら、少しずつ距離感を縮めていき、手を取って身体をくっつけて・・・・という具合にしないと」

とお答えになりました。

認知症の患者さんは感覚だけで生きてるから、嫌だと感じたら絶対に嫌なのだそうです。

もし認知症患者さんを担当するなら、たくさん出ている成書を使ってまずは認知症のことを勉強してください、とごもっともなお話。

 

質問と討議の時間は45分とってあったのですが、あと少し質問が足りなくて時間が余りそう。

こういった場合は主催者側の誰かが質問することになっています。

仕方がないので僕も手を挙げました。

質問内容の要旨は次のごとし。

 

現在、奈良市内では上下総義歯の患者さんというのは以前に比べて随分減っているように思われる。

それは虫歯や歯周病の予防や治療が昔よりも進んできたお蔭で、歯が抜かれるということが少なくなってきたせいだろう。

もちろん、都会ではなく田舎の方に行くといまだ総義歯の人は少なくないのだが、いずれそれも減ってくるであろう。

僕が子供の頃の60歳70歳の人と、今のその年代の人とを比べると明らかに現在の方が10歳は若く見える。

この傾向はこれからも続くであろうから、いったい何歳以上に対しておじいさん、おばあさんという語を使えば良いかも明確でなく、場合によっては失礼にあたることもしばしばである。

このようなことを鑑みるに、現在の在宅あるいは介護施設での訪問診療というのは、総義歯や部分義歯および咀嚼・表情筋に対するリハビリを含めた口腔ケアが中心であるが、義歯が占める割合が減ってくるのは確実なので、30年後にはどのような状況になっていると想定されるか?

 

僕はね、加藤先生がこの質問にまともに答えてくれるとはこれっぽっちも期待していませんでした。

案の定、答えはその通りで「先生、そんなことより、今、困っている患者さんをどうにかしなくちゃ。そうでしょ。30年後のことなんか私にはわかりません」

僕は心の中で「ああ、ジジィの言うことはつまらん」

ま、それでとりあえずは質問時間が一杯になったので、良かったのですけどね。

 

加藤武彦先生というのは、非常に立派な先生です。

今は自分の使命を全うするために生きておられると言っても過言じゃないでしょう。

しかし、彼が今までやってきたことと言えば、現状の問題を解決するためにはどうすれば良いかという一点です。

それはもちろん必要ではありますが、未来のビジョンがないのであれば、いつまでたっても現状の後追いにしかなりません。

おそらく彼には僕の質問の真意はわかっていないし、わかろうともされませんでしたが、このあたりが僕が年寄り連中にイライラする原因なのです。

脳軟化症は困るけど、頭が硬いのも困る。

おまけにその人たちが先頭に立って全体を率いているんだから性質が悪い。

日本の現状、歯科界の現状を招いている原因はそこにあるんじゃないの?

どうしてそのことに気がつかないの?

 

今の日本の状況で消費税率を上げずに済ますなどとは、どう考えたって無理があります。

しかし、野田総理の言うことは現状が〇〇だから、これしか仕方がないんだ、このことによって〇〇のようになると信じます、程度のことです。

未来ビジョン、ないよね?

昨日のたけしのテレビタックル見てたって、他の民主党議員も他の野党議員も言っていることの本質は大同小異。

未来の日本の事など、ひとっつも頭にありません。

未来のビジョンがないから、いつまでたっても場当たり的な政策になり混迷するのです。

例えば橋下大阪市長は、大阪都構想とか関西を一つの大きな行政区域にしようとか、その是非はともかく何十年後に対する明確な具体的ビジョンがあります。

ここが決定的に他の政治家と違って、僕が橋下氏を推す理由です。

おまけに彼、非常に正直だしね。

 

成りたい自分(社会)、こうありたいと思う自分、その10年後、20年後あるいはそれ以降の明確なイメージを持ち、現状は現状できちんと対処しつつ、その未来ビジョンのためには今、いかにすべきかというのを行動規範にすべきでしょう。

先日、西大寺の居酒屋で奈良県歯科医師会会長に毒づいたのも、すべてそういうことです。

それが出来ないようなリーダーはもう辞めてくれ、という話ね。

例えば歯科医師会を例にとると、僕は今50歳ですが、未来ビジョンを示すのはもっと若い人で良いと思っています。

30代の人たちが理想像を描けばよい。

僕たち50代は、60歳以上の既成概念にまみれた人たちの攻撃から彼らを守ってあげる役目を果たす。

そして年寄り連中と話しあって、彼らが今までに築いてきた人脈をフルに活かし、若い人たちのビジョンが現実化できるように行政などと折衝していく。

少なくとも現時点できちんと明日の方向を向いているまともな組織の在り方とはそうでなくてはならないと考えます。

 

小沢一郎?

バッカじゃんねえ、あいつ(笑)

どの政治家もこの政治家も、自分たちのパワーバランスにしか興味がないんだから、ホントやんなっちゃう。

さて、僕たちは真っ当な道を歩みましょうよ!

2012.7.3

バレエってもしかしたら最悪?・・・かも

昨日の夜、テレビで木の実ナナさんの特集をやっていました。

彼女は小さい頃からバレエをやっていたそうで、そのせいで足の指はひどくいびつに曲がっていました。

40代の時にうつ病になったそうで、それを薬で克服しそのことを本にしたりもされています。

うつ病の原因というのは色々考えられるでしょうが、少なくとも医学的見地からは基本的には脳への血流障害と言われています。

歯科領域からはそのために噛み合わせを治しましょう、特殊なマウスピースを作りましょう、という治療をしている人たちもいます。

芸能人でうつ病をカミングアウトした人を見ていると、ずっと頑張って〇〇しなきゃ、と考えていた人が多いと思いませんか?

うつ病というものの本態は自分や自分の為したことを価値のないものとして見てしまうため、それ以上傷つかないように外の世界をシャットアウトしようというものです。

 

僕の知る限りにおいて、奈良市内では子供にバレエを習わせる人が増えてきているように感じます。

何が良いと思ってそうしているのかわかりませんが、先ほどの木の実ナナさんの足の指のことを考えてみてください。

その状態では足でまともに身体のバランスを取ることなど到底不可能です。

だから転倒して怪我しやすくなるし、無意識の内に転ばないように身体の筋肉が不自然な働きを余儀なくされます。

あのような足では心臓から下半身に流れた血がうまく心臓まで戻ってくることができません。

下半身の血流が悪いなら上半身だって悪くなるし、心臓に負担をかけるに決まっています。

彼女が長年バレーをやっていたことと、40代になってからうつ病になったことは決して無関係ではないでしょう。

 

今はロンドン五輪前ですから、テレビでスポーツ選手を見かける機会が多いです。

バラエティ番組で芸人とスポーツ対決したりもしています。

彼らをよく観察していると例外なく口が半開きで口呼吸をしています。

皆、その身体能力や一見立派に見える筋肉などで誤解しやすいのですが、あくまでもあれらは過剰な運動負荷に対する反応性のもので、ペンダコと変わらないのですよ。

子供にスポーツをさせるということは、子供が親の年齢になる頃に深刻な身体のトラブルを抱える可能性を増やしているだけだということが、もっと認識されるべきだと僕は考えます。

スポーツ選手って、あちこちに故障を抱えていることが多いし、他人に言わないけどよくわからない身体の不調で悩まされていることも多いんです。

 

口での呼吸を助長するもの、足を変形させるもの、こんなものが健康に良いはずないのね。

バレエというのは足の健康ということに関しては結構最低のものかも、ですね。

 

うちの校区の小学校では夜、結構遅くまで体育館でクラブ活動が行われています。

夜9時まで練習したとして、それから帰って宿題やお風呂にテレビにご飯。

寝るのは12時超えますよね。

子供の成長に大切なホルモンは夜10時から午前2時までの間に多く分泌されるということがわかっていますから、その時に寝ていないと身体を弱めるばかりか免疫力すら低下します。

おまけにクラブ活動で思いっきり口呼吸を刷り込まれてるしね。

もうちょっと、親は子供の健康ということに関して賢くなって欲しいなぁ、と思うのです。

識者が言うことなんて、間違っていること多いんですよ。

2012.7.2

かえるとほたる ~夏がやって来る~

先週の土、日は阪大歯学部33回生の2年に一度の同窓会でした。

幹事は松本歯科大にいる友人です。

関西組はバスをチャーターして朝から宴会しながらの長野入りですが、僕はどうしても”ワイドビューしなの”というのに乗ってみたかったので一人京都駅から名古屋へ行き松本へと向かいます。

僕、ずっと勘違いしていたんですが、これって新幹線じゃなくて普通の特急なのね。

京都駅のみどりの窓口のお姉さんは、名古屋までののぞみ号をを1-Aというまた極端な席をとってくれました。

BとCには若い夫婦が赤ちゃん抱いて座ってます。

DとEは名古屋まで空いてました。

。。。。。。。

16時に塩尻駅集合なのですが、塩尻駅周辺は何もないということで、お昼前に松本まで行って蕎麦食って酒飲もうという魂胆です。

JR特急ワイドビューしなの5号に乗りこむと、そこは山ガールならぬ山ウーマンの世界。

これが、かしましいんだ。

またしても右端の窓側の席。

ほいでね、名古屋から松本に向かうということは北向いてるわけですから、その右端ということはもろ東向いてるわけです。

朝日が眩しいのよ。

すぐにカーテン閉めて、なんのためにこの列車乗ったんかわからんようになりました。

 

前もって滅多に見ない食べログで調べておいた松本城近くにある蕎麦屋さん。

蕎麦倶楽部佐々木というお店です。

11時過ぎに松本駅に着き、歩いてお店を目指します。

お城目指して真っ直ぐいくと、千歳橋を渡った所にある縄手通り商店街でなにかイベントをやっている様子。

お店は11時半開店で、きっと人気のお店だろうと思うからイベントには立ち寄らず、迷わずにお店の前へ。

大将が出て来られて「もうすぐ開店なので中で待っといてください」

カウンターにはすでに常連のお客さんが一人。

それからぽつりぽつりとお客さんが来られます。

ここは土曜日のお昼は比較的ゆっくりだそう。

まあ、それから地ビールから始まりお酒・・・飲みました。

酒肴・・・食べました。

蕎麦・・・食べました。

さっきの常連さんね、結局酒のアテと酒だけで蕎麦食わずに店出ちゃいました。

僕も時々そういうことすることがありますが、あくまでも夜に限りです。

昼飯の時間に蕎麦屋入って蕎麦食わないっていうのは中々に男前でんなぁ。

日本酒3合飲んだまでは覚えています。

で、ほぼ待ち合わせの時間になり相手の女性から電話がかかってきたのでお会計。

ん?

その女性は誰かと申しますと、2月にやった”シャングリラミーティング”に参加してくださった松本在住の方です。

せっかく長野まで行くし、会ってお茶でもしましょか、という話だったのよん。

え~大変にフワフワした状態で、珈琲飲んでお話をして塩尻駅まで車で送ってもらいました。

ほとんど脊髄反射で喋ってる状態です。

パブロフのカッパです。

こういう時ってきっと、川に映ってる自分を見て吠えたら咥えてた骨落としちゃった、みたいになるんでしょうね。

 

ところで、先ほど縄手通り商店街でイベントやってると言いましたが、お蕎麦屋さんでパンフレットもらって見てみたら、それがなんと”かえる祭”だって。

僕は普段”かえる庵”さんにしょっちゅう行くし、ワンネスビルの一階の整骨院さんのシンボルマークがかえるなんです。

当家にはカエル関係のもの一切ないのに実に不思議。

かえる祭は6月23,24日の両日で行われ、うちの同窓会と同じ日程。

その時に集合場所の塩尻に行かず、1人で松本行ってんですよ僕。

う~~~ん。

 

すっかり出来上がっている関西組と、さっぱりダメ男になっている僕と塩尻駅で合流しホテルへ。

しばらくして宴会が始まりましたが、あんましよう覚えてません。

陶板焼きがあったのだけ、おぼろげに記憶にあります。

実に不思議なことに6時から始まって8時ピッタシに皆は宴会を終え、ホテルのバスで辰野のホタルの名所へ行きました。

非常に広い敷地にメチャクチャたくさん人がいてます。

辰野ほたる祭の真っ最中なんですね、これが。

ゆっくり園内を歩いて行くのですが、今考えるとよくあの状態で人混みの中、おまけに真っ暗なのに迷子にならずにバスまで戻ってこれたもんだ。

 

それから二次会です。

僕の部屋が一番広く6人部屋なんですが、当然それが二次会部屋になります。

風呂に行こうと思ったら、他の部屋から来たやつが勝手にタオルとか入った風呂セットを持っていってたおかげで、僕は「ええい、他の部屋まで探しに行くのメンドクサイわ」と手ぶらで風呂に入りました。

これがいけません。

そりゃそうです。

身体拭けませんもん。

夜の露天風呂に行きました。

すると、露天の岩場にタオルが置いてあるではありませんか。

「あ、どっかのアホが忘れとるわ」

声に出さなくてもいいことを声に出して言って、タオルの方に手を伸ばしたら、誰もいないと思っていた露天風呂の人影から「それ、わたしのですよ!」と強く非難めいた声で叫ばれました。

「あ、すみません。忘れものかと思ったもので。僕、タオル持たずに入って来たんです」

「タオル持たずにですか・・・・・」

アホやと思われたことでしょう。

おまけに、取ろうとしたタオルの下にその人の部屋の鍵が隠してあったんだから、そりゃダメダメです。

仕方がないので自然乾燥しようと、近くの縁台で寝転がっていました。

後から聞いたら、その姿を内風呂から見た招待していた当クラスの担任教授は「あれ、西塔やったんか。俺はどっかの爺ィが干からびてるんかと思たわ」って・・・・・↓

あんた歯医者のくせに、干からびたジジイ放っとくんかっちゅう話やんかいさ。

ちなみにね、ここの露天風呂ね、内風呂の中を通って外に出て行くようになってるのね。

だから中に戻る時、膝から下がまた濡れちゃったのよ。

アホじゃ。

 

二次会ではあちこちで話に花が咲きます。

みなさんアツく語ってます。

幹事が地元のワインをたくさん用意してくれています。

僕、よく覚えていません。

 

次の日の朝、なんでか知らんけど目が覚めたら隣で寝ているヤツに「西塔、朝風呂気持ちええぞ」と言われ、「この人、朝風呂入ってまた寝てんねや」と思いながら今度は部屋に干してある誰のかわからんタオルをパクリ、今度はきちんと身体洗おうと行きました。

そして露天風呂。

宿泊した辰野パークホテルは日本ため池100選に選ばれている池が前にあり、その周りが遊歩道になっています。

天気は晴れ。

青い空に白い雲、目の前に池の周りを散歩している人がちらほら。

澄んだ空気を吸いながら「やっぱり信州はええわぁ・・・・」

ずっとそのままでいたい気分でした。

 

朝飯食って10時に出発。

今度は関西組と一緒のバスで京都まで連れて帰ってもらいます。

でも、僕えらい二日酔いです。

そのバスは後部がサロン形式になっていて、そこが宴会場所になるわけですが、「さ、始めよか」と皆さん朝から元気にビール飲んでます。

僕一人死んでます。

唯一、途中立ち寄った松本歯科大前にあるJAの産直ショップだけは、起きて(起きてて、笑)お土産買いまくりました。

レタスにアスパラに紫蘇、ぶどうジュースにさくらんぼ、普通の大豆に青大豆、ひたし豆に寒天!

皆さん知ってました?

信州って寒天が名産なんですよ。

もちろんテングサは取れませんが、それを乾燥さすには信州の空気がベストなんだそうです。

両手にスーパー帰りのオバサンみたく袋抱えて、おまけに寒天は入ってる袋そのまま持って、バスに帰ったら皆に笑われました。

あとは相変わらずバスでシャバアサナ(死体のポーズ、笑)

途中立ち寄った恵那峡サービスエリアでも、皆が昼飯食うのを羨ましそうに眺めているだけ。

奈良まで戻ってきてようやく迎え酒ができる状態に。

 

さて、今回の旅行での気づき。

それは最初に行ったお蕎麦屋さんまで遡ります。

御主人も奥さまもとても良い人なんですが、僕が感心したのは厨房で手伝っておられる少し年配の女性。

時々テーブルまでお蕎麦を運んだりはされるんですが、基本的に厨房内にいてそこからお店全体に目を配っておられる。

このときハタと思ったのね。

非常に優しい慈愛に満ちた目線が、クラシックの流れる静かな蕎麦屋さんの空気の中を滑るように漂います。

「あ、仕事って”仕える事”って書くんやった」

「果たして俺は仕事の時に患者さんに仕えているやろか?」

ここで言う”仕える”とは、もちろん媚びるような意味ではありません。

隷属とも違います。

なかなかに、深い考えさせられる意味があります。

 

それと、もひとつ気づいたこと。

あまり酔っ払ってカウンターの隣の人に話しかけると鬱陶しがられる(今さらかいっ!)

 

どうして僕って、旅をするとかくの如く”顛末記”みたいになっちゃうの?

参加者集合.jpg

再来年は東京組が幹事で熱海でやることに相成りました。

嫁さん今から楽しみにしてます。(なんで?笑)

ちなみに朝食後に撮った集合写真、後づけしてある人は早朝から宿を出て鮎釣りに行ったとさ。

明日は朝から一日、ま~た歯科医師会館で学術委員としての仕事。

ホナ、サイナラ~。

2012.6.30

Tears in Trumpets ~あらためて涙そうそう~

昨日は午前中個人セッション。

昼から保健所で1才半検診。

奈良市保健所は以前はうちのすぐ近くにありました。

非常に古くて暗くて、一階に”エイズ検査を受けましょう”というポスターが貼られていたのですが、ここに来た方がエイズうつりそう、くらいの感じです。

移転先もJR奈良駅の裏なのでうちからは近いです。

 

3週間前に3才時検診をしたばかりなのですが、その時は一人だけ虐待を思わせる女の子がいましたので、市の職員にその旨伝えましたが、果たしてどうなったでしょうか。

今回は初めて歯医者さんに診てもらう子ばかりですから、そりゃ泣きますわな。

お母さんから離されて治療台に仰向けにされ、上からオッサンに(それも反対向きに)覗かれるんですから嫌なことこの上ないでしょう。

本当はお母さんの膝に抱っこして検診すりゃ良いと思うんですが、これも大人側の勝手な都合ですね。

 

さて、その中で一人だけものすごく光っている男の子がいました。

少し茶色っぽい髪の毛は他の子に比べればずいぶん少ない。

でも、これが本来の姿じゃないかと思わせる。

ほとんどの子は解毒のために髪の毛フサフサになってるだけだから。

 

不思議なもんでね、聖とか清とかを名前につけてくる子は、やはりそういう子なんですよ。

その子もそういう名前でした。

霊格が高いとでも申しましょうか、僕が対面して「ハハァ・・・」と頭を下げる、みたいな。

あとがつまってますし、1才半検診で「お宅のお子さんは霊格が・・・・」なんてことも言えませんので心の中に留めておくだけにしといたのですが、僕が検診終えて帰ろうとしたら、その子ともう一人よく泣いた子が玄関にいて、「嗚呼、やっぱりそうなのね」と思ったのでした。

 

昨日は奈良市歯科医師会発足100周年記念式典が行われる日でもありました。

先日、会長から電話がかかってきて、「僕、検診やから無理です」て言うたんですが、「じゃあ式典は無理でもその後の祝賀会は出れますね」と返されて「ハイ。。。。」と返事してしまいました。

僕、同業者がたくさんいるところ大嫌いです。

窒息しそうになります。

楽しい話題なんて出ないし、知的な話もないし、未来の話も誰もしないからです。

おまけに、フレンチなのか何なのかわかりませんが肉料理に濃いソースがかかった皿が続いて、普段そういうものをたくさん食べない僕は口が悪くなります(口の中が気持ち悪いという意味)。

2年くらい前の甥の結婚式でもそうでした。

春日大社で式を挙げた人たちは必ずといっていい位ここで披露宴をしますというレストランが奈良公園の中にあります。

ここはさすがに僕でも中々の腕のシェフだと思わせる料理を出すのですが、それでも僕と妻はたくさん残しました。

だって、しつこい料理食べられないんだもの。

おまけに昨日出されたビールは、ビールであってビールでない”アサヒスーパードライ”

 

僕は平成11年に大阪から奈良に開業場所を移転してきているので、13年たった今もまだ奈良の歯科医師会に馴染めません。

学術委員会の面々は唯一親しく楽しく喋れる人たちですが、それって県の学術委員会なので市の歯科医師会とは別物なんです。

着席したテーブルも他の6人と口もきいたことない人ばかり座っていて、僕は一人2時間黙々と出される料理とまずいビールと格闘していました。

ていうか、僕は普段、隣の人にビールを注がれる時は今入っているのを飲みほしてから注いで頂くのですが、それもせず、ごくわずか足されるビールをチビチビ飲って、結局飲んだのってトータルするとグラス3杯くらい。

僕的に宴会であり得ません、こういうこと。

 

大勢の歯医者と、しつこい料理と、”いまだに”スーパードライ、ていうのくらい、僕を宴席にもかかわらず最低レベルまでテンション下げるものはないね、マジで。

 

その中で唯一救いだったのは、アトラクションとして呼ばれていた若い女性4人組のトランペッターたち。

開会の時にファンファーレを吹いてくれたのと、途中何曲か演奏してくれたのですが、その中の一曲が”涙そうそう”

僕は必ずといっていい位カラオケで歌う曲で、今さらなんですが、今回は曲を聴きながら、ふと福井にいる藍のことを思い出しました。

この歌は本来、亡くなった人を偲んでいる内容の歌詞です。

最近、ふうさんが昔の自分たちの写真を整理してるんですね。

僕もそれとはなしに小さかったころの藍やふう、慧たちの姿を写真に見るわけです。

その時の非常に幼稚だった父親としての自分もそこに見るわけ。

そして”涙そうそう”

それが今、自分の元にいない14歳の娘を想う歌と置き換えれば、たまらなく泣けてくる。

僕だけほとんど会話もないテーブルの真ん中の席で、トランペットを聴いて涙ぐんでるなんてシャレにもなりませんから必死でこらえました。

これも視点を変えれば歌そのものが変わってしまうというお話。

では、皆さんなりの”涙そうそう”を・・・・。

 

 

2012.6.29

夢のワクチン ”Inception in Reality”

先日の同窓会のお話はまた今度。

今日の話は先に書いとかないと忘れるタイプのものです。

非常に面白い内容なのですが、ちとややこしくもあります。

 

僕は時々、寝ている時にサイキックアタック(霊的な攻撃)に会うことがあります。

黒魔術の遣い手みたいな人が僕を狙ってやっているのではないでしょう。

僕が夢の世界に行く途中、中途半端な次元を通過する時に(わかり易く言えば四次元あたり)、そこの邪悪なエネルギー体にちょっかい出されるんだろうと思います。

昨日はお二人の遠隔ディクシャがありました。

一人は最終の4回目、もう一人は1回目の遠隔。

ディクシャをするということは、こちらもディクシャを受けるということなので、寝る前にやると(あくまでも僕は)寝つきが悪くなります。

でも、そのお蔭で不思議な体験を数多くするのも確かなんですね。

 

昨日は同窓会帰りで疲れていたこともあり、布団に入るとすぐに眠れましたが、夢の中で同じように寝ながら夢を見ている状態でした。

夢を見ている夢を見ていたわけで、インセプション的に言うところの夢の第二階層まで行ったわけです。

面白いのは、今寝ているのと同じように妻や子供たちと寝ているのですが、僕の横に寝ているのが実際は慧なのに、夢の中では妻でしたし、隣の布団との距離感が微妙に違います。

その僕の上に姿は見えないんだけど、エネルギー体が乗ってきて首を絞めてくるんですね。

怖い、というか嫌ですよねぇ、そんな状況。

僕は完全な金縛り状態なんですが、さすがにやられっぱなしというわけにもいかないので、必死で金縛りを解き抵抗します。

よく知らないけど適当な印を結んだり、般若心経を唱えたり、身口意を投げつけたりしていました。

そのうちに目が覚めたんですが、うつらうつらした状態で今回だけはこいつの正体を暴いてやろうと考えました。

何度かこういう目に遭っているので、そいつと対峙して何者かを見定めて対決しようと思ったのです。

対決といっても光を投げるだけなんですが、負ける可能性も大。

そこでプレゼンス(ハイヤーセルフ)に守ってもらうようにお願いしてたら、頭の中で光が見えたのでイザ突撃です。(要するにもう一回寝るわけ)

すると次はその次元には引っかからずに、普通の夢でした。

この夢というのが夢の中の夢なのか、ただの夢なのか区別できません。

先ほどから超ややっこしいのですが、いったいどの時点が覚醒していて、どれが夢の第一階層で第二階層なのかあまり明確でないのです。

だって寝てるんだもん。

今回の夢には同級生たちが出てきました。

細かいところは覚えていません。

ふふん・・・。

まだ、皆さんにはこの話がどうなっていくのかおわかりにならないでしょう。

ここからがマジ超ヤバイんっすよ(若者言葉で)

 

夢の中で皆さんは現在付き合っている人間や、過去に同級生だったりした人たちと出会いますよね。

じゃあ、それ以外の人は想像上の人物?

あのね、寝ている状態で映像として見たこともない人間を登場させて、発言させて、動かせるものでしょうか?

でももし、それが未来に出会っている人たちだとしたら?

未来に出会うはず・・・・じゃないよ。

未来に(すでに)出会っている・・・・だよ。

 

このことは実は先日来ペンディングしている久瑠あさ美さんの「マインドの法則」と「シャングリラからの伝言」が出会ったら、という話につながるのですが、この宇宙には記憶庫というのがありまして、そこには過去(遥か昔を含む)・現在・未来のすべての記憶が貯えられています。

今、この宇宙にはと言いましたが、それらのミニチュア版が皆さんのDNAにも刻まれているのです。

だからこそ誰だってそこにアクセスできる、というか出来るからこそ夢が成立するわけです。

 

僕は眠りに落ちる少し前くらいから、すごく右肩が凝ってきて、背骨も右側に歪んできているのがわかりました。

これは僕と母親との関係を強く示唆するものなのですが、案の定、最後に見た夢の中ではそのような内容のこと、つまり僕のトラウマに関することを見せられたのです。

そしてもうひとつ。

歯学部の同級生でM君という同じ名字の友人が二人います。

彼らは夢の中では、なんでか知らんけど同じ家に同居していました。

そのことが僕に思い起こさせるのは、地元の公立小学校で一番だった僕が、入試を経て教育大附属中学に進学するといきなり真ん中より下の方になり、そこで1,2番を争う秀才の名前が字は違うけど”斉藤”だったという事実です。

僕は大して気にもしていなかったけど、もしかしたら斉藤君の存在は、僕に自分で限界を決めてしまうという癖をその時に決定づけたのかもしれません。

はぁぁ、すごいね、夢って。

その後、夢からは覚めてるんだけど、目は覚めていないという半覚醒状態で、自分の事をいろいろ考えてみました。

これ書いてるのが夕方ですから、ずいぶん忘れちゃったのですが、その時にはいっぱい気づきがあったのです。

 

さて、お立ち会い!

ここからが壮大な話になります。

僕は最初の”夢の夢”から戻った時に、ある意図の元にもう一度そこの夢の中に再突入しようとしました。

小学生の時、夢の中で「これは夢だ!」と宣言したことがありますが、今度は特定の意図をもってそれを夢の中で実行しようとしているわけです。

これスゴイことでしょ。

何かというと、もしそれが可能なら、そしてうまく望む状況下の夢を見られたら、過去の自分を自分自身の手で癒すことができるのですよ。

自分の人生がかくの如くなってしまった本当の原因も見てくることができます。

あるいは、未来を変えることだってできます。

おそらくあなたが現状のまま辿りついてしまうはずの未来の世界で、現在のあなたは勇気ある意志をもってそこを塗り変えることが可能なのです。

なぜなら、そこでのあなたはすべてが幻想だと知っているから

未来を変えたことを知っているあなたは(あなた自身が変えたんだから)、自信をもって今を生きることができます。

どうです?

スゴクね?

ていうか、言ってる意味わかりますかね?

 

過去も現在も未来も単なる幻想としての記憶があるだけです。

あらゆる可能性としての記憶がそこにありますが、あなたは夢の中でどうしても自分の癖通りの未来に行ってしまいます。

そこでの行動は、まさにアカンあなたそのもの。

でもそれをわかった上で、今のあなたがそこに行って、もっと高い視点・広い視野・自由な創造性をもって生きてみれば、それが即あなたの現在にはね返ってくるという話です。

同じようにして過去も書き換えることができます。

 

渡辺謙がディカプリオと共演した映画「インセプション」は、他人の夢の中に侵入し、あるアイデアを植え付けるという産業スパイの話でしたが、こりゃあどう考えたって”個人情報”なんちゃらに抵触するっつうか、あかんよね、普通。

でもね、アメリカで映画になるということは、もうすでにそういったことは秘密裏に研究されていて実用段階まで来ているということなんです。

僕が言ってるのは、本人が本人の夢の中で過去や未来を書き換えるということ。

皆さん、何気に聞いてますけどねぇ、これって凄いアイデアなのよ。

精神医学的にもそうだし、願望実現とかいうなら、まさにそうでしょう。

問題は意図した夢の場面に行けるかどうかが完璧に運任せなのと、寝る時の意図をそのまま夢の中まで持って行ってその通りに行動できるかということ、そして夢は非常に暗示的であり、その中で暗示を読み解きながらそれらが実行できるかという点です。

これはそのうち、そういうことを可能にする薬が開発されるかもしれません。

モンロー研究所の”ヘミシンク”というのも脳波をコントロールすることにより、同じようなところを狙っているのかもしれません。

皆さんも、今晩からちょっとトライしてみてはどうですか?

夢だと無料ですからね。

2012.6.26

マタニティ歯科 ~おなかの赤ちゃんとお話ししようよ~

今、妊娠9カ月の妊婦さんが患者さんでいらっしゃいます。

できれば安定期に入った5カ月くらいで来て欲しかったのですが、もういつ産気づいてもおかしくない状態。

なんとかあと一回で完了するところまできました。

たしか、初診の時のことは書いた気がするのですが、赤ちゃんに断りをいれることなく治療を始めようとしたので、歯を削る器具がフリーズしてしまい急にそれだけ電源が入らなくなりました。

そのことに気づいて、心の中で話しかけたら普通に器具は動き出したのです。

赤ちゃんはこういった時、お母さんを応援してあげようと考えます。

そして何らかのモルヒネのような作用をする脳内ホルモンを出させるんだと思うんですが、痛みを感じにくくさせます。

ところがお母さんの治療に対する恐怖心があまりに大きいと、赤ちゃんも怯えてしまって応援どころじゃなくなってしまうようです。

 

このお母さんはタバコを吸われていたようなので、僕は初診時に「お母さんにタバコをやめるように言ってね」と赤ちゃんからメッセージをもらってました。

そしてなんとなくその子が女の子だろうと勝手に考えていたのです。

 

エアーシリンジ.jpg歯を乾燥させるための写真のような器具があります。

通常、スリーウェイシリンジというものを使うことが多いのですが、これだとエアーを出す時にわずかに水分が混じったり、油分が混じったりとかすることがあるため、うちでは専用の器具を使っています。

前回の治療の際、ある金属を歯に接着させるためにフットペダルを踏んでエアーを出したところ、いきなり先の金属部分が取れて上顎の歯ぐきの方へ飛んで行きました。(下の写真の先端の金属部分が本体のプラスチック部分から取れた)

エアーシリンジチップ.jpg「すみません、すぐ取りますから飲み込まないでね」と声をかけピンセットでつまんだのですが、そこは普通の歯科医じゃありません、僕。

これより径の細いシリンジの先が折れたり取れたりすることはこれまでにもありましたが、この太い径のチップが取れたのは初めてです。

こんなの消耗品ですから取れることは構わないのですが、今この患者さんのこのタイミングで取れる必要はないわけです。

それで取れた先をじっと眺めてハタと、「そうか、男の子か」

これってよく見ると象の鼻、つまり男の子のチンチンなんですね。

「あれ、お子さん男の子だったの?」

「はい、男の子です」

「今ね、『先生違うよ、僕、男の子だよ』って言われちゃったよ」

 

こじつけと言われればそうかもしれない。

そうと思わなければ単にシリンジの先が取れただけの出来事に過ぎません。

でもね、そうじゃないんだよなぁ。

先ほども言ったように赤ちゃんは自分の能力でお母さんの身体のコントロールをしようとします。

そして、驚くことに自分がいるおなかの外においても、チップが取れるという事態を起こすことが出来る。

おまけに僕が「あ、男の子か」と気づくようなインスピレーションを与えることが出来る。

だから言うでしょ僕、赤ちゃんは親にインスピレーションを与えて自分の名前を決めてんだって。

う~ん、おそるべし、赤ちゃんのパワー。

 

石ノ森章太郎氏の未完の名作「サイボーグ009」

知ってます?

若い人に言っても通じんのんよね、これが困ったことに。

001は赤ちゃんのサイボーグです。

表面上は”バブー”しか言いません。

でも非常に高度な内容をテレパシーで他のサイボーグたちと話すことができます。

予知能力もあり、念力みたいなことも発揮します。

本当に赤ちゃんというのはそうなのだ、と、つくづく思うのであります。

 

人間、生まれたての赤ちゃんの時が最も悟っている状態。

本当は人生におけるあらゆることを知っているのに、両親に何も知らない無知な、ただ可愛いだけの人形のような扱いを受けるおかげで、知っていることを知らないと思いこまされて育ちます。

そしていろんな既成概念を学校や社会などから植え付けられ、他人に教わらないことは知らない、という誤った感覚を身につけてしまいます。

だからたくさんの事を知っている人ほど、そういう意味においては阿呆なのです。

最終的には、死ぬごくごく寸前にすべてのことを理解し悟った状態で身体を離れていきます。

 

巷の予防歯科などというのを一生懸命されている歯科医院では、マタニティ歯科などと謳っている所も多いです。

はっきり言って集客のためなんですが、一応言ってることは正しいのよ。

赤ちゃんは全くの無菌状態で産まれてきます。

そして産道を出て外気に触れることで様々な菌に晒されます。

口の中においては、母乳は基本的に無毒ですから、離乳食をあげるときにお母さんの口の中の細菌をそのまま赤ちゃんに移してしまうのです。

お母さんの口の中の衛生状態が良ければそういう問題は起こりづらくなります。

だから、マイナス1歳から始めるマタニティ歯科、おなかの赤ちゃんのためにいかがですか?

となるわけね。

 

さっきも言ったけど、それ自体は非常に正しい。

でもね、僕が普段そういった妊婦さんやおなかの赤ちゃんに接している時の視点からすると、「ハンッ!」

と失笑しか出ないわけ。

出産間近ともなると、妊婦さんは母性本能全開です。

母親としての自覚と、おなかにいる自分の子供に対する深い愛情。

この時こそ、命の大切さ、赤ちゃんの真実の姿、あなたはこの子に選ばれたんだ、等々伝えるまさに絶好の機会なんですね。

そんなことも知らずにな~にが、マタニティ歯科だっつーの(笑)

 

この時、ならまちワンネス歯科はヒジョ~にスピリチュアルな歯医者となりまする。

 

なかなかに、視点の話の続きというか最後のまとめが書けずにいます。

筆が遅いのには理由があると思いますが、きっとその時は今じゃないのでしょう。

来週のどこかでアップ出来ると思いますが、明日、明後日は塩尻で同窓会でござんす。

16時塩尻駅集合で同級生が教授やってる松本歯科大学を見学後ホテルへ。

18時から宴会で20時よりホテルのバスで蛍を観に行く予定・・・・・ってね、あぁたね、うちの同窓会って僕みたいなやつが20余名来るわけです。

そんなやつらの宴会がきっちり2時間で終わって、ハイ、今から蛍を観に行きましょう、ってなるか?ふつう。

 

僕の今の最大の関心事。

それは2012年問題でもアセンションでも人類の目覚めでも何でもありません。

日曜日の宝塚記念 阪神競馬場 芝2200m G1 しかございませんのですよ。

春のG1レースを締めくくるドリームレース。

果たして、昨年の4冠馬にして春の天皇賞を大敗したオルフェーブルはこのレースを勝つことが出来るでしょうか?

早よ帰ってきて、こっちでテレビ観よかな。。。。

僕の夢、あなたの夢を背負って駆ける16頭のサラブレッドたち。

あなたの夢はなんですか?

僕の夢は6枠11番 オルフェーブルですっ!!(あくまでも現時点での話)

2012.6.22

弱り目に変わり目

ただいま”ならまちワンネスセンター”はエライことになっています。

やたらめったら物が壊れます。

診療室のコピー機。

これはコールセンターに電話して指示通りに清掃して直りました。

天井につけてるエアコン。

室外機の修理に15万5千円の見積もり。

虫歯に詰めるプラスチックを固めるための光照射器のリチウム電池切れ。

これがあまり安くないみたい。

自宅の浄水器の水漏れ。

これはOリングの交換で何とかなるかな。

掃除機の修理に5千円。

そ・し・て・・・・

 

昨日の台風です。

夕方ふうさんが妻に「台風の時の風ってどんなんやろ?」と聞いたもんだから妻は

「外に出て実際に体験してみたらええじゃん」

ということで慧と二人カッパを着て外に出ました。

診療が終わって慧が診療室に入って来て「お父さん、あのな、屋上の看板がな、下のネジがとれて風でフコフコしてる」

「ええっっ!?」

 

屋上です。

4階建ての上にある屋上です。

そこに掲げている大きな”ならまちワンネス歯科の”ロゴ入り看板。

それが下2カ所の角を留めている長いネジが強風で取れてしまって、宙をパタパタしています。

パタパタつったって、あ~たねぇ、横2m縦1m50くらいあるんですよ。

それが45°を超えて動いてるんです。

そりゃあ危ないったらありゃしない。

もし上の留め金も取れて向こうの方まで飛んで行こうものなら、死人が出ます。

 

仕方がないので工務店の友達に電話して右手で片方からずっと押さえていました。

これの工事をした看板屋さんはもう閉まっていて人手が見つからず、仕方がないので工務店の彼が応急処置をしてくれました。

僕は1時間ちょっと左右手を変えながら、ずっと押さえていました。

その途中で台風の目が通過したので何とか応急処置でももちこたえましたが、あれから台風本番だったら今頃どうなっていたかわかりません。

その時思ったのです。

「なんで、俺ばっかりこんな目にあわなアカンねん!」

 

自然相手だから仕様がないのですが、正直言ってやり場のない怒りがこみ上げてきます。

きっと震災で家を流されたり、親族を亡くした方たちもそうであったろうなぁ、と思いました。

ここでちょっと考えたのです。

これをツイテないと捉えてネガティブな方向に落ち込んでいくのは実に簡単。

そしてその方がとても楽です。

でも以前にペガサスさんの言葉として紹介した「この位で負けてたまるか!かかってこんかいっ!」の方がガッツが出ます。

この尋常じゃない物の壊れ方。

お金もかかります。

もうこれ以上無理というところに追い打ちが来ます。

よく言われることですが、これが人生のどん底だと思っていたら、まだ底があった・・・みたいなね。

 

ツイテない時にそのことをどう捉えようがその人の自由なのですが、その捉え方が次の人生の方向性を決めること、そして次に呼び込むものを決めることだけは間違いありません。

僕は人生の流れの変わり目で、たて続けに物が壊れるということによく出くわします。

そしてそれは診療室と自宅の両方で起こります。

一番最初が6年前の3月にやたらと水周りの故障が起こったことから、これまでに2,3度そういうことがありました。

その結果、今があるわけですが、正直言ってもうエエ加減にしてくれという思いもあります。

情けなくって泣きたくなることだってあります。

修理代が次から次へと来ますからね。

 

でも起こってしまったものは仕方がないじゃないですか。

とりあえず前に進むしかないんだから、あとはどのような気持ちで前に進むかです。

下を向くよりはカラ元気でもいいから前か上を向いて行きたいものです。

2012年も半分が過ぎようとしているのが影響しているのかもしれません。

 

と思っていたら、多数のインプラントを予定していて経営的には非常に有難い患者さんのお母様が病気で急遽入院されたそうで、月末を迎える当院にとってはまさしく弱り目にたたり目。

 

オッシャぁぁああっ!

かかってこんかいっっ!!

僕は今日という日を忘れない・・・・。

2012.6.20

17th Anniversary ~17回目の記念日~

土曜日の午後と日曜日は模型分析のセミナーを受講していました。

まあ地味な内容なので日曜の昼過ぎくらいにはちょっとブルーになってしまいました(笑)

患者さんの歯や歯ぐきの型を取り、それからおこした石膏模型上に基準点をうっていき、規格化されたきれいな模型に仕上げていきます。

するとそこからは患者さんの口の中だけではなく、身体全体の様々な情報が読み取れるのです。

もうね、虫歯の治療とか、歯周病の治療とか、あるいはそれらの予防などというのは当たり前、痛くなく噛める入れ歯も当たり前、これからの歯科はいかに健康で幸せに長生きするかというところに焦点を当てたものになっていきます。

だから身体と噛み合わせのバランスを取るというのも非常に大切。

噛み合わせで肩こりや頭痛を治しましょう、とかいうのじゃないのです。

身体と調和がとれた歯科治療、より健康になるような歯科治療ということです。

 

さて、今日は僕たち夫婦の17回目の結婚記念日です。

大阪は京橋にある太閤園というところで式を挙げました。

当日はあいにくの雨模様だったので、僕たちは室内ですから関係なかったのですが、中庭のチャペルで式を挙げた花嫁さんはちょっと可哀想に思えたことを今思い出しました。

 

僕は18歳で下宿を始めたので、母親とずっと一緒に居た時間と妻と一緒に居る時間がほとんど変わらなくなってきました。

これから先はそれが逆転していくわけです。

母親は自分が産んだ子だという一種自分の持ち物的な感覚がいつまでもあるでしょうが、妻の立場とすれば違いますよね。

子供は親に素直に自分の感情など出しません。

でも妻には僕の小さい時からのトラウマもひっくるめてすべて曝け出しています。

こう考えると、つれ合いというのは非常に縁が深いものであるなぁと、つくづく思うわけであります。

 

昨日は父の日。

子供たちに大きなメッセージカードをもらいました。

スヌーピーがカッパになっています。

(僕は中学の時スヌーピーと呼ばれたことがある)

ふうさんからも、慧からも「お父さんありがとう」と書いてもらってます。

そして隅の方にちょこっと「レゴも買ってね!」と書いてあります。

結局それちゃうの?みたいな(笑)

セミナーから帰ってきてすぐにトイザラスて。。。

 

うちの子供たちがすごく良い子、素晴らしい子だと思っている読者がいるかもしれませんが、嫁さんはしょっちゅう怒鳴ってるし、「首絞めたろか!」とか「包丁で刺すよ!」とか「階段から突き落としたろう!」と踊り場でふうを押したものの落ちなかったりとか(笑)

僕はあるていど感情を溜めこむと、妻や子供たちに思いっきりぶつけてしまいます。

でも、不思議なことにそのあとは何事もなかったかのように家族生活が続いていきます。

怒鳴って、謝って、叫んで、謝って・・・・・。

でも子供たちは非常に寛容なのか、すぐに許してくれます。

妻もたぶん(色々思ってるだろうけど)許してくれます。

家族って、こんなもんです。

気持ちを素直に出すこと。

どのような気持であれ正直に出すこと。

それが出来る家庭がいいですね。

 

前回の続きの話はまた明日

2012.6.18

Point of View ~自分の観点、相手の観点、そしてより高い視点へ~

先日御紹介した久瑠あさ美さんの「人生を劇的に変える マインドの法則」

たくさんのことを気づかせてもらいました。

本書の最初にある女性のクライアントさんの話があるのですが、そのままパクるのももひとつなので、僕自身の経験でお話してみましょう。

このブログはいつだってそうでした。

逆転の見方

確か一昨日だったと思うのですが、民放の健康を扱った番組の中で”ワイルドだぜぃ!”のスギちゃんがゲストの中で最も疲労度が高く危ないと指摘されていました。

すると昨日のニュースで、スギちゃん過労でダウンて。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

と、実生活ではワイルドでない一面を見せた・・・・・という記事も笑わせてくれる。

おまけに代役でイベントに出演した小島よしおに「昔の僕を見ているみたいだ」って言われて、、、、、

いらんねん、そんなコメント(笑)

 

本日は少し一休みして、軽めのお話を。

 

僕が一年と少し摂り続けているサプリメントがあります。

知っている人は知っている、マナテック社のものなのですが、シャスタのヒデさんの話を聞いて直感でこれは良さそうだと思ったのです。

御多分に洩れずこれもネットワークビジネスのシステムをとっているのですが、そこには僕は絡みません。

昨日初めて整体のM先生のところへ持って行き、僕に合うかどうかを診てもらいました。

僕は2種類のサプリを摂っているのですが、そのうちのひとつは素晴らしく良い、もうひとつの方は含有されているアロエベラが僕には下痢を起こしやすくするそうです。

ということで今日からは一種類だけにしているのですが、このように体質に合う合わないがあるので、万人に対して絶対的に良いサプリなどというものは存在しないと考えた方が無難なのです。

ベジブルキッチン.jpg

その後、妻と以前から目をつけていたレストラン、本町の北御堂(西本願寺津村別院)北側の筋を西に入ってすぐの所にある ”ベジブルキッチン”でランチをしました。

ちょうど着いたのが開店1分前の11時29分。

880円でのバイキング(ホントの食べ放題)はメチャクチャ納得のお値打ちであります。

野菜は美味しいし、完全なベジではなく肉料理のプレートもあります。

OLさんに囲まれるはずが、時間が少し早すぎて↓

大阪の方は一度行かれてみてはいかがでしょうか?

 

さて、先日のこと。

妻と子供たちが歩いていると風もないのに木の葉が揺れた。

それを見たふうさんと慧は「あそこで妖精がダンスしてんねんで」

 

誰かのエッセイに書いてあったのですが、僕たちは自分の誕生日って自分だけの記念日だと思ってますよね?

ところがね、その日はお父さんやお母さんにとっても僕を授かった大切な記念日なんだってことは、普段考えないわけです。

初めての子供ならなおさらでしょう。

両親の目線から自分の誕生日を眺めてみると、すごく愛おしくなりませんか?

 

葬儀屋さんの前を通った妻は子供たちに「お母さんが死んでも戒名なんかいらんからね」

「戒名って?」

「戒名ていうのは云々・・・・」

ふうさん曰く「それやったらな、うちらが生まれてきた時はお父さんとお母さんが名前つけてくれたんやから、お母さんらが死んだら今度はお礼に子供が戒名つけてあげる。その名前で天国行ったらええやん」

 

単に物事を逆から見たら、という話なのですが、これがなかなか思いつきません。

すごい、と思います。

 

観点というのは、僕たちの体験そのものを左右します。

どういう観点で物を見るのか?

次回はそういったお話。

そしてここ最近の記事は全部ここに行きつくというお話です。

2012.6.15

I Believe in Music

このタイトルは少し前から頭にあったものですが、先日の大阪東心斎橋の事件で亡くなられた音楽プロデューサーも「音楽の力を信じていた人でした」と後輩の方が話されていたのが印象的でした。

なんともやりきれない気持ちです。

 

今、スピリチュアルの世界では意識を拡大し、銀河意識、宇宙意識という人が増えています。

確かに今という時代の地球人はそのように変化しており、それこそがアセンションのひとつの証でしょう。

でも僕はどうかというと、ここ最近のブログを読んで頂いてもお分かりのように、益々自分の内側に深く入っていっております。

時代に逆行してますかね?

 

僕がシャスタでハルミさん、ヒデさんのセッションを受けた時、僕はアセンションに乗り遅れる人を後押ししたいと述べました。

するとハルミさんは、僕のガイドの言葉として「それは止めた方が良い。そういう人は好んでそうしているのだから、あえて関わる必要はない」と言われました。

確かにそうだと思います。

でも、やはり、僕は言葉は悪いが落ちこぼれていく人を見過ごすことはできないみたい。

自分たちだけ上に行ってというのは、犯罪者を再教育することなく牢屋に閉じ込めておいたり、死刑にして清々しているというのと同じじゃないですか?

メッセンジャーはそれぞれ役割が違うのだと思います。

もうほとんど覚醒している人たちを銀河意識へと導く人もいてもいいし、苦しみにフォーカスして人生をより良く、そして幸せに生きることの手助けをする人がいてもいい。

僕は自分で選んでいるわけではないのだけれど、そのように導かれている気がする。

それもありでしょう。

 

一昨日、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見ていました。

天ぷら職人の早乙女哲哉さんが主人公だったのですが、彼は130歳まで自分の仕事を高めていきたいと考えています。

60歳で終りと決めつけてしまえばその時点で進化が止まるからだそうです。

僕は150歳までは進化して、そこからあとの50年は嫁さんとゆっくり暮らしたいと思っています。

番組の中で、早乙女さんと何十年の付き合いのフレンチシェフが登場しました。

そのシェフは腕もあるし、かつては大繁盛店だったのですが時代の波には勝てず、ある日、銀座の店をたたみ地方のホテルの料理長として再出発することになりました。

早乙女さんの店に報告と挨拶に来たシェフに、早乙女さんは天ぷらを御馳走します。

「御馳走してくださるんですか?」というシェフに

「せっかく来たんだもん。食べなくちゃ仕様がねえや」と返します。

 

そこから二人の無言のやり取り、お互いプロ同士の心のやり取りというのでしょうか、早乙女さんは渾身の想いをこめて料理で新たな人生を歩もうとするシェフを送り出そうとしますし、その想いをシェフは大切に本当に大事そうに噛みしめています。

この時、僕は思ったのです。

この二人の職人の想いに僕は感動するではないか。

この人たちの心に触れようとしているではないか。

じゃあ、個人セッションでも出来るはずではないか。

もしかしたら、僕はずっと、僕には出来ないと自分で自分の限界を決めつけていたのかもしれません・・・・。

 

早乙女さんは自分のことを世界一の臆病者だと自負しています。

「俺はね、臆病だよ。客の前でさ、足がそれこそワンナワンナ震えてんだもん。だけどね、俺ぁ言うんだよ。臆病だけど、臆病さにかけては誰にも負けやしないって。だからちょっとした客の表情に気を遣うし、素材も丁寧に扱うんだよ。それでさぁ、俺は臆病だからこそ天婦羅の世界じゃ誰にも負けやしないのさ」

 

僕が小さかった時、なりたかったもの・・・・というか、やりたかったこと。

ヨーロッパにあるステンドグラスが美しい教会でパイプオルガンを弾くこと。

そして、アメリカの広~いトウモロコシ畑の真ん中でバンジョーを弾くこと。

僕はずっと過去世が関係しているものと思っていました。

でも、もしかしたら違う見方もあるのかもしれない。

これら二つの場所はどちらも僕が心安らいでいられる場所を表します。

二つの楽器は聴衆に対して演奏されているのではありません。

ただ自分自身が自分が今いる世界に対して表現しているだけなのです。

そこに他人の評価はありません。

聴衆は演奏している僕一人。

そういうことか・・・・と思いました。

 

I believe in music. 僕は自分の創造するもの、表現するものを信じる

I believe in love.  僕は愛、すなわちこの宇宙を信じる

 

皆さんの小さい頃の夢は何でしたか?

もしかしたら、それは小さかったあなたから、大人になったあなたへの大切なメッセージかもしれませんよ。

2012.6.13 

至高にあらず、思考の体験

最近くどい位に人の心に寄り添う難しさを書いていますが、これには理由があります。

話の先があるので、少々我慢してくださいませ。

 

宮城で話そうと思って時間がなかった話。

その話は宇宙の始まりまで戻ります。

 

”自分は何者か?体験を通して知りたい”

それまではあらゆるものが溶け合っていましたが、まずは思考と感情とにわかれました。

これが”わたし”と”あなた”です。

思考がわたしで

感情(を与えるもの)があなた

と、なってしまったのです。

この時点ですでに人類の誤解の始まりが見られますね。

 

思考にも感情にも行為というのが内包されており、そのうち行為も分離され三位一体となりました。

見たことないけど、そうなのっ!(笑)

 

ビッグバンを引き起こしたのは、すべてが溶け合っている中の”思考”要素が

「わたしは何者か?」

疑問に思ったからです。

よろしいですか?

この宇宙はまず疑問から始まったのです。

次に

「それを体験したい。体験により知りたい」

との欲求がありました。

この順番よくみといてね。

そして幻想というこの世界を作ろうと考えました

ここではじめて、「体験により自分を知ることが出来る」という期待に打ち震え

大爆発のような喜びとともに、宇宙を作ったのです。(これ、ビッグバン)

つまり

思考→欲求→思考→(未来への期待)、感情→行為

ということです。

時系列ではこうです。

しかし時系列という言葉そのものに語弊があって、単に物事が起こる順序ということであります。

順序=時間の経過 と捉えるのは人間の時に対する固定概念。

言い換えるならこの順序とは原因と結果ということです。

順序に従って起こる各出来事も、原因と結果と言われるものも両方とも同時に存在します。

難しい話ですがそうなのです。

よく観察してみると、人生において結果が先で原因が後という順序で経験していることなど山とあります。

このことは明日か明後日のブログで出てくるので、理解しといてもらえるとありがたいです。

人生ゲームで10マス進んだけど、次に3コ戻るになっちゃった、みたいなもの。

要はどの順序で体験するか、この世界が幻想であるなら、どの幻影を映しているスクリーンにあなたが意識を向けるか?ということであります。

 

始まりが疑問から起こっていますから、僕たちがつい「どうして?」と思うのは当然・・・・・なのでしょうか?

最初の疑問は「わたしは何者か?」です。

僕たちを普段苦しめる疑問は「あの人はどうしてわたしにこんなことするの?」だったり「わたしって、どうして人に好かれないのかしら?」ですよね?

似て非なるものです。

ここで僕たちは一つの大きな誤解を見ることができます。

 

医者が病気の原因を探るのは当たり前ですがOKです。

タバコを吸うとか甘いものを食べすぎるとか何かがあって病気になるのですから。

(わからないものは自己免疫疾患とか難病と分類されます)

ところが、僕たちが人生において抱く疑問をみてみたら、何かの原因を探ろうとしているんですが、それもよくよく観てみたらなんと!

実はその原因って自分自身(の物事の捉え方)にあるんですねぇ。

この話は次かその次のブログで詳しく説明します。

自分の捉え方に原因があるのに、自分自身(の性格)だったり他人(の性格)に原因があると錯覚し、そこを探ろうとするからいつまでたっても答えに行きつかない。

迷路に入って出られなくなるわけです。

 

ふうっ。。。。

大丈夫ですか?

ついてこられていますか?

僕は休憩しながら書いています。

 

思考の使い方。

それは原因を探るに用いるにあらず。

体験したい現実を創造するのに使うのである。

それにより自分を知るのだ。

あなたが体験するのはあなた自身なのであり、出来事や他人の言動ではない。

あなたは人生という自分の外側にある道を旅しているように見えるが、じつはインナートリップ(自己内面への旅)をしているに過ぎない。

あなたは思考の使い方を誤ってしまった。

それがすべての・・・・原因である。

 

ということのようです。

思考は知りたい自分を体験するために、その体験を創り出すために、あります。

なぜ?

どうして?

は本来の思考ではないようです。

それは他人との分離感、孤独感、不安や怖れからきています。

次からは、成りたい自分に成るために、望む自分を創造するために、というお話。

では。

2012.6.12

Believe in oneself ~自分を信じる~

宮城に行く前に、僕は自分の個人セッションを見直していました。

心に寄り添うというけれど、自分が経験したことのない悩みや苦しみをわかれと言われても困ってしまう。

じゃあどうしたらいいのだろうか?

 

いつもは問診票に沿って、悩みの原因をまず見つめていくという作業をします。

その際に家系図を使ったりするのですが、今クライアントがいる現状までの道のりを宇宙の原理原則を元に説明していくのです。

あとはどうしたら良いか?というのはクライアントの選択なので口を挟まず、ヒーリングとディクシャをしていきます。

 

今、苦しんでいる人を救えない。

何のための個人セッションでしょう?

もちろん苦しみは自分自身のものごとの捉え方によるのですが、苦しんでいる人にそんな理屈を言ったところで何になるでしょう?

僕に出来ることは、話を聞いて現在の居場所とその道程を明確にし、あとはヒーリングとディクシャのエネルギーを流し天にお任せです。

僕にはそれ以上出来る事など何もない。

ハイヤーセルフと強く繋がってもらって、それを信じてもらうこと。

高次元の自分を信じ、ひいては自分自身を強く信じる。

そうすればきっと良くなる。

それはすぐにやって来ないかもしれませんが、いつかきっと良き日を迎える。

「開拓者たち」で書きましたが、「生きてさえいれば何とかなる」

・・・って、あまりにも月並みですか?

 

こんなに苦しみながらどうして生きなければならないのでしょう?

いったい、生きるって何なの?

こんな体験したくないのに。

 

あらゆる生命の持つ本質的欲求は進化です。

進化するためには乗り越えるべき壁が自分の前にあるのは当然なのかもしれない。

それによって進化するのだから。

 

サイモンバーチの話でもそうなのですが、結局は神を(自分を)信じてその時を待つ。

それしかないのかもしれません。

実はね、ご紹介した久瑠あさ美さんの本の最後の方で幾度も強調されるのが「自分を強く信じる」ということなのです。

 

僕は宮城に行く2週間ほど前から急に心が不調になりました。

ふうの心がわかってあげられなかった、ということに気づいたからです。

そして自分の個人セッションの限界を感じました。

あまりにも無力で虚しくなりました。

子供たちにとって僕は相談相手ではなく、単なる許しを得る存在だというのを見せつけられ、こちらの心が折れそうになりました。

僕だって、僕の気持ちをわかって欲しいという想いはあるのです。

そんな状態で宮城に行く途中、例の中学生二人組に出会いサイモンバーチの話を思い出したのです。

そして帰りしなに「人生を劇的に変える マインドの法則」に出会いました。

これによって僕のセッションは大きく変わるだろうと確信しました。

そして、このタイミングで今、遠隔ディクシャや個人セッションの依頼が届いております。

わたし、やります。

明日へ向かって一歩踏み出します。

明日の自分に出会うために。

 

この話は続くのでした。

2012.6.11

Dr.KAPPAの”明日へのワンステップ”

う~ん、ダサい(笑)

 

先日の仙台空港での飛行機の乗り遅れ、これには必ず意味があると思っていました。

本来の便に乗っていたら見過ごしていた何かがあるのだと思いました。

そう思いながら次の便までの数十分空港内をウロウロしたのです。

まずは仙台に来る直前にテレビで見た、震災で泥は被ったが倒壊しなかった佐藤忠良氏の「飛翔」というブロンズ像を見ました。

花と水と調和していて、とてもきれいでした。

でも、これではない。

空港内に戻り本屋さんに入りました。

目に入ったのは河北新報の3.11の特集グラビア。

そして、実はこれだったのね、久瑠あさ美著「人生が劇的に変わる マインドの法則」

 

この本のことは新聞広告で見て知っていました。

気にもなっていました。

しかし、茂木健一郎推薦というのが引っかかったのと(あまり好きでない)、「僕が今さら成功本かよ?」という驕った心がありました。

でも気になっていたんです。

そして、これはいわゆる成功本ではありません。

 

以前書きましたが、歯医者も50歳になってくると心が硬くなってくる。

他人の講演なんかもうええやん、と思えてくる。

ましてや、かつて自分が大学で教えていた生徒たちに習うなんて・・・・・。

そういった点を「本当にそれでいいのか?」と自問自答して、昨年からまた少しハードに勉強を再開しているのですが、じゃあスピリチュアルに関してはどうなんだ?

他人の言うことに耳を貸さなくなってないかい?

ということで仙台空港にて本書を購入することにしたのですが、今考えると、この日程でお話会があったのも、一便乗り遅れたのもすべて決まっていた事のようです。

 

「シャングリラからの伝言」ではこの世界の原理原則が書かれています。

言ってみれば過去と現在です。

しかし久瑠さんの本には未来が書かれています。

”どういう自分を創造したいのか?”が書かれており、その具体的な話はこれまで当方にはありませんでした。

 

Message from Shangri-la meets Law of Mind

 

この二つが出会ってどうなるのか、というのは次のメッセージで。

10ページ読めば10ページ分人生が変わります。

特に「シャングリラからの伝言」を読まれている方にはてきめんでしょう。

必携の本であります、是非ご購入を。

 

なぜ前回のブログで一区切りつけたのか?

僕はずっとシャンバラ(シャングリラ)からのメッセージの郵便配達人であると公言してきました。

そうでないと僕という人間が注目されメッセージそのものがぼやける恐れがあったからです。

しかしそれを続けていると僕は単なる伝達人を演じているだけで、創造的とはとても言えないと最近思い始めました。

もう遠慮する必要も恐れる必要も何もない。

僕は僕としてメッセージを発信していき、シャンバラの中継点としての役割はもはや終えたと感じます。

今までは忘れていたことを思い出すために彼ら(シャンバラ)の力を借りてきましたが、2012年の金環日食と金星の日面通過をキッカケに、いかにより良き未来を創造するかということを自ら発信します。

そう、僕はそのように選択しました。

 

昨日紹介した「岳」の主人公である三歩。

一日一歩、三日で三歩とも言えるけれど

過去への一歩

現在への一歩

未来への一歩

合わせて三歩ともいえる。

すべてが決められた流れのままに進んでいく気がする今日この頃でありました。

2012.6.9

岳(がく)~みんなの山~

僕が普段愛読しているビッグコミックオリジナルで連載されていた表題の漫画。

最新号で最終回を迎えたその話なのですが、その前にひとこと言っておきたい事がある。

昨日、大阪歯科センターに見学に行くために乗った近鉄特急で読もうとサンケイスポーツを買いました。

表一面がタイガースの記事なのは別にいいのです。

裏一面と裏の見開きのほとんどがAKB48の選挙の話で、誰がセンターになったとかそんなこと。

それ自体も大変に馬鹿馬鹿しいのですが、その中にほんの小さなスペースで三笠宮寛仁親王の御逝去の記事が・・・・・。

いったい、日本の新聞はどうなってるんだ?

あまりに腹がたったので、僕は金輪際サンスポを買わないとともに産経新聞も読まないことにしました。

脳味噌腐ってるんじゃないかと思います。

 

気を取り直して、知らない人のためにあらすじを述べておきましょう。

「岳」の主人公、島崎三歩(さんぽ)は若いながら年季の入ったクライマーで、今は北アルプスでボランティアとして山岳事故の救助にあたっています。

ある時、長野県警の山岳救助隊の若い隊員である阿久津と二人で救助活動をしていましたが、突然の雪崩に巻き込まれ阿久津は瀕死の重傷を負います。

そのことに大いに自責の念に駆られた三歩は、もう一度クライマーとしての自分自身を見つめ直すため、単身エベレストの難コースに挑みます。

 

時を同じくして、勤めていた会社を辞めエベレスト登頂を目指す小田という若者がいました。

彼は世界各国から集まったクライマーたちとガイドの案内の元、三歩とは違うコースですが山頂を目指します。

ところがこのパーティは悪天候のため登頂を諦めるも、ベースキャンプに戻る途中に遭難しかけてしまいました。

そこに自身のアタックを無事終えた三歩が助けに来ます。

死と隣り合わせの状態で、なんとか全員を安全な所まで連れて降りますが、そこに自分たちとは別のパーティの遭難者から「助けて!」との無線が届きます。

皆が反対するなか、無茶な登攀をして遭難した自業自得とも言えるインド隊のたった一人の生存者のために三歩は無酸素で救助に向かいます。

そ・し・て・・・・

 

無事ベースキャンプまでたどり着いた小田は無線で三歩に連絡をとります。

インド隊の遭難者はすでに息絶えていますが、無酸素の三歩は意識が朦朧として要救助者が死んでいることすらわかりません。

トランシーバーの向こうから聞こえる雑音混じりの三歩の声。

「もう少し。もう少し待って彼が目を覚ましたら、コーヒーを飲んで、それから降りるから。もう少し。もう少しだよ・・・・・」

 

それから数年が経ちました。

小田は今、長野県警山岳救助隊員として働いています。

重傷を負った阿久津隊員は、車椅子に乗って町の交番に勤務しています。

そして、三歩とペアを組んで何度も遭難者を救助してきた県警の椎名久美。

彼女は今日も救助活動を続けながら、次のように思います。

 

「あんなに山が嫌いだったわたしが、今もこうして山にいる。

三歩さんの残していったもの・・・・

山への想いと、登山者への愛、あふれる笑顔。

阿久津君や小田君、わたしも、、、、

もしも三歩さんに出会ってなかったら、今も山にいただろうか?

わからない。

でも、ただ一つだけわかることがある。

わたしは・・・・・いや、わたしも、

島崎三歩に出会えて良かった」

 

「迷惑かけてすみません」と謝る要救助者に手当てをしながら彼女は、かつての三歩の口癖を伝えます。

「良く頑張った」

 

そして三歩を慕っていた父親を穂高で亡くした孤児のナオタも、成長して今、ワイオミング州にある山の前に立っています。

 

もし僕が死んだら、残っている人に何を残していけるだろうか?

みんなの心に僕はどのような痕跡を残すのだろうか?

 

みなさん、わたくし思うところあり、「シャングリラからの伝言」としてのブログは本日をもちまして終了いたします。

ホームページタイトルは変えるとややこしいのでそのままですが、次回からは伝言ではなく僕がメッセージを創造していきます。

詳しくはそのときに。

これからもよろしくね。

2012.6.8

The Synchronicity ~シンクロのとらえ方~

昨日のブログで、かつて僕が若い時にこんな街に住みたいなぁと思った場所が3カ所あると書きました。

仙台と信州と沖縄ですが、実は今月23,24と松本歯科大に同級生がいる関係で、松本で同窓会が開かれます。

そして僕が属している口腔力学研究会の毎年の秋の旅行で、ここ2年は屋久島に行っていたのですが、今年はまた沖縄本島に行くことになっています。

そして先週は仙台へ。

これって偶然?

 

ハートの奥にある本当の自分、核心たる自分と強くつながる。

僕は今、そればかり強調しています。

その3日前に奈良でやった個人セッションでも同様でした。

クライアントは若い男性でしたが、背面のヒーリングをしながら彼が着ていたTシャツにプリントされた文字に目がいきました。

僕がよくカラオケで歌うCarol Kingの”You’ve got a friend”の一番の歌詞がそこにありました。

 

Winter,spring,summer or fall

All you have to do is to call

And I’ll be there,yes I will

You’ve got a friend

(訳)

一年中いつだって

あなたはただ呼ぶだけで良いんだ

すると僕はきっとそこにいるよ

やっと友達になれたね

 

これってまさしくハイヤーセルフが語りかけてる言葉です。

クライアントの彼はその日、別のシャツを着てくるつもりだったのに直前でこのTシャツに変えたんだそうですよ。

誰がそれを選ばしたんでしょうね?

僕がそのことを指摘しなければ、彼は自分のハイヤーセルフの為せる技に気が付かなかった。

でもね、これには前フリがあるんです。

 

午前中、駅前の銀行へ行く道すがら(徒歩7,8分の距離)、やたらと久しぶりに出会う二人組を見かけるんです。

つまりね、僕の近くを歩いている人が向こうから歩いてくる人に「わあっ、久しぶり!どうしてたん?」みたいなのがね、たった駅までのわずかの間に3組もいてたのね。

さすがに、これは何かなぁ?と考えました。

昼からセッションを受けに来られる彼と僕が過去世でつながってたのかなぁ?なんてね、思うわけです。

今度は銀行からの帰りに、僕自身が5年位行ってないステーキハウスの店員さんとすれ違って「お~、久しぶりッス!」

そこから10m位歩いたら、ダメ押しのもうひと組が「やあ!何してんの?」って・・・・もうええっつうの。

その結果が、クライアントさんが御自身のハイヤーセルフと出会った、みたいな。。。。

 

まだまだこんなものでは終わりません。

宮城に行く朝、奈良から近鉄電車に座っていたら、前に立っている二人の中学生。

一人は普通の背格好なのですが、もう一人はホルモン異常か何かでしょうか、非常に背が小さい。

この二人を見ていて僕は「サイモン・バーチ」という映画を思い出したのです。

 

サイモンは生まれつき非常に小さい体で成長してもそれは変わりませんでした。

両親はそんな彼を完全に無視。

学校や教会でも厄介者扱いです。

ただ彼にはジョーという名の親友が一人いました。

この親友ジョーとサイモンが並んでいる姿が、その中学生二人にそっくりなのです。

サイモンの願いは「いつかきっと僕も英雄になれる」

「神さまがくれたこんな僕の体にもきっと何か意味があるんだ」

ある日、町の子供たちが教会の日曜学校のウインターキャンプに行きました。

サイモンは急病のため居残っていますが、急いでジョーに知らせないければならないことができ、キャンプ場へと向かいます。

キャンプが終わって帰路についていたサイモンも含めた子供たちを乗せたバスは、途中あやまって湖に転落してしまいました。

窓の上の方と屋根だけは湖面に出ていますが、ほとんど沈んでしまっている状態。

大きな子供たちは自力で逃げます。

近くで見ていた近所の男性たちも助けに駆け寄ります。

でも中に残された小さな子供たちは恐怖で動けません。

それを見たサイモンは首まで水につかりながら「みんな、落ち着んだ!僕が必ずみんなを助けるから」

小さな体から出た大きな言葉に子供たちは緊張がほぐれたのか、ようやく体が言うことをきくようになりました。

そしてサイモンは一人一人開いた窓の隙間から外へと連れ出したのです。

冬のキャンプでした。

その後、入院し危篤状態のサイモンはベッドの傍で見守るジョーに

「どうだい、やっぱり僕の小さな体にも意味があったろ?・・・・僕、英雄になれたかな?」

と最後の言葉を残し静かに目を閉じます。

 

心から悩んでいる人に”人生の目的”だとか”幸せの意味”だとかは虚しく響く。

でも、どんな霊(いのち)にも、どんな人生にも、ちゃんと意味がある。

近鉄電車の中学生二人はそんなことを僕に思い出させてくれたのでした。

そのことはそのまま宮城でお話ししました。

 

僕にとってはすごいシンクロですが、彼ら二人の中学生にとっては僕のことなんて目に入っていませんし、なんのシンクロでもありはしません。

いったいシンクロをどうとらえるのか?

ラッキーととらえるのか、自分の進む方向性を示しているととらえるのか、あるいは全く意味がないととらえるのか。

これらは僕は本人の自由であると考えています。

ただし、視点を自分という低く狭い所から高く広い神の位置にもっていけば、大きな箱庭にいるすべての人間が神の子供。

そこではすべての駒を同時に動かし調和を取るという神にしか為し得ない究極の人生ゲームが行われているのです。

 

お話会の昼休み。

僕は昼を食べませんでしたので、多賀城の街を散策していました。

そして会場に戻ろうと歩いていて、次の日が妻の誕生日であることを思ったその瞬間、隣にある”Syrius(シリウス)”という名の美容院の駐車場を何気に見たら、二羽のスズメがキスをしているではありませんか。

もしかしたら同じエサをついばんでいただけかもしれない。

だけど、僕が視線をよそに向けていたらその光景を目にすることはなかったでしょう。

だいたいが、スズメのキスなんて生まれて初めて見ました。

 

こういうのは誰が演出するのでしょうか?

天から見ている神さま?

それとも僕のハートの奥にいるハイヤーセルフ?

大切なことは、それと気づき感謝すること。

すると、なんとな~く幸せな気分に浸れるのです。

 

本日の金星の日面通過(ビーナストランジット)

日食メガネで太陽は見えるんだけど、フウさんには見える金星が小さすぎて50歳の僕には見えない。

なんとな~くツイテない気分(笑)

 

”サイモン・バーチ”

こんなの書いてたらAmazonの中古DVD、ワンクリックで注文しちゃったよ、僕。

2012.6.6

Attention Please!! ~カッパ、杜の都へ~

「日本航空 2210便 伊丹行きは ただいまをもちまして搭乗手続きを終了いたしました」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

土曜日の昼前に仙台駅に着いた僕は、主催の大場さんに迎えに来て頂き、お住まいの七ヶ浜周辺を車で案内して頂きました。

僕は震災前の光景を知らないので、「ここも無くなっちゃったんですよねぇ」と言われても、すでに更地になっているので以前そこに工場やたくさんの家やお店があったという映像が想像できない。

どちらかといえば、向こうにある家はすでに分譲済みで、ここら辺りは現在造成中というイメージでした。

それでも林の中にいまだ処理されていない瓦礫の山や車の残骸をそこかしこで見ることもできました。

夜の食事で合流した先日奈良のかえる庵でお会いした仙台在住の御夫婦が仰っていたことが非常に印象的です。

「こちらだと今でも毎日なにかしら震災関連のニュースが新聞に載っているけど、奈良ではそんな記事は一行もなかったの。やっぱりそれだけ捉え方が違うんだなぁと思いました」

そうなんでしょうね。

 

お話会の詳細は書きません。

なんと15名も集まってくださいました。

僕が強調したことはただ一つ。

「ハートの奥にある本当の自分(ハイヤーセルフ)と強く繋がって、あとはそこと二人三脚で歩んでください。

でないと、いつも外側に答えを求めるようになってしまい、自立して人生を生きることができなくなりますよ」

これを僕の体験をもとにお話ししました。

つきつめれば、それだけです。

「〇〇のお蔭で」とやっている限りは、確かに短期的にはいいかもしれないけれど、長い目で見たら果たしてどうでしょうか?

僕は参加者の皆さんとフラットな関係でいたいと思います。

だから会の最後の方で、僕の最近の心の痛い所をお話ししたんです。

僕が良い格好する必要まったくないんですね。

聞いてくださった方の役に立てばいいんですから。

 

午後3時半にはお話会を終了し、時間的な余裕を持って仙台空港に着きました。

僕の便は5時40分発。

着いたのが4時50分。

こちらにきてお寿司は食べたけど、もちっと仙台名物を食べておきたいと思い探したところ、牛タン専門店が空港ロビー1階にあったので、そこで生ビールと牛タン定食1300円也を注文。

他にもお客さんがたくさんいて、きっと丁寧に焼いておられるんでしょうが、出てくるのが遅い。

5時8分位にようやく僕のが出てきました。

タン元、タン中、タン先と部位別に焼いたのと、少々のタンシチューに小鉢とテールスープにライス。

これで1300円は安い。

おまけに柔らかくて美味しい!!

ところがね、タンですからサッと噛んで飲み込むというわけにいかないのね。

結構時間がかかるのよ、これが。

で、食べ終わったのが5時20分くらい。

お勘定済ませて、2階の出発ロビーに上がり、スタッフや家族用のお土産を探します。

てなことしてるあたりで、冒頭のアナウンスが。。。

 

ん?

でも僕はeチケットでもう座席も指定しているし、要するに出発10分前に搭乗口にいればいいんやろ。

じゃあ大丈夫。

・・・・って、実は大丈夫じゃないんですねぇ。

出発15分前に検査場を通過しなければいけないんです。

僕が検査場に行ったのが13分前くらい。

係の人に「お客様、少々お待ち下さい。JALさ~ん、2210便のお客様です」

~~~中略~~~~

結局僕はその飛行機には乗れませんでした。

出発13分前で、搭乗口は検査場のすぐ前ですから時間的には全く問題ないのですが、きっとコンピューターのシステム上の問題なのでしょう。

急いで係の人が次の最終便の空席を調べてくれました。

後方の通路側でしたが幸運にも空いており、僕は前割での往復のチケットとホテルのパックだったので本来なら変更効かないのですが、乗るはずの飛行機の出発前だったこともあり、追加料金等一切なしで変更してもらえました。

僕はツイテいるともツイテないとも思わず観察していただけ。

ただ、生ビールおかわりしたので、係の人には僕の吐く息がアルコール臭かったかもしれません。

こういう人のことを大阪では”スカタン”と呼びます。

おっちょこちょいの間抜けという意味です。

どうして俺ってこう普通に帰るということがでけへんかなぁ・・・(笑)

 

もひとつおまけに、最終便まで1時間くらい時間があるのでその辺をウロウロしていると先ほどの係の女性が駆け寄ってきて「西塔様でいらっしゃいますよね?こちらを検査場にお忘れです」と妙な笑いを浮かべながら、、、、

彼女の手にあるのは検査場で金属類とかを別に入れる小さなカゴ。

そのカゴの中にあるのは、さっき僕が入れたスプレー式の”トイレその後に”という名の消臭剤。

・・・・・・・・。

 

僕がまだ大学にいて学会で日本各地に行ったりしていた頃。

僕にはお気に入りの場所が3つありました。

こういった所に住みたいなぁと思わせるところ。

それが仙台であり信州であり沖縄でした。

元々ブログの読者に宮城県の方が少なくないのは知っていました。

そしてなんとなく宮城に行くだろうなとも思っていました。

今回、偶然にも、また幸運にも彼の地に呼んで頂いて、感謝の念に堪えません。

なぜかというと、「シャングリラからの伝言」という立場からは伝えたいメッセージがあるということですが、僕という個人の立場からは宮城で会を開くことにより、新しい自分を体験し、知ることが出来たからです。

その当日まで主催の大場さんをはじめ誰とも会ったこともないのに、一緒に話が出来た人も、視線を合わせただけの人も、手をつないで輪になってエネルギーを感じてみたりしながら、結局は自分を体験しているのです。

話し忘れたこと、かけ忘れたCDとかあったけど、それはそれで良かったのでしょう。

主催してくださった大場さん、個人セッションを受けてくださった方、日曜日にわざわざ集まってくださった参加者の皆さま、本当にありがとうございました。

心よりお礼申し上げます。

またいつか、お会いできたらいいですね。

 

土曜日に食事をした仙台市青葉区のお寿司屋さん「紀文」

”お客さまもご一緒に”というのをクリックすると僕がエエ調子になってる姿が見られます。

店はこじんまりとしており、値段もさほど高くなく美味しくって超オススメ。

仙台周辺の方は是非一度、予約して行ってみてください。

2012.6.5

我思ふ

目の前の悩んでいる人、苦しんでいる人に対してあなたはどのような言葉をかけるだろうか?

すぐにそこから救ってあげることが出来るだろうか?

そんな人に「人生の目的」とか「幸せの定義」などを話したところで、いかほどのものであろう?

右耳から左耳へ抜けるだけではないだろうか?

 

すべては完ぺき。

あるがままで完ぺき。

でもわたしは苦しいのだ。

逃げてもダメ。

戦ってもダメ。

ではいったいどうすればいいの?

 

この無力感を前に、昨日わかったことがあります。

思考と感情と行為。

これらの三位一体の中に問題がある。

前向きではなく後ろ向きにさせる何かがある。

しかしながら、原因を探ること自体が後ろ向きであるという矛盾にはまり込んでしまう。

明日、明後日の宮城ではそのあたりのこともお話しようと思っています。

繰り返すようですが、テーマは”ワンネスの体験” それにひとつ加わって”プレゼンス(ハイヤーセルフ)との絆を深める” です。

 

では皆さん、ちょっと早いけど良い週末を!

また来週お会いしましょう。

2012.6.1

口腔科という概念

最近、マジな話が多いっすねぇ。

医科における診療科目の細分化の弊害については言われて久しいです。

歯科においても専門医化の傾向があり、歯周病専門医、根管治療専門医、補綴専門医そして矯正専門医などが連携して一人の患者さんの治療にあたろうという流れがあります。

ただ、現在のところ各専門医が大きな診療所を共同経営するスタイルは日本ではまだ少なく、患者さんは違う場所にある各専門医間を行き来しないといけないのが現状でしょう。

医科の場合はひとつの病院に各専門外来や病棟があるものの、各科の連携というのはないに等しい。

内科医が耳鼻科医に患者さんのことについて照会するなんぞ聞いたことがありません。

なぜなら病院における初診は、患者が自分で自分の調子の悪い部分の科を選択するからであり、だからこそ本当の原因を追及することなく対症療法しかなされないのです。

本来なら、患者さんをまるごと診察できる医師が初診に当たり、実際の専門的知識や外科などの技術がいる場合は、そちらに紹介しかつ、初診に当たった医師と専門医が話し合って最終診断および治療方針の決定がなされるのが当然です。

こんな当たり前のことをきちんとやっている病院は少なくとも僕は知りません。

僕は病院なんか行かへんし、知らんだけかもしれませんけど。

わが大阪大学歯学部付属病院においては、初診は毎日各科持ち回りで助手以上のドクターがあたり、患者の話を聞いて相応しいと思う診療科にまわします。

このシステムは僕が在局していた時からあり、そのコンセプトは素晴らしいのですが、いかんせん初診を受け持つドクターの知識・技量は?

あくまでも総合診断という観点からすればという話ですけど。

 

口やそれに関連する組織・器官は身体の一部なわけですから、歯科という”歯だけ”みたいな科目の分けられ方はおかしいに決まっています。

内科や耳鼻咽喉科があるように、(顎)口腔科というのがあるのが当然です。

それがどこかのバカのおかげで現在のような状況になってしまい、世間で歯医者と言えばあまり良いイメージを持たれません。

外国ではダブルドクターが当たり前のところも少なくなく、まずは医師免許を取ってからさらに勉強して歯科医の免許を取る。

専門医になるにはそこからまだ研修を積むわけです。

だから非常に長い月日がかかりますが、収入も多いが人々に尊敬される職業であり、学生たちの競争率は非常に高い。

歯学部の定員割れや国家試験の史上最低の合格率を更新している日本とはえらい違いです。

なにより国民が不幸になります。

今の日本の歯科医は単なる技術職で、入れ歯が上手いとか、虫歯の治療が痛くないとか、そんなレベルでしか見られていません。

食べることが人間にとって非常に大切、食べることで脳が活性化する、口は命の入り口などといった陳腐なことじゃないのです。

本当に口腔科こそが、医科における中心なのだと僕は信じて疑いません。

本来、口腔科医が患者を総合診断し、必要な科を紹介するというのが筋です。

それはなぜか?

昨日も書きましたように、身体のバランスを崩すのは誤った食生活、生活習慣、身体の使い方によります。

文字通りバランスを崩すのです。

ここでいうバランスとは生体力学的な観点です。

身体をひとつの生体力学モデルとして扱う時、最も重要なのが顎口腔系に他なりません。

だからこそ口腔科医が上位に位置するのです。

 

木造住宅で、シロアリがどこから食い始めるでしょうか?

こんなもの、水周りに決まっています。

なぜなら、水分の多いところは木がふやけて侵入しやすいから。

あるいは、水周りでなくても構造的弱点のある所、木が膨張したり亀裂が入ったりしやすい所。

シロアリをバクテリアに置き換えてみてください。

確かに虫歯や歯周病に限らずウイルスや細菌を原因とする様々な感染症がありますが、それが発症するためには宿主が何らかの形で身体のバランスを崩していることが必須であります。

だから風邪ひく人とひかない人がいるわけね。

 

僕はそのような観点で患者さんの口や身体を診ています。

診てはいますが、僕は医科の勉強を(歯学部で習う程度以上には)したことがないので、口腔科医などとは名乗れません。

今さら医学部に入るガッツもありません。

真の口腔科医とは彼の西原克成先生のような方のことをいうのでしょう。

僕は今、西原先生の著書を片っ端から読んでいます。

悲しいかな、こういった王道を行かれる方は大学や学会から変人扱いされ干されてしまうという、ホント困ったものです。

 

ここではっきり申し上げておきますが、日本人の平均寿命が延びたのには、ひとつには新生児や妊産婦の死亡率が激減したのと、もうひとつには良くも悪くも国民皆保険制度により国民の口の中の健康状態が大幅に改善したからです。

特に口腔の衛生状態の改善が大きな意味を持ちます。

昔もね、楊枝などで口を漱ぐ習慣はあったわけですが、口の中の細菌を除去するという感覚はありません。

もし身体のどこかに異常をきたすと、口の中の特定の細菌が血行性にその異常部位に運ばれ、そこで繁殖することによって非常に難治性となり死亡に至るというのが多かったのです。

これを”病巣感染”と言いますが、これに対する認識はまだまだ低いです。

 

細菌もウイルスも決して悪者ではありませんが、はるか大昔に世界が変わってしまいました。

攻撃するものとされるもの、食うものと食われるもの、というふうに対極化してしまったのです。

ちょっと想像つかないかもしれませんが、ライオンやトラが小動物を襲わない、草食だった時があったのです。

そんな時代にいきなり戻れるわけはありませんから、現状とすれば口腔内のバクテリアコントロールというのは健康上、非常に重要な意味を持ちます。

 

今、日本は高齢化が進み介護の問題が出ていますが、おわかりでしょうか?元気で長生きするために最重要なのが、口腔の健康なのです。

これからの日本人の健康は歯科医なしではあり得ません。

 

歯科が口腔科として医科の中に統合される日は、ずいぶん遠いと思いますが、そうなって欲しいものだと心底思います。

でもね、これ誰が反対するかというと、当の歯科医たちなんだよなぁ、きっと。

2012.5.31

癒しとスピリチュアル

なんか、いかにもって感じのタイトルですなぁ。

 

スピリチュアルというのを理屈で語る人、多いです。

あ、俺もそうか(笑)

個人セッションをしていて、その方の悩みの原因というのがあるわけですが、それらの因果関係は比較的容易にわかります。

でも、「わかったから、どやねん?」ちゅう話です。

その原因の多くは幼少時のトラウマにあり、両親との関係性にあるわけでして、そういった感情を抱えている自分自身を否定しているから苦しくなるのです。

しかし、その人は原因を知りたいわけじゃなく、今の苦しみをどうにかしたいわけです。

そこに「人はなぜ苦しむのか?」というような話をして、どんなもんなんでしょう?

 

僕は今、自分の個人セッションの在り方について考えておるのです。

 

確かに原因を知ることは大切だとは思います。

自分が何を怖れているのか?

それを知らないことには先に進まないでしょうから。

でも、なんかちょっと違うやり方があるんじゃないかと最近思うのです。

 

癒しとは今のままの相手をそのまま受け入れること。

それも頭ではわかっている。

腑にも落ちかけている。

まずは相手のこころを感じる共感が大切なのもよ~くわかった。

 

トラウマとは裏を返せばそれが自分の今の個性を作っているわけです。

ワンネスとはあらゆる個性が否定されずに調和している状態のことです。

僕たちがワンネスに向かっているのなら、僕たちがそれを望んでいるのなら、するべきことは相手の”個性”を否定せずにそれと調和すること。

調和というのは全面的に溶けあうことではない(少なくとも現時点では)

”わたし”と”あなた”の境界線上では溶け合っているかもしれない。

でも、”わたし”と”あなた”の個性は厳として存在している。

そんな感じです。

 

ヒーラーは自分をきちんと持ちながら、相手のエネルギーと接触している所では溶け合っている。

スピリチュアル的な分析・解析は必要かもしれませんが、相手の心理的解剖というのは少々憚られる気もする。

大事なことは物事の分析ではなく、感じること。

スピリチュアリティとは理屈ではなく感じること。

感じることとは即ち体験すること。

クライアントを感じて体験する。

そこに愛があればなおよろしい。

でも、ヒーラーもクライアントも各々が宇宙の大切なONE PIECE(構成要素)

 

ヒーリングはテクニックありきでは決してない。

でも、共感することが大切だとか、宇宙に全託するだとか、そういったことすら理屈に思えてくる。

意識ここに至ると、宇宙の真実だとか真理だとか言ってたことも全部マインドなのだという気になってくる。

聖書や仏教の経典もすべてそう。

単なる理屈です。

じゃあ僕たちどうすれば良いのでしょうか?

 

なんとなくわかったような、そうでないような文章ですが、個人セッションをこなすにつれて思うのは、結局は僕は自分の内面を見せられているのだということです。

で、僕の内面っていったい何でしょう?

こんな想いで宮城に飛びます。

 

ちなみに僕が馬券を買うのは、JRAのシナリオを書いているスーパーコンピュータを駆使する頭脳集団との知恵比べに関して、何より大切なお金を賭けないと口だけでは何とでも言えて真実味がないからです。

決してお金儲けのためではありません(ホンマか?笑)

口を酸っぱくして申し上げますが何事であれ依存は厳禁であります。

ということで競馬をする人は自分で考えて買ってね。

2012.5.30

習慣からの脱却

考えてみれば、あれです。

〇〇が肝臓に良いとか、血液サラサラにするとかでサプリや特定の食品が取り上げられたり、〇〇するとダイエットに良いとか50肩に効くとかで特定の体操が取り上げられたり、そりゃ順序が逆じゃないの?と思うことしきりであります。

何が逆かと言いますと、身体を不健康にしている原因を改めることが先なのであって、〇〇が身体に良いというのはその後でしょう。

ほとんどの身体の不調の原因は誤った生活習慣、身体の使い方、食生活なのであって、そこにスピリチュアル的な問題とか諸々の事項が関わってきて病気を発症するのです。

身体(腸)を温めれば病気は治る、というのも裏手にとれば何故身体が冷えるの?ということです。

〇〇する前に、冷たいものを摂らない、甘いものを摂らない、という当たり前のことをどうして強調しないのでしょうか?

食生活のことを言うのであれば、添加物や農薬云々の以前に、ほとんどの人は食べ過ぎ、冷たいもの摂りすぎ、砂糖の摂取過剰です。

減塩は摂る塩の性質による。

そして厚労省が真面目に国民の健康のことを考えるのであれば、添加物や農薬を規制し、当たり前のように薬漬けにする医療を正すべきです。

これらのことを考えると、要するに日本の健康というのはひとつの産業になっており、それにより何らかの物品が流通し、誰かが儲かるシステムになっています。

こりゃダメだわ。

 

よろしいですか?

皆が子供を進学塾にやり官僚や医者や上場企業に就職させた結果が、現在の日本なのです。

教育が間違ってるよね。

教師の質云々ではなく、教育の総論的概念が間違っておるのです。

もういい加減やめませんか?

 

競馬界の頂点レースというのは日本ダービーと天皇賞(春)です。

決して有馬記念ではありません。

一年間を通じてたった2頭の馬を選ぶために日本の競馬は行われているのです。

ただし、古馬の頂点戦である天皇賞は毎年出走することができますが、3歳王者を決めるダービーは生涯に一度だけ。

出走馬18頭の中に選ばれるだけでも大変な栄誉なのです。

それだけに競馬に関わっている者すべての夢であり、競馬研究者にとっては馬券が当たることも大切ですが、何よりプライドにかけてダービー馬を一頭だけ指名することに命を賭けておるのです。

僕の馬券は2,3着がタテ目をくらい外れましたが、事前告知した通りダービー馬は10番の馬でしたし、その通りの馬券しか買っていません。

だから今回に限り外れても十分満足。

え?

その習慣はいつ脱却するのかって?

・・・・・・・・。

2012.5.29

まぼろしのブレックファスト ~Ticket Unused~

多数決で決めるのが民主主義と勘違いしてはなりません。

いずれは、どのような意見の人も納得するような世界になるでしょう。

 

ん?

フンドシはつけてる。

シャツは脱いでる。

Gパンは脱ぎ捨ててある。

時計は・・・・・・なぬっ!9時5分っ!?

セミナー開始は9時半で、僕は三宮の博物館前のホテルに宿泊してるのです。

ポートライナーに乗ってる時間がない。

風呂も入った形跡なし。

慌てて歯を磨き、シャワーを浴びて、フンドシ他着替えます。

シャツの胸ポケットには使われることのなかった朝食券。

僕は最近、朝食が充実しているホテルをとるようにしています。

普段は食べないのですが、旅先ではひとつの楽しみですから。

昼はセミナーで主催者が準備した弁当やしね。

で、今回はこのざま。

 

土曜日の懇親会が三宮の山側にある繁華街のしゃぶしゃぶ屋さん。

ホテルからちょっと距離があって、歩いて汗かいて席に着いて鍋見て愕然(笑)

この暑いのに鍋て・・・・

でもね、神戸牛美味しかったです。

同じ席に座った人たちが広島の江波と可部出身と聞いてビックリ。

いや~、僕も広島の三川町に勤めてたんですよ~。

え?横山先生のこと知ってるって?

業者の彼はよく横山歯科に行くそうです。

今回は、知ってる先生が誰もいないので、大広間での宴会でもどこに座ろうかなぁ?と考えて、何となく座った席がそれ。

ホンマ、驚きやね。

 

飲み放題で最後の方は焼酎をガボガボ注いでました。

講師の松本勝利先生とも話が出来て、「すみません、もう閉店なんですけど」と店の人に言われ二次会へ。

二次会は・・・・・・ホルモン焼き~!?

しゃぶしゃぶの後の二次会でホルモン行きます?普通。

普段マクロビやってる僕は久々の肉三昧でして、喰い倒し飲み倒しました。

考えたら、昼飯にKYKでヒレカツ御膳食ったんだよな、俺。

 

で、その店の最後の方から記憶がない。。。

どうやって帰ったかも覚えてない。

もう一軒行ったのかも覚えてない。

我ながらすごいと思うのは、ホテルのフロントで自分の部屋番号きちんと言えたことなんですよねぇ。

俺、偉い?(笑)

 

いよいよ今週になりました、宮城でのお話会。

楽しみですねぇ~。

それはそうと、昨日のダービーですが、軸馬の10番はドンピシャ!そのまんまダービー馬に。

で、2,3着がタテ目喰らいました・・・・・

う~ん、馬単買ってりゃ良かった。

岩田騎手、ディープブリランテ號、おめでとう!!

2012.5.28

少数派の真実

先週のセミナーで講師が見せてくれたスライドで久々に思い出したことがあります。

とある矯正歯科の先生のおそらくは大学院の時の実験だと思うのですが、ラットを仰向けに板にはりつけにしてストレスを与えておいた状態で、途中割り箸を噛ませるとそのストレスが軽減するとの内容です。

何を調べている実験かといいますと、歯ぎしりすることによりストレスを緩和する効果があるのではないか、ということなのですね。

実はこれ、10年以上前にある研究会の発足記念講演で、その実験を行った先生の講演を聞いたことがあり、僕はその場で質問をしたのです。

質問内容は次の通り。

①ラットのような前歯が伸びすぎて自分を傷つけるのを防止するために常に何かを齧っている動物と(だから齧歯類と呼ばれる)そうでない人間において、割り箸を噛むという行為は同等には扱えないのではないか?

②もしそのラットがマゾヒストだったら、はりつけされていること自体が快感になってストレスにはならないのではないか?

全部真面目に聞いたんですよ、もちろん。

 

いやしくも、動物実験に携わったことのある人間なら、いや動物でなくてもいい、人間相手の実験であっても、10人が10人とも同じ傾向を示すことなど絶対に金輪際あり得ないことを承知しているはず。

そしてこういった生体を使った実験のN数(総数)は通常5匹(人)くらいがいいところです。

そのうち3匹が実験者の意図した結果をだせば、あとはt-検定という便利な統計処理を用いて、いかにもその傾向があるというふうに論文を書き上げるのです。

これ、経験者は語る、ですからね。

統計処理というのが便利なのは有意水準の設定の仕方でどうにでもなる点にあります。

水準を甘く設定すれば、たいていは有意差ありとなり、厳しくすれば有意差は認められないとなるため、実験者は自分に都合の良いように有意水準を決めることが多いのです。

ですから、医科系の論文の統計処理を本当の統計学の専門家が見れば、「はあ?何言うとんのこいつ」ってなること必定なのね。

 

上の実験では、やろうとしていることは良くわかるし、その意義も認めますが、実験系の構築が非常に甘い。

でも、僕も同じく大学院で研究していた立場なので強くは言えません。

気持ちはよくわかるもん。

今だからこそ、そういうことを言う、ということです。

もしそのラットがマゾだったら?というのもね、個体差があって当然なのであって、どの個体が示す結果にも真実が隠されているはずだということを言いたかっただけなのです。

宇宙の真理には例外は存在しません。

例外が出るのは人間が頭で考えだした似非法則においてだけです。

 

で、これからが本題なのですが、いつも読んでいて思うjoyヒーリングの会報「いやしの村だより」に載っている体験談。

ディクシャで「心が静寂になった」とか、「今とても幸せです」とか、「家族が仲良くなりました」とか、それはそれで大変に結構なことなのですが、その人はずっとその状態が続いていくの、本当に?

ディクシャセミナーで何も変わらなかった人、益々苦しくなった人だっているはずなんだけどなぁ・・・

そういう体験談が出ないのはどうしてでしょう?

”ならまちワンネス歯科”にお越しくださった患者さんだって、行って良かったと思う人もあればそうでない人もいるでしょう。

どちらも本当なのです。

当院が合わなかった方は、もちろん相性の問題もありますから仕方がないと言えばそれまでなのですが、こちらとすれば一応何がその人にとって合わなかったのかを検討する必要があります。

もっと他のアプローチの仕方はなかっただろうか?

あくまでもその人のためにという視点でですけど。

もし改善できるようなことがあればするべきでしょう。

他にもいろいろ言いたい事があるけど、ま、今日はこの辺で。

僕のこころを感じてみてください(笑)

 

今日、明日と神戸で義歯のセミナーを受けてきます。

明日はついにやって来ました、第79回東京優駿(日本ダービー)

僕の軸馬は5枠10番、皐月賞3着馬のディープブリランテ

おそらく一番人気に支持されるであろう福永祐一騎乗のワールドエースは果たしてダービー馬の称号を得ることができるでしょうか?

原則としてダービーでの一番人気というのは特別な意味があり、普通はとびません。

僕はこの馬がダービー馬になるのであれば、1番から9番の馬番の中で(8番はワールドエースそのものなので除く)どれかが発走除外とか競走中止になるのではないかと予想しています。

さて、結果はいかに?

では皆さん、来週またお会いしましょう。

2012.5.26

おとなのこころを感じてみようよ ~You are the Next~

本日朝一面白かったこと。

くりぃむしちゅーの有田とローラが熱愛て、、、、

う~ん、笑わしてくれる。

 

考えてみれば、自宅の居間で肉眼でオーブが見えるだなんて、どう考えても普通じゃありません。

どうやら先日の日食の日は非常にエネルギーが高かったのか、あるいはエネルギー転換だったのか、とにかく通常の日食ではなかったような気がします。

あの日から僕は心身ともに最悪でした。

この2か月間色々と忙しすぎて、頑張りすぎて、突っ走り過ぎて疲れちゃいました。

身体がしんどくって、今週の月、火、水とお酒飲んでません。

昨日は人と会う用事があって飲まざるを得ませんでしたが、今日も飲みません(・・・たぶん)。

明日は神戸のセミナーの後、三宮で懇親会があるのでまた少々飲みますが、それ以降は来週の宮城でのお話会に向けて精進潔斎いたします(・・・つもり)。

宮城では当然飲みます(笑)

 

こどものこころを感じてみようよ。

僕たち大人は自分の親にそういうことをしてもらったことがなかった。

だとしたら、大人になればなるほど自分の中にずっと他人に言えなかった、わかってもらえなかった気持ちというのが溜まっているのじゃないでしょうか?

だから ”おとなのこころを感じてみようよ”

 

こんな状態で昨日予約が入っていた個人セッション大丈夫かな、と思ってたんですが、何のことはない、診療時間中にするのと違って休診日で時間の制約がありませんから、十分に時間をとれた良いセッションでした。

その時にも申し上げたのですが、僕が雲の上のような悟った人だったら僕の話は「良い話を聞いた」とはなっても心には響かないでしょう。

僕も読者の方と同じように、悩み苦しみ頭を打ちながら生きているからこそ説得力が出てくるのです。

僕と皆さんとがしている体験は違いますが、その根底に流れるものは同じはずです。

僕は自分の体験を通して気づいたことを書き、それを通して皆さんが自分の体験を眺めてみると、何か納得するものがあるかもしれない。

そうやって多少なりともお役にたてるのなら、という感覚です。

 

自分の気持ちをわかってもらえないというのを何十年も溜めていったらどうなるでしょうか?

また、人間にとって最もつらいこと、こたえることというのは?

イジメや虐待などというのはまだね、自分を何らかの存在として認めてもらってるから被害を受けるわけです。

それよりは存在自体を無視される、人としての価値を認めてもらえないことほど耐えがたいものはないのですね。

無視され続けるとどうなるでしょうか?

だんだん心は頑なになり、他人に対して心開くことなく、自分を出すことなく内側に籠るようになり、他人と接触するのが嫌になります。

これはごく当然の反応で、そうしないと心が壊れてしまうのです。

不登校、引きこもり、鬱、これらは代表的なものですが、それだけじゃなく様々な形をとることでしょう。

年寄りがだんだん頑固で意固地になって人の言うこと聞かなくなるのもわかる気がしませんか?

 

だ・か・ら・

他人のこころを感じてあげてみてください。

もし内側に溜めこんだものがある人が来たなら、こちらからは一切話すことなくとことん相手の話を聞いてあげてください。

あなたがそうなのであれば、思い切って誰かに打ち明けてみてはどうでしょうか?

周りに心の内を話せそうな人がいないなら、ヒーラーやカウンセラーを頼るのは決して恥ずかしいことではありません。

どこかにきっと心から共感してくれる人がいるはずです。

 

人は皆、大なり小なりそういったものを内に閉じ込めているのです。

だから病気になるんです。

僕はここ数日のドツボのメンタル状態の中、客観的に観察している自分がいたおかげで、いわゆる暗闇の方にどんどんはまり込んでいく人の気持ちが多少なりともわかった気がします。

そのような人の相談を受けても僕は非常に冷たい返事しかしてきませんでした。

やはり自分で体験していないことはわからないというのが本当のところなのでしょう。

過食嘔吐の方の相談に乗れと言っても僕には無理な話だったのかもしれません。

でも、同じような体験をしてそこを乗り切った方なら話は別です。

今度はその人が癒す側にまわる番です。

同じ体験をしたのなら心から共感できます。

この共感が最初にこなければそこから先へ行かない。

 

もし、あなたがつらい体験を乗り越えられ、今光の道を歩いているのなら、次はあなたが人を助けてあげてください。

それは僕ではない。

あなたなのです。

2012.5.25

Seven Steps to Heaven ~天国への7つの階段~

よく引きこもりや不登校の相談を母親から受けることがあります。

これまでにも述べてきましたが、純粋な子供ほど規則だらけの社会に適応できません。

小学校はまだしも、中学になると守らないといけないことだらけだし、学習内容もぐっと難しくなりますから、子供にとってはつらいでしょう。

天使の降臨が多い現在、多くの不登校児が出るのはごく自然な現象だと思います。

学校に行けないことがむしろ正常なのであって、不登校というのは学校や我々大人に対する問題提起に他なりません。

 

相談する側は、どうすれば子供が学校に行くようになるか?どうすれば外に(社会に)でるようになるか?を聞いてこられます。

いわゆる対処法というやつです。

これは標準と比べる、あるいは平均的になって欲しいということで、子供をそのまま受け入れるのではなく他の誰かと比べてしまっています。

ここがまず間違い。

そして、不登校や引きこもりはもちろん子供の問題ではあるのだけど、実のところは親の問題であるということを認識する必要があります。

親の育て方に何か問題があったからそれが何か原因を見つけろということじゃありませんよ。

そうすると親が悪者になってしまいます。

もちろん原因は確かにあるのですが、今、問題とすべきはそこじゃないのです。

 

子供の不登校、引きこもりは家族としてその体験をしているということ。

いつも比べられる成績優秀なお兄ちゃんも、偉い大学教授のお父さんも、皆がその子の不登校という体験をしているのです。

だから、最初にすべきは”子供をどうしたら良いでしょう?”じゃありません。

「どう説得すれば学校にいくようになるか?」でもないし、「行きたくないのなら無理に行かなくても良いよ」でもないのです。

あくまでも最初にすべきこと、という観点ですよ。

 

子供は外との関係を断たざるを得ない、そうしないと心が壊れてしまうギリギリのところまで追い詰められているのです。

であれば、子供の言うことを聞いてあげる?

「どうして行きたくないの?」

はたしてそれが最初に親がすべきことでしょうか?

そのように聞いて正直に答えますかね?

 

僕は先日も書いたように娘にスピリチュアル的な話をしてしまいました。

例え霊的な真実を話したとしても、そんなものは理屈に過ぎないのです。

子供が本当に欲していること、それはね、お父さんとお母さんに自分の気持ちを分かって欲しい、ということなのです。

それ以外にないのね。

こういう場合、親はどうしても焦って物を考えがちです。

そうではなく、葉祥明さんの絵本のタイトルにもありますが

”こどものこころを感じてみようよ”

 

子供は自分の気持ちを親に正直に話せないこともあります。

それは、親に心配をかけたくないという気持ち、がっかりさせたくないという気持ち、怒られるんじゃないかという不安感、そういったものがあるのです。

そんな時は、無理に気持ちを聞きださず文字通り感じてみましょう。

こどもの心と同化するのです。

考えてみれば共感ってそういうことだったんですね。

 

僕はヒーリングをしていても、僕がその人の体験をしたわけじゃないし、ものごとの捉え方も違うので共感出来る時はするけど、出来ない時は出来ないというスタンスでした。

ところが、今、ヒーリングをする上でまず最初に来るもの、そして最も大切なもの、それが”共に感じる”共感だということがようやく腑に落ちました。

ケビンがずっと言い続けてきたことが、初めてストンと入って来たのです。

相手のこころに自分のこころを開放してそっと触れてみる。

ヒーラーやカウンセラーに相談したとして、優秀な人たちならきっと子供に共感し癒しを与えてくれると思いますが、さっきも言ったように子供が本当にわかって欲しいのはお父さんとお母さんなのです。

だから、ほら、あなたもやってみましょうよ。

きっとできるよ。

 

子供はある日突然、不登校や引きこもりになるわけではありません。

親の目にはそう映るかもしれないけど、ずーっとつらいのを我慢してきたのです。

もしかしたら保育園の時からしんどかったかもしれない。

だったら親としてやることはたったひとつ。

「おまえのつらい気持ちをわかってやれなくてごめんね。よく頑張ってきたね。話してくれてありがとう」

と言って抱きしめて背中をさすってあげる。

そして「お父さんもお母さんもおまえのことが大好きだよ」と言ってあげる。

まず最初にすべきはそれです

 

そう考えると先日の僕のふうさんへの話はいかにも立派な父親らしくみえますが、非常に理屈の勝った小賢しい態度ですね。

でもあの時の僕には(つい数日前だけど)子供の心を感じることが出来なかった。

今は出来ます。

このブログは僕の人生の記録でありますが、成長の証でもあるのです。

 

今の学校教育のあり方は確かに問題があります。

しかし子供は今、助けを求めているのです。

であれば親がすぐにできること、それは上に書いたようなことじゃないでしょうか?

僕たち親の世代は自分の親にそのようにしてもらったことがあるという人はほとんどいないはず。

でも、だから今、僕たち親がそれを変えるのです。

できます。

必ずできます。

 

その後は子供の傷ついた心が回復するまでゆっくり待ってあげれば良いでしょう。

後のことはなるようになります。

大切なのは今の癒し。

繰り返しますが、不登校になる子供の方が正常なのであって、社会の方が異常なのです。

 

そんな想いを込めて昨晩子供たちが寝る前に、超久しぶりにヒーリングをしました。

ふうさんのヒーリングをしていると、居間の空気がガラッと変わりました。

クリスマスの(25日の)早朝、元日の朝のような非常に澄んだ神聖な場になりました。

するとまた嫁さんにはオーブが見えたらしいのです。

僕には相変わらず見えません。

次に慧のヒーリングをするとまたしても空気が変わり、今度は非常に元気で明るい太陽のような場になりました。

す・る・と・・・・

見えたのです。

壁に掛けてある丸い時計くらい大きなオーブが浮かんでいるではありませんか。

他にも何個か見えましたが、どうやら見る人によって見えるオーブが違うことがあるようです。

こちらの波長によって変わるんでしょう。

 

うちの子供たちは正真正銘の天使だと信じています。

僕なんかとは出自が違うと思っています。

そんな時、その場に天界からオーブがやって来た。

これは僕たちを助けに来たとか、何かを気づかせに来た、とかではなく、

ただその場を光で照らしに来てくれたのだと思います。

この時、うちの居間には天国に通じる階段が開放されたのでした。

2012.5.22

Golden Ring ~オーブ現る~

昨日のブログの最後の方で

「僕は時に普通の人にとっては科学的に思えることを書くことがあります」

「僕は時に普通の人にとっては非科学的に思えることを書くことがあります」

の間違い(訂正済み)

 

皆さん、金環日食見られましたか?

金環ていうけど、フィルター通して見たらオレンジやんね。

僕たち家族は居間の窓から一つのメガネで交替に見ていたのですが、ちょうど月が太陽に重なった時、居間にオーブの大群がやってきたそうです。

”オーブが降ってきた”そうです。

どうして”そうです”なのかというと、嫁さんとふうさんと慧には見えるのに僕には全く見えない。

くおらぁ、いったいこりゃどういうこっちゃ!!

なんで俺だけ見えへんねん!

こいつら(オーブたち)俺のことバカにしとんかぁぁああ。

めっちゃムカつくぅ。

俺を誰やと思とんねん(笑)

 

日食の終わりとともにそれらは数が少なくなっていき、部屋に残って浮いていたものも徐々に薄くなりながら床の方に降りていって最後は見えなくなったそうです。もうええっちゅうねん、笑)

めだかは水槽の中でそわそわしだし、慧と嫁さんは第三の目のところ(アジナセンター)に痛みを感じました。

僕だけノケモノ・・・・

 

テレビを見ると、旭天鵬が前頭7枚目での平幕優勝。

「20年間やめずにやってきて本当によかった」

おめでとう!旭天鵬関。

破れた栃煌山はガチガチに力が入っていて非常に悔しい思いをしたでしょうが、どちらも”いのち”があるからこそ、その想いを噛みしめることができるのです。

ここで言う”いのち”とは命という意味合いではありません。

存在としての”いのち”ということです。

花道を引き揚げる旭天鵬関の涙よりも、待ち受けていた同部屋の若い衆たちの目からこぼれる涙の方が印象的でした。

 

金環日食見ててもなんか涙出るね。

昨日はセミナーの後、歯科医師会の症例検討会の打ち上げに合流。

ま~た朝起きたらチンチンほり出して寝てました、僕。

なんで酔うたらこんな”いつでもOKよ”、みたいなある意味、戦闘態勢で寝るんやろ?

かんっぺきに交感神経(交わって感じる神経)優位じゃん←アホです(笑)

2012.5.21

ストレスマネージメントという考え方 ~”歯ぎしり(ブラキシズム)”の話~

本日は少々難しい”歯ぎしり”についての話です。

なぜこんなことを書くかというと、朝、布団の中ですべてを理解したので忘れないようにメモ代わりにブログを書いておる始末です。

これをスマホで確認しながら今日のセミナーで質問しようという魂胆。

 

歯ぎしりというと悪いイメージを持たれますが、歯科の世界では表題にも書きましたように、日中貯まった様々なストレスを睡眠中に発散するひとつの有効な手段であるという認識が一般的になってきました。

これは主に神奈川歯科大学の佐藤貞夫教授が公に言い出したとされていますが、僕はずっと以前よりそのように考えていました。

もちろんストレス発散には有効かもしれませんが、あまり過剰だと歯や歯を支える組織には非常に有害となります。

実際のところ、歯が壊れる原因の多くが歯ぎしりではないかと言われているほどです。

歯ぎしりにはギリギリ音が鳴る奥歯全体でするようなものから、ある特定の歯だけをコリコリ擦り合わせるようなもの、音のしないものだったり、広義においてはくいしばり等さまざまなものがあります。

 

昨日から始まった”自然の会”のセミナーでも講師の先生は、「歯ぎしりとはストレスマネージメント(ストレスをコントロールしている)としての意味があり、いかにうまく歯ぎしりできるような噛み合わせにするかが重要である」と述べられました。

で、ぼくもずっとそう考えていたわけですが、昨日寝入りばなと今朝目が覚めてから布団の中で思いついたのは、それは実は間違いであるというものです。

考えてみれば、もし歯ぎしりがストレスの発散であれば、歯ぎしりの最中の脳波を計ってみれば、θ波やδ波などのゆったりした脳波に変化しているはずですが、当然のことながらそうはなりません。

実験により覚醒状態に近いα波であることがわかっています。

そりゃ思いっきり噛んでるんだもん、交感神経優位の戦闘状態ってやつです。

 

これは例えてみればお酒を飲んで暴れてみるとか(僕のことじゃないよ)、カラオケで大声で歌いまくったりするのと同じですよね。

ストレスの発散と言いながら結局は疲れてしまうわけです。

歯ぎしりだって、ひどい場合は朝起きたら顎が疲れています。

それどころか全身疲れちゃってます。

飲酒やカラオケは覚醒状態でやっているわけですが、歯ぎしりは睡眠中、つまり無意識のうちにやっているので、人が頭でこうしようと思ってるわけじゃありません。

果たして生体がわざわざストレス発散のために身体が疲弊してしまうようなことを自然にやるものでしょうか?

逆じゃないの?

こう考えてくると、歯ぎしりが人間のストレスマネージメントに役立っているというのは、?となってくるのですね。

 

睡眠という行為は須く心身の疲れを取る、自らの癒しに他なりません。

その最中にわざわざ疲れることをするというのは、寝る時の何かが間違っているから身体が誤作動を起こして歯ぎしりをすると考える方が理にかなっているでしょう。

本来、睡眠中は副交感神経優位になり身体がリラックスしているべきなのに、交感神経優位になるということはおかしいわけです。

では、何が間違っているのでしょう?

こんなもの原因は二つしかありません。

ひとつは寝る時の姿勢。

もうひとつは寝る時の口の状態。

人は仰向け寝が原則です。

それ以外の姿勢だと何らかの睡眠が原因となる障害(睡眠の障害ではない)を起こします。

口は閉じて寝るのが鉄則です。

口を開けて寝ると歯ぎしりしちゃいます。

そ・し・て・

口を開けて寝る原因は舌先の位置にあります。

本来は赤ちゃんがそうであるように、上の前歯の裏側の歯ぐきに舌先がついていないといけません。

これがすべての原因です。

 

歯がストレスマネージメントに役だっているというのは、一見正しいように見える誤った考え方。

より正確に言うと、イイ線いってんだけど、ある一つの事象を反対側から観てしまっている。

身体を休ませよう、癒そうという目的の睡眠において、本来副交感神経優位にならないといけないのに、舌位が間違っているからそうなれない。

そのために交感神経優位になり、歯ぎしりをしてしまっている。

こういうことです。

歯ぎしりは、原因ではなく結果です。

 

僕は時に普通の人にとっては非科学的に思えることを書くことがあります。

大阪大学歯学博士という肩書があるにもかかわらずです。

多くの人は、偉い先生の講演を聞いたり著作を読んだりして鵜呑みにする傾向があります。

教えられたことは知ってるけど、そうでないことは知らないという態度です。

僕は常に頭の中に疑問を持ち続けます。

そして無理に答えを出すことなく、インスピレーションがわくのを待ちます。

その結果、ある時ふいに仮説が浮かぶことがあり、それを元に臨床的に検証していくと、どうやら間違いがないみたい、となりその仮説は僕の中で真理となります。

しかし他の先生方は、僕のような名もない開業医が言うことなどに耳を貸しません。

「何を聞いたか?」ではなく「誰がそれを言ってるのか?」がその仮説の信憑性にとって重要だと考えるようです。

これって、僕とそういう先生方とどちらがより科学的な態度と言えるのでしょうか?

僕の中でずっと歯ぎしりは”ストレスマネージメント”でありました。

それを自ら覆したわけで、こんなことは滅多にないのですが、僕は過去の自説にこだわるよりは真実を知りたいと思います。

ああ、これで半分寝ながら考えたこと忘れずに済むわ(笑)

 

本日は東京競馬場において優駿牝馬(オークス)が行われます。

当然セミナーで見れません。

来週は競馬界の最高峰レース、東京優駿(ダービー)です。

毎年生まれてくる数多くのサラブレッド。

それらすべてが、ただひとつの頂点を目指すのです。

そう、ダービー馬の称号を得られるのは、何千頭のうちたった一頭。

これまた来週の土日は神戸で義歯のセミナーに参加するので見れない。

悲しいことこの上ない。

2012.5.20

ICHIZU

いつもそう あまい夜の

あくる日は おそいから

テーブルはもう かたづけましょう

ため息と いっしょに~~

(やしきたかじん)

 

朝、目が覚めて僕のチンチンに当たる掛け布団の柔らかい感触。

あれ?また下半身はだかで寝てんの、オレ?

ていうか、上半身もはだか?

う~ん、何もおぼえてない。。。。。

朝起きて奥さんの対応を見てるとそうひどくないので、昨日酔って帰ってきた僕は、まあそんなに大したことなかったんやろうと思ってたら、、、、、、昼休みにどつかれました↓

ゴメンナサイ。

 

昨日は朝から午後2時まで大阪歯科センターでMTコネクターの見学。

MTコネクターというのは往々にしてバネのない入れ歯という捉え方をされるのですが、それはあくまでも外形の話。

その真髄は噛み合わせにあり、最終的に身体の一部として機能する人工臓器に作り込んでいくという点にあります。

3年以内の身体の歪みは約3か月間使用する治療義歯でとれますが、それ以上のものは歪むのにかかった年月と同じだけ治るのにかかります。

10年かけて歪んだ身体は10年かけて治るということです。

その間、定期的にMTコネクターの調整を続けていくので患者さんとは一生のお付き合いになります。

義歯の人工歯は使っていたら当然摩耗しますから約3年くらいで交換する必要が出てきます。

摩耗したまま使い続けると背骨や腰を痛めます。

それとは別に、MTコネクターを自分の一部として使い続けていくと、歪みが長期間にわたっていた場合、何年たっても少しずつ身体の歪みが解放されていき、その結果として義歯の噛み合わせの調整だけでは追いつかず、歪みが取れた身体の状態に合わせるために人工歯を交換したり、あるいはMTコネクターそのものを作り変える必要がある場合もあります。

インプラントなどの固定式のものは、そういった身体の変化に対応できません。

そういう意味においてはMTコネクターの方が優っているとも言えます。

そのようなケースを見学するにつれ、「ああ、きちんとした義歯ってすごい力を持っているんだなぁ」と感心・感動するのです。

 

夕方から奈良県歯科医師会の学術委員会に出席し、明後日に僕たち学術が主催する症例検討会の打ち合わせ。

僕は模型分析による咬合診断のセミナーを受けるために、症例検討会は参加できず残念です。

そこで”歯ぎしりの原因と治療”について話したかったのに。

実は昨日、大阪歯科センターの帰り道に”歯ぎしりの物理的原因とスピリチュアル的原因”が自分の頭の中で完璧に符合したのです。

こういう時、僕はどうなるかというと、同じスピードで歩いているのに急に時間が遅く過ぎるようになり、歩行の速度も一瞬遅くなるという経験をします。

これは考えていることが「あんた正解!」と言われてるようなものだと考えています。

 

約1時間の会議の後、僕を入れて4人の委員で飲み会。

いつも行く居酒屋さんの大きな部屋で、どうも奈良県歯科医師会の会長以下執行部役員も宴会を開いていたみたい。

散々会長や副会長の悪口じゃないけど、今のままやったらあかん、みたいなこと言ってた僕たちの席に会長と副会長と専務が顔を出しにやって来られました。

飛んで火にいる・・・・です。

僕はそのままの勢いで、まぁ失礼どころじゃない、言いたい放題言わしてもらいました。

さっきまで僕より過激なこと言ってた風俗好きのH先生は豹変し、僕に「黙りなはれ!」などと言ってくる始末。

おまえね、今度ボコボコに酔わしたるからな、覚えとけ。

ほいでまぁ、会長も副会長もなんと僕の亡くなった兄貴と同級生て。。。。。。

テンション下がる~↓

僕たち4人で飲んでた時は、生ビールの大ジョッキ2杯と、日本酒2合と、ハイボール1杯だけやったのに、会長たちが来てからというもの熱燗の2合徳利を山ほど空にしました。

皆で一升どころじゃない、いくら飲んだか覚えてません。

ほんで、その後のこともなんにも覚えていません。

気がついたら朝です。

全身で布団の柔らかさを感じていたんです。

かんっぺきにアカン人です。

 

いったい、俺ってどんなやつなんだ?

自分でもようわからんようになってきました。

メール相談してこられる方~~、ブログや本で感動したと褒めてくださる方~~

僕ってこんな人間ですよ~(笑)

でもね、歯ぎしりの原因と治療について非常にシンプルに解き明かしたのは、人類史上僕が初めてということだけは確かなのよねぇ。

賢いんかアホなんか、ホンマようわからんね。

2012.5.18

New Balance ~新しい秩序~

あなたの心に幸せの種をまく 「シャングリラからの伝言」

    ~より良く人生を生きるために~

 

これが本来のタイトルです。

副題の”より良く人生を生きるために”がポイントです。

僕はなにも精神世界を追及したりなんぞしておりません。

鬱陶しいです、そういうの。

僕は精神性(スピリチュアリティ)と現実性を統合すること、バランスをとること、もっと言えば僕たちは三次元世界(一応)に生きているので、そこをいかにより良く生きるかが焦点なのだと考えます。

皆さん、この「より良く」というところを勘違いしがちでして、人生を順風満帆にとか、経済的に豊かにとか、非常に自分勝手な解釈をされるので「引き寄せの法則」とか「魔法の言葉」みたいな宇宙の真理のごく一端をことさら誇張して頑張ろうとされる。

別にいいんだけど、本当にそれでいいの?

トップページにも書いておりますが、「より良く」というのは「人生の目的に適う」ということなのね。

 

当方は本にしてもHPにしても、まず「人生の目的とは何か?」と皆さんが行こうとされている目的地の「幸せとは何か?」を表裏一体のものとして説明した上で、巷で言われる「ワンネス」という言葉にも明確な定義を与えています。

僕の知る限りにおいて、そのようなものは今まで存在しなかったか、表に出てきませんでした。

知っていたら、僕も含めて世界の現実は今のようになっているはずがないでしょう。

 

医療関係者というのは、おそらく普通より頭が良いという認識をされていると思いますが、その人たちが「シャングリラからの伝言」を手にとっても多くの場合「はあ?」という反応しか帰って来ません。

医療の最終目的は人々の健康の向こう側にある”幸せ”のはずです。

だったら先の反応はおかしいわけですが、現在の医学教育はその程度のものでしかないということです。

もう亡くなられましたが、”きんさん、ぎんさん”にしたって歯がなくって入れ歯も入れていなさそうなのに、あの自然体はどうでしょう?

歯学的には噛み合わせがなっていないわけですから、身体が健康なはずがないとされます。

でもサイドメニューの「健康とは何か?」でも定義しましたが、健康がその状態での本人の心地良さなのであれば何も問題はないことになります。

要するにきんさん、ぎんさんは歯がない状態で健康であり、幸せだということです。

僕たち歯科医はこのことをよ~く肝に銘じる必要があるでしょう。

 

実に多くの人が目的を知らずに、目的地を知らずに人生歩いているんだから、そりゃ無茶な話です。

「引き寄せの法則」などはその道中で働く力学のごく一部分を言ってるに過ぎません。

まずは”そこ”じゃないやろ、ってことです。

「ワンネス」に関しては僕自身の理解が深まるに従って、若干説明の仕方が変わってきました。

「一切分離のない世界、そこではあなたは至福の状態です」と言われても、「そんな生きてる間に実現するかどうかわからない先の話言われてもなぁ・・・・」と思いませんか?

でも「ワンネスとはあらゆる個性が否定されずに調和している状態」ならば理解できるし、そこを目指そうという気になりますよね。

この三つの言葉の定義が当方の根幹になっております。

 

そして何より大切なこと、それは本当は皆そのことを知ってるんだよ、ということなんです。

社会や親などからの既成概念でがんじがらめにされて、元々持っている記憶が封印されているだけなんです。

先に思い出した者は、そうでない者に対してお節介をすることなく、自分が本来の道を歩き続けることにより、自分が幸せであり続けることにより、その振動を発振し共鳴を呼び起こすのです。

ここも勘違いしやすい所で注意が必要です。

すべてのものは、各々のプロセスの途中であり、誰も劣っていないし、誰も間違っていない

 

”NEW BALANCE   新しい秩序”

 

昨日、フウさんが診療終わってから進路相談をしてきました。

そのことは前もって妻に聞いていましたし、話しの内容は西塔家の血ということでおよそわかります。

なんといっても、藍の妹ですから。

その中で彼女は、今の学校の何が自分の中で問題なのか、自分がやりたい事、学びたい事は何なのか、そしてこれから自分はどうしたいのか、ということをA4の紙2枚にまとめたのを僕の前で説明してくれました。

僕はフウの話を十分聞いて、説得しようとかはせず、逆にフウの好きなようにしたら良い、というようにも言わず、ただ僕の見地からの意見を述べました。

そして最終的な選択権はフウさんにあることを伝えました。

僕の見地というのは、自分自身の小中学生の時の経験と、今だからこそわかる、より高い視点から見た時の話をしたのです。

「どうして学校に行くのか?学校は何をする所なのか?」ということに関して明確な答えを出しました。

フウさんは僕の言うことを理解し、当面は学校に通い続けることにしたようです。

最後の方は我慢してたけどしきれずに、涙流してたけどね。

 

細かい話は来月の宮城でのお話会でしようと思います。

フウさんのプライベートなことなんで、大っぴらに話すと可哀想な気がするし。

まあでも、自慢するわけではないですが、「学校行くのやめて、家で勉強したい」という中一の娘に対しての父親の態度としてはなかなかのものでしたね(←かんっぺきに自慢、笑)

僕が今回のことで素晴らしいと思ったのは、フウさんが自分の心と素直に向き合い、それを人に(父親に)伝えたこと。

何がしたいのか、どうなりたいのか、自分を見つめたこと。

なるべくわかり易く確認しながら話をしたつもりですが、それでも内容はかなり高度な、それこそ「シャングリラからの伝言」の真髄をいくようなものなのに、それに理解を示したこと。

スッと気持ちを切り替えられたこと(これには、いつも感心させられます)

話が一通り終わってから、傍で聞いていた慧に「お父さんの言うてることわかったか?」と聞いたところ、

「う~ん、なんとなく」だって。

 

また、僕の心に残ったフウさんの言葉として、彼女が生まれ変わりを信じていると言ったこと(僕からフウさんに輪廻転生の話などしたことありません)、”ふう”という名前をお父さんとお母さんがつけてくれたと言ったこと、そして中学入学前にイオンに一緒に行って通学カバンと雨合羽を買ってもらった(事に対する感謝の気持ちと、それなのに学校行くのやめると言って申し訳ないという気持ち)と言ったこと、一度しかないふうの人生やからと言ったこと。

あんた最高だぜ!ふうさん。

 

親子関係のNEW BALANCEであったかもしれません。

僕が強調したのは次のこと。

 

”ふう”は、”ふうらしく”あることが何より大切。

あなたは自分を深く知るために、新しい自分を創造するために生まれてきた。

そして昨日のふうより今日のふう、今日のふうより明日のふうが成長していること。

もしそうなのなら、今のあなたの提案はどうだろうか?

 

僕は新しい秩序を作り、僕は新しい秩序の中で生きる。

2012.5.16

時には真面目に”感染と創傷治癒”の話

え~、昨日定期検診に来られた味勝のお母さんから大変ショックなことを聞きまして、天皇賞の後、祇園で飲んだ店を一軒とばしてた(書いていなかった)そうです。

まだあの上にもう一軒行ってたなんて。。。

そういや、財布の中にバーの名刺はあるんだけど、記憶がない・・・・

 

最近、夜中に目が覚めてから全然眠れません。

これっていよいよ迫ってきたヴィーナストランジット(金星の日面通過)が関係してんのかな?

 

先週10日のブログ「ガッツだぜ!カッパ魂」に昨日、沖縄の口腔外科の先生からコメントを頂きました。

主に病院における術後感染が消毒の濫用によるのではないか、というものです。

これは非常に重要かつ複雑な問題ですので、ここで慎重に考えてみたいと思います。

たまには、真面目な医療人としての姿も見せとかんとね(笑)

 

過度の消毒が何故いけないか、ということの要点は次の如く。

一応創傷治癒という点からお話しますが、傷口の表面には細菌と戦い、また傷を治すための様々な物質が身体から出てきます。

傷口を消毒するという行為は一見細菌を殺しているようですが、その反面において身体の修復細胞までやっつけてしまっているという矛盾を含むのです。

これについては、コメントをくださった津波古先生に教えて頂いた形成外科医の夏目睦先生のサイトを是非ご覧ください。

傷の治りについて目から鱗です。

でもこういう先生はどうしても医局や学会で認められない傾向にあるようで、教授に逆らって医局をクビになった僕としては非常に共感するのであります。

 

で、津波古先生は病院に勤務なさっていますから、処置室での術野の消毒のやり過ぎがかえって術後感染を起こす原因になっているのではないか、とおっしゃっているわけです。

僕の意見とすればこの問題はひとくくりにはできないと考えます。

健常人がたまたま外傷を負った創傷に対する考え方と、入院して様々な理由により免疫力も落ちている患者さんに対するものとは少し違うでしょう。

 

また、何の薬剤で消毒するのか?というのも当然問題となってきます。

通常口腔外科の外来で使うようなものであれば、おそらく夏目先生の指摘するが如くの結果になり、傷口に当てるガーゼそのものが細菌の温床になるという、それって医療過誤じゃん!みたいなことになるのでしょう。

ところが、当院で使用している次亜塩素酸水は基本的には白血球の殺菌成分と同じです。

身体が出すものと同じということです。

そして一時的には害をなしている細菌だけでなく、局所にいる細菌全部を溶かしてしまいますが、その後数分もすれば空気中の雑菌やなんやかやで本来の細菌叢に戻るとされています。

後は患者の免疫力さえ通常レベルであれば問題は起こらないだろうし、そうでないなら免疫力が回復するまでの間は殺菌水による持続的な細菌叢のコントロールが必要でしょう。

こういったものは須く最終的に手放すためにするのであって、一生殺菌し続けるということではありません。

どのような薬でも、それをいつかは止めるという前提がなければおかしいのです。

次亜塩素酸水の素晴らしいところは、正常な細胞には為害作用を及ぼさないという点にあります。

考えてみれば当然で、白血球が出すのと同じ成分なんですものね。

 

病院や診療所における術後感染の原因として、他には空気(飛沫感染など)や水によるものが考えられます。

手術室では当然厳密なクリーンエアーで管理されているはずです。

最近、その手の空気清浄機などは非常に性能が上がってきているので問題は少ないと思われます。

しかし外来や病室ではどうかというと、?ですね。

水に関しては先日の「エコシステム」でも述べたとおりです。

業者の言うところによると、多くの病院が水を殺菌水に変えることにより術後感染は劇的に減少しているそうです。

 

なお、専門的な話になりますが、歯科の根管治療(根、神経の治療)において綿栓の使用はもはや控えるべきでしょうね。

単に感染媒体を置いてるだけの話ですから。

 

ということで頂いたコメントに対する僕なりの答えとしたいと思います。

2012.5.15

目覚める者たち ~Awakening Process is now ongoing~

ここ最近頂くメールなどを見ていると、少なくとも当方にアプローチされるような方は順調に覚醒が進んでいらっしゃるようにお見受けします。

共通して書かれていることがありまして、それは「今まで漠然と思っていたことが間違っていなかったということが確信でき、何となくわかったつもりだったことが腑に落ちました」そうです。

それはこのブログに対する感想だったり、本に対するものだったりするのですが、今までにも申してきましたように、もし僕の書いたものがキッカケで腑に落ちたのなら、それはその人の記憶が戻ったに過ぎません。

あくまでもキッカケであっただけなのですが、そのキッカケになったのなら、それこそまさに僕や作郎が意図したことであり、非常に嬉しいわけです。

常に依存を避けるように、真理は常にその人の中にあるということを体験してもらうように、僕という人間が特別だなどと思われないように、腐心してきたつもりです。

それが実を結びつつあるのは本当に嬉しい。

 

以前ブログで紹介しましたが、勝者も敗者も作らないトランプゲーム「神さまのゲーム」というのがあります。

妻が参加しているマクロビ教室でそれを考案した人や指導してくれる人を招いてやっていたのですが、その人たち(考案者、指導者)だんだんおかしくなってきたそうです。

こういうゲームの発想は当然インスピレーションとして神様から降りてきたのは間違いないでしょうが、そこから先で人間の方が間違っちゃうのね。

神様が降りてきたというのは、まあいいとしても、考案者と指導者で違う神様が降りてきてお互いに「お前は違う」みたいなこと言ってたり、透視能力やテレパシー能力が開眼したと言ってみたり・・・・。

いちいちそれらについてコメントしませんが、要するに単なる勘違い野郎になっていってますね。

しかし、僕はそれとて彼らのプロセスであると見ます。

こちらとすれば当然距離を置くようになりますが、それでもなお、誰も間違っていないのです。

 

まあしかし、世の中にはね、こういう人実に多いのよ。

ほんと、困ったものではあります。

2012.5.14

Eco-System エコシステム

あまりに嬉しいので、ブログにも書いてしまいます。

そのうち医院紹介の方にも追加しますけど。

当院で導入している(株)エピオスのDr.Plusという蛋白分解型殺菌水(弱アルカリ性次亜塩素水)生成器を扱っている会社が、新たに製作したエコシステム。

これは院内の給水システムのほとんどすべてに殺菌水が流れるというものです(トイレとかは普通の水道水)

エコシステム 001.jpg

上は本体

Dr.Plusでは500ppmという濃度の殺菌水ができ、それを適宜希釈して使用するわけですが、エコシステムは基本的には20ppmで、ほとんど無味無臭です。

こりゃ完璧にインフラ整備でして、うちCTありますとか、レーザー治療ができますとかいった類では全くないのですが、これを導入してから僕もスタッフも非常に喜々としております。

患者さんのためと言えば聞こえがいいでしょうが、どちらかというと、あらゆる所から殺菌水が出るという感覚が僕たち医療従事者側に得もいわれぬ満足感を与えてくれるんですねぇ、これが。

だから完っ璧に自分のためでござんす。

ちなみに奈良県の歯科医院で導入したのは当方が初めてだそうです。

だんだん、このブログも商売っ気が出てきたね(笑)

 

実は歯科の診療用台から出る水というのは汚染されていることが多いのです。

これには理由がありまして、通常水道水が巡っているわけですが、水道水というのはきちんと決められた残留塩素濃度になるようにできています。

しかし、浄水場からの距離だとか、あるいは地下の水道管から直接水道を引いているのかどうか(テナント開業の場合、屋上にタンクがあってそこから水を引いていることも多い)といったことが残留塩素濃度にすごく影響するのです。

屋上のタンクから水道を引いている場合は、タンクの清掃が定期的に行われているかどうかというのも問題になります。

こう考えてくると、大病院の手術室で使う水でさえ?マークがつくかもしれません。

 

歯科の診療台の水回りが汚染される理由は、常時水が流れていないことによります。

つまり夜、診療が終わってから翌朝に診療を開始するまでの間、水が流れていたホースやパイプの中は流れが停止している状態。

この時にただでさえ少ない残留塩素が全部抜けてしまって、温度も湿度も細菌が繁殖するのに絶好の環境になるのです。

新しく診療台を買っても、一日経てばもう汚染されるといいます。

 

この問題を解決するために、まずホースの中に入っているチューブをフッ素コーティングされたものに交換することで細菌がくっつきにくくするという方法があります。

次に水道水の残留塩素濃度を高めるような器械を使う方法がありますが、これはあくまでも水を細菌に汚染されないようにするという考え。

エコシステムというのは、水を殺菌水にするということで、より積極的な院内感染予防と言えます。

感染予防どころか、これで治療すると水が当たる所はほぼ瞬時に殺菌されるわけですから、治療が即、口の中の殺菌ということになるわけです。

こりゃ、スゴイね!

 

献血に行かれればわかりますが、問診票のごく最初の方に「最近、歯科の治療は受けられましたか?」というのがあります。

これで2,3日の間に治療を受けたとなると、献血の対象から外されます。

日本赤十字社の認識としては、歯科治療を受けた=菌血症(細菌が血液の中に入る)ということのようです。

それは歯石を取ったり、麻酔をしたり、抜歯をしたり、とかく出血するような処置が多い中、口の中の細菌が容易に僅かな傷口から血液中へと入るからです。

その際に、水も汚染されておれば尚更です。

 

実はうちの診療所において、3年くらい前に親知らずを抜歯した後、そこが化膿した患者さんがいらっしゃいました。

抜歯翌日は休診日だったので、痛みと腫れで連絡しようにも電話が繋がらなかった患者さんは、他院に行かれその旨のクレームを頂きました。

それで、診察券を新しくする際に僕の携帯電話の番号を印刷するようにしたのです。

器具もすべて滅菌しているし、手袋もしているのに何故化膿するのか?その時は訳がわかりませんでした。

今となっては、「ああそうか、水か」とわかるわけです。

患者さんの抵抗力が落ちている時には、そういうことも起こり得るということです。

 

医科に比べて歯科は、そのあたりの認識が非常に遅れているのですが、僕はたまたま今回この器械を導入する巡り合わせだっただけで、他の歯科医院のことをどうこう言える立場ではありません。

水のために300万円近く投資するなどというのは、今の歯科界の経営的な現状を考えればめちゃめちゃ無理のある話なのです。

ただ、僕は微力ながら他の先生方の意識改革に役に立てればいいなとは思っています。

こんなものを他院との差別化などとは片腹痛い。

あくまでも奈良県での先駆けというだけの話です。

でも、このシステムやっぱりメッチャええわぁ。

2012.5.13

予感

昨日は午後の診療の最中から、仕事が終わったら「かえる庵」に行こうと決めていました。

そして夕方くらいに、「そういえばMさん夫婦と長い間会ってないけど、今日かえる庵にきっと来てはる」と確信めいた考えが浮かびました。

Mさん夫婦はかえる庵の常連さんで、お店でよく一緒に飲んだりしていたのですが、ここ最近はご無沙汰です。

さて、仕事も終礼も終わってお酒屋さんで寺田本家の酒「自然のまんま」を買い求め、酒瓶を裸のまま持ってかえる庵の暖簾をくぐったら・・・・・・案の定、Mさん夫婦が座っておられたのでした。

近頃の僕の思考の現実化はちょっと自分で怖くなるくらいです。

いらんこと考えたらあかんね、と思うのと、じゃあなんで競馬当たらへんねん?という疑問と(←アホ)

 

向こうの席で食事を終わられた夫婦が先に立たれたのですが、どうやら仙台からお越しの様子。

僕はこっちの席でMさんたちに今度仙台に行くことや、こないだ一の蔵の会に行ったことなどを話していたので、それもあちらに聞こえていたみたいです。

で、結局僕たちの席に座りなおされて、それからなが~いお話が始まったのです。

僕、ほとんどしゃべらず、ただ聞いてるだけ。

途中で寝そうになったりなんかして。

そのくらいMさんと向こうの奥さんがよう喋りはったのね。

 

その話の中で当然のことながら昨年の震災に触れられます。

津波は場所によっては結構内陸の方まで来たそうで、その奥さんの叔父さんは自宅の2階に避難したそうです。

すると水は1階と2階の間までやってきて、ベランダに出て外を見てみたら、ちょうど隣の奥さんも同じようにベランダに出ておられ、目と目があって思わず「これが今生の別れですね」と言ったそうです。

その後、水は上がってくるのが止まり助かったそうですが、それでも水はすぐに引かなかったので当分2階暮らしを余儀なくされました。

「水も食べ物もなくっても人間どうにか生きれるもんだなぁ」と後になっておっしゃったとか。

今さらながら、すごい出来事だったのだなぁ、と思わされるのであります。

 

僕が25年くらい前、まだ医局にいた時に学会で仙台を訪れた際、レンタカーを借りて行った仙台港にあるお寿司屋さん。

でも今はアウトレットパークになっていて、それも被災してようやく復興してきているとのことでした。

それじゃあということで、青葉区にあるお寿司屋さんを一軒教えてもらいました。

僕は義理も大切にしますが、シンクロも大切にします。

仙台に着く土曜日は個人セッションが満杯入っており、当然それがメインですから、きちんとこなすのですが、さて、僕は無事そのお寿司屋さんにたどり着けるかな?

なんか違う意味で楽しみ~。

2012.5.12

人生はCreation!!~自画自賛の巻~

一昨日書いた詩は、「開拓者たち」を見ながら最初の3行くらいが頭に浮かび、あとはパソコンに向かって書きだしたら次々浮かんできたという感じです。

一部分、ドラマの主人公であるハツの台詞から引用しているところもあります。

僕は後半にある「だからわたし 生きるの」というところが好きで、自分で書いて自分で読んで涙してしまいます。

台詞からとったところがあるものの、そのほとんどは僕が詩を書きあげるまではこの世に存在しなかった、ついさっきまでそれらは全く無であったわけです。

このブログにしたってそうなのですが、やはり詩となるとちょっと感覚が違いますね。

先ほどまで影も形もなかったものが、今、人の心をうつかもしれないものとして存在している。

これは考えてみればスゴイことだし実に不思議であります。

 

僕たち生命の本質は記憶であり、その持っている根源的な欲求は進化である

 

僕はさっきまでこの世になかった詩を創ったが、考えてみれば創ったものは詩であり、かつそれを創った自分自身なのだ。

つまるところ僕は新しい自分を創造したのだ。

 

僕は常に新しい自分でありたい。

昨日より今日、さっきより今、今日より明日。

いつも生まれ変わっていたい。

すると自分自身が驚異の世界になるから。

自分の周りの世界がいつも違って見えるから。

 

いつも新鮮な自分でありたい。

いつも世界を新鮮な感動で見ていたい。

ワクワクドキドキしていたい。

 

そう、だから、古い自分を手放そう。

すべてを許して生まれ変わろう。

新しい自分を創造するために

 

2012.5.11

ガッツだぜ!カッパ魂

本日のお話はなにも”人生頑張りましょう!”いうことではありません。

本当はGutsではなくGut、つまり「腸の健康」の話です。

僕が今、考えている人間の基本的な健康法として「くつした(靴舌)健康法」というのがあります。

考え中というよりは、もう出来上がってるんですけど、当然のことながら世界中で僕しか知りません。

その全貌は今度の宮城でのお話会でしゃべろうかな、と思っています。

わかりやすくするために図解が必要なので、HPに書くの面倒くさいから、どうしても後回しになっちゃう。

お話会だとその場で実演できます。

 

そう言えば宮城に行くのも、もう一月をきりました。

個人セッションも結構入っているのですが、テーマは決まっていて「ワンネスの体感」と「言霊の種をまく」です。

果たして本当にそんなことが出来るのかどうか?

僕にもよくわかりませんが、直感がそう言ってるのでそうなんでしょう。

理屈はもうたくさん、あとは体験だけ。

そして理屈ではなく、魂に響く振動としての言霊。

と言っても、まあ僕のことですからペラペラ軽いノリで喋り倒すんですけどね、きっと(笑)

 

最近、健康ということに興味を持っていて、その視点でテレビを見たり患者さんを観察したりしていると、いかに対症的なことしか行われていないか、ということに驚いてしまいます。

健康を損なうにはきちんとした理由、原因があるわけです。

それを見つけ出すことが先決でしょう。

ほとんどは誤った生活習慣なのですが、それをそのままにしておいて、というか問題にもしないで、こういったエクササイズが効果的ですよとか、こんな食べ物が良いですよとか、あんたら頭おかしいんちゃうの?

サプリメント然り、医者の出す薬など話にもならん。

そもそも食事のことや呼吸法のことについて言及しないような医者は如何なものか、と思います。

 

靴舌健康法の靴とはそのものの意味もありますが、もう少し広げて歩行に関することです。

舌は文字どおりの意味ですが、ここでは口の中での舌の位置を指します。

先日来なにげに触れているのは、この舌の位置の話なのです。

舌の位置は実は頭から心肺機能にまで影響します。

歩行は敢えて言うなら下半身。

それらの中間にあるものとして腸の健康があります。

 

先ほども述べましたが、僕はサプリを摂るという感覚がどうも好きではありません。

僕たち人間に欠けているものなど何ひとつない、というのが僕の考え。

だから乳酸菌を摂って善玉菌を増やしましょうみたいなのは、言ってることはわかるけど、どうもしっくりこない。

それよりは、どうして腸の菌のバランスが悪くなるの?の方が重要じゃないでしょうか。

肉食を控え、野菜を多く摂りましょうみたいなことは、ここでは省略します。

それよりも腸を冷やさない、つまり冷たいものを摂りすぎない。

そして甘いものを控える。

このふたつです。

 

考えてみれば、冷蔵庫などが普及する前は井戸水で冷やしたもの以上に冷たいものなどなかったわけです。

それとて、例えばしょっちゅう西瓜を冷やして食べた、みたいなことはないわけです。

昔の知恵として、冷たいものを食べ過ぎないということは常識もいいとこなんですね。

僕は言った以上は自分もそうしなければ、ということで何を始めたかと言いますと、冷えたビールを飲まない、ということです。

ドッヒャ~~!!

今までは冷凍庫で冷やしたグラスに冷えたビールを注いでいましたが、つい先日から冷えたグラスに常温のビールを注ぐようにしました。

そして2杯目は常温になったグラスに常温のビールを入れます。

そういうことしてますとですね、今まで飲んでいたビールが、いかに必要以上に冷やし過ぎているかということに気づくわけです。

これからもっと暑くなってくると、どうなるかわかりませんが、なんだかキンキンに冷えたビールに違和感すら覚えるようになってきました。

あとは日本酒ですが、困ったことにまともなお酒はたいてい冷蔵保管されています。

これも考えてみれば昔の日本ではなかったことで、冷暗所保存というのが昔の蔵や納屋のようなひんやりした薄暗い場所を指すならわかるけど、冷蔵庫で保存というのは現代の日本酒の麹菌の生命力というのはその程度か?と思っちゃうわけね。

 

焼酎は氷を入れずに常温の水で割る。

そもそもどんなものでも冷やすと、味も香りも凝縮しすぎて花開かんのです。

BARでウィスキーを飲む時も、ストレートではなく常温のミネラルウォーターで半分加水すると、そのお酒が持っている本来の個性がよくわかるんですね。

 

さあ、あなたは今年も腸を冷やしますか?

それともそろそろ止めますか?

本日は整体のM先生の所へ行った後、橿原の後輩の先生の診療所で蛋白分解型殺菌水(次亜塩素酸水)の勉強会。

そのあとは、どうなるかようわかりまへん。

2012.5.10

開拓者たち ~生きてさえいれば何とかなる~

生きる ただ生きる

苦労して 泣いて泣いて 涙も枯れ果てて また生きる

生きる ただ生きるためだけに生きる

そうやって苦労して生きてきても

愛しいあの人は戦地で帰らぬ人となった

歯を食いしばって生き抜いても

帰ってみたら 愛しいあの人は他の人のものになっていた

 

嗚呼 頑張って生きてきたのに

今となっては 何のために生きてきたのかわからない

嗚呼 ただあの人に会いたかっただけなのに

どうして こうなってしまうのだろう

 

だけど でも

生きてさえいれば  生きてさえいれば

 

逃げまどう満州の地で 生まれてすぐに死んでしまったわが子

でも あの時あの子に会えなかったら わたしだめだったの

信じていた関東軍に裏切られ

信じていた日本という国に見捨てられ

悲しいこと 苦しいこと たくさんあったけれど

でも 今はわたし幸せなの

旦那も 娘も 妹も ここにはいないけど

たくさんの人たちのお蔭で わたしは今まで生きてこれました

 

生きてさえいれば 

また愛しいあの人に会えるかもしれない

生きてさえいれば

また新しい何かに出会うかもしれない

 

だからわたし 生きるの

生きてさえいれば なんとかなるわ

 

不毛の時もあるかもしれない

干ばつの時もあるかもしれない

でもわたしの人生はわたしのものだもの

それを開拓するのは わたししかいない

豊かな実りのときのために

 

 

昨日で終わったNHKドラマの「開拓者たち」の再放送

竹内まりあバージョンの「いのちの歌」をYOU TUBEで探しましたが、当然のことながらないですね。

生きてさえいれば、酒に飲まれようが、競馬でオケラになろうが、こんな詩が浮かぶのよ(笑)

生きてさえいればね!

 2012.5.9

IEKI吐くまで ~またしても一庫ダム~

毎年恒例のBBQ

毎年恒例のBBQです。

今年は子供の参加者が少なく、西塔家も子供たちが為ちゃんキャンプに参加中のため、僕だけ電車で行きました。

奈良から難波で乗り換え、梅田で乗り換え、川西能勢口で乗り換え、山下で乗り換え、ようやく着きました日生中央。

電車組は車でピックアップしてもらいます。

連休中唯一の晴れ間でラッキーちゃちゃちゃ。

元来、一庫ダムでBBQという場合、我々がやっている公園ではなく予約制のキャンプサイトのことを指します。

でも今年はなぜか他にもたくさんのグループが来られていました。

あ~あ、もうすぐウルサなんのに(笑)

 

毎年恒例のBBQ

野球のクラブ活動で来れない男の子、塾の模試で来れない小六の男の子。

本人はBBQに来たい気持ち一杯なのに・・・・

なんだかなぁ。

缶ビール5本、日本酒3杯、ワイン?杯。

肉も結構食べました。

だって野菜がないんですもの。

僕、玉ねぎとかキャベツでいいのに。

 

それにしても、歯学部の人たちと話していても思うのですが、ここいるのも阪大の賢い人たちばかりなのに、僕は話していて全然つまんない。

どの人も、夢とか未来とか喋らないし、頭の中にもそんなことは入ってないのかしら?

なんだかなぁ・・・・

もしかしたら、もう来年から行かないかも。

毎年恒例のBBQ
そして始まりましたサックスのパート練習、と思いきや、同期のT君がトランペットを持ってきていて、アルトサックス×2、テナーサックス×2、余計なソプラノサックス×1、+トランペットでした。

僕はさすがに遠くて楽器本体は持っていきませんでしたが、ストラップとマウスピースとリードだけは持参していて、途中で先輩のアルト借りてちょこっと参加しました。

はっきり言ってズルイです(笑)

それにしても、この先輩のアルトは買って30年位経ってるのに、何ですか!この輝きは?

普通、サビます、もっと。

 

ここまでは昨日の話。

今日のお昼、戻ってきた子供たちと滅多に行かないマクドナルドに行きました。

マックフライポテトのタダ券が一枚あったからという単純な理由です。

先日も書いたカンブリア宮殿という番組で見たのと全然違って、肉もパンもパサパサでじぇんじぇん美味しくない。

これって店舗によって違うの?

近くの席に二人の若いお母さんとそれぞれの子供たちが5人。

つい、彼ら彼女らの食べ方を見てしまいます。

そのうちの一人の小学5年位の男の子は目の周りが真っ赤で完全にアトピー。

この子にこんなもの食わして、何考えてんだろ?と思いました。

 

店を出て商店街を歩きだすとすぐにフウさんが、「うちらの横の席の人らおったやんか。一人、顔にブツブツできてアトピーの子おったやろ。せやのになんでマクドなんか食べさすんやろ?意味わからん・・・・」

お父さんもお母さんも同じこと考えてたよ。

慧はチーズバーガーもフライドポテトも味が濃すぎて残しました。

 

実は藤城さんの影絵展を観に行った時も、近くにいた小さな子がお母さんに「マックのハッピーセット食べに行こ」とねだって、「静かにしなさい」と言われてたんですが、その子ね、まだ1歳半くらいなんです。

まだお母さんに抱っこされてるのね。

僕が今、やろうとしている子供たちの健康を取り戻すという計画も、こういうのを目の当たりにするとやる気なくなっちゃいますねぇ、ホント。

 

本日、東京競馬場で行われたNHKマイルカップ。

この出馬表を見た瞬間に軸馬が2頭決まりました。

4枠8番のマウントシャスタ(2番人気)

これは僕としては当然買わざるを得ません。

そしてシャスタ山とつながっているという富士山。

5枠10番のブライトライン

父 フジキセキ産駒

神様が僕に微笑もうとしているとしか考えられません。

結果は・・・・・・

マウントシャスタ、最後の直線で斜行して後ろの馬をコカしてしまい、失格て。

どないなっとんねん?

神の(ここ、呼び捨て)アホンダラ、アホンダラ、アホンダラ。

結局は、桜花賞も皐月賞もマイルカップも全部、重賞を勝ってる馬しか馬券になりませんでした、ということを今頃気づく私でした。

 

僕の大好きな片岡鶴太郎の歌。

普通のカラオケには入ってません。

しかし、大阪の千日前の大きなキャバレーのカラオケタイムで、大勢の客(オヤジ)の前で歌ったことがあります。

それにしても、昭和のムード歌謡って、ええわぁ。

 

ひとつ大いなる発見。

近鉄奈良駅近くにある柿の葉ずしの「たなか」

僕はここのしか買わないのですが、今回の藤城さんの影絵展を協賛している関係で、なんと!柿の葉ずし買ったら招待券(無料券)をくださるそうです。

早速妻が買いに行きました。

もう一度フウさん連れて行きたいからです。

「一個から買えますよ」というお店の方の有難いお言葉ですが、なんぼなんでもそれはできひん。(一応歯医者やし)

ということで7個入り買って(700円)、タダ券2枚(2千円分)もくれました。

もう残り少ないようですから、早い者勝ちでっせ。

 

長かった連休も今日で終わり。

非日常から日常へ。

頭切り変えて、明日から日常を楽しみましょうぜ。

2012.5.6

生きるよろこび ~光と影のファンタジー~

かつて展覧会を見てこれほど感動したことがあっただろうか?

目はウルウルしっぱなし、鼻孔は開きっぱなし、胸はジーンと熱くなりっぱなし。

「スゴイ・・・・・」 その一言に尽きる。

 

奈良県立美術館で現在開催中の「藤城清治 影絵展」

その膨大な数の作品群に、僕はただ圧倒されっぱなしだった。(表題はそのうちの一つの作品名である)

迷路のように作られた展示会場は、第六会場まであり、見るものを飽きさせない。

藤城氏の初期の洋画やデッサンもあり、やはりどのような美術作品であれ、一流と言われるためには根底に確かなデッサン力がなければならないことを得心させてくれた。

GW最中ということもあり、チケット売り場も少々並ばなければならなかった。

しかし、すべて観終わって出口から出た時にはそれどころではなく、入場制限がかかっていた。

その列に並ぶ人たちを見ながら僕と妻は、「ああ、来て本当に良かった」と完全に満たされた気持だったのである。

 

以前、難波の高島屋で開かれていた与勇輝氏の人形展でも涙が止まらなかったのだが、与氏の作品は古き良き昭和の時代を表現されていたものだ。

今回の藤城氏の作品はどれをとっても作製された年代に関係なく、ファンタジーの世界である。

そして先月に米寿を迎えた氏の、常に新鮮な感性とそのバイタリティに感服せざるを得ないのだ。

 

僕が一番気に入ったのは第一会場入ってすぐにあった”柳と少女”

そして最も感銘を受けたのは世界最大の影絵 ”光彩陸離” の解説文で氏が書かれていた言葉。

うろ覚えであるが

「・・・・・10万枚以上におよぶ木の葉、6万枚を超える花びら。いったんそれらにかかってしまうと、昼も夜もなくなる。それらの一枚一枚に願いと祈りと愛をこめて、ただひたすらに切りつづけるのだ。・・・・これが影絵作家の神髄ではないかと思う」

 

40歳以上で氏の影絵を見て懐かしく思わない人はいないだろう。

僕の父の診療所でも待合室に「暮らしの手帖」を置いていたし、テレビのCMとかでもよく見た気がする。

しかし、今回の展覧会は氏の人間としての懐の広さを作品を通して余す所なく見せてくれる。

氏曰く、「影絵というものは光を使って影を出す芸術と思われがちだが、わたしは実のところ光の芸術ではないかと思うのである」

 

「シャングリラからの伝言」なんぞ読んでおられる暇がおありなら、今すぐ電車の切符を買って、奈良に来てこの感動をじかに味わってもらいたいと思う次第である。

奇しくも本日は子供の日だ。

藤城氏の作品には、ご存知のように小人や妖精たちがたくさん登場する。

是非お子様連れで来られては如何だろうか。

2012.5.5

願いは叶う、だけど・・・

考えてみれば”ワンネス歯科”とはなんと大胆かつ壮大なクリニック名でしょう。

昨日ふと、そんなことを思いました。

世界中で一番たくさんONENESSという言葉を口にしているのはね、おそらくはうちの受付の工藤さんなんですよ。

バガヴァンとかケビンじゃないんだなぁ、これが。

 

人生ままならぬって状態を体験中の人がいます。

ある意味においては僕もそうかもしれません。

しかし僕の場合は、確実に夢に向かって前進しているし、自分の現在地を認識しています。

ただ現在地から何に乗ってどう進むのかは、その時々のシンクロや人との出会いによって左右されます。

僕たちは始発駅から終着駅へ向かっていて、もちろんそれが目的地ではあるのだけれど、大切なのはその電車に乗って各地の風景を見ているということです。

それが体験なわけです。

目的地が仮に”究極の”ワンネスの状態であるならば、今生ではさすがにそこまで行き着かないかもしれない。

ならば、今生の目的は電車から見る風景を楽しむことではないでしょうか?

多くの人が目的と手段を取り違えるのですが、この場合は目的(電車からの風景)を手段と勘違いしています。

 

その電車がどの路線で、各駅停車なのか特急なのかで見える風景は違うわけですが、ここはひとつ極端な例を考えてみましょう。

いわゆるスタートレックの転送ってやつです。

始発駅からあなたの望む終着駅に瞬時に移動する。

これ、楽しい?

 

より高い次元では、思考は一瞬で現実化します。

前に第十か十一か、十二の予言のどれかの話をした時にも書きましたが、そうなるとシンクロも人との出会いもヘッタクレもありません。

つまり、他のエネルギーとつながるということが非常に困難なのです。

次元が高いと不思議なことにそうなっちゃうのね。

プロセスがどんどん省略されてしまうのよ。

じゃあ高次元の存在たちの喜びは何か?と聞かれても今のところ僕にはわかりません。

何だろうなあ?とは思うけど、そんなに知りたいとも思いません。

だって、僕はその次元の人間じゃないもの。

 

あなたの願いは必ず叶う。

しかしこの次元においては時間というものがあり(幻想だけど)、それが非常に重要な役割を果たしていて、僕たちの人生を思いっきり面白くしてくれているのです。

こんな自分になりたい。

ハイ!なりました。

こんな仕事がしたい。

ハイ!ここにあります。

スポーツと勉強を両立したい。

ハイ!両立しました。

子育てをしながら仕事でも認められたい。

ハイ!認められました。

充実した人生が送りたい。

ハイ!たった今充実しました。

何度も聞きますが、これ、楽しい?

 

願いがすぐに叶うということは、原因と結果しかないということで、結果を生む過程が欠落しています。

いいですか、この宇宙は三拍子で出来ているのですよ。

ココとアソコとその間、というふうに。

楽しくないというプロセスがあるから、次の段階として楽しいというプロセスに移行するわけでしょ。

本当は楽しくないというプロセスも人生の達人になってくると楽しめるんですけどね。

 

もう一度思い出して欲しいのですが、僕たちはプロセスを楽しむために生きているのです。

ゴチャゴチャ考えずにただ体験して、それを楽しめば良いだけの話。

え?

こんな出来事楽しめないって?

哀しむのを楽しむ。

怒るのを楽しむ。

もちろん喜びを楽しむ。

楽しむというのは、それを満喫するということです。

満喫すれば、あなたはたとえどのような感情であろうが満たされます。

 

そんなこと言っても、あれこれ考えてしまうって?

じゃあ、とことん考えなはれ。

ああでもない、こうでもないと悩みまくってチョンマゲ。

それが悪いわけでも劣っているわけでもありません。

それをやり切れば、必ずあなたはどこか開けた場所へ出ます。

やり切らない人だけが、迷路に入ったまま出られないのです。

でもね、不思議なことに”やり切らない”ことを”やり切れば” やっぱり次のステップに行くんだなぁ、これが。

 

すべての人が各々のプロセスにいて、誰も間違っていないし、そこに優劣もない。

これをきちんと理解していれば、霊的に覚醒した(しつつある)人はそうでない人を見下したりしないはずなんですけどね。

そうでない人が多く見受けられるのはどういうわけでしょうね?

 

ということで皆さん、連休を楽しんでますか?

GWが来るのを楽しみにしていた時と、今、その最中とどちらが楽しいですか?

もうあと3日で連休が終わると思うと、今楽しむことに集中できないですか?

そりゃあ、まだまだ修行が足りまへんなぁ(笑)

2012.5.4

歯科界永遠のテーマに光明!? ~カッパのGW~

競泳のダーレオーエン選手が亡くなりました。

心臓発作らしいのですが、このように超トップクラスのスポーツ選手が若くして亡くなることを皆さんはどう考えられますか?

水泳というのは心肺機能を高めるものだったはずです。

では、どうしてでしょう?

この事実をよくよく考えて欲しいと思うのです。

 

僕は今、自分の診療所で試していることがあります。

それは患者さんに口呼吸の弊害と鼻呼吸の重要性を理解してもらうことと、そのための簡単なアドバイス。

実は先日、たったひとつのことに注意するだけで鼻呼吸に誘導できることを見つけました。

また、そのことは歯ぎしりやくいしばりも防止することがわかっています。

単に認識してもらうだけで特別な装置はいらないのですが、より認識しやすくするための簡単なマウスピースも考案しました。

考案した、と言うほどの大したものではないのですが、僕の知る限り今まではありませんでした。

違和感がほとんどなく、非常に安価。

そのたったひとつのことが、身体の健康を大きく左右するのです。

 

え?それは何かって?

今月行われる歯科医師会での症例検討会で発表して、他のドクターの意見を聞いてみたいと思っています。

秋に行われる補綴学会でも発表しようかと考えています。

もう少し話をつめていったら、ここでもご紹介しましょう。

それはあまりに単純すぎて、かえって同業者には鼻で笑われそうなのですが、僕が思うに本当のことって実にシンプルであるはずなのですね。

もちろん治療法も複雑ではなくシンプル。

だからこそ、僕はこの件に関して絶大なる自信を持っているのです。

 

歯ぎしりの防止というのは歯科界の永遠のテーマです。

通常は寝る前の暗示療法か、マウスピースを作ります。

マウスピースをつけたから歯ぎしりをしなくなるわけではありません。

マウスピース越しに歯ぎしりするんですが、就寝中の無意識下の大きな力が歯に直接かからないというだけです。

僕が見つけたのは、歯ぎしりそのものをしなくなる、というかやりようがなくなる、というものです。

Aということが従来から歯科界では言われていたが、誰もそれをBという課題と結びつけなかった、ということです。

 

この小さな発見は、日本人の健康に大きく寄与するとともに、どうしてそうなってしまったのか?という原因を探っていくと、間違いなく誤った乳幼児の育て方にあるという点に行きつきます。

ということは、認識を新たにすることにより、次の世代の子供たちに生涯にわたる健康を提供できる可能性を秘めているのです。

医療に携わっているものにとって、病気を治すよりも何よりも、このことこそ本当の喜びに他なりません。

スピリチュアルなことだけじゃなくって、こういうことも急に思いつくところが俺って偉いよなぁ・・・・と誰も褒めてくれないので自画自賛するのでありました。

 

GW後半は天気が回復に向かうみたいで良かったですね。

僕は明日は嫁さんと好きな珈琲屋さんに行ったりして、ゆったり過ごします。

5日は一庫ダムで軽音の先輩後輩たちとBBQ。

今回僕は電車で行くので、サックスは持っていきません。

なんだか当ブログに”一庫ダムBBQ”で検索して来る人が結構多くって、言っときますけど公園で管楽器吹くなんて周囲の人に大迷惑ですからね~。

知らんよ、僕。

あ、マウスピースとリードだけ持っていって誰かの楽器借~りよっと(笑)

 

連休の合間で待合室のプチ改造。

もっともっと患者さんに健康に関する情報発信をしていけるように考え中です。

毎日何かを守らないといけないじゃなくって、単に知るだけっつうのが楽でいいよね。

これは今、心底思うのですが、”ならまちワンネス歯科”はどんどん自分がこんな歯医者に通いたいと思えるようなところになってきました。

今まではどうだったかというと、何かが欠けていたのかもしれませんね。

清潔な診療室、素早く的確な診断、必要最小限の治療介入、原因と治療方針と予防方法などのわかりやすい説明、口のこと以外の健康に関する正しい情報提供、無愛想でもなく過度な笑顔でもない信頼できるスタッフ、ただいるだけで癒される空間・・・・etc

これから当院は益々進化していきます。

そしてその結果を患者さんやその家族、友人・知人に還元できるよう最善を尽くします。

2012.5.2

目の前を通り過ぎた”微笑み返し”~ひとつの時代の終わり~

相次ぐ交通事故。

しかし、普段でも日本のどこかで交通事故で毎日何人かが亡くなっているのです。

今、ことさらに事故に関する報道が強調されています。

これが本来なら起こらなかったはずの大きな事故を呼び寄せている。

そして怒りや許せない気持ちや、憐みの意識が日本中に渦巻いています。

亡くなられた方やそのご遺族に対してはまことにお気の毒だと思うのですが、今回の集合意識の動きは違う目で見れば、別の可能性を僕たちに示してくれます。

もし、報道で”ワンネス”という言葉や概念がどんどん流されたらどうなるでしょう?

間違いなくアセンションは加速しますよね。

昨日思いついた次回作のタイトルはずばり ”ONENESS~僕たちの向かうところ~”

ま、どうなるかわかりませんが。

 

3連単145万を超える配当となった第145回天皇賞(春)

京都競馬場は見たことがないほどの人で溢れていました。

入場したくらいから何となく気づくのですが、やたらと天皇賞という言葉が強調されています。

入場券のデザイン然り、当日のレーシングプログラム然り。

いや~な予感がするのです。

別に天覧試合でもないのですが、こういう時ってJRAは国旗の色である白、つまり1枠1番の馬を使ってくるのですよ。

1枠1番にはビートブラックという、18頭中14番人気の馬。

いくらなんでもこれを頭には買えない。

しかし・・・・

2年前の菊花賞で、僕はこの馬を軸馬指名し(味勝の大将とかには話してた)、13番人気で3着に来て、1着馬も人気薄だったので3連単はさすがにとれませんでしたが、1番人気とのワイド馬券が3千円ついたのを5千円買っていました。

15万円です。

 

あ、競馬の話はわからないというあなた!

この話は最後に面白くなるので、今あきらめちゃダメよ。

 

ギャンブルの世界には”微笑み返し”という言葉があります。

これは、一度儲けさせてもらった選手や馬などが、もう一度連に絡んでとらせてくれることを意味します。

ビートブラックは菊花賞3着でかつて僕に微笑んでくれたことを当然覚えていました。

が・・・・・

 

まあ、その日はよう飲みました。

まずは競馬場で生ビール3杯。

B級グルメの屋台が出ていて、あんかけ焼きそばを選択。

そこだけ混んでなかったからなんですけどね。

これがまた、かかっているアンが少ない。

ベンチに座って麺とアンを絡ませようとしたら麺がしっとりしてないもんだから、跳ねてしまってアンの具の唯一大きな豚肉が下にポトン↓

う~ん、これがなかったらあとはほとんど人参と白菜だけなんですけど。

ということでよく見ると、豚肉が着地したのは捨ててある投票券の上。

全く躊躇することなく箸でつまんで口の中へ。

当然でしょ、そんなもん。

 

競馬が終わった後、”あまの”という料理屋さんで生ビールを2杯に焼酎水割りを4杯。

六角富小路にあるバー”トレフルドール”でテキーラのストレートを2杯と竹鶴のストレート1杯にギネスビール1杯。

ちなみにこのお店でカウンターに座っていたお客さん、断トツ1番人気の馬 オルフェーブルの単勝馬券を100万円買ってたそうです。

 

その後、祇園のバー”コペルニクス的転回”で、エドラダワー(モルトウィスキー)のストレート1杯に、ブラディマリー1杯。

この日は僕、直球(ストレート)勝負ですね(笑)

ブラディマリーは本来、Lea & Perrins のウスターソースを入れて風味を増すと美味しいのですが、それをやって他の皆にボロクソ言われました。

おまえら、知らんだけやんけ!

 

ここで連れの人たちと別れ、僕と味勝の大将で”DRUM”というカラオケスナックで、焼酎の水割りを?杯。

それから(まだ行くんかい!)、元舞子さんがやってるお店”川口”で歌い倒しの助。

水割り何杯飲んだかなんて覚えてません。

 

つかまえた”ヤサカタクシー”の運転手さんに、味勝の大将「奈良まで7千円で行って。それ以上取ったらあかんで!」と無理益体な注文をしてます。

さすがの僕でも、「8千円で行ってもらえません?」くらいの優しさはあります。

7千円はハッキリ言ってメチャクチャな値段ですが、なぜかOKが出て無事帰宅。

朝、布団の中で何故か下半身の当たりが柔らかいと思ったら、Gパンと褌脱いでました(上のTシャツそのままやのに・・・・)

僕は、なぜか酔ったら下半身だけ脱ぐ傾向にあるようです。

今回はわけのわからん擦り傷、切り傷はないものの、右の額にじゃっかんコブが・・・(これ、なに?)

昨日は一日、パソコンで名古屋で行われている競輪の共同通信社杯を観戦。

単に見ていただけです。

 

さて、ようやく本題はここから。

 

競馬でこのような大万馬券が出るのは、ひとつの区切りを表します。

来年以降はそのレースの性格が変わるということです。

昭和天皇の誕生日(昭和の日)に行われた天皇賞。

これは今上天皇の存在の元、その先代の天皇の誕生日という位置づけです。

ということは・・・・・?

 

ちなみに、神武から始まってすべての天皇の誕生日を祝日にしたら、仕事する暇ないよね。

逆に、昭和天皇に始まってこれから千年もの間、誕生日を祝日にしてたら、どうなるかしら?

近代日本ということを考えれば、明治天皇、大正天皇の誕生日も祝日になっても良さそうなのに・・・・?

不思議なことだらけですが、間違いないのは今年でひとつの時代が終わるということのようです。

2012.5.1

昇給

昨日の朝礼の際に、「今日の終礼の時に、この一年間で自分が成長したと思えることを聞くから考えといて」と伝えました。

当院では毎年4月に自動的に昇給します。

今までこんなこと聞いたことがなかったのですが、今年は聞いてみようと思いました。

このご時世ですから、その昇給に見合うだけ成長したのかどうか、自分を見つめ直してもらおうというわけです。

院長が一方的に上から目線で話をさせるのもどうかと思い、まずは僕自身から話し始めました。

仕事に関してはここでも書いている通りです。

自分自身の精神性については、今の僕の課題はおそらく「その人をあなたは受け入れられるのか?」ということだと思うのですが、少なくとも以前よりは他人に対する拒絶感は減っていると思います。

最近の自分に起こることや出会いを見ていると、僕の受容性が試されているのがよくわかるのです。

 

スタッフの二人もそれぞれに話してくれました。

ここでも正直であるということが何より大切です。

院長が自分の思いを正直に話すことにより、スタッフは安心して自分のことを話せます。

正直申しまして、スタッフ想いの院長はたくさんいらっしゃるでしょうが、うちのようなところはそうそうないのではないかという気がします。

 

さて、GWが始まりましたが、今日明日は非常に良い天気のようです。

わたしは、これより大切な予想を持って京都競馬場に行ってまいります。

第145回 天皇賞(春) G1 芝3200m 

言わずと知れた昭和天皇の誕生日に久々に行われます。

味勝の大将の家の前の人が早朝より突撃してスタンドの席を確保してくれています。

かの池添謙一騎乗の三冠馬オルフェーブルは果たして盾を抱くことができるのでしょうか?

もし彼が天皇賞馬になるのなら相手は同枠のトーセンジョーダンしかいません。

その際、3着は自動的にステップレースを勝ち上がってきた4枠の2頭のどちらかになります。

 

もし彼が歩くのなら、1着馬はその4枠から出るでしょう。

 

では皆さま、良い休日を!

201.4.29

みずほ605号鹿児島中央行き~カッパの足は5本指?~

みずほ.jpg

一昨年、奈良県歯科医師会の学術委員会慰安旅行で九州新幹線に乗った時は、博多で乗り換えて熊本まで行きました。

今回は”みずほ”つまり新大阪から鹿児島まで直通のやつです。

ちょっとウレシかったりなんかします。

みずほ中.jpg

指定席はのぞみのグリーン車並みのゆったりさ。

素晴らしい。

帰りはのぞみ号だったのですが、みずほと比べると屁やね。

みらいクリニック.jpg

博多駅を筑紫口の方に出て、歩いて100mも行かない所にあるビルの6階に「みらいクリニック」はあります。

まずは問診票に記入して今井先生の診察を受けます。

それから併設のフットケアセンターでセンター長の湯浅さんに、スニーカーのニューバランスを僕用に調整してもらいます。

特殊な樹脂で足型を取り、それをインナーソールに加工していくのですが、湯浅さんの許可を得てスマホで写真を撮っている最中に今井先生が入って来られ、「ネットに流さないでくださいね」

あ、そうか。

足型.jpg

これって企業秘密なんや。

ということでその部分の写真はありません。

僕の足の診断もしてもらいました。

ふ~ん、なるほど・・・・。

全部で1時間半くらいかかったでしょうか。

色々と足のことについて勉強になりました。

 

僕は男としたら足が小さく、ずっと24.5cmの靴を履いていました。

ところが湯浅さん曰く、それだと小さすぎて足の指が曲がってしまうのだそうです。

これからは26cmで探すようにアドバイスしてもらいました。

先日買った5本指靴下もあと3足買い、当院に卸してもらって患者さんにも販売ができることを確認しました。

ただし講習を受けないといけないみたいですが。

 

ここの「みらいソックス(CSソックス)」の特徴はその編み方にあり、とにかく硬いのですが、これを履くと強制的にすべての指がまっすぐになり、踵を強くサポートします。

足というのは親指と小指と踵の3点で安定するのに、指が曲がっているためにきちんと体重を足で支えられていない。

その結果、身体全体が歪んでいくのです。

細かい説明は別項に譲りますが、僕たち日本人は靴だけ西洋から輸入して靴や歩行に関する知識や文化は仕入れ損なったみたいですね。

 

足や靴がすごく大事というのは誰しも聞いたことがあると思いますが、思っていた以上にそれが身体に及ぼす影響は大きいようです。

きちんとした靴下と靴と歩行を会得すると、実は身体の血流が良くなって(足からの血液の返りが増す)、体温は上がり冷えも改善するのではないかと考えています。

う~ん、すごいぜカッパ先生。

 

全国で5,6軒の歯科医院でこの5本指靴下を扱っているそうですが、わざわざ博多まで院長が自分の靴を作りに来ることは滅多にないとのことでした。

 

特殊なマウスピースで身体の不調を改善しようとする先生たちがいます。

あるいは足の骨の歪みを取ることによって、噛み合わせを改善しようとする先生たちもいます。

僕は一時期、噛み合わせの調整で不定愁訴を治そうとしていたことがありました。

マウスピースも作ったりもしました。

それなりの効果はありましたが、途中でそういったことに興味を無くしていきました。

もっと歯科医らしくいきたいと思ったのです。

 

もちろん噛み合わせと身体のバランスの関係は嫌ほどわかっていますが、そこにフォーカスを当てるとなんか診療がおかしくなりそうな気がしたんですね。

そして今、この靴下と足や歩行に関する知識に出会いました。

身体が重力を受けながら、地面と接している最も重要なポイントです。

もしここに身体の歪みを起こしている大きな原因があるのなら、噛み合わせよりなによりも、まずそこだろうと思うのです。

噛み合わせは調整すると元に戻りません。

そのような行為は最終手段であるべきでしょう。

噛み合わせを調整してたとえ一時的に体調が良くなったとしても、その状態がずっと続くとは限りません。

またおかしくなったとしても、その時にはすでに歯は削られているのです。

この場合は噛み合わせが身体の不調の根本原因ではなく、身体の歪みの結果として二次的に噛み合わせが変わった可能性が高い。

その診断が難しいのです。

それに比べて、足の狂いは治した方が良いに決まっています。

単に5本指靴下を履くだけ、足に合った靴を履くだけ(ただし今までの常識から言うと高価)、歩き方を見直すだけです。

でも、これがすごく大切なのね。

 

今回交通費も入れると約10万円かかりました。

お土産も僕にしたらずいぶん買いました。

普段饅頭なんて絶対買わんけんね、僕。

でもなんかフワフワで美味しそうに見えたんで、スタッフ用に薯蕷饅頭を買ったお店の人に、「無添加のティーパックに入ったダシ売ってるとこ知りませんか?」と聞いたら教えてもらえて、そこに行って買い求めたのが椒房庵(しょぼうあん)というお店の茅乃舎(かやのや)だし。

これをなんで探したかというと、フットケアセンター長の湯浅さんが今、女性の間で人気ですと教えてくれたからです。

ラーメン好きのツレにラーメンじゃなくこれをあげようと思い購入。

博多土産.jpg

そしてふと横を見ると、なんとあの稚加榮(ちかえ)が店を出しているじゃあ、あ~りませんか。

僕が博多で唯一まともな明太子を作っていると思っている超有名人気日本料理屋さんです。

迷わずお買い上げ。

お土産の紙袋がどんどん増えてきて、観光客丸出しの僕(笑)

博多竹乃屋.jpg

だんだん博多日帰りが悔しくなってきて、昼間もやってる駅の居酒屋さんに入り、しこたま飲み食いしました。

隣の若い男性と仲良くなりました。

 

5時までサービスタイム中で、サントリーのプレミアムモルツの生中が260円。

ヤリイカの一本刺(刺身)460円也。

竹乃屋焼酎ロック.jpg

大阪でこの鮮度でこの量と値段は考えられません。

博多の居酒屋、やるなぁ。

ゴマサバやら焼き鳥やら食って、焼酎ロックは右のごとし。

くぉら!ジャンカラのボケども。

これが焼酎のロックじゃい!

いちいち計って注いでんじゃねえ!

それにしても、新大阪駅で昼間っから酒飲んでる人そんなにいないけど、博多はやっぱ違うねぇ。

堅気の人が飲んでるもんなぁ。

博多駅トイレ1.jpg

さて、問題です。

上のオブジェのような写真は何でしょうか?

答えは最後。

結局大阪に帰ってきたのが8時前。

心斎橋でトイレの高級芳香剤買って、久々にキッチンニコに行きました。

ほいでまたお酒を飲みました(山形のお酒)

ヨッシーにその蔵の再建の過程の記事を見せられ涙。

仕上げに金龍ラーメン食べたいのをぐっとこらえて帰宅。

結局は・・・・・あ~楽しかった。

 

なんだか、ならまちワンネス歯科・・・・エエ感じで来てますよ。

身体に関する基本的で正しい知識を持つこと。

それに対するアドバイスをすること。

それにより極力歯科的な治療介入の余地を減らしておいて、必要最小限の手出しをする。

時にはスピリチュアル的なアドバイスもする。

身体を歪めている原因に対するアプローチをしているわけですから、予防にもなるし再発もしなくなるでしょう。

患者さんは心身ともに健康になり、どんどん幸せになっていく。

そしてそのような治療を受けたければ是非「ならまちワンネス歯科」を受診して下さい。

うちは他院とは違いますよ・・・・じゃなくって、このようなスタイルを他の医科歯科の先生方と共有したい。

賛同してくれる人たちをドクターだけに限らず、患者さんの間でも増やしていきたい。

仲間を増やしていきたい。

どんどん未来志向になってきてます。

仕事が楽しいぜっ!

最後にビックリをひとつ。

湯浅センター長に「関西方面で患者さんを紹介できるような、きちんとした靴作りをしているところありませんか?」と尋ねたところ、調べておきますとの返事。

昨朝メールボックスを見ると、先日ヒーリングをした男性から息子さんが靴作りをしているとの旨。

そこのHPを覗いてみると確かにしっかりした仕事をされているようで、場所はどこかな?と思って見てみたら鵲町って、元興寺のとこやし、うちのすぐ近くやん!!

これって、スゴクね?

行動を起こすと、後押しされるように前に進む。

めちゃ引き寄せの法則でおます。

博多駅トイレ2.jpg

さて、問題の答えですが、正解は博多駅のトイレ。

やるなぁ、博多。

いくら男性トイレとはいえ、スマホで写真撮るの、随分気が引けた(笑)

2012.4.28

スポーツと健康

同じような内容がサイドメニューにありますが、再度新しい知見も踏まえて書きます(なんちゃって・・・)

 

皆さん、争いのない平和な世界を作りたいですか?

だったら、どうして他人と競うようなことをするの?

どうして子供に勝ち負けが重要視されるスポーツをさせるの?

まずは、そこです。

幼稚園の時から運動会の駆けっこで、誰々ちゃんに勝った、負けたなどと、親バカにも程がある。

 

試合に勝った方は嬉しいかもしれないけど、負けた方は悔し涙を流すわけです。

それがあなたの昔の親友かもしれない。

それでもあなたは喜べますか?

 

少なくとも成長期の子供にスポーツと称した過度な運動などもっての外です。

論外ですよ論外。

なぜか?

筋肉はつくだろうし、体力もつくし、俊敏さもつくでしょう。

でもそれは、過度な運動という行き過ぎた負荷に対して身体が反応しただけです。

決して身体は喜んでそうなっているわけではありません。

そんな筋肉も体力も実生活では必要ないのです。

それは一見立派に見えるかもしれないけれど、いびつな肉体を作っているだけなのです。

 

もしスポーツが健康に良いのなら、どうしてプロスポーツ選手のほとんどが故障経験を持つのでしょう?

彼らはプロですから自身の競技に対する専門知識もあり、プロのトレーナーもついているにも関わらずですよ。

アマチュアの故障率ともなれば、もっとひどいでしょう。

かのイチロー選手は、試合前にものすごく時間をかけて入念なストレッチを行います。

彼が凄いのは、非常にしなやかな身体を持っていることです。

 

どのスポーツも基本的には、偏った身体の使い方をします。

それも過度に。

例えばサッカー選手であれば、左右どちらでも同じように蹴ることができますが、得意な側というのがあります。

彼ら(彼女ら)の場合、太腿の太さと言えば女性のウエスト位あるわけです。

その筋肉が左右で微妙に違うということは、動力が大きいだけにものすごい歪みを身体に生むのです。

一般の人であれば左右の筋肉の差は、元々が筋力が小さいだけに通常無視できます。

 

またこれが非常に重要なのですが、スポーツに限らず過度な運動、激しいジョギングやウォーキングなどでも、口呼吸を誘発します。

このことが非常にいけませんのです。

子供たちが長時間、野球やサッカーなどの練習をすると、その間は当然声を出しますから余計になんですが、常に口呼吸をしているわけです。

これでは、いくら僕たち歯科医が診療室で鼻呼吸にしてくださいと言ったところで話になりません。

要するにスポーツをやっている限りは、口呼吸になり免疫系を弱体化させているので、健康など望むべくもないということです。

 

僕たちは二足歩行になってから重力に逆らって生きるようになりました。

この状態というのは肉体維持に非常に不利なのです。

よって、西原克成先生の言うように文字通り”骨休め”、つまり横になって身体を重力から解放し、骨髄機能を正常に働かせるようにすることが必要不可欠と言えます。

この意味からは水泳というのは良さげに思えますが、一日数時間も重力から解放した状態というのはかえって行き過ぎの感がある。

またサイドメニューでは、息を吐き切ることで健康に役立つと書きましたが、それとて口呼吸には変わりありませんので、息を吐き切るトレーニングは別に考えたら良いでしょう。

 

では、勝ち負けを争い、身体を壊すようなスポーツをしている人はくだらない人間なのか?

王貞治や長嶋茂雄、前述のイチローや松井秀樹、谷亮子等々、スポーツ選手を人間的にどう評価するのか?

それは皆さんがお好きにやってください。

力道山は戦後の日本人を勇気づけたではないか?

それはその通りでしょう。

僕はスポーツ選手に対してくだらないとも、また偉いとも思いませんが、スポーツが感動を与えるような時代はもう終わりつつあるのです。

僕はワンネスの世界を、争いのない世界を夢見ているので、そのような世界では今のようなスポーツは存在しません。

特定の競技に長けた人が高額の給与をもらい、さらにはまがい物の飲食物のCMにまで出てお金を稼いでいる一方、真面目に子供の教育に取り組んでいる教師は、それと比較すると乾いた笑いしか出ないような給料しかもらっていない。

こんなことが当然だと思うんなら頭おかしいよ、はっきり言って。

 

スポーツを通して自分を高める、つまりその世界において結局は相手と戦っているのではなく、自分自身と戦っていると言えます。

でも、それならね、どんな人でも自分の人生の中でやっていませんか?

人生というスポーツで自分と戦っている、自分を高めようとしているんじゃないの?

すべての人がです。

だったら、わざわざ無理なスポーツしなくていいんじゃね?

 

いつも言いますが、今の日本を作っているのが東大出身の高級官僚ならば、どうして幼い子供の睡眠時間を削ってまで塾に通わすの?

高血圧の治療と称してン十年も降圧剤を処方するような医者を作っている現状があるのなら、あなたは子供にどんな学歴を欲しているの?

争いのない世界、戦いのない世界を夢見ているのなら、どうして〇〇反対!!とかするの?

健康に良いことをしようと心がけているのに、どうして健康を崩している原因に目を向けないの?

農薬、添加物、スイーツに限らず多量の砂糖摂取、口呼吸による免疫低下。

それらを色んな自分勝手な理由をつけて無視しておいて、フィットネス通いや多種類のサプリメントを摂るなんざ、僕には理解不能です。

 

さあ、それでもあなたはまだ子供にスポーツさせますか?

そしてあなたも続けますか?

 

勝ち負けなどつけず、ただ身体を楽しく動かす程度のものなら、正しい呼吸法が確立されている限り良いと思いますけどね。

まあ運動とか体操とかが一番良いんじゃないかしら。

 

明日は、朝から博多へ行きます。

今井一彰先生のみらいクリニックに併設されているフットケアセンターで、足の診断とスニーカーを僕に合わせて調整してもらうんです。

これからは足の健康も頭において診療していくつもり。

これに関しては、またいずれお話しましょう。

ただ、博多日帰りはつまら~ん・・・・。

2012.4.25

ふたたびの交通事故

先日の祇園についで、今回も京都府亀岡市にて車による事故がありました。

なんとも痛ましい出来事ですが、皆さんもお気づきのように、このような事件事故は不思議なことに連続して起こります。

場所が変わることがほとんどで、今回のように同じ京都で起こるのは珍しいと思います。

その報道の中で(身内を亡くした人に「どんなお気持ちですか?」と聞く方も愚かしいと思いますが)、ご遺族の加害者に対して死をもって償って欲しいという気持ちもわかりますが、孫を亡くした祖父の「事故を憎みます」というのも中々言えることではないですね。

 

事故ではなく事件の場合、模倣犯というのも考えられます。

しかし、事故は完璧に偶然でしかあり得ないのに続くのです。

これはどうしてでしょう?

もし先般の祇園での、てんかんを持病として持っている男性が起こした事故のことが全く報道されなかったとしたら、今回の亀岡での少年が居眠り運転をして起こした事故は果たして起きていたでしょうか?

国民の皆の意識の中に次々人をはね飛ばす車のイメージが強烈にインプットされ、それが何度も何度もテレビで報道される。

そのことが今回の事故の本当の引き金ではないかと感じます。

 

もし、こういった事故の再発防止を真剣に考えるのなら、過度な報道は慎むべきであろうと思うのです。

 

そして、今回の連続した交通事故が真に我々に示すもの。

それは一度起きた事故はまた起きるということで、とりもなおさず大飯原発の再稼働に対する警告に他ならない気がします。

僕はここで原発賛成反対とかを述べているのではありません。

今回の再稼働に向けての手順があまりにも稚拙であるから申しておるのです。

こんなことだとまたしても大惨事が起こりますよ、マジで。

 

すべての人に癒しのあらんことを。

2012.4.24

カッパ、ブチ切れるの巻

土曜日の診療が終わって、「シャングリラミーティング」の二次会場となった東向北商店街西入るの沖縄料理「がじゅまるの木」に行きました。

カウンターには左側に僕より年上の男女、右側に男一人、その間に僕が座って生ビールを飲んでいると、バイトのリョウ君が笑っています。

「じぶん、何がおかしいねん?」

「いやぁ、よりによって今日はカウンターのお客さん、みんな酒飲む人ばっかりだなぁと思って・・・・」

あ、そ。

 

”南光”という名の泡盛があります。

ラベルに鶴の絵が書いてあって、「あ、これ飲んだことないから後で頼も」と思っているとリョウ君が、「もうあと先生が飲まれてないお酒って、これくらいですかね」

と、奥の方の一升瓶を出してきました。

「こないだ来られた時は、これが美味しいと言っておかわりしてましたよね」

そうです、そのお酒こそ南光なんです。

そういや、鶴の絵がなんかいいよね、とか言った気もするかも・・・。

僕って、ホンマせいない(せいがない、張り合いがないの意)男やわぁ。

 

途中まで隣の金城!さんという名の沖縄出身の男性と話してました。

彼は僕のこと年上やと思っていたみたいですが、僕は彼の方が断然年上だと思っていました。

で、彼は昭和36年の夏生まれ、僕は37年の2月生まれ。

ということで同級生でした。

この人、エライことオヤジギャグかますんです。

同級生にオヤジギャグ言われた僕はどう反応すれば良いの?(笑)

おまけに彼、泡盛が好きじゃないんです。

ビール党。

沖縄の男でそんな人初めて見ました。

 

しばらくして、この男性は帰り、今度は左側の男女と話すようになりました。

ほいでから、カラオケ行こうかということになり、3人で駅近くのジャンカラ(ジャンボカラオケ)に。

安い方の飲み放題のコースは飲み物が制限されており、焼酎も入っていないので、2600円の高い方のコースにしました。

機嫌良く皆で歌っていて、僕は一杯目生ビール、そして二杯目の焼酎ロックが来た時に問題が起こったのです。

 

ロックグラスに山盛り氷が入って、焼酎は「これって氷が溶けたんちゃうん?」と思わせるほど、底の方にチョロリ入っているだけ。

ブッチ~ン!!

そのまま厨房に乗り込み「ワレ、なめとんのかっ!」

とてもワンネスだとかヒーリングだとか言ってる人とは思えません(笑)

店の女の子はビビりまくってますが、若い男の子が「いやでも、ちゃんと決められた通りの量を入れてるんですけど」

この言葉にまた切れまくって「アホかいっ!」

そのうち店長がやってきて「何か問題がございましたでしょうか?」

「うるさいわい、ボケッ。俺は地元の人間やからこの店には二度と来えへんし、他人にも絶対に紹介せえへんわ」

まあ、オレもアホやね(笑)

 

さて、僕も酔っ払うとこうなることがあります。

そしてそれを自分に許しています。

僕はここでは正直に自分自身を公開しています。

こんなブログ書いているから良い人でいなくちゃなんて、これっぽっちも思いません。

また、こんなブログ書きながら最低なことをしてしまった、と悔やむこともありません。

今の僕はそうなんだから、そうなのです。

 

酒を飲み過ぎると理性が麻痺しますから本能のまま行動するようになります。

すると本来は個性を作るためだったトラウマが、本当にトラウマとして噴出してしまいます。

僕の場合は怒りを持って生まれてきているので、酔っ払うと非常識なことに関してすごく腹が立ちます。

 

それよりなにより、一昨日のブログの内容をみてください。

怒りについて書かれていますよね。

相手を罵るような言葉が頭の中を行き交っても、怒りの感情はわいてこなかったと書いてますよね。

そのように書いた次の日に上のようなことが起こるのです。

う~ん、こりゃマジで誰か上から俺のこと見とるな、きっと。

 

だから皆さん、お酒はもし飲まれるのなら適量を守りましょう。

え?それってお前のことだろって?

一応ね、ちびっとは反省してるのよ、これでも。

2012.4.23

Enjoying Process ~過程を楽しむ~

一週間のうちに二回も東京に行くと、曜日感覚がわからなくなってきます。

今日は土曜日なのね。

木曜日の午後10時過ぎ、青山にあるホテルにチェックインすると、なんと中学生の修学旅行の団体が・・・。

おまけに階も同じなんてツイテねぇ~。

でも、彼ら大人しかったです。

ちなみに泊まったこのホテルは、昨年末に加治さんの講演を聴きに来たところでビックリ。

次の日に備えてお酒は飲まず、コーヒーを買いに青山通りのマクドナルドへ。

ポテト揚げるのに3分も待たされて、なんかこないだカンブリア宮殿という番組で見たのと違う感じ。

それにしても、このわたしが夜にマクドナルドのフライドポテトとコーヒーを持ってホテルに戻るなんざぁ世も末ですな(笑)

これって、2012年問題?

 

翌朝は6時半に起き、7時からホテルで朝食。

なんか、最近のホテルって全部業務用の食材を使ってる感じがして白けます。

会場の鈴木先生のオフィスは歩いて10分もかからないはずなので、その後本読みながらベッドの上でだらりんと過ごす。

青山通りを歩きながら、青山学院大やその向かいにある国連大学(なんじゃこりゃ?)、子供の城という施設の広場に設置されている岡本太郎のオブジェなどを眺めて、う~ん、東京じゃのう。

青山ですから、道行く女性たちもオシャレでキレイ。

北風呂町や三条通りとは違います(笑)

 

D2ビル.jpg北青山にある鈴木先生のデンタルデザインクリニック。

D2(ンタルザイン)ビルの2階ってことは、これって持ちビル!?

すんげぇ~。

合計10名のドクターの参加で、午前のオペと午後のオペに分かれて見学。

直接見学しない方は、研修室でモニターで見学ですが、実はモニターの方が術者目線ですからよくわかるのね。

次からのインプラントのオペにすぐに役立つ有意義な研修でした。

 

その後、高田馬場へ移動して2級天使の柴田氏と待ち合わせ、某出版社の編集長とお話。

すでに「シャングリラからの伝言」はお読み頂いていたので、その本自体は評価いただきましたが、それと実際の出版となると話は別(というのは僕も十分承知の助です)。

それでも約1時間半と長い時間を僕との面談に割いてくださり、あえて歯科医らしい事を書くよりは、この路線の続きで何か企画を考えて見せてくださいとのお話でした。

僕も出版業界の実情は知っていますので、それがどこまで本気でどこまで外交辞令かわかりませんが、少なくともあの出版社の編集長があれだけの時間を僕と話してくださったことに、何かしらの縁を感じます。

 

それが終わって、僕が奈良に辿り着くことができる最終の新幹線の時間までの間の約50分、品川の韓国料理屋さんで柴田さんと食事をしました。

以前、品川プリンスに泊まった時はつまらん街やなぁ、と思っていたのですが、駅を挟んでそれと反対側は中々に愛すべき路地裏の店が立ち並び、また来てみたいなと思わせるに十分でした。

 

新幹線では20のAという座席。

言っときますけど品川から乗ってるんですよ、僕。

東京―品川―新横浜―名古屋―京都 です。

3席ある真ん中のB席で、若いサラリーマンが大きなバッグを二つもA席の方に置き、前のテーブルを出して弁当食うてる真っ最中。

普通ね、東京から乗ってんだったら、おまけに自分が真ん中の席なら(窓側も通路側も満席ということ)、品川か最低横浜で隣の乗客が来るって考えますよねぇ。

コイツ、アホちゃうか?と思いました。

20という列は西向いている時は車両の一番後ろなんです。

だから荷物を自分の座席の後ろに置けるんですよ。

あるいは上の棚に置くとかね。

何考えとんねん、と思いながら本読みだしてそのうち寝たんですが、名古屋過ぎたくらいで足元がモゾモゾすると思ったら、このアホたれは窓側にいる僕の足元にあるコンセントにパソコンの電源差し込んで、仕事しだしたのね。

・・・・・・・。

 

ここで僕が言いたいのは、こいつアホかい!などといろんな罵詈雑言が僕の頭の中を飛び交うんですが、不思議とそれに伴った怒りの感情というのは全く沸いてこないんです。

普通ムカムカとかイライラとかしますよね。

それがないのよ。

実は、先ほどの編集長との話の中で「感情を表現する」ということについて、怒りというのは人間が持っている本来の感情ではなく、大人に(親に)教えられたものである、てなことをしゃべってたんです。

それをまさに、その時自分の中で、そのアホのお蔭で認識させられているのです。

京都で僕が降りる支度をしてる時も、ギリギリになってこのボケナスは迷惑そうに片付けてたもんな。

きっと仕事の段取り悪いでしょう、この人。

 

本日の主題は以下のごとし。

皆さんは、先日のブログを読んで(実はその部分あとから削除したんですけど)次の本が出るものだと思ってらっしゃる。

楽しみにしてくださるのは有難いのですが、僕は本が出るなんて一言も言ってません。

そのためにアクションを起こすと言ってるだけです。

この出版不況の中、僕が自費出版でなく本を出すなんて至難の業です。

先月会った出版プロデューサーとの話にしても、今回の編集長との会談にしても、それが即良い結果を出すかどうかなどわかりません。

 

僕には皆に幸せになって欲しいという強い願いがあります。

そのために伝えたいメッセージがあります。

だから次の本を出した方が良いみたい、と直感し、その通りに動いているだけです。

よろしいですか?

僕は単に直感に従って今、動いているだけなのです。

そして、起こる結果に対しては一切の執着がありません。

ほとんどの人は、どこかの編集長と会って、「ああダメだった」とか「うまくいきそう」とか結果にとかくこだわるのですが、僕はそうではないのです。

僕が今起こしている行動に対して、宇宙は何らかの答えを出すでしょう。

それは僕が考えるような形でないかもしれません。

しかし、これも先日のブログでお伝えしたように、僕が何らかのアクションを起こせば、周りのエネルギーはグニュッと僕を前に押し出してくれるのです。

 

過程を楽しむ。

 

僕が人生に於いてやっているのはこれです。

もちろん理想や願いはあるし、期待もあります。

しかし結果にはこだわりません。

僕の思考と行動に対して周りが動き出す。

それが何がしかの結果を生み、また僕はその時点で直感に従い最善を尽くす。

楽しいのは、結果そのものよりも、このプロセスなのです。

 

すべては最善のことしか起こらない。

そのことを信じていたら、何だって来い!です。

 

皆さんだってそうでしょ。

旅行そのものより、旅行についてあれこれ考えている時が楽しいんだって。

2012.4.21

カッパ再び東へ

本日、診療終了後すぐに新幹線に乗り再び東京は青山へ参ります。

明日は僕が採用している大口式インプラントシステムの講師である鈴木光雄先生のオフィスで、インプラントのオペの見学とその詳細な説明会に参加するからです。

もちろん有料で、安くはありません。

他のドクターのオペを見学するのは超久々です。

 

この大口式を知ってしまったら、通常のドリルで骨に穴をあけるという手術法は滅多にしなくなりますし、やろうとも思わなくなります。

今、インプラントの最先端はコンピューター支援による手術です。

術前に撮影したCTにより、ドリルを入れる位置や方向が正確に転写されたステントと呼ばれるものを手術部位に固定し、あとはそれに従って(場合によっては歯肉も切開せず)オペを進めていきます。

術後の不快症状も非常に少なく、ケースによれば即日に仮の歯が入ることもあります。

 

大口式の場合、自分の骨を削るのではなく、拡げながら手術を進めていくため、術前のCTである程度骨の状態はわかってはいるものの、実際は手術時に臨機応変に対応するので、そのようなコンピューター支援によるのは今のところ不可能です。

しかし、多くの場合において歯を抜歯した後の骨は吸収されてやせているので、通常ですとインプラントを埋め込む位置にドリルで穴をあけながらも、骨が足らない部分に人工的に骨を増やす処置をするという矛盾が生じます。

大口式においてはそれはありません。

ただし、骨を拡げながらも不足している部位には骨の再生処置を行う場合があります。

まあ、そういった手術法のエキスパートの先生の手技を見学して学んでこようというわけです。

 

明日の早朝に発ち日帰りすることも可能なのですが、一日長いので、出来るだけ集中して見たいと思い前泊することにしました。

 

話変わって、この間も、ある患者さんに「ここに来ると眠たくなる」と言われましたが、皆さんよく寝られます。

あるいは眠たくなります。

これは僕の脳波がθ波とかδ波とかに近くなっているからと思われます。

通常、人間は集中するとβ波と呼ばれる非常に速い周波数の脳波になるのですが、これはいわゆるマインドで動いている状態で本当の意味での集中ではありません。

リラックスしている状態が、よく聞かれるα波でして、少し脳波がゆったりになりますが、θとかδはそれよりも極端に遅い周波数です。

およそ赤ちゃんの脳波のようなもの。

その状態でありながら、眠っているのではなく意識は非常にハッキリしており、ものすごく集中しているのです。

普通に考えたら逆のようなことが、実際には起こるのね。

 

ところがこれはその脳波を出している本人の話でして、その周りにいる人間は眠たくなるようです。

僕が電車に乗って本でも読めば、隣の人は本を落とすし、前の人は携帯を落としそうになります。

ならないのは、ゲームやってる人だけ。

これはパチンコと一緒で思いっきりβ波の状態です。

 

一応、こういうこと言っても大丈夫そうな患者さんには上のようなことを説明します。

そして、その状態においては、赤ちゃんが母親の意識状態の影響を受けるが如く、患者さんに僕のワンネスの意識状態が転写されやすくなります。

これぞワンネス歯科の真骨頂でありますが、別に僕が洗脳しようとしてやっているわけではないので、本当のところはどうなっているのか知る由もありません。

 

今、僕の思考はフル回転で働いています。

それは人の健康についてです。

口呼吸と鼻呼吸がその骨格になっており、ひとつひとつのことは今までにも多くの人によって語られてきましたが、それらが僕の中でどんどんつながり出して大きな樹になりつつあります。

病気を治療するには原因を知らなくてはなりません。

今の医療は対症療法が主であり、出ている症状を薬で抑えるというだけです。

それを治療と称しているところが笑止なんですけどね。

また予防のためにもその原因に対するアプローチが要求されます。

それは大人だけでなく、子供だけでもなく、次に生れてくる子たちがそうならないように、というものでなければなりません。

 

それが今、僕の手に入りつつある。

ただ知るだけ、少々自分でトレーニングするだけ、生活習慣を見直すだけ、です。

お金はほとんどかかりません。

面倒くさがりの僕が考えたくらいですから、いたってシンプルです。

それでいてかつ、いわゆる難病に限らずかなりの範囲の病気の治癒に大きく貢献するであろうと期待しています。

すでにそのスタンスで診療に当たっておられる医師もいらっしゃいますので、僕のオリジナルというものではないかもしれないし、またそんなことにこだわる気も毛頭ありません。

ただうちには次亜塩素水という強力な武器があるのよねぇ。

光殺菌の器材も買っちゃったし。

 

次の本のテーマは(仮に出るとするなら)そこです。

歯科医が発信する身体の健康と心の健康と、人生の目的(幸せ)についてです。

さあ、どうなるでしょうか?

ということで、いやらしい僕はサイドメニューに書くのを止めました。

どうぞ次に出る本をお買い求めください。

あるいは「ならまちワンネス歯科」を受診してね。

おおっ!

なんか、初めてこのブログで歯医者らしい集患的営業をやった気がする。

たまにはこんなんもアリでしょ。

微妙にウレシかったりなんかして。

2012.4.18

カッパ西へ帰る

前回のブログでドックセメントについて、僅かには歯を削ると書きましたが、そういう場合もあるものの、原則として全く歯を削らないようです。(すでに訂正済み)

もちろん麻酔もしません。

治療自体は完璧に無痛的に行われます。

これについての詳細は「歯を削らない虫歯治療」ということで、そのうちサイドメニューに書きます。

もちろん当院でも可能ですが、このセメントが厚労省の認可を受けていないため保険適用はされません。

 

僕の噛み合わせ治療の師匠である横浜のS先生の診療所で行われた土曜日の研究会ですが、皆さん都合が悪くってS先生を含めて4人の参加。

その日のテーマは虫歯治療に関することで、これもタイムリーと言えばそうです。

夜の宴会・・・というより食事会は、僕だけ生ビールから日本酒というパターンで、他の3人は〇〇サワーて感じ↓

でも話はそれなりに盛り上がるのですが、途中、研究会の顧問の先生から僕のスマホに電話が入りました。

「もしもし、〇〇でおます。サイちゃん今、どこにいてんの?」

電話の向こうはすごく賑やか。

女性の声も聞こえます。

この時点で僕はすべてが飲み込めました。

このオッサン、何か動かせない用事があって研究会を休んでいるはずなのにミナミで飲んでて、研究会があることもすっかり忘れ去って、僕がもしミナミに飲みに出てるんやったら合流しようや、という電話なのね。

アホです(笑)

「〇〇先生、あのね、僕の前にS先生がいてはりますよ。ほら、皆の『サイテー』ていう声聞こえます?」

「ほな、サイちゃん切るわ・・・・」

電話の向こうで小さくなってる姿が思い浮かばれ、大笑いでした。

 

そのままバーにも行かずにホテルに直帰。

ラッキーなことに横浜の関内駅から日曜日のセミナー会場がある浜松町までは一本で行けます。

講師の小峰一雄先生の第一印象はまずお洒落、そして立ち姿がスッとしている。

これを見ただけで今日のセミナーがきっと有意義であろうことが想像できました。

ドックセメントの基礎と臨床は当然ながら、これからの歯科が進むであろう未来の姿がそこにありました。

歯科医が身体全体を診て、免疫力アップとかアンチエイジングとかをやっていく。

ただし、これまでは特定の歯科医がオリジナルな方法で独自でやることが多かったのですが、これからは理解のある医師や医療機関とも連携をとりながら進めていく、そして仲間をどんどん増やしていくというもので、全くの同感。

 

そのためにFace Bookというのは必需品なんでしょうなぁ。

僕もこないだアカウント取って、軽音の先輩後輩たちとちょっとだけお友達になってますが、それ以上は広めていません。

今のところほとんど見ないし、たまにFace Bookから「あんた、見てないのが溜まってるよ」みたいにメールが来ると見るみたいな感じです。

僕はブログ書くのが忙しいので、中々そこまで手が回らないのが実情。

さて、どうしたものか。

 

これからは皆さんどんどん長生きになっていきますが、健康で長生きすることが重要です。

そのために今までのように悪くなったら医療機関に行く、そして薬をもらうというようなスタンスは、まず患者側が変えなければなりません。

今回のセミナーを聴きながら、最近の僕の出席する講演会やセミナーなどがすべて、ある同じ方向を向いていることに気づき、きちんと導いてもらってその会場に居られることに言いようのない感謝の念がわいてきて、例によってウルウルきたのでした。

僕はあまりに高度な医療や、ある意味においての最先端の治療には興味がありません。

病気を治すじゃなくって、もっともっと人の幸せや健康に寄与したいと願うのです。

 

セミナーが終わって近くの中華料理屋さんで懇親会がありました。

名刺交換などをして和やかに歓談。

皆さんよく飲まれます。

紹興酒だいぶ空いたな。

それから二次会。

一瞬このままもう一泊しようかと思いましたが、朝9時に診療所に着くような新幹線はありませんでした。

深夜バスはムリやし。

ということで20時11分に浜松町から乗れば間に合うということで、ギリギリまで宴会に参加し、最後もう一杯だけ焼酎を注いでもらって飲み干してから中途退席。

小峰先生も他の参加者も楽しく素敵な人たちでした。

 

健康に関して皆さんにお伝えしたい情報や新たなスゴイ発見とかもあるのですが、徐々に書いていきます。

あ、それと政策金融公庫の融資は残念ながらおりませんでした。

でも、なぜか待望のエコシステムはうちの診療室に鎮座まします。

ヒジョ~に良い。

めちゃくちゃ良いです。

単に殺菌水が出るだけと言えばそれまでですが、ただそれだけで仕事していても楽しくなります。

スピリチュアルなことも現実の仕事も、なんだか次のステージへ向かいつつあると感じる今日この頃でした。

2012.4.17

カッパ東へ行く

本日午後から横浜は山手で口腔力学研究会に出席。

夜は宴会ですが、今回はお酒を飲む先生が何人か欠席されるのでちょっとつまんない。

研究会は明日もあるのですが、僕は本日横浜に泊まり、朝一で東京は浜松町に虫歯治療に関するセミナーに出席します。

これはドックセメントと呼ばれるもので、歯を全く削らずに(わずかに削ることもある)、殺菌作用のあるセメントを詰めることにより、虫歯の部分が徐々に硬くなっていき、本来なら神経(歯髄)を取らないといけないような虫歯もそのまま保存できる可能性があるというものです。

僕も以前から時々使っていましたが、今回本格的に臨床応用しようと考え、そのセメントの草分け的な先生に教えてもらいに行くのです。

この治療法はある意味において画期的であり、詳細については近々サイドメニューの歯科のところに書くつもりです。

これ、歯医者のホームページやしね(笑)

 

健康に対するこれまた画期的な定義も御披露申し上げる予定です。

皆さんの既成概念を壊してさしあげましょう。

では皆さま、奈良は天気良くないですが、どうぞ良い週末を!(明日は皐月賞)

2012.4.14

Hand in Hand

先ほどトイレで気がついたのですが、褌を裏表逆にしめてました。

さあ、どうしたものでしょう(笑)

 

昨日フウさんが中学の入学式でした。

朝、なんとなく緊張して妻に「お母さん、はよ行こ」という姿が可愛かったりして。

入学式の後、今度三年生に一応なる藍の新しい担任の先生との懇談があったらしく、その中で先生は今のままだと内申が最低点しかつかないこと、そして「お母さん、これでいいんですか!?」と言ったそうです。

妻は「わたしも本人も主人も、普通に中学に行って高校に行くなんて考えてないと思います」

先生は「はあ・・・」

 

フンだ。

 

昨日僕は朝10時から整体のM先生のとこでしたが、そこでの診断はちょっと控えさせてもらいます。

ゲゲッ!て感じでした。

11時前に終わり、夜の6時から梅田のホテル阪急インターナショナルで催されるお酒の会まで、さあ、何しましょ?

 

まずは近くの紀伊国屋書店に寄りブラブラ見ていると、鼻呼吸を推進しておられる西原克成先生の「お母さんは世界一の名医」が目につき購入。

これ面白くて良い本です。

次に先月お話会を開いたカフェ・ブルグでアイリッシュコーヒーを注文。

ママさん覚えてくれてはって、ちょこっと話しました。

 

名刺入れ.jpg

読みかけの本を読み終わった時点で12時過ぎたので、本日のもうひとつのプチ用事である、南船場にあるマザーハウスに名刺入れを買いに行きました。

欲しかった色は店頭になかったので仕方なくブラウンのグラデーションタイプを購入。

これで大人の仲間入りです(笑)

昼飯どうしようか考えながら歩いていると、南船場の辺りはやたらめったらイタリア料理屋さんが多いのにビックリ。

靭公園桜.jpg

まずは靭公園に一人花見をしにいくことに決定。

大阪城公園遠いしね。

すると、何じゃこの人の多さは!

普段と全然違う。

皆さんお弁当食べてたりしてるんですが、悲しいかなマクドナルドを買ってる人が少なくない。

できれば路上で売ってるやつでもいいからお弁当やね、本来。

 

お昼はピークを過ぎてから中之島にある中央公会堂のレストランで食することに決めたので、大阪国際国立美術館でノーブルに美術鑑賞でもしようと思って歩いていくと、、、、、なんで臨時休館してんの?

気温は徐々に上がり、コートを手に持って歩いてきたのにぃ。

しゃあないんで、一路中之島へ。

大阪市役所を通って、ここに橋下さんがおるんかと思いつつ、図書館をすり抜け公会堂へ。

中の島クラブ1.jpg

あれ?昔と入口が変わっていて、外から直接レストランに入れるようになってる。

それにしても人、メチャメチャ多いやんかいさ。

昔は知る人ぞ知る穴場で、コーヒー飲みながらゆったり読書ができたのに。

おまけに年齢層高っ!

ほいでからウェイターもウェイトレスさんも皆インカムつけてるしな。

中之島倶楽部2.jpg

窓際の席に案内され、メニューを拝見。

中之島倶楽部ビール.jpg

う~ん、ビーフシチューにするか、大好物のオムライスにするか、どうしようか考えた挙句、「大正ロマン定食」850円と生ビールに決定。

これはスープ、サラダ、ライスにエビフライ、ハンバーグ、ヒレカツがついているというものです。

子供かっつうの。

でもなんか、エエ感じ。

機会があれば是非どうぞ。

 

今井先生のリウマチの本を少し読みかけて、前からいっぺん行ってみたかった隣にある東洋陶磁美術館に入館。

何とラッキーなことに、「マイセン磁器の300年」展をやっているじゃあ、あ~りませんか。

なんちゅう贅沢な展覧会じゃ。

すごいねぇ、マイセンは。

ただね、他の女性の入場者たち、ていうか数いたオバハンども。

おまえらな、美術館の中でペラペラでかい声で喋るなっちゅうねん!

ほいでから、そこのオッサン!

携帯で展示物撮るな!

どんなけマナー違反するねん。

中之島カフェ.jpg

オホン。

その後、川沿いで休憩。

一人カワイイ子発見(←アホ)

カフェは混雑していたのでパス。

水上バスはすごい人気で満員の上に、待ってる人もメチャ多い。

 

そうこうしているうちに4時10分になったので駅前ビルまでプラプラ歩いたら4時半開店の竹生庵にうまく入れるわ。

駅ビルの地下には占いコーナーが結構あって、わりと流行ってる。

お~い、そんな人に運勢聞いても無駄ですよ~。

僕の本、買いなはれ(笑)

ということで、黒ビール小瓶2本、普通のビール中瓶1本、冷奴、釜揚げしらす、合鴨のネギいため、で蕎麦を食わずに退店。

あ、ちなみに大将、桜花賞はダメだったそうです。

その桜花賞のあった日曜日に、竹生庵の大将、奈良に来られて「かえる庵」に行かれたそうです。

えらい「かえる庵」を気に入りはって、お酒サクッと3合飲んで、競馬見るために3時には帰ったとさ。

 

一の蔵を楽しむ会.jpg

さあ、いよいよ「大阪・一の蔵を楽しむ会」です。

去年は震災で開催されなかったけれど、今年で19回目だそうです。

参加者500人て。

でも、どこでもかしこでも焼酎がもてはやされる中、これだけの日本酒好きの人がいるというのは実にうれしい。

会の冒頭に震災で蔵がどのような被害を受けて、そして様々な支援の元、また社員一丸となった頑張りの元、いかに復活の道を歩んだかをスライドで見せてもらいました。

驚いたのは、一の蔵自身が被災地に大量の水をトラックで配ったり、日本酒を提供されたりしていたことです。

自分たちの蔵を立て直しながらも、早い時期から他の被災者のために活動しておられたのです。

これには胸をうたれました。

そこで僕は思ったのです。

他府県からの持続的な援助は当然必要でしょう。

しかし、被災地の方々同士がつながって、皆が協力し、助け合って復興していくのだということを。

Hand in Hand

すべての人が手と手をつなぎ、明日の日本を作っていくのですね。

2012.4.13

被爆の話

本当にまともに測定すれば、今や日本中が汚染されているでしょうね。

日本近海で獲れた魚を食べるなど、とてもじゃないけどお勧めしません。

でもお寿司屋さんに行くのね、僕。

 

広島に原爆が落ちた次の日。

生き残った人たちは、当然お腹がすきますし、食べなきゃいけませんから、その辺にある野菜を引っこ抜いて食べていたわけです。

体内被曝ということを知らなかったからこそなのですが、広島中の人が汚染された食物を食べたわけです。

その人たちが全員白血病とかで死んだでしょうか?

そんなことになっていたら、今頃広島の街はえらいことになってます。

 

だからといって健康に影響がなかったということではないでしょうし、きちんと調査研究したわけでもありません。

また福島の原発事故とは放射線量が違うかもしれません。

それでもなお僕は必要以上に汚染を恐れることに疑問を感じます。

もちろん避けられるものは避けた方が良いに決まっている。

汚染など問題ないとして、その危険性がある食物をとるなんざ愚の骨頂です。

自治体が汚染の可能性のある瓦礫を受け入れて、日本中に汚染を拡大させるのも馬鹿げているようにも思える。

でも、そうしないと復興が進まないのも事実。

 

無知であることが良いとは思いませんが、知ることにより恐怖心で行動するようになるのなら、知らない方が幸せかもしれませんよ。

僕が6月に宮城県に行った時は、当然魚を食べるでしょうし、地元のお酒を飲むでしょう。

ていうか、明日の夜に大阪でお酒の会がありまして、宮城の地酒「一の蔵」が主役なのです。

 

先日ある知り合いが、僕が宮城に行くことを伝えると、「わたしの中では東京から東に行くなんて考えられへん」と言ってました。

その人もスピリチュアル・セッションを自らするような人ですが、その人でもそんなもんか、と思いました。

 

要はバランスだと思うのです。

現実的な対処は当然要求されますが、それと不安や心配、恐怖で動くのとは話が全然違います。

そのあたりを混同している人が多いなぁ、と思うわけです。

2012.4.11

Happiness brings happiness ~幸せが幸せを呼ぶ~

親というものは子供のことで悩むものですが、僕に言わすとそこが間違ってる。

子供の人生は子供のものであり、例え生まれつきの病気があったにせよ、すべて子供の責任ですから、親が必要以上に気にかける必要はない。

薄情なようですが、それが本当。

だからといって放っておくわけではありません。

心の持ち方の問題を言っておるのです。

ほとんどの親は何でもかんでも自分の責任みたいに背負いこむか、あるいは極端に放任しすぎになっています。

 

前にも述べましたが、「息子が引きこもりで、主人にも手を上げるし、どうしたら良いでしょうか?」というような質問に対し、僕は「それは息子さんの問題ではなく、あなた自身の問題であり、あなたとご主人の関係、あなたとご両親との関係が反映されているに過ぎません」と答えます。

これを言われると、相手は目が泳ぎ出し何を言っているのかわからない、となります。

ここでいう親自身の人間関係が子供に反映するということをして、それが親の責任であると言ってるわけではありません。

それは単に原因と結果であるというだけです。

 

例えば子供が生まれつき障害を持って生まれたなら、親はどこか自分の責任だと感じてしまうことでしょう。

そして「どうして私のところにこんなことが・・・・」とつい思ってしまう自分に対しても引け目があります。

だからこそ不自由な身体をしている子供が非常に愛おしく思えることもあるかもしれません。

これも薄情な言い方をするならば、子供がその体験を選んできただけ、そして気づいてないかもしれませんが、その親もその体験を選んできただけです。

そこに責任もへったくれもありません。

ただ体験したかっただけなのです。

 

唯一、親に責任があるとするならば、それは子供を授かる時に親自身が幸せでなかったことでしょう。

親が幸せなら子供は問題を起こしません。

仮に起こしたところで、幸せな親にとってはそんなことは問題にならないのです。

一つの体験としてとらえるから。

 

子供の幸せを願わない親はいないと思いますが、そのために必要なのはお金をかけてあげることでも、習い事に通わせることでもなく、極端な言い方をすれば愛情を注いであげることですらありません。

そんなもの親の自己満足以外の何ものでもありません。

子供の幸せに絶対不可欠なのは、親自身が幸せであること以外にあり得ないのです。

 

今、世間に溢れだした覚醒しつつある人たち。

その人たちが陥りがちなのは、かつての僕がそうであったように、いまだ目覚めようとしない人を裁いていくということです。

そのような状態で発せられるメッセージは、不安や怖れ、怒りなどが見え隠れし、あまり心地良く響いてきません。

まあ、誰でも段階を経て覚醒が進んでいくので、いいと言えばいいのですが、できたらそのあたりをよく考えて欲しい、自分自身の姿をよく観察して欲しいと思うのです。

ここでも大切なことは、他人を無理に揺り起こすことではなく、自分が幸せであるということなのです。

そんな人の出すメッセージは、他人を裁かないし、肩の力も抜けていて、読んでいて心が軽くなります。

当方もそうであるように気をつける所存です。

2012.4.10

悟りの練習

競馬界に春を告げる桜花賞。

な・の・に・・・・

朝から夕方まで講演会で見れない~!

同志社大学でありますから、ちょっと行けば京都競馬場なのに(桜花賞は阪神競馬場)

毎年この日は何かあって、滅多に見ることができません。

 

さて、悟りの練習です。

話は極端に変わります。

これも電車に乗りながら思いつきました。

道を歩いている時でも、電車に乗って窓から外を見ている時でも何でもいいんですが、いろんな文字が目に飛び込んできますよね。

そのほとんどが看板でしょうが、なにかしらの文字が常に目に入ってくるはずです。

その時に普通は頭の中でその文字を読んでしまいます。

文字というのは既成概念の塊みたいなものですから、絶対に読んでしまうのです。

 

ところが速読が出来る人は文字を読みません。

イメージで映像としてとらえます。

いちいち頭の中で文章を読んでいたら速読なんて出来っこありませんもん。

その時に呼吸法と集中力がいるわけです。

 

この練習をやってみるのです。

文字が目に入ってきても、頭の中でそれを読まない。

ただ見るだけ。

まあ、やれるものならやってみてください。

かなりのトレーニングを積まないと無理でしょう。

僕も出来ません。

しかし、過去に見た映像と、それにまつわる記憶(つまり文字とその読み方、そして付随する意味)を今見ているものから切り離すことが出来れば、これは相当な悟りの段階に達したと言えます。

そして必要なら、その記憶を引っ張り出してくる。

つまり既成概念から完璧に自由になり、こちらが既成概念をコントロールするということです。

これできたら超人、ていうか仙人やね、その人。

ことほど左様に、人間というのはパターン化された既成概念にきつくきつく縛られているのであります。

文字というのはその典型なんですな。

 

てなことを考えながら(木曜日に大阪歯科センターに見学に行く途中だったんですけど)、近鉄特急を上本町駅で降りました。

いつもは号車指定の出来る券売機で特急券買うんだけれど、その時は時間がなくて、それが出来ない券売機任せの特急券を買いました。

するとラッキーなことにいつも指定する2号車禁煙席の券がでてきました。

そして上本町駅で乗り換え、駅のホームのいつもの場所で次の電車を待ち日本橋駅まで行く・・・・・・あれっ?

それって堺筋本町の整体のM先生のところへ行くときの話やないの。

今日は確か大阪歯科センターに行くんやから、ホームの向こうの端から改札出て、地下鉄谷町線に乗らなあかんやんかいさ。

 

おわかりでしょうか?

普段、歯科センターに行く時は改札に近い一番先頭の4号車をとるのです。

たまたま2号車だったものだから、そのままパターン化されたM先生ところへいくような錯覚に陥ってしまった。

このように既成概念というのは厄介ですねん。

おまけに、先ほどそのことについて考えてたところで、こんなことに遭遇してしまう僕。

これって、宇宙のサポート?(笑)

 

ということで、お勉強しに行ってきます。

 

春うらら 仁川の花は 咲きにけり

京の(今日の)治は 桜散るらむ

 

・・・・おそまつ

 

ていうか、今日は花まつり(お釈迦さんの誕生日)やんかいさ。。。。

2012.4.8

いのちのうた

昨日、どのように頑張ればよいのでしょうか?と括っておきながら、さあ、書きながら考えよかと思っている土曜日の早朝でした。

先ほど子供たち三人は久しぶりに藍も含めた為ちゃんキャンプに出発しました。

為ちゃんも大ハリキリです。

 

僕の本が出たのが2009年の暮れ。

昨日見つけたんですが、先月ようやくアマゾンのレビューを書いてくださった方がいました。

すべてのネット書店の中でもおそらく初めてのレビュー、感想です。

かなり褒めてもらっています。

その方はYou Tubeの動画を見て涙が溢れたと書いておられるのですが、僕はそのコメントを見て思わず俯いて泣いてしまいました。

ようやく認められだしたか・・・・という思いと、その泣いた自分に対して 「強がり言っても結局は頑張ってんねんな、俺」 と思う気持ちにまた泣けて・・・・。

 

僕がカラオケでよく歌う歌に森田健作の「さらば涙と言おう」があります。

その2番の歌詞・・・・

青春の勲章は くじけない心だと

知った今日であるなら さらば涙と言おう

まぶたはらす涙も こぼしちゃいけない

こらえきれぬ時には まつ毛にためよう

恋のため 愛のため

まっすぐに生きるため

泣けることもあるけど

さらば涙と言おう

 

この太字のところで必ずウッとなります。

今これを書いていても泣けてきます。

自分に正直に生きることはつらい。

他人に理解されないし、いろんな気持ちを押し込めなきゃうまくやっていけません。

そして結局、悪いのは自分の方なんだ、自分の性格なんだと、自分を納得させて何十年も生きてきました。

これって頑張って生きている以外のなにものでもありません。

そしていま、自分は自分のままでいいんだということが、頭ではなく身体でわかりました。

自分を愛するとか、自分を許すとか、そこまでは全然出来ていないかもしれないけど、

でも以前に比べれば、すごく楽に生きています。

 

自分の個性を認めなきゃいけない、と思ってやってきたわけではありません。

嘘をつくのが苦手なのは昔からです。

シンクロは勝手に向こうからやってきますが、そのことに気づいて感謝できるのはちょっと偉いかもしれない。

宇宙の法則は本を読んで知ったというより、勝手にインスピレーションとして頭の中からわいてきた。

結局、全部はじめから自分の中にあったのです。

 

お酒はいまだ止められませんが、もう普段は競馬も競輪もやりません。

競馬で借金返そうなどと半分本気、半分冗談のようなことは、どこかへ飛んでいきました。

するとどうでしょう。

仕事が益々好調になってくるのです。

 

仕事の事にしても、スピリチュアルなメッセージを伝えることにしても、今は次のように考えています。

 

あなたは小さな部屋に一人で立っています。

その部屋はスライム(あの、ゴムのようでありながら壁にぶつけてもベチャッとくっつくやつです)で満たされています。

あなた以外は全部スライムで埋まっているのです。

そのスライムはあなたの思考にまず反応します。

あなたが動こうと考えた方向に動きやすくなるように、その部分のスライムがわずかに柔らかく変化します。

次にあなたは実際にその方向に動きます。

するとどうなるかというと、あなたの動いた方にあるスライムはあなたに押され移動しますよね。

そしてスライム内の連鎖が次々起こり、結局はあなたの後ろにあるスライムがあなたを前に押してくれるように働くのです。

わかります?

あなたが思考し、行動することによって、宇宙はあなたを益々サポートするのです。

大切なことは行動すること。

頑張ることなのです!!

 

自分のためだけのことでもいい。

他人のためのことならもっといい。(お節介はダメよ)

よりグローバルな広い視野に立ったものなら、もっともっといい。

神の御心に叶うならば、そしてあらゆる生命にとって良きことならば、このサポートは半端じゃなく起こります。

最近の自分を見ていてもつくづくそう思います。

 

僕のような無名の人間を宮城の方が話を聞きたいと、わざわざ交通費払って呼んでくださる。

院内殺菌水化プロジェクトを考えたら、どうやら政策金融公庫はその会社のシステムに非常に興味を示しているみたいで、面談終わったばかりでどうなるかはまだわかりませんが、必ずうまくいくという確信があります。

 

なにがどうなってもいいんです。

時間がかかってもいいんです。

宇宙は僕に最善の時に最高のことが実現出来るように段取りしてくれているのがわかっているから、僕もいつも最善を尽くして後はその時を待つだけです。

 

どうすれば、あこがれの人になれるのか?

その人の人生はその人だけのものだから、そっくりそのままにはなりません。

あなたはあなたの道で、あこがれの人が手にしている満足感を得ればよいのです。

そしてそれは絶対に可能。

ただし、あなたをそこに導くのは、成功本でも、成功のためのセミナーでも、自己啓発セミナーでもありません。

 

僕を見てください。

まだ夢途上ですが、僕が何か努力しましたでしょうか?

あえて言えばインドに行ったくらいですが、あんなものこの期に及んで皆さんには必要ありません。

ディクシャも、〇〇セラピーも、〇〇ヒーリングも、僕は必要ないと思います。(あってもいいよ、別に)

ただ何かのキッカケはあっても良いかもしれない。

それは何であっても構わないのです。

 

成功本などは何が間違っているかというと、お釈迦様のように悟った人の言うこと聞いても守っても悟れない、という当たり前のことを勘違いしているからです。

悟ったから悟ったのであって、そこに何かのハウツーがあるわけではないのです。

これって、どうすれば?の答えになっていませんか?

 

結局はね、僕たちはそのままでいいってことです。

ただ、それを確信するかどうかだけの問題なのね。

すると、あなたの思うところ、行こうと身体を動かしたところへ、宇宙は連れていってくれます。

 

それにつけても、今、宇宙の流れに完全に乗ってるよなぁと思う自分がいることを思うと、その流れを作りだしてくれている宇宙そのものに対してもそうですが、あらゆるところで僕を支えてくれている人(エネルギー)たちに感謝の気持ちが溢れてどうしようもないです。

特に2級天使の柴田氏にはこの紙面を借りて(紙面じゃないか?)、厚くお礼を申し上げる次第です。

そして、こういう時って、本当にワクワクするんですね。

心の深い部分で、すごくワクワクするんです。

 

嗚呼、生きるって、楽しい。

さあ、明日は桜花賞だぁぁああ!!・・・・・

 

茉奈佳奈 「いのちの歌」    

 

2012.4.7

壁を破って進む~意図的創造とちょこっと輪廻転生の話~

え~、こんなエエ話こんなとこでしてええのんかしらん?と思うのですが、他に書くことないので書くのであります。

 

と、その前に。

僕が大大大大大誤解していたことがあります。

それは(セルフアイデンティティ)ホ・オポノポノについて。

あの四つの言葉って、僕はずっと宇宙とか神とかに言うものだとばかり思っていましたが、あれ本当は自分自身に対して言うんですね。

であれば納得です。

以前ブログでご紹介して、本にも載っている”癒しの言霊”と対になる言葉だから。

”癒しの言霊”はハイヤーセルフ、内なる自分からのメッセージです。

ホ・オポノポノは内なる自分へのメッセージです。

ということで、ハキハキもの言う代わりに、間違っていたら潔く訂正する。

橋下徹大阪市長のごとしであります。

 

で、本日のお題である壁を打ち破る話でございます。

 

僕たちはいわゆる過去世というのを身につけておりまして、それが生まれ変わりみたいに考えられているわけですが、実態は微妙に違います。

例えば僕が生きて死んだとしましょう。

その時に、生まれる際に身につけてきた過去世プラス今回生きた生というのがあります。

今回生きた生というのは、宇宙の過去世洋服ダンスにしまった瞬間からそれも過去世となります。

そして僕は何の色にも染まっていない、ただの光の玉(無色透明の魂)に戻ります。

 

が、往々にしてもう一回さっきの人生をやり直したい、もっと別の創造(アプローチ)ができたんじゃないか、と思うのですね。

その時、先ほど生きた人生の記憶は離さずにそのまま保持し、他の過去世のバリエーションを変えるということをしたりなんかします。

これが、人は何度も生まれ変わると誤解されている理由であります。

 

本当は個別の魂などありません。

皆同じです。

ところが、僕の今生の記憶を持っている魂が次に生れると、さも僕が生まれ変わったみたいになってしまうのね。

 

で、僕たちはですね、もう何千年何万年も、こういった輪廻転生を散々やり尽くしてきたわ